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舘家の三兄弟  作者: トウリン
難攻不落のお姫様

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38/69

小さいけれども確かな変化

「兄さん、これ、昨日頼まれたやつ」

 朝食の席に下りていくと、賢人(けんと)は珍しく彼よりも早く下りてきていた弟の優人(ゆうと)から一枚のメモと写真を渡された。写真は多分ネットからプリントアウトしたものだろう。

「え、もう判ったのか?」

「そりゃ、名前が判っていて住んでいる場所のおおよその情報があればね。それにそいつ、SNSに何でもかんでもあげてるアホだから簡単だったよ」

 優人は事も無げにそう言ったが、賢人には何がどう簡単なのかさっぱりだ。「へぇ」という気の抜けた返事しかできない。

 優人も兄のそういう反応には慣れているから、気にしたふうもなく手元のタブレットに目を落とした。

 賢人はからっきしだがこの弟はパソコンが得意で、調べ物などはあっという間にこなしてくれる。その上、何かで稼いでいるらしく、父よりも貯金があるとかいう話も聞いていた。


 コーヒーを注いでから席に着いた賢人は、朝食を口に運びながら受け取ったメモに目を落とす。

 そこに書かれているのは『金谷浩史(かねや ひろし)』という名前と、メールアドレス、携帯番号、住所、それにその男が通う高校の名前だ。公立で、ここから駅五つ分は離れている。こんな個人情報をどうやって仕入れたのかという興味は湧くが、正直、あまり詳しいことは聞きたくない。多分、普通は手に入らないのではないかと思う。

 その男――雛姫(ひなき)と友人の仲を裂いたろくでなしは、雛姫が通っていた聖藍女子学院の近くに住んでいるらしい。三年前も同じところに住んでいたとすると、登下校で接点があったのかもしれない。


(行きか帰りかで、雛姫たちを見た、とか?)


 賢人は、今よりも表情豊かに春日(かすが)や親友だという木下美紗(きのした みさ)という子と笑い合う雛姫の姿を頭に思い浮かべた。


 うん、イイ感じだ。


 そこに、写真の金谷浩史を登場させる。


 ムカついた。非常に、ムカついた。

 こいつが賢人よりも先に雛姫と出会っていたことが、彼も知らない中学時代の雛姫を知っていることが、腹立たしい。

 写真や書かれている名前を見ていると、せっかく優人が調べてくれたそのメモをぐしゃぐしゃに丸めてやりたくなった。


 そんな憤懣やるかたない苛立ちを抱く賢人に、思い出した、という素振りで優人が声をかけてくる。

「そう言えば、梁川雛姫って名前で引っかかってきたけど、そいつ三年前にその人のことSNSに書いてた。一応プリントアウトしておいたけど、見る?」

「ああ」

 賢人がうなずくと優人は席を立ち、二階へと上がっていった。間もなく戻ってきた彼は、手に数枚の紙の束を持っている。


「ほら」

 ぞんざいに渡されたそれを、賢人はザッと読み流した。

 一枚目に目を通し終わったところで、それ以上読む気が失せる。


「何なんだ、こいつ?」

「ん? ああ、腹を立てる価値もないってやつじゃないの?」

 優人は肩をすくめて淡々とそう返してきたが、賢人はそれでは治まらない。

「殴る」

 ボソリとつぶやいた賢人に、優人が目だけを上げてチラリと彼を見る。

「やめとけば?」

「ムリ。我慢できない」

 きっぱりと断言すると、弟は興味なさそうに肩をすくめた。続く台詞も、明らかに投げやりだ。

「まあ、いいけど。警察沙汰になるようなことはしないでよね」

「しねぇよ」

 賢人はムッと答えた。


 そんなことをしたら、雛姫に会えなくなってしまう。それでは本末転倒というものだ。

 とは言え、なかなか腹の虫がおさまらないから、少々早いが学校に行くことにする。雛姫は、昨日、今日は来ると言っていた。約束したことは必ず守るだろうから、学校に行きさえすれば、彼女に逢える。そうすれば、気分も良くなるはずだ。


 賢人はカップに残っていたコーヒーを一気に飲み干し、立ち上がった。

「オレ、もう行くわ」

「行ってらっしゃい」

 返事はよこしたが、優人はタブレットから目も上げない。タブレット九割、食事一割という風情で皿をつついていた。その様子は、『慌ただしい朝の風景』とは程遠い。そもそもこの弟が慌てるだとか急ぐだとかいう姿を見せたことがないが、まだ中学生の彼は学校が近い分、もう少しゆっくりしていられるというのもあるだろう。


 リビングから出て行きかけて、賢人は足を止めた。そう言えば、まだ礼を言っていなかった。

「優人、ありがとな」

「別に、大した手間じゃないから。早く学校行ったら?」

 優人はどうでも良さそうな口調でそう返してきた。多分、謙遜とかではなく、本当に片手間にできてしまったに違いない。この弟は、淡白というかなんというか、およそ社交辞令とかそういうものに関心がない。

「じゃあな」

 苦笑しつつ賢人はそう残して家を出る。


 最近は電車通学の雛姫に合わせて彼も電車を使っていたが、今日は自転車で行くことにした。その方が便がいいだろう。

 学校に着いたのはいつもよりも少し早い時間で、雛姫たちが来るまでまだ少し時間があった。賢人は玄関の下駄箱に寄り掛かる。校門で待っていたいくらいだが、そこには風紀委員や学年主任の先生がいるから、うっとうしい。


 待つことしばし。


 いつも通りの時間に玄関に入ってきた雛姫を見つけ、賢人はパッと身を起こした。彼女は昨日と比べてもずいぶんと調子が戻ってきているようだった。顔色はいいし、ふら付いてもいない。

 下駄箱の前に立つ賢人に気付くと、雛姫の足が一瞬止まった。が、すぐに彼の方に近づいてくる。いや、正確には、賢人ではなく下駄箱に、だが。


「おはよう、雛姫」

「おはよう……舘くん」

 おや、と賢人は思った。

 いつもよりも返事が早いし、目も真っ直ぐに賢人に向けられている。いつもはすぐにさっくり視線を外して早々に教室に行ってしまうのに、今日の雛姫はまだそこにとどまっていた。


「雛姫?」

 腰を屈めて顔を覗き込むと、彼女はビクリと身を引いた。顔を伏せかけて、留まり、顎を上げる。

「あ――の」

 近い距離にも拘わらず、雛姫は目を逸らさずに賢人を見つめていた。その眼差しが何かを言いたそうで、彼は急かすことなく彼女の言葉を待つ。


 何度か口ごもった雛姫が意を決したように唇を引き結び、そして開こうとしたとき。

 にぎやかな笑い声と共に、数人の生徒が入ってきた。

 雛姫はそちらに目を遣り、そしてまた賢人を見上げてくる。

「えっと、えと……また、お昼休みに」

「え?」

 予想外の雛姫の言葉に、賢人は目をしばたたかせた。その隙に彼女はクルリと身を翻して歩き出してしまう。

 賢人はたった今耳にした雛姫の台詞を頭の中で反芻した。

 彼女が挨拶以外のことを言おうとしたことでさえ、驚きだったのに、その上今のは――


(今のは、昼を一緒に、みたいな?)


 もちろん、賢人は毎日雛姫と昼休みを一緒に過ごしていた。だがそれは、雛姫と春日がいるところに半ば無理やり賢人が割り込んでいたようなもので。

「マジか……?」

 呆然自失の態でつぶやいた賢人に、声がかかる。

「なんか、顔が緩いよ?」

 さっき賢人が雛姫にしたように彼のことを覗き込んできたのは、春日だ。


「ん? ああ、おはよう、――どうかしたか?」

 挨拶を返したものの、賢人は彼女の顔に浮かんだ表情に眉をひそめた。せっかく雛姫が元気を取り戻したというのに、春日は浮かない顔をしている。

「別にぃ」

「別にって顔には見えないけど?」

「ホントに何でもない。……ちょっと複雑な心境だってだけだよ」

「何で?」

「雛姫ちゃんが元気になったから。梁川先生から、メールで、昨日は夕飯も食べたしちゃんと眠れてたみたいだったってさ。それはすごく嬉しいし良かったんだけど、舘君に会ってからってのが、微妙な気分」

「ああ……」

 納得顔でうなずく賢人に、春日はいっそうムッとした顔になった。

「わたしも梁川先生も雛姫ちゃんのこと守ってたつもりだったんだけどな」

「多分、雛姫はそんなにか弱くはないんだよ」

「その知ったふうな言い方も、なんかムカツク」

 ボソリとこぼした春日は、ハァ、と息をついてから歩き出す。


「ま、いいんだ。雛姫ちゃんは元気になったから」

 賢人と肩を並べて歩きながら、彼女は言った。今度の声は段違いに明るくて、本心からそう思っていることが伝わってくる。

 まだ時間が早いから、廊下に生徒の姿はまばらだ。前を歩く雛姫の真っ直ぐに伸びた背中を見つめながら、春日が口を開く。


「わたしと梁川先生は、雛姫ちゃんがもう辛い思いをしないように――って、そればっかだったんだよね。もしかしたら、守り過ぎてたのかなぁ」

 彼女のつぶやきに、賢人は肩をすくめた。

「や、ほら、オレは三年前に雛姫がどうなってたかを知らないから」

 この一週間の彼女でも、賢人はもどかしくて胸が痛くて苦しかった。春日たちは、あれよりもひどい状態を間近で目の当たりにしていたのだ。二の舞にならないように心を砕くのは当然だろうし、同じことを経験していたら彼も強くは出られなかったに違いない。


「多分、春日たちが守ってきたから、オレのごり押しに耐えられたんだよ」

「……そうかな」

 春日はつぶやき、そして続ける。ポツリと。

「そうだと、いいな」


 それから先は、二人とも何も言わず、教室まで足を運んだ。


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