指輪
「いらっしゃいませ、こんにちはー!」
俺が愛子から掛けられた初めての言葉はそれだった。
3年前の春、女子校を卒業して18歳の愛子は小さな古本屋でバイトをしていた。
流通しているのはほとんど電子書籍であるが、紙媒体の人気も一部では根強くあった。
デジタルでは情報が漏洩して広範囲に拡散されてしまう可能性が原理的に消えないが、紙媒体なら危険性はコピーされるか見られて記憶されるかで、リスク管理しやすいからだ。
とある事件のために大学中退を強いられて、就職も進学もしないまま2年ほど本を読みふける生活をしていた俺はこのとき25歳で、愛子との出会いが、現実的には俺の初恋と言って良かった。
社会の隅に打ち捨てられて、親からの資金提供でひっそりと生き延びていた俺は、愛子に近付きたい一心でバイトの面接を受け、そして受かった。
とは言っても、俺は現実というものに対してひどく臆病になっていたので、粘着質なストーカーになる素質は持ち合わせていなかったと信じたい。
あるいは、運良く今までそのような素質が発露されることなく来れたことに感謝すべきなのかもしれない。
だが彼女の表情のうちに垣間見えたある種の素朴さや、幼さや、貧しさみたいなものに、自分が付け入る隙を魅力として見出したのかどうかはけっして否定できない。
事実として、彼女の家は貧しく、彼女も彼女の両親も、俺の過去について寛大だった。
そう、俺には過去に重大な秘密があった。
そのことを伝えないままで、身の程知らずにも俺は同僚として愛子に積極的なアプローチをかけた。
「愛子ちゃん、この前見たいって言ってた映画を良かったら今週末見に行かない?」
「いいですよっ?」
しかも初めてのデートの帰りで指輪まで買ってしまった。
これが若けの至りというものか。
「ダイヤって昔は高価だったらしいよ。今は簡単に作れるから、こんなに綺麗でも安価なんだ。」
「いつかもっとちゃんとした指輪くださいねっ?」
今では結婚指輪に変わったけれど、そのときの指輪を愛子は大事に取っておいてある。




