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舘家の三兄弟  作者: トウリン
絶対聖域のお姫様

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医者の力

 無事に大学を卒業し、国試にも合格した聖人(まさと)が研修医としてのスタートを切ることになったのは、出身大学の附属病院、その救急部だった。二ヶ月間は、そこに勤務する。

 地方都市の大学病院では、大都会のようにひっきりなしに救急車が出入りする、というほどの忙しさは滅多にない。

 そして、処置室が落ち着いているときの救急医たちは、どちらかというとダラダラしている方だった。昨日のサッカーの試合の話やら、いつぞやの飲み会の話やら、ゲラゲラ笑いながら交わしていたりする。実習の時に回ってきた他の科の医者たちの方が、よほどしゃっきりしているように見えるくらいだ。


 が、そんな彼らも、ひとたび搬送受け入れ依頼の入電があれば、一気に身にまとう空気を変える。

 聖人が救急部勤務の初日にその様に直面したとき、そのオンオフの落差には正直面食らったものだ。

 今も日勤帯リーダーのPHSに救急隊からのコールが入った途端に、皆の表情が一変した。


「三十代女性、交通外傷、明らかな出血は見られないが、現在ショック状態」

 電話を受けたリーダーが淡々とそう羅列するや否や、他の医者も看護師も、一斉に動き出す。まるで、リーダーからの指示がテレパシーで伝わったか、あるいは、前もって打ち合わせでもしていたかのようだ。

 そんな中、働き出して一週間の聖人にできることはほとんどない。患者が到着してから上級医が出す指示に従うだけだ。


 緊張で否応なしに上昇していく心拍数に軽い吐き気を覚えながら、聖人はサイレンの音を待った。

 やがて気のせいかと思うようなかすかな音が耳に届き、次第にそれは確かなものになる。

 やけに大きく響くサイレンがピタリとやんで、すぐに搬送口から救急隊が押すストレッチャーが運び込まれてくる。看護師がそれを引き継ぐと、隊員は駆け寄ってきた救急医に患者の状態を伝え始めた。


(たち)先生は頭の方を持って! バックボードごと行きます!」

 看護師に指示され、聖人は患者をストレッチャーから処置台へと移動させるべく、言われるがままに頭側へと回る。その時初めて、彼は頚椎カラーに隠れていた患者の顔を目の当たりにした。


 若い、女性だ。


(そうか、三十代……)

 一瞬、彼の口の中に苦い何かが込み上げた。


 緊張のせいだろうか。


 聖人は唾と共にそれを呑み下し、バックボードを掴む。

「一、二、三!」

 看護師が出した『三』と同時に、ストレッチャーから処置台へ。


 移動させた患者から目を逸らせることができぬまま、聖人はそこを離れる。目は離せないのに、何故か、女性の顔を見ているのがたまらなく嫌だった。


 聖人の代わりに患者の頭側に立った救急医が、手際よく気管挿管する。

 と、すかさず上級医の声が。


「舘、ルートをもう一本取っとけ。採血も忘れるなよ」

「はい!」

 答えながら、聖人は女性の腕を見る。


 血管が、良く見えない。

 チラリとモニターに目を走らせると、血圧は低く、心拍数はやけに高かった。

 かなり状態が悪そうだ。

 聖人は気を引き締めて処置にかかる。

 幸いにも一発で血管を確保でき、彼は一歩退いた。途端に腹部にエコーを当てていた上級医の指示が飛ぶ。


「腹の中で出血してる。血が届くまで取り敢えず生食。舘、動脈ライン取れ」

「はい――」

 聖人が処置台の脇にひざまずいた時だった。


 突然、モニターが騒々しいアラーム音をがなり立て始める。その場に、サッと緊張が走った。


「舘、胸骨圧迫! アドレナリン! DC用意しろ!」

 聖人は間髪入れずに患者に覆い被さり、両手のひらを彼女の胸骨の上に置く。リズミカルに圧迫を始めた彼の横で、慌ただしく人が動く。それには目もくれず、とにかく、聖人は患者の胸を押し続けた。


「どけ!」

 ほとんど押しのけられるようにして聖人が退くと、すかさず上級医が除細動器のパドルを患者の胸に押し当てる。


「クリア!」


 刹那、バツン、と彼女の身体が跳ねた。


 皆の眼がモニターに走る。心電図の波形に、変化はない。

「舘!」

 即座に、聖人は胸骨圧迫を再開する。


 ――それから、何度同じことを繰り返しただろう。


「舘、もういい」

 上級医の声は耳に入ってきたけれど、構わず聖人は彼女の胸を押し続ける。


「舘!」

 上級医の強い握力で、グイと、腕を掴まれた。そちらに目を向けると、上級医が厳しい顔で小さくかぶりを振る。


「もういい」


 視線を落とすと、血の気が失せた患者の顔が目に入ってきた。


「……まだですよ」

「え?」

「まだ、終われません。まだ、何かできるはずだ」

 つぶやく聖人に、上級医が答える。

「いや、終わりだ。もうできることはない」


 淡々としたその口調に、聖人はカッと詰め寄った。

「でも、俺たちは医者でしょう!? 医者、なんだ――医者なら、助けられるはずだ!」

 胸倉を掴まんばかりの彼に、上級医は冷やかな声と眼差しを返す。

「そう、医者だ。医者に魔法は使えない。生きる者を生かすだけだ」

「ですが!」


 激高する聖人に、どこまでも冷静な上級医。その二人の遣り取りをよそに、他のスタッフは、各々の為すことを為すべく、粛々と動き出していた。


「舘、割り切れ。でないと、この仕事は続けられない」

 拳を握り締めた聖人の肩をポンと叩き、上級医も離れていく。


 一人取り残された聖人は、処置台の上にひっそりと横たわる女性を光の失せた眼差しで見つめることしかできなかった。


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