⑶ スタート!
カーテンが少しだけ上がりステージから客席の最前列が見え始めた時、予定通りオミが重低音を鳴らし始めた。
暗転していたステージ照明はオミの真上からのスポットにゆっくりと切り替わり、ボタン鍵盤を押しながらカットオフ・フレケンシーを動かすオミの姿を浮かび上がらせる。
ステージに見えるのはオミの姿、3人がストップウォッチ代わりに使っているスマホの明かり、そして停止中のシーケンサーで点灯している LED の光だけだ。
フミカはピアノの鍵盤を叩き始める。
深いリバーブにまみれたピアノの音。そして客席に向いた PA スピーカーの音が会場に反射してステージに戻って来る音が混じり合い、意識が上下左右に揺れ動いている感じがする。
リサがマレットでロールするシンバル音がクレッシェンド・デクレッシェンドを繰り返す中、フミカの弾く長いポルタメントの付いたシンセサウンドの音程がゆっくりと上下する。
続いてオミがシーケンサーをスタートさせると、8つの LED がピカピカと点滅し、8つの不思議な音程がリピートし始めた。
会場でざわめきが起こっているのがステージ上でも微かに分かる。
『上手く行っているな...』
3人はゆっくりと流れる時間の中でそう感じた。
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エンディングに向けて全員が同じ音程を鳴らしながら徐々に音を消して行く。同時に照明も暗くなり、辺りが一瞬シ~ンとなった。
会場からは、ため息のような安堵の響きが聞こえたと思うと徐々に拍手が沸き起こった。
それは最初ステージ近くの右側あたりから始まり、ほどなく会場全体に伝播して行くように広がり、やがて満場の拍手となった。
ステージの照明がゆっくりと通常の明るさに戻ると3人はホッと息をついた。しかしノンビリしている暇はない。すぐに次の曲のセッティングをしなければ...
フミカとオミがシンセユニットに腕を伸ばし始めると同時にリサがハンドマイクで挨拶をした。
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「こ、こんばんわ。」
いきなり噛んでしまった。
「まだ昼だってば!」
フミカが小声で言うと、リサはすぐに気を取り直して続けた。
「あ、あ、すみません、間違えました。こんにちわ、でした。初めてのステージなんで緊張しちゃって...」
会場からはクスクスと笑い声が聞こえる。リサのミスのおかげで雰囲気が一気に和んだようだ。
「改めてこんちにわ、LFO です。私たちはアナログ・シンセサイザーっていう古い楽器を自分たちで作って、それで音楽も演奏するっていうグループです。アナログ・シンセサイザーっていうのは、今、私の前でメンバーの二人が一所懸命ボリュームをセットしてるのがそれです。古いからボタンで音色を切り替えたり出来ないんで、1曲ごとにボリュームのセッティングを変えなきゃいけなくて大変なんですけど、面白いんですよ。」
フミカはセッティングを変えながらリサの話を聞いていた。『中々やるじゃないか!』、そう思っていると、
「あ、準備が出来たみたいなんで次の曲いきますね。
次はバッハの、バッハの... え、と、バッハのなんだっけ? フミカ...」
いきなり振られたフミカが、
「主よ、人の望みの喜びよ」
と小さな声で言うと、リサは
「 エ? 」
と言いながらドラムの隙間からマイクを前に差し出した。フミカはマイクに向かって、
「主よ、人の望みの喜びよ」
と言うと、リサはそれを受けて、
「あ、そうそう、今フミカちゃんの言った曲です。じゃあいきますね。」
と言ったので会場のあちこちから笑い声が聞こえた。




