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舘家の三兄弟  作者: トウリン
難攻不落のお姫様

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取り戻したもの

 その日の朝、雛姫(ひなき)は顔中にデカデカと『緊張してます』と書いてあると言ってもいいほど、その緊張具合が丸判りの状態だった。

「そんなにビビんなくてもいいんじゃねぇの?」

 賢人(けんと)のその声かけに反応したのは春日(かすが)の方で、彼女の視線には『黙れ』と浮かんでいる。彼は返事の代わりに肩をすくめた。


 賢人は、自分に対してこれほど強い影響を与えるような人間関係は、正直築いたことがない。離れていったらそれっきりで、何が何でも会いたいと思った相手もいない。

 だが、雛姫はたった一人の為に、自分自身の生き方まで変えてしまっていた。

 そして今は、まるでこれから二度と生きては帰れない死地にでも赴くようだ。


 雛姫にとって、木下美紗(きのしたみさ)はそれほど大事な存在なのか。


 友人、しかも女子相手に嫉妬するのはあまりに狭量だとは判っていても、それでもやっぱり賢人は雛姫の中の彼女の重さに嫉妬する。強張っている繊細な横顔を見つめながら、彼は、いつか自分も、彼女の中でそれくらい――いや、それ以上の大きさを占める存在になってやると心に刻む。


 賢人、雛姫、春日の三人が立っているのは駅の改札で、木下との再会の場に選んだのは、この前彼女と遭遇した駅から少し離れたところにある公園だった。

 その公園は昨日雛姫たちと過ごしたような小さなものではなく、奥に行けば展望台もあるような大きなものだ。遊歩道の途中に像があり、そこが木下美紗との待ち合わせ場所になっている。


「しっかし、何でこんなところなんだろうな」

 公園に入り、遊歩道を進みながら首を傾げた賢人に、雛姫が振り返る。

「多分、それは――」

 答えをくれかけていた彼女の声は、途中で切れた。というより、断ち切られた。

 突然響いた、高い声に。


「ヒナ!」


 雛姫がパッと振り返り、同時に、賢人も春日もそちらに目を向ける。

 三人の視線が集まったのは待ち合わせ場所になっている像で、その前には、一人の少女が佇んでいた。間違いない、あの時駅で雛姫を見つめていた聖蘭の生徒――木下美紗だ。

 像までの距離は結構あって、それでもあれほどはっきり呼びかけが聞こえたということは、かなりの大声だったということだ。


 立ちすくんだ雛姫の代わりに、その少女がものすごい勢いで近づいてくる。険しい形相はしているが、それでも目を引くきつめの美人だ。雛姫と並べば、太陽と月のように好対照をなすだろう。

(ま、オレには雛姫の方が断然いいけどな)

 そう思って見下ろせば、彼女は突進してくる友人を、目を見開いて凝視している。


 その木下は、雛姫と衝突するまであと数歩というところまで来たときに。

「なんで、今さらなのよ!?」

 その移動速度以上の勢いで、そう叫んだ。


 思わず賢人の顎がガクンと落ちる。


「はぁ? なに――」

 言ってるんだよ、そう返そうとした賢人の袖が、引かれた。手の主は春日だ。

「ちょっと待って」

「でもな、あんな言い方はないんじゃないのか?」

「いいから」

 そんな遣り取りをする賢人と春日の横で、雛姫がギュッと両手を握り合わせた。

「ごめんね、美紗――」

 謝る彼女を、木下のなんとも刺々しい声が遮る。

「違う! そうじゃなかった。そうじゃなくて、何で、今まで連絡くれなかったのよ?」


 賢人は眉をひそめた。

 木下が言い換えた台詞は、さっきのものとはだいぶニュアンスが違う。

 と、春日がまた袖を引いて賢人の気を引くと、小声でささやきかけてくる。

「美紗ちゃんって、あんな感じなの。ちょっと、衝動的っていうか」

「なるほどな」

 納得した賢人の耳に、おずおずとした雛姫の声が入ってくる。


「美紗、あの……」

 釈明しようとした雛姫を、木下が鋭い眼差しで黙らせる。


 そして。


「あたし、ヒナからの連絡ずっと待ってたのに!」


 予想外の非難の台詞に、雛姫が目をしばたたかせる。

「でも、二度と私の顔なんて見たくないって」

「そんなの口だけに決まってるでしょ!? 何年あたしの友達やってたのよ!」

「えっと、十――」

「真面目に答えないでよ!」

 なんだろう、この噛み合ってない感は。というより、ほとんど木下の八つ当たりか何かに聞こえるが。


 賢人は身を屈め、隣の春日にささやく。

「なんか、すごいな」

「でしょ? だから、ここにしたんだと思う。店の中とかじゃ、多分、追い出されるから……」

「場所指定してきたのは彼女の方なんだろ? ってことは、自覚してるってことか?」

「うん。こう、おっとりした雛姫ちゃんと正反対でね。ほら、割れ鍋に綴じ蓋っていうか。わたしも二人と一緒に過ごしたのは一年くらいしかなかったけど、盛り上げるのは美紗ちゃんで、その手綱を取るのは雛姫ちゃんだったの」

「ああ……納得」

 うなずいて、賢人はまた二人の方へと目を向けた。

 と、木下を見た途端、ギョッとする。たった今まで猛然と雛姫に食って掛かっていた彼女が、ボロボロと滝のような涙をこぼして肩を震わせていたのだ。確か、雛姫が泣いたところを見たことがないと言っていた、彼女が。


「美紗――」

 おろおろと歩み寄った雛姫に、木下がガバリと抱きついた。ほとんどしがみつくという態で。

「あんなこと言っちゃったあたしが、あたしの方から、電話もメールもできるわけないでしょ!?」

 怒りながら弁解するという器用なことをしている木下に、雛姫がオロオロと説明する。

「でも、私、美紗のこと傷つけたと思って、本当に、もう二度と会いたくないんだろうなって、思って……」

「そんなこと、あるわけない! あるわけない……あたし、あんなこと言っちゃって、ヒナに嫌われたって思って、もう、死ぬほどつらかった……何度も会いに行こうと思ったけど、怖くて、できなくて……」

 雛姫の肩口に顔をうずめて、木下は鼻声でつぶやいている。

「ずっと、雛姫の方から連絡してくるの、待ってたの。そうしたら、謝れるのにって……」

 ズズッと、木下は盛大に鼻をすすった。そんな彼女から少し身体を離して、雛姫が言う。


「私も、謝らないとって思ってた」

「何で……何に?」

「何って――だって、美紗の好きな人」

「あのバカ男のこと!? 何で!?」

「何でって、あの人が私に」

「鞍替えしたって? そんなの、ヒナのせいじゃないじゃない!」

 雛姫が言おうとしていることを次々と先取りして、最後に木下は呆れたような声を上げた。


(やっぱ、親友か)

 賢人はしみじみと思った。

 雛姫のことを、よく解っている。


 賢人は感心したが、雛姫は困惑しきりの面持ちだ。

「でも、私が笑いかけるから彼のこと好きなんだと思ったって、あの人は言ってたもの。美紗だって、私が愛想良くしたからだって」

 木下があれほどきっぱり言い切ったにも拘らず、とうの雛姫は、ためらいがちにまだ言い募った。木下は彼女の不安を鼻で笑い飛ばす。

「そんなの、ヒナ、誰にでも笑いかけるじゃない。お願いだから、あの日の記憶は切り取って捨てちゃって。ホント、お願いだから。あたしがテンパるとバカなこと言っちゃうの、良く知ってるでしょ? あたし、ヒナの笑ってるとこ好きだよ。すごく、好き」

「美紗……」

 雛姫の顔が、目に見えて和らいでいく。木下は更に言い募った。


「あんな奴のことなんて、ヒナが走ってっちゃった瞬間に忘れたんだから。あたし、あの時ヒナのこと呼んだのに、あんた振り返りもせずに行っちゃったから……でも、ゴメン。ホントは、あたしの方から連絡しなくちゃいけなかったんだよね。でも、ヒナのことだから、次の日になったらいつもみたいに笑って許してくれると思ってたんだ。だけど、学校にも来なくなっちゃったし」

 雛姫の身体に回されていた木下の腕から、だらりと力が抜ける。

「アイツなんかより、ヒナのことがずっと気になってた。逢いたくて、何度か家の前にも行ったんだよ? でも、会いたくないって言われたらって思ったら怖くなって、チャイム鳴らせなくって」

 一気にしょぼくれた木下を、今度は雛姫の方から包み込む。


「ごめんね、美紗」

 彼女の囁きに、木下がパッと顔を上げる。

「だから、ヒナは謝らないでってば」

 ほとんど怒っているかのようなその言い様に、雛姫はふわりと微笑んだ。初めて目にする心の底から解けるような彼女のその笑みは、賢人の心臓に深々と突き刺さる。それは、あの日の泣き顔に匹敵する、いや、それ以上の破壊力だった。

(くそ、なんであれがオレのものじゃないんだ?)

 横から眺めるだけでもこんなに強烈なのだから、彼自身に向けられた時には自分がどうなってしまうのか予想もつかない。けれどとにかく、早く自分のものにしたくてたまらない。


 賢人がそんなことを考えているとはつゆ知らず、雛姫はその柔らかな微笑みのまま、木下に言葉を注ぐ。

「ううん、やっぱり私も謝らないと。私が臆病で逃げてたから、いけなかったんだもの。ほんのちょっとだけ勇気を出して、美紗に会えば良かった」

「ヒナぁ……」

 また半泣きの声で雛姫の名を呼び、木下が彼女にしがみつく。そんな木下を受け止めて、雛姫も彼女に腕を回した。


 それはさながら生き別れの恋人との再会かというような抱擁で。


 すっかり二人きりの世界だが、そろそろ、そこに割り込んでもいい頃合いではなかろうか。賢人の我慢ももう限界で、これ以上、雛姫が木下とイチャついているのを黙って見ていられない。


「えっと、じゃあ、問題なく和解できたということで、いいかな?」

 突然の賢人の横やりに、雛姫がハッと我に返ったように振り向き、彼女の肩に額を押し付けていた木下が顔を上げた。


「……誰? あ、小春」

 木下は思いきりいぶかしげな顔で賢人を見てから、その隣にいる春日に気づく。春日は苦笑混じりの顔で、木下に手を振った。

「久しぶり、美紗ちゃん」

 雛姫と同じように歓声を上げるのかと思いきや、木下はムッと唇を尖らせる。

「そっか、小春はヒナと一緒だったんだっけ」

 至極、不満そうだ。その不満顔のままで、再び賢人を見る。


「で、そのヒト、誰?」

 なんか猫みたいだなという感想を抱きつつ、雛姫の親友なのだからと、賢人は愛想をフル回転させて特上の笑みを作った。この調子では恐らく一生付き合うことになるだろうから、良い印象を与えておくに越したことはない。

「舘賢人です。雛姫の友人で」

「ゆうじん?」

 にこやかな賢人とは正反対に胡散臭げな顔で繰り返した木下に尻尾があれば、さぞかしビンビンに膨らんでいたことだろう。


 幸先が悪そうだと思った賢人の前で、雛姫が彼女にしては鋭い声を出す。

「美紗」

 途端、ピシッと木下の背筋が伸びた。

「私がここに来られたのは、舘くんのお陰だよ? 舘くんが背中を押してくれたから、美紗と逢う勇気が出たんだから」


 どうも、親友というよりも母親と言った方が良いのではなかろうか。

 そんなことを思った賢人の前で木下は顎を引き、言う。


「……ごめん。……ありがとう」

 前半は雛姫に、後半はどうやら賢人に向けられたものらしい。

 木下に向かって雛姫がうなずく。

「よくできました」


 ――やっぱり、母親だ。


 初めて目にする雛姫の姿に、賢人は目をしばたたかせるばかりだ。ここに来て、木下とのわだかまりを解いていった雛姫は、三日前の彼女とはまるきりの別人だった。

 だが、振り返ってみると、キトンランドでの迷子の件や、女子らに吊し上げを喰らっていた春日を助けに入った時など、片鱗はチラチラと見せていたような気がする。

 普段はおどおどびくびくしていても、時折見せる眼差しは、見るべきものを真っ直ぐ見つめていたではないか。


(こっちが、本当の雛姫なんだろうな)


 高い壁の中に閉じこもっていた雛姫の、本当の姿。

 賢人がずっと引っ張り出したくてたまらなかった、雛姫の本当の姿。


 柔らかな表情で木下の相手をしている彼女の横顔に見惚れながら、賢人は、そんなことを思っていた。


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