7章
冷えた水の感触が虚ろな私を覚醒させようとする。
もう、いい……
もう十分頑張った。
神様に、世界に刃向かって、結果はこれだ。
男にもなれず、女にもなれず……
私は今まで、何のために生きてきたのだろうか?
ただ振り回されてきただけなのではないか?
水の感触が腰までくる。
このまま溶けて消えてしまいたい。
もう生きている意味なんて……
「○○!」
誰かの叫び声が聞こえる。
あぁ、また幻か……
そこにいたのは、昔の私だった。
なんて、胸糞悪い夢だ。
オレは、こんな結果には絶対なりたくない。
なりたくないんだ……
目が覚めると全身汗まみれだった。
「きもちわるい……」
その一言だけが口から漏れた。
―――
――
―
オレは一人で清治の爺さんの家に入った。
「鍵もかけずに不用心だぞ爺さん。」
爺さんは気にもせず新聞を読んでいる。
オレはその隣のソファーに腰かけた。
「お前一人とは珍しいな。」
爺さんは短く、そう尋ねてきた。
その問いに答えず、オレは沈黙を続ける。
「悩め。」
「あ?」
要領を得ない答えが唐突に与えられた。
「どんどん悩め、それでもし終わりたいという結論に至ったらそうすればいい。」
「……」
「答えは、自分で見つけるしかないさ。」
こちらを見る事も無く、淡々と言葉を紡ぐ。
見られていないはずなのに、視線で射抜かれているような奇妙な感覚だ。
「そうだな、昔からそうしてきたもんな……」
何とか現状を打破する方法を考えよう。
誰かに助けを求めるんじゃなくて、自分で切り開くんだ、今までのように。
ワタシは再び東子ちゃんの家の前に立っていた。
3日も学校を休んでいる東子ちゃんのお見舞いと、主先生の真意を聞くためだ。
ピンポーン
インターホンを鳴らすと、すぐに玄関の扉が開かれた。
主先生の顔が、いつも以上に険しい。
「入れ。」
そう短く呟いた。
「お邪魔します。」
家の中に入ると、カップ麺の空容器が散乱している。
家事が出来ない程に、東子ちゃんの容態は良くないのだろう。
「先生、あの――」
「まず座れ。」
「は、はい。」
主先生に促され、椅子に腰かけた。
そのまま何も言わずに沈黙が続く。
何から話せばいいのやら、どうするかなんて分かってるはずなのに言葉がでない。
「東子の事だろ?」
「はい。」
長い沈黙を破ったのは主先生だった。
「あいつがいなくなったのは多分俺のせいだ……」
そう言って俯いた。
”いなくなった”
そんな話は初耳だ。
「俺があいつに無理な事を言ったから、だから……!」
「せ、先生、落ち着いてください。」
主先生は急に頭を激しく掻き始めた。
不安になったワタシは急いで止めに入る。
流石に大人の力を止める事が出来ず、そのまま二人共椅子から倒れてしまう。
「きゃっ……」
不幸にも、主先生がワタシの上になるような態勢になっていた。
「俺が初めから、お前に好きだと言えていればこんな事には……」
「やっぱり、そうなんですね。」
「――知っていたのか?」
主先生が驚いた表情のまま固まっている。
「雰囲気で、ですけどね?」
あえてここで東子ちゃんに教えられたという事は伏せた。
「幻滅しただろ? 俺のこんな姿を見て……」
「先生……」
なんて悲しそうな瞳なのだろうか。
私は、無意識に主先生を抱きしめていた。
「大丈夫です、私は先生の傍にいますから。」
「日織……」
私はそのまま、主先生の頭を優しく撫でた。
「ただいま。」
家に帰ると中は真っ暗だった。
どうやらまだ日織は帰ってきてないらしい。
そういえば、センコーの家に行くって言ってたか?
とりあえず電気を付けて冷蔵庫の中身を確認する。
「げ、今日の夕飯ねぇじゃん。」
文句の一つでも言ってやろうと思い、携帯を取り出す。
連絡帳から日織の電話番号を見つけてタッチする。
プププッ、プププッ、プププッ……
プルルッ……プルルッ……
むなしく発信音だけが鳴り続ける。
流石にここまで出ないと心配になってくる。
何かあったのではないか?
プルルッ……プルルッ……ガチャッ
「おい日織!」
”ただいま、電話に出る事ができません――”
繋がったのは留守電だった。
なんだろう、何か胸騒ぎがする。
オレは急いで部屋から出て、主の家に向かった。
「では、また学校で。」
「あぁ、気をつけてな。」
主先生は笑顔で見送ってくれた。
少しでも主先生の気持ちが晴れたのなら良かった。
後は東子ちゃんが無事に見つかればいいのだけれど……
そう考えながら、日の落ちかけた道を歩く。
ふと、見覚えのある人影が見える。
「東子ちゃん――!?」
間違いない、フラフラとおぼつかない足取りて歩いているのは、東子ちゃんだ!
私は慌てて駆け寄る。
その目は焦点が合っておらず、何かうわごとを呟いている。
「大丈夫? 何があったの?」
私は慌ててカバンから携帯を取り出した。
こういう時は救急車? 警察? どっちからかければ……
焦って戸惑っていると、背後から物音がした。
何かと思い振り返る――
「よぉ。」
そこにいたのは、笑顔の将大だった。
ピンポンピンポン!
オレは何度もインターホンを押す。
「一体なんだぁ……?」
疲れた顔の主が玄関のドアを開けて出てきた。
「おい、日織はどうした!」
「日織なら少し前に帰ったぞ?」
どういう事だ、行き違いか?
オレの様子を見て、主も徐々に真面目な表情に変わっていく。
「何かあったのか?」
「実は――!?」
急に鞄の中から今流行の曲が流れた。
俺は迷いなく携帯電話を取り出す……
”日織”
その表示を見て即座に電話に出た。
「もしもし! 日織、今どこだ!」
「……」
しかし返事は返ってこない。
息遣いだけは確かに聞こえてくるのだが……
「日織……?」
「――助けて」
”助けて”
確かにそう聞こえた。
か細く、消え入りそうな声だったが間違いない。
「何があった!?」
「……焦ってるみたいだな。」
電話越しに聞こえてきた声は、日織のものではなかった。
よく聞き慣れた声――
「なんで、お前が日織の携帯もってんだよ! 将大!」
「お前が悪いんだぞ? 大事な日織から目を離すから。」
くっ、確かにそうだ。 タイミング悪く爺さんの所に行くんじゃなかった。
「△区○丁目×番地の廃屋にいる。 無事に返して欲しかったら警察にも連絡せずに一人で来いよ。」
「――分かった。」
「じゃ、待ってるぜ。」
そのまま電話は切れた。
「葉月、どういう事だ。」
真剣な顔で主がこちらを見ている。
さっきの通話内容で大体察したらしい。
「日織が将大に捕まってる……」
「……」
明らかにオレ一人を呼び出したのは罠だ。
一体何を考えているんだ将大……
「俺一人で来いって言ってるんだ、警察も呼ぶなってさ。」
「将大が日織を殺すとは思えない、警察に連絡した方がいいのではないか?」
「だめだ!」
だめだ! 日織の安否もあるが、何よりオレ達の秘密が露見してしまう。
やはりオレ一人で行くしかない。
「俺、いってくるわ。」
「待て! 考えなしに突っ込むつもりか!」
主の手がオレの腕を掴む。
「放せ! 俺は行かなきゃないんだ!」
「お前、何か隠してるだろ。」
「っ!」
「俺も日織を助けたいんだ、頼む……」
「……」
警察はアウト、一人で行っても勝算は少ない。
二人なら可能性は格段に上がるのは分かっている。
だが……
「警察を呼べない、一人で行かなきゃない理由、教えてくれないか?」
確かに主なら……
今は四の五の言っている場合じゃないか。
「――なんだ。」
秘密をばらしたオレを、日織はなんて思うかな。
でも、今はお前を救うために。
「俺と日織は互いの立場を入れ替えてる、つまり俺は女で日織は男なんだ。」




