表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
舘家の三兄弟  作者: トウリン
難攻不落のお姫様

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/69

最大の収穫

 放課後、日直で担任に用を言いつけられた春日(かすが)が戻ってくるのを待っているときだった。


「最近、やけに一緒にいるな」

 放課後の教室で、教科書とノートを広げている雛姫(ひなき)とその前で漫画をめくっている賢人(けんと)に、廊下から声がかけられた。

 顔を上げた先にいるのは、雛姫の兄兼物理教師の梁川潤一(やながわ じゅんいち)だ。彼は軽く廊下を見渡してから、教室の中に入ってくる。


「お兄ちゃん」

 近づく梁川のことを小声でそう呼んだ雛姫の顔は、ほんの少し綻んでいる。最近、雛姫は賢人の前でもこういう顔を見せるようになってくれていた。梁川のことを兄と呼ぶのも他の生徒がいる時には決してしないことで、春日と賢人の前でだけ、だ。


(つまり、だいぶオレに気を許してるってことだよな)

 賢人は胸の内でニンマリする。

 それは、とても些細な変化だ。

 だが、そんな小さな『証拠』を見つけるたびに、賢人は嬉しくなる。ついでに彼女のことを思いっきり抱き締めたくもなるけれど、それは今のところまだお預けだ。


 教室を横切り机の脇までやってきた梁川は、軽く首をかしげながら雛姫のノートを覗き込んだ。

「何やってるんだ? ……ああ、英語か。お前、好きだな。物理か数学だったらいくらでも教えてやれるのに」

 残念そうな兄に、雛姫が小首をかしげた。

「授業だけでも良く解るよ」

 妹の言葉に、見る間に梁川が相好を崩す。

「そうか?」

 雛姫に注がれるいかにも愛おしそうな彼のその眼差しは他の生徒に向けるものとは明らかに違っていて、今まで二人が兄弟であることに気付かれずにいるのがむしろ不思議なくらいだ。

 半ば感心しながら賢人が兄妹の遣り取りを見守っていると、その甘さをスパリと消し去って、梁川が彼に目を移した。


「で、(たち)は――漫画か?」

 呆れたような梁川に、賢人は肩をすくめて返す。

「実力テストはオッケーだったんで」

「学年七位の雛姫が復習していて、なんでお前がやらないんだよ。物理、平均ギリギリだったろ?」

「平均取れてりゃいいじゃないですか」

 並み以上に力を出すのは無駄な労力というものだ。だが、梁川はやれやれとため息をつく。

「お前も、気を入れてやりさえすればもう少しできるだろうに」

「そうですねぇ」

 いつぞやどこかで聞いたような気がする台詞だが、賢人は耳から耳へと聞き流した。そんな彼にもう一度ため息をこぼし、梁川は話を切り替える。


「で、最近、いつも一緒にいるよな」

 梁川はもの問いたげに目をすがめて、さっき口にした台詞を繰り返した。いや、問うというより、何かを確かめるような口振りと言った方がいいか。

 賢人は彼にヘラッと笑いを投げて、答える。

「もう雛姫のこと好きだってバラしちまったんで、むしろ見せつけてやった方がいいかな、とか。あれやこれやの虫よけに」


 途端、雛姫の動きがピタリと止まった。

 賢人は彼女をチラリと見てこっそりと笑みを漏らす。

 校舎裏での『告白』以来、賢人がこの手のことを口にすると雛姫はこんな反応を見せるようになった。多分、彼が適当に『好き』を連発していたわけではないのだということを、理解したのだろう。意識してくれるようになっただけ、大進歩だ。

 そして、あの告白には、雛姫の為の虫よけの他にもう一つ効能があった。それは、賢人にも女子があまり群がってこなくなったことだ。以前は来るもの拒まずだったからか、我が物顔で女子たちが寄ってきたものだが、あれ以来激減した。別に、元々、女子を周りに侍らして喜んでいたわけではない。単に、どちらでもいいから放っておいただけだ。雛姫を知ってからはむしろ面倒臭くなっていたから、去って行ってくれたことは残念どころか大助かりだった。


(これで雛姫に集中できるしな)

 彼女に軽い男とは思われたくないし、余計な横やりも入って欲しくない。かつての状態では絶対タラシだと思われていただろうし、女子のやっかみも入りまくりになっていただろう。

(願ったり、叶ったり、だ)

 と、ふと視線を感じて賢人はそちらの方に目を向ける。視線の主は梁川で、何だか嫌そうな顔をしていた。

「なんすか?」

「お前さ、今日もちょっと廊下で見かけたが……少し、節度ってものを思い出した方が良くないか?」

「節度?」

「ああ。……その、触り過ぎだろう――雛姫に」

「触り過ぎ?」

 何のことかと賢人が首をかしげると、梁川が目を細めた。


「今日、昼休みに!」

「ん? ああ、あれ。でも、肩に触っただけじゃないですか」

 二ッと笑うと、梁川の眉がヒクついた。

「あれは『触った』じゃなくて、『抱いた』だろう。肩を抱いた、だ」

 意図して抑えているのがありありと伝わってくる低い声で梁川がそう言ったとき、カタン、と音がした。次いで、コロコロと雛姫が持っていたシャープペンシルが転がっていく。見れば、その頬は真っ赤だ。彼女は、昼間もそんなふうだった。

 賢人はうつむいてしまった雛姫を横目で見ながら、言う。

「いや、どこまで許してくれるかな、と。つい手が滑って」

「お前は、我慢という言葉知らないのか?」

 無理に浮かべた笑みと共に梁川がそんなことを言うのへ、賢人はシレッと答える。


「この年になって初めて知りましたよ。自分の中にもその言葉があるってことを」

「はぁ?」

「六月からかれこれ三ヶ月。よく耐えたと思いますよ。いや、今もかなり我慢してますけど」

「どこがだ!?」

 梁川のその一言と一緒に雛姫もバッと顔を上げたのは、きっと兄と同意見だからなのだろう。前髪の間に見える大きく見開かれた目を覗き込みながら、賢人はニッコリと笑う。

「ホントなら、そりゃもう、あんなこととかこんなこととかしたいんだけど?」

 そう言ってから、賢人は眉を下げ、いかにも残念そうな、しょぼくれた声を出してみせる。

「ああ、でも、雛姫がオレに触られるの耐えらんないってなら、やめるよ。できるだけ、触らないようにする」

 どう? と眼で問いかけながら、雛姫を見つめた。


 果たして雛姫はどう答えるか。

 もちろん彼女は、口ごもりながら賢人の予想、いや、期待通りの返事をくれる。


「そんなに、嫌なわけじゃ……耐えられないってことは、ないけど……」

「じゃ、触ってもいいんだ? 嫌なわけじゃないんだろ?」

 前のめりで畳みかける賢人に、雛姫がグッと身を引いた。

「それとも、やっぱり嫌か?」

「えっと……」

 雛姫の返事よりも先に、賢人の頭がスパンとしばかれる。

「いてッ」

「そうやって言質を取ろうとするんじゃない。雛姫も、相手しなくていいから。二度と触るなと言っておきなさい。でないと図に乗るぞ、この男は」

「ひでぇな、先生」

 ムッと唇をひね曲げながら見上げると、梁川はフンと鼻を鳴らした。次いで、彼は至極真剣な眼差しを大事な妹に向ける。


「とにかく、雛姫。こいつに甘い顔を見せるなよ。いつも言っているだろう? 男は基本ケダモノだ。油断したらダメなんだ。中でも、特にこいつはタチが悪いぞ、きっと」

 そう言って腕時計に目を走らせ、舌打ちをする。

「職員会議の時間だ。小春ちゃんは……まだ来ないのか」

 雛姫と賢人が二人きりになることが、梁川は見るからに不満そうだ。彼は賢人を睨み、言う。

「いいか、節度だ。雛姫の傍にべったりなのまでは許すが、節度を守れよ」

「はいはい。早く会議行った方がいいですよ」

 ヒラヒラと片手を振ってみせると、梁川は諦め混じりのため息を一つこぼして教室を出て行った。未練がましく、戸口で一度振り返って。


 また二人きりになり、教室はしんと静まり返る。

 雛姫を見るとその頬はまだ紅く、両手を膝の上に置いてジッとうつむいていた。

 どうやら、変に意識させてしまったらしい。

 賢人は苦笑し、そ知らぬ顔をして漫画を開く。


 しばらく雛姫は身じろぎ一つしなかった。賢人が十ページほどめくったところで、小さな手が上がり、机の上に転がっていたシャープペンシルを取る。

 ようやく気持ちが切り替わったか、と賢人は本気で漫画に頭を向けようとしたが、握られたシャープペンシルが動く気配がない。どうしたのだろう、と目を上げかけた、その時。


「……私、別に嫌じゃないよ」

 囁くような、声だった。

 その内容も、一瞬、耳を疑うようなもので。


「え?」

 訊き直した賢人に、雛姫は視線を机の上のノートに固定したまま、繰り返す。

「舘くんに触られても、嫌なわけじゃないから」

 じゃあ、好きなのか、とは訊かないでおいた。代わりに、机に伏せるようにして雛姫を覗き込む。目が合ったところで、笑いかけた。

「ならいいけど、嫌だったら、ちゃんと言ってくれよ? オレ、雛姫が嫌なことはしたくないから」

「……うん」

 よし、とばかりに一つ頷いて、賢人はまた漫画に目を落とす。


 彼に遅れて、雛姫は小さく息をついてからシャープペンシルを握り直し、教科書をめくる。


 が。


 スペルを書き始めて、すぐにその手が止まった。


 何かもの言いたげな、沈黙。


 賢人はそれに気付いていたけれども、敢えて知らんぷりをして漫画のページをめくった。

 パサリ、パサリと紙が立てる微かな音だけが響いて。


「あのね」

 ようやく覚悟を決めた、という風情で雛姫が切り出した一言で、賢人は顔を上げる。

 珍しく、彼女は真っ直ぐに賢人の目を見つめていた。


「あのね」

 もう一度、彼女が繰り返し、そして、少し口ごもった後、続ける。


「あの猫のこと。ずっと、お礼を言いたかったの」

 今さらなんだけど、と、雛姫は口の中でつぶやいた。

「私、あの時、どうしていいか判らなくて。うちはマンションで連れて帰れないし、でも、あんなに雨が降ってたし……死んじゃったらどうしようって、思って」

 彼女の唇が、フッと綻ぶ。

「キトンランドで写真見せてくれたでしょう? 大きくなってて、すごくうれしかった。あ、元気なんだなって。ホントは、あの時にもお礼を言いたかったの。でも……」

 また、雛姫の視線が机に落ちたのが判った。賢人は彼女の髪を軽く引っ張って、視線を拾う。


「オレこそ、ありがとう、だよ。あいつがいなかったら雛姫のことに気づかないまま生きてくことになってただろ? 危うく、一生を無駄にするところだった」

 賢人は至極真面目に言ったのに、雛姫は一瞬目と口を丸くして、それから、小さく笑った。


 小さいけれど、確かに、それは笑顔だった――初めて彼女が賢人にくれた、笑顔。


 思わず見惚れた彼の前で、雛姫はクスクスと笑いながら囁く。

「大げさ」

 明らかに賢人の台詞を本気にしていない彼女の様子に、彼は更に言い募ろうとしたけれど、やめた。そうしたら、せっかく手に入れた貴重な宝物が失われてしまいそうだったから。

 だが、せっかく賢人が思いとどまったのに、ジッと注がれる彼の視線に気付いた途端に雛姫の笑みがフツリと途切れた。賢人と視線が合って、ふいとまた顔を伏せてしまう。


 残念極まりないけれど、仕方がない。


(まあ、おいおいだな)

 今日は、雛姫の笑顔という最大の収穫があった。ほんのわずかな間だったけれど、上出来だ。


 そそくさとノートに何やら綴り始めた彼女に忍び笑いを漏らし、賢人もまた、漫画に目を戻した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ