変わってしまった彼女
雛姫が目覚めるまで傍にいたかったのはやまやまだが、その願いは梁川に却下された。付き添いに春日を残して仕方なく体育館に戻った賢人は、やる気の欠片もなくダラダラと時間を潰す。体育が終わると幸いにも昼休みで、彼はすぐに保健室に舞い戻ったが、そこにも、そして教室にも、雛姫と春日の姿はなかった。担任に確認したら、梁川と共に早退したのだとか。
昼休みになったら春日から色々聞き出してやろうと心に決めていた賢人は肩透かしを食らう。
雛姫はどうか判らないが、春日は明日には出てくるはずだ。それを待ったらいいとは思うが、待つ気になれない。
待てなかったら、どうするか。
保健室で春日が漏らした台詞からは、高校入学以前にも、雛姫には何かがあったようだった。ので、差し当たって彼女の中学時代を知る者を探すことにする。
賢人は教室をひと眺めして、机を集めて昼食を摂っている女子の一群に近付いた。数えてみると、五人いる。中の一人くらいは何か知っているだろう。
「なあ」
声をかけると、ケラケラ笑い合っていた彼女たちはその笑みを残したままで賢人を見上げてきた。が、校舎裏での一件以来雛姫を好きだと公言してはばからず、実際終始彼女にべったりの彼が寄ってきたことに、女子らが揃って目を丸くする。
「あれ、賢人。どしたの? 春日さんたちと一緒じゃないの、珍しいじゃん――あ、そか、早引けしたんだっけ」
「そ。悲しいことに。で、ちょっと訊きたいことがあるんだけど?」
「何?」
「雛姫の中学校がどこだったか知ってるか?」
問いかけに、彼女たちが顔を見合わせる。
「梁川さん? あたし、去年も同じクラスだったけど……えっと、公立じゃないよね。エスカレーター式の私立じゃなかった? 確か、春日さんと一緒で」
「もしかして、聖藍女子?」
「あ、そうそこ。多分」
「え、マジ?」
「何でわざわざうち来たの? あっちの方が偏差値高いでしょ?」
女子らは賢人そっちのけで盛り上がりを見せている。放っておいたら彼のことなどすっかり頭の中から消し去られそうだ。そうなる前に、注意をこちらに引き戻す。
「じゃ、聖藍出身の奴、他に知らないか?」
「聖藍? えぇ……でも、超レアだよね」
聖藍女子学院と言えば、幼等部から大学まであるエスカレーター式の女子高だ。レベルも高いし、校風も穏やかで、普通はそのまま乗り続けるだろう。
(でも、雛姫たちは出てきたんだよな)
つまり、何かそうしたくなるようなことがあったはずで。
それが知りたいのだ、賢人は。
眉間にしわを寄せる彼の前で、高階という生徒が声を上げる。
「あ、そう言えば、部の子が一人、そうだったかも。あそこ、運動部はあんまり盛んじゃないからって、親を拝み倒してこっちに移ったんだって。ほら、うちのテニスは結構強いから」
賢人はすぐさま食い付いた。
「その子、紹介してくれる?」
彼らしからぬ勢いに、高階が目をしばたたかせる。
「いいよ、えっと、放課後でいい?」
「できたら、今すぐがいいんだけど」
「え……じゃ、ちょっと待って」
彼女は立ち上がると、ついてくるようにと賢人を促した。
「悪いな」
廊下を歩きながらそう声をかけると、高階は肩をすくめて返す。
「教室にいなかったら知らないよ?」
「ああ」
いなければ、戻ってくるまで待っていればいい。
うなずいた賢人に、高階はチラリと視線を投げてよこす。
「……賢人、梁川さんのこと本気なんだね」
「当たり前だろ」
「まあ、女の子からかうような奴じゃないってのは判ってたけど、でも、梁川さんでしょ? 正直、教室にいるかどうかも気付かれないような子だし。賢人って、ノリはいいけど誰とも付き合おうとしないしさ。あ、ここ、このクラス」
そう言って、高階は教室の中を覗き込んだ。
「良かった、いるよ。――ちょっと、山根!」
彼女の呼びかけに、女子が一人賢人たちの方へとやってくる。ショートカットのすらりとした子だ。いかにも運動が得意そうな。
「何、高階」
「これ、うちのクラスの舘賢人。なんか、聖藍の話聞きたいんだって」
「え、マジ? ラッキー」
「何が?」
「舘君、うちのクラスでもカッコいいって評判だし」
「ああ。多分、そこらへんは望み薄だから諦めといた方がいいよ」
「え、そうなん?」
サクサクと軽口を交わしつつ、高階は彼女を賢人に引き合わせた。
「賢人、この子が山根。聖藍出身の子。じゃ、あたし戻るから」
「サンキュ。わざわざ悪かったな」
賢人の礼に片手を振って、高階は引き返していく。それを束の間見送って、彼は山根という女子に向き直った。
「あ――っと、昼飯中に悪いけど、時間ある?」
「もう食べ終わってるからいいよ。聖藍のこと聞きたいって?」
「正確には、聖藍出身の子について、なんだけど。梁川雛姫って子、知ってるか?」
その名を耳にしたとたん、明るかった山根の顔が曇る。
「梁川さん? うん、知ってるけど……」
どうも、歯切れが悪い。
「中学の時の彼女のこと、なんでもいいから教えてくれないか?」
「え――……」
見るからに気が進まなそうなその様子に、賢人は眉をひそめる。
「頼む。彼女のこと、知りたいんだ」
拝むように言い募れば、その必死さが伝わったのか、ためらいがちに山根が口を開く。
「……聖藍出身の梁川雛姫っていったら、わたしも一人しか知らないんだけど、なんか、わたしが知ってる彼女とは全然の別人なんだよね、ここの梁川雛姫って」
「え?」
「わたしが知ってる彼女はさ、すごく明るい子だったんだよ。派手なことして目立つわけじゃないんだけど、なんか勝手に人が集まってくるっていうか。見た目も滅茶苦茶可愛いんだけど、ま、女子高だからあんまりそういうの関係なくて。多分、聖藍で知らない人はいないってレベル」
「へぇ」
「信じらんないって言いたそうだけど、ホントにそうだったんだってば」
ジトリと睨み付けてきた山根に、苦笑しつつかぶりを振る。
「そうは言わないよ」
むしろ、その片鱗は、今でも垣間見えた。
賢人の真剣な顔を見返して、山根は小さく息をつく。
「わたしも直接面識があったり仲良くしてたわけじゃないんだけど、普通に、いい子だよなって思ってたよ。だから、二年生の時にあの噂が立った時も、全然信じられなかった」
「あの噂?」
繰り返した賢人に、山根は口ごもる。
「うん。その、ね。彼女が……親友の彼氏を盗ったって……」
「――はぁ?」
今度は、思い切り信じられないと言わんばかりの声になっていたはずだ。だが、山根も今度はそこに返しを入れなかった。
「あの頃の梁川さん、今一緒にいる春日さんの他に、もう一人、すごく仲良くしてる子がいたんだ。確か、その子とは幼等部から一緒だったはずだよ」
「それって、ちょっときつめな顔した子?」
「あ……うん、そうだね。こう、ふんわりした梁川さんとは正反対な感じの子でね。気が強くて、でも、やっぱり人気はあったかな。で、中学二年の時にその子に彼氏ができて、その彼氏を梁川さんが盗ったとかなんとか」
「それ、有り得んだろ」
「まあね。でも、その話が出てからすぐ、梁川さん、学校に来なくなっちゃったんだよ。まあ、来なくなったから、そういう噂が立っちゃったのかもしれないけど。で、そのまま高校はここに移ったみたいだね。同じ名前でも全然の別人だから違う子かと思ったけど、雛姫って名前、そんなにあるわけじゃないし、聖藍出身って言われたら余計に本人かなって」
やや自信なさそうに山根がそう言ったところで、予鈴が鳴った。
あと五分で、午後の授業が始まる。
「ごめん、あと一つだけ」
逸れた山根の気を、賢人は口早に引き戻した。
「何?」
「その、雛姫と仲が良かったって子、名前知ってるか?」
「木下美紗、だよ」
「ありがと。じゃあな」
山根にヒラヒラと手を振って、賢人は踵を返した。自分のクラスに戻りかけた彼を、山根が呼び止める。
「ねえ、舘君」
振り返った賢人に、山根が真剣な眼差しを向けていた。
「わたしが今話したのって、全部、噂だから。梁川さんが何も言わなかったから、そういうことになっちゃってるけど……」
言い淀んだ彼女に、賢人は笑い返す。
「解ってるよ。オレも、オレなりに彼女のことを知ってるつもりだから」
彼の台詞に、山根がホッとしたように表情をやわらげた。そんな彼女にもう一度手を振って、賢人は今度こそ教室に足を向ける。
山根から聞いた雛姫の姿は、半分は至極納得がいき、もう半分は全然受け入れられないものだった。
(雛姫が、友達の――?)
有り得ない。
絶対に、有り得ない。
(じゃあ、いったい、何があったんだ?)
中学時代に何かがあって、それが雛姫を大きく変えてしまったことには違いない。
しかも、良くない方向に。
賢人は、なんとしてでも、その『何か』を知りたかった。




