君とだから
アトラクション巡りは、まずまず順調だった。いや、実際、騙まし討ち同然で参加したにしては、かなり上出来だったと思う。
ボチボチイベント終盤を迎えた今、賢人はそう振り返った。
ホラーハウスでは飛び出してきたクリーチャーに驚いた雛姫が賢人の腕に一瞬とはいえしがみついてきたし、さりげなく春日小春が調整してくれたからほとんどの乗り物は雛姫の隣に座ることができた。昼食で予想外に分厚いハンバーガーに難儀する雛姫も実に可愛かったし、何かの拍子に目が合うと慌ててそれを逸らして知らないふりをする彼女には抱き締めたくてたまらなくなって腕が疼いた。
(キトンランドがこんなにイイところだったとは)
一つ一つを写真に収められなかったのは残念だが、代わりに脳裏にはしっかりと刻み込んでいる。
そんなこんなで賢人はこれ以上ないというほど満足していたが、気になっていたのは、彼が飛び入り参加したことで雛姫の楽しい時間を奪ってしまわなかったかということだ。
だが、初めのうちこそ毛を逆立てる仔猫さながらに神経を張っていた雛姫だったが、昼を回る頃にはずいぶんとそれも和らいできていた。
(ま、取り敢えず、楽しんではくれているよな)
残念ながらまだ笑顔は目にできていなかったものの、腕が触れ合いそうなところにいる雛姫のその表情は寛いでいる。基本、その視線は小春にばかり向いていたが、それが賢人に向くとまだ若干の緊張がよぎるから、むしろその方がいい。その方が、柔らかな雛姫を眺めていられるから。
今も、最後のアトラクション、巨大観覧車の列に並びながら春日と額を寄せて何か話している雛姫を露骨に見つめているが、彼女は賢人の視線に全然気づいていない。春日との話に熱中しているからというのもあるかもしれないが、ひとまず今日のところは、だいぶ彼に慣れてきたという証拠でもあるのだろう。
(夏休みが終わる頃には、オレとも普通に話してくれるようになってるかな)
あるいは、笑顔を見せてくれたりとか。
賢人に向けて、とまでは望まない。
ただ、彼がいても笑えるようになってくれたら、それでいい――今のところは。
(でも、三年になるまでには、オレのもんにしときたいんだよな)
賢人たちの通う高校は生徒数が多いから、来年度も同じクラスになれるという保証はない。いや、むしろ、別々になってしまう確率の方が、高いかもしれなかった。
そうなる前に、賢人は、雛姫自身にも周囲の者にも、彼女が自分のものであると知らしめてしまいたい。
確たるつながりを築けないままクラスが離れてしまうのだけは、回避したかった。
可能であれば今すぐにでも手に入れてしまいたいが、楽観的な賢人にも、そう簡単にことが進まないことは判っている。
(けど、どんだけかかっても諦めるつもりはないし、まあ、焦っても仕方ないしな)
彼にしては気長に、そんなことを考えていた時だった。春日と会話をしていた雛姫が、不意に首を巡らせる。
「雛姫ちゃん?」
春日に呼ばれても、雛姫は何かを探すようにジッと人の波を見つめている。
(何を見てるんだ?)
眉をひそめながら賢人が彼女と同じ方向に目を遣ると同時に、雛姫がつぶやいた。
「あの子……」
「何?」
春日も雛姫が見ているものを見ようとしているが、彼女がそれを見つけるより先に雛姫は列を整えるための鎖を持ち上げて掻い潜った。
「あの子、迷子だよ」
細い指が示す先を目で追えば、確かに、オロオロと辺りを見回している四歳かそこらの男の子がいる。
「私、ちょっと行ってくる」
言うなりそちらに向かおうとする雛姫の袖を、春日が捕まえた。
「え、でも、今列離れちゃったら、今日はもう乗れないよ?」
この観覧車はキトンランド一の人気アトラクションで、何時間も前に整理券をもらっておいた上で三十分以上並ばないと乗れない。賢人たちも昼に整理券を受け取り、これを最後にと二十分ほど前から並び始めたところだった。春日が言うように、また整理券をもらうところから始めたら、乗る前に、多分、閉園になってしまうだろう
けれど雛姫はコクリとうなずき、言う。
「うん。だから、小春ちゃんと舘くんは乗ってて? 私、戻ったら下で待ってるから」
一方的にそう残して、雛姫は今度こそ駆け出していってしまった。普段はどちらかというと――というより、かなり――トロイ方なのに、こういう時だけは素早いのか。
「雛姫ちゃんてば、もう……一人で行っちゃうんだから……」
ブツブツとぼやきながら鎖を持ち上げ雛姫の後を追おうとした春日の肩を、賢人は押さえた。そうして、ヒョイと鎖をまたぐ。
「オレが行ってくるから」
「え? ……ああ、そうね」
春日はいくつか瞬きをしてから、うなずいた。
「じゃ、あそこの看板で待ち合わせようよ。どっちが先に戻っても、あそこにいるように」
「ああ、判った。じゃあな」
気もそぞろにそう返し、賢人は走り出す。
半日一緒にいて、顔を晒した雛姫がどれほど人の――主に野郎どもの――目を引くかは、嫌というほど思い知った。たとえ三分間――いや三十秒でも一人きりにさせたら、どうなることやら。
追いつくと雛姫は泣きじゃくる子どもの前にしゃがみ込んでいて、静かな声で話しかけていた。腰を屈めて頭を低くした賢人にほんの少し目を見開いた。
「舘くん、観覧車は? 乗りたいって……」
そう、観覧車をトリにしたいと言ったのは、確かに彼だ。
だが。
「オレが乗りたかったのは雛姫とだから」
「え……」
「あれは雛姫と乗らないと、意味がないんだよ」
「だけど……」
「オレは、雛姫といたいんだよ。だから、ここにいるんだ」
ダメ押しでそう繰り返し、小さな口をポカンと開けている雛姫をよそに、賢人は手を伸ばして子どもを持ち上げた。
「よ、もう泣くなよ。お母さん見っけてやるから」
子どもの方を高くしてそう言うと、突然持ち上げられたことへの驚きもあったのか、子どもは泣くのをやめてうなずいた。
「よし」
二ッと笑ってから、目を雛姫に戻す。
「春日は観覧車乗ってるってさ。早く迷子センター行っちまおうぜ」
「あ、うん」
コクリとうなずいた雛姫に笑みを投げ、賢人は子どもを片方の腕に抱き直し、空いたもう一方の手を彼女に差し出した。雛姫は反射的にそれを取ってしまってから、はたと気付いて手を引っ込めようとする。そうされる前に、賢人はしっかりと彼女の手を握り締めた。
「あ、の」
「人が多いから、はぐれちまうかもだろ?」
他意はない、とばかりに賢人はニッコリと笑いかけ、彼女が本気で我に返る前に歩き出す。
雛姫の手は、本当に小さくて、柔らかい。けれど、緊張しているのか、少し冷たくて、しっとりとしていた。横目で窺ったうつむき気味の彼女の頬は、真っ赤だ。
どうしても、顔がニヤつく。
賢人はそれをごまかすように、片腕にのせた子どもを軽くゆすって抱え直した。
その拍子に雛姫も自分が手汗をかいていることに気づいたらしく、手をもじもじとさせる。多分、つないでいる手を解きたいのだろう。
だが。
(放してたまるか)
賢人は胸の内でこっそりと笑い、気持ち腕を引き寄せ、手に力を込めた。
それからしばらく歩き、見つけた立て看板で確認すると、いくつかある迷子センターのうちの一つはそう遠くない所にあった。
センターに着くとすぐに場内放送がかかり、それから五分も経たずに子どもの両親が現れた。二人も最寄りの迷子センターであるここに向かいつつあったらしい。
半べそから一転満面の笑みになった子どもを連れて、両親は何度も雛姫たちに頭を下げつつ去っていった。
「さ、オレたちも戻るか」
一家が人込みの中に消えていくまで見送って、賢人は雛姫を見下ろす。彼女はチラリと彼に目を走らせた後、その視線を下げた。
「あの、これ……」
ポソポソと言いながら雛姫が見ているのは、つないだままになっている二人の手だ。
「ん?」
何のことかな、と眼で応え、再び彼女が口を開く前に迷子センターの職員に会釈をし、その場を後にする。
「あ、舘くん――」
少し上ずった雛姫の抗議は、「ありがとうございましたぁ」という職員たちの明るい声に、かき消された。




