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其ノ一 奏、くづきと出会う

 夏休みも終わりに近い、そんなある日だった。オレの母親の住む別邸に、妙な女子高生が現れたのは。

 永代中学の二年生の夏。それは、今までのオレの生活で最悪の夏休みだった。

 オレの生活が劇的に変化したのは、一年前。いや、正確にはもう少しだけ短い。

 病弱な母親との二人暮らしの貧乏生活を、特に変えようとは思っていなかった。友達も、学校も、なにも不服はなかった。

 けれど、生活は変わってしまった。あの日を、境に。

「はぁ……」

 思い出しては不愉快さに気分が悪くなる。

 前々からおかしいなとは感じてた。母さんの薬代のことも含めて、ふつうに暮らせていたのが。

 貯金を崩してるのかなって思ってたのは間違いで、それは、学校帰りに校門前に停まってた黒塗りの高級車がすべてを語ってた。

 別邸の引き戸をからりと開けて、母の世話をしてくれている藤田良子さんに挨拶する。

「おはようございます」

 ふくよかなおばちゃんの典型の藤田さんは、「あらまあ坊ちゃん」といつも迎えてくれるはずなのに。

「おはようございます、坊ちゃん」

 ん?

 一瞬、なんか違う声が聞こえたぞ?

 そっと顔をあげる。いや、あげる前に、玄関に見慣れない女物のローファーがあるのが見えた。

 見上げたそこに、女が立っていた。

 なんだ、コイツ。

 ふざけてんのか?

 思わず、ごしごしと瞼を擦った。

「いやですねえ、坊ちゃん。そんな古典的なリアクション、面白くないですよ」

 淡々とした、抑揚のない若い声。

 夏祭りで売っているようなきつねの面を堂々とつけたその女は、セーラー服姿だった。背は悔しいことにオレより高い。それに、たぶん年上だ。

「だ、誰だおまえはーっ!」

 絶叫をあげて人差し指を向けると同時に、オレは背後の引き戸にがしゃんと背中を押し付けた。

 不審者すぎる! なんだこいつは! 泥棒にしちゃ、頭おかしすぎるだろ!

「おや坊ちゃん、なにをそんなに驚いてるんですか?」

 のほほんと廊下の奥から歩いてきた藤田さんと、お面女を見比べる。おい……この異常な光景に驚いているのはオレだけなのか? おかしいだろ!

「ふ、藤田さんの知り合いなの?」

 恐る恐る尋ねると、藤田さんはお面女を見て、にこっと笑った。

「奥様のお知り合いのお嬢さんだとかで、今日からここに住むことになったそうだよ」

「うそつけえええええ!」

 思わずまた声を張り上げてしまった。

 母さんは、つまりは……親父の愛人だったんだ。正妻が亡くなったからここに住まわせてもらってるし、ずっと生活面で援助されてきたけど……不倫してたせいで、親戚からは勘当されてる。そもそもこんな変なヤツが親戚とか冗談じゃない!

「あんれ。違うのかね?」

「違いますね」

 あっさりとお面女は肯定して頷く。って、なんなんだよ、じゃあおまえは!

 警戒して睨んでいると、「まあまあ」と女は手をひらひらと振った。

「奥方がお待ちですし、朝ごはん食べに来たんですよね坊ちゃん」

「坊ちゃんって言うな!」

「ああそうでした。そう呼ばれるの、嫌いなんですよね」

 ……?

 なんだ。いま、お面の下で小馬鹿にした笑いを、しなかったか? 見えなかったけど、したぞ。絶対した!

「おまええええ! いま、笑っただろ!」

「笑ってませんよ、言いがかりですね、若」

 とてとてと奥へと歩き出す女に、オレは靴を乱暴に脱ぎながらあがって後に続いた。

 居間の丸いちゃぶ台には、人数分の朝ごはんが用意されている。……あれ、なんで3人?

 藤田さんはここでは食べない人だ。そもそも、本邸のところで同じお手伝いさんと一緒に食事だけは食べている。

 家族団らんを邪魔しない配慮のつもりだろうけど、いや、今はそんなことはどうでもよくて、なんで三人前なんだ!

 まさか、とお面女をちらりと見る。やつは座って待っていた母さんを見て、「奥方」と呟いた。

「朝から若が元気すぎて、少々驚きました」

「あら? そうなの?」

 母さんがこっちを不思議そうにみる。そりゃ、こういう生活になってから、楽しいとか……あんまり思わなくなったけど。

「や、あの……この人だれなの? 知り合い?」

「母さんのね、古いお友達の……」

 の?

 おい、なんでそこで言葉を途切れさせるんだよ?

 笑顔の母さんはちらっとお面女を見る。彼女は少し黙ったあと、「姪です」と呟いた。

「姪御さんなの」

「なにそのとってつけたような説明!」

「いいじゃないですか若。そういうことは、あまり関係ないし、気にしても仕方ないですから」

「なんでおまえがなだめてんだよ!」

 思わずトゲトゲしい言い方で反抗すると、数秒だ。お面女は黙った。

 ……んん? なんだ。まただ。なんだこの妙な「間」は。まるで面の下で馬鹿にされてるような気配がする。

「……おまえ、馬鹿にしてないか?」

「え? してないじゃないですか。若、頭は大丈夫ですか? まだ寝ぼけているなら、洗面器をご用意しますよ?」

 これまた、まるで上から目線の状態で言いやがった!

 口調は丁寧なくせに、抑揚がないせいで全然へりくだってないし、オレを気遣ってる様子もうかがえない。

 オレはむすっとして、ちゃぶ台を前にして座る。焼いたさんまに、味噌汁、漬物、白いご飯。いつもの変わり映えのしないメニューだけど、かなり高級素材を使っているというのは聞いた。そりゃ美味いわけだよ。

 残された一人分の朝食の前には、お面女が座った。驚いたことに、音がしなかったのだ。

 ふつうは少しくらいは座った時の動作の音がするものだが、しなかった。いつの間にか座っていて驚いたほどだ。なんなんだよ、この女は本当に!

「それで? その姪御さんとやらが、なにしに来てんだよ」

「若の護衛をしばらくすることになりました」

「はあっ!?」

 持ち上げかけた箸を、落としそうになる。お面女はこっちを見ていない。

「そうなの、奏。えっとね、えーっと」

 なぜ言い難そうにするんだ、母さん?

 ちらちらとお面女をうかがう母さんに、彼女は淡々と言う。

「くづきちゃん、でいいのかしら?」

「いえ、ここは鈴木楓と呼んでください」

 偽名!?

 強張った顔でお面女を凝視していると、彼女はまったく表情が見えないのをいいことに、「今のナシで」とか言いやがった!

「なにいきなり偽名使ってんだよ! 明らかに不審者だろうがっ」

「若、食事中に立ち上がるのは行儀が悪いですよ」

「冷静に言うな! ていうか、そのお面はなんなんだよ! とれよ!」

「……いやー、若と奥方に認識しやすいようにと思っての配慮なんですが」

 なんの配慮だ! 不審者が変な配慮してんじゃねえよ!

 仕方ないですねえとかぼやきながら、お面女は、お面をとった。

 あ、あれ?

 オレは目を凝らす。うん、目を細めて、力を入れてる。入れてるはずだ。

 だというのに、まるで焦点が合わないみたいにこいつの顔が見えない。

「んんんんんーっ!?」

 ぐいっと顔を近づけると、素早くお面をつけられた。

「ね? 見えなかったでしょ?」

「ね? じゃないだろ! なにやってんだよ! 手品か!?」

「光の屈折を使って、見えにくくしてあるんですよ」

「なんでそんなことする必要があるんだよ!」

 変態か? この女、そういう趣味があるのか?

 そこで母さんが真剣な顔で言った。

「くづきちゃんは、忍者なの」

「いや、奥方、ここでは鈴木楓でいきましょう」

「えっと、かえでちゃんは、忍者なの」

「言い換えなくても聞こえてるってのー!」

 絶叫をあげるオレは、もはや朝食の存在などどうでもよくなって、お面女を震える体で見た。

 ニンジャ?

 忍者ってのはあれだろ? よく時代劇や、それの系統のマンガに登場する、超人のことだ。

 手裏剣投げたり、まきびしばら撒いたり、間者をしたり、忍術使ったりするアレか!?

 のけぞっていると、ぷっ、と笑い声が聞こえた。…………おい、いまこいつ笑ったろ。我慢できなくて、笑ったよな?

「若の考えてることが手に取るようにわかりますが……考えてるようなものじゃないですよ?」

「え、ち、違うのか」

「違いますよ。あのですね、人間の身体能力には限界があるんです。限界以上の跳躍なんてしたら、筋肉がズタズタになるに決まってるじゃないですか」

 おい……この女、明らかにすごく馬鹿にした口調なんだが。

 今までのあの平坦な声とは違ってるぞ。……完全にオレを馬鹿にしてる。

「そんなのもできないで、忍者とか言うなよな!」

 腕組みして見下ろすが、お面女はまたも「ぷぷっ」と笑った。顔まで微妙にそむけている。く、くぅぅぅぅ!

 羞恥に顔を赤くしていると、やれやれという様子が伝わってきた。なんだその「やれやれ」ってのは!

「常識的に考えて、できるほうがおかしいと思いますけどね」

 うぐっ。

 ……ま、まあそのとおりだ。マンガやアニメみたいにいくわけないってのは、そりゃ頭ではわかってるし……ふつーに考えればいるわけないって理解できる。

 忍者ってものが、本来のものとはイメージが違ってるとか、あれこれ聞いたことだってある。

「忍者、という言い方をしたのは、奥方がイメージしやすいようにと配慮したのです。まあ、単なる護衛ですから」

「じゃ、じゃあおまえ、なにができるんだよ。空手とか、合気道とか?」

「まあ、適当に色々とできますよ」

 てきとう!?

「て、適当って、格闘技、だよな?」

「…………」

 なんで無言で味噌汁すすってるんだよ!

「奏、とにかく座ってご飯食べましょう?」

 母さんのすすめで渋々と座りなおして、箸を持つ。ふいに気づいた。こいつ、微妙にさっき面をあげてものを食べてなかったか?

 慌ててお面女のほうを見ると、もうすでに食べ終わって「ご馳走様でした」と食後の言葉をいっている!

 なにー! さっきまだ半分以上残ってた気がしたのにいつの間に!?

 ていうか、なんでオレに護衛が必要なんだ? いらないし、そんなの。

「若、もうすぐ新学期ですよね」

「それが? ていうか、若って呼ぶなよ」

「坊ちゃん、もうすぐ新学期ですよね?」

「若でいい!」

 こいつ絶対にオレで遊んでるだろ!

 むかむかしながら睨むが、お面女はすごく姿勢よく正座していることに気づいた。へぇ……。

「奥方から聞いたのですが、若はこちらの学校に来てからご友人ができていないとのこと。微力ながら、コミュ障の若のお手伝いができればと思っております」

「だれがコミュ障だー!」

「あれ? 違うのですか? では、照れ屋さんなのですか? それとも、ツンデレ?」

「どれも違うーっっ!」

「まあまあ、若。あまり怒るとハゲの原因になるかもしれませんし、そろそろ大人しくしてくださいよ」

「おまえのせいだー!」

 ぎりぎりと歯軋りしながらすごい目つきで睨むが、相手の顔が面に隠れているせいで、まったく表情がわからない。

「まあ冗談はこれくらいにして、奥方の願いとしては、若が今の生活に慣れることをお手伝いすることなので……まあ学校生活がおもな若には、そこからまずスタートしなければならないかなと私は思ったのです」

「大きなお世話だ!」

「奏……」

 うっ。悲しそうにこっちを見ている母さんと目が合う。

「ち、違うんだ。べつに慣れてないとかじゃなくて、友達とか、あんまり必要ないっていうか」

 境遇が変わって、前の学校のヤツらはすぐさまオレへの見方を変えた。友達だったと思ってたヤツらの親は、こぞって腫れ物みたいにオレを見てた。

 簡単に掌を返すような友達なんていらない。そんなものなくたって……上辺だけの付き合いで充分だ。

「ふつうに喋るヤツらはクラスにいるし、心配しなくても大丈夫だから」

「嘘ですね」

 さらっとお面女が言ってきて、ごそごそとセーラー服の内側からなにかを取り出してちゃぶ台の上に並べた。

 げええー!

 青ざめるオレの前には、明らかに盗撮写真であることがわかる、オレの学校でのそれが並べてある。

「こらああああ! なにしてんだ!」

「調査です。依頼前にきちんと調査をするのが筋ですし」

「盗撮だろうが!」

「ん? ああ、肖像権の侵害とか、プライバシーの侵害とかそういう問題を気にしてるのでしょうか? 大丈夫ですよ、ほら、その他大勢として撮ってますから」

「そういう問題じゃねえだろ!」

「……若って、容姿に似合わず乱暴な言葉遣いですよね。ギャップ萌えでも狙ってるんですか?」

「おまえの脳内はどうなってんだよ!」

 明らかにはぐらかそうとしただろう! わかってんだよ!

「やだ~、奏は学校ではこうなの? 少し浮いてないかしら?」

「少しどころかめちゃくちゃ浮いておりますよ、奥方」

 明らかに夏休みの登校日の写真だった。油断している間抜け面のオレが写真となってひしめいている……捨てたい。

「どうしましょう、やっぱり馴染んでないのかしら」

「馴染んでませんね」

「なんでおまえが断言してんだよ!」

「こういうことは、第三者からはっきりわかるなら、当人もわかっていると思いますが」

 っ! く、反論しづらい。

「とりあえず、若についていられる時間帯はさりげなくフォローはしていきますからご心配なく、奥方」

「ふぉろー?」

 なんだ? 聞き慣れない単語を聞いた気がする。

 母さんはお面女の両手を握り締め、嬉しそうに微笑んでいる。

「ありがとう、くづきちゃん! よろしくお願いするわね!」

「奥方、ここでは楓と呼んでくださいね」

 どうしょう……オレ、ここにいるのに止められない流れになってないか……。


 朝食を終えて、とぼとぼと本宅のほうへ戻るオレの背後に、お面女がついてくる。なんなんだよ、ほんと。

「ついてくるなよ、気色悪い」

「ああ、お面が気に入らないと?」

 すっとこちらに背を向けて、またこちらを向いた。

「だれがひょっとこのお面に変えろって言った!?」

「ひょっとこでもダメですか。じゃあ、ライダーシリーズでいきますか? それとも、朝の人気の女の子アニメのほうが趣味ですか? ちなみに若は、どれが好みでしょう?」

「お面の問題じゃねーんだよ!」

 いい加減、そこは悟れ!

 オレは人差し指を突きつける。

「おまえみたいな不審者がそもそも……あれ? なんで」

 言いかけて、戸惑いでオレは瞬きを繰り返した。

 そういえばそうだ。ここには、職業柄というか、護衛はたくさんいる。ヤバイやつらだって。

 なのに、こんなところに平然と、セーラー服の女子高生(お面つき)が立っている異常さを、容認しているはずがないんじゃないだろうか?

 まさか、あの人の知り合いなのか? この、でっかい屋敷の主であり、オレの……。

「ああ、若、違いますよ」

 ぎくっとして身を硬直させた。

 なんでもないように、のんびりした平坦な声でお面女は続ける。

「見えにくくしているだけですから。これも、光の屈折とか、まぁ、今の若に説明してもわからないと思うのではしょりますが、そういう科学的なもので誤魔化してるだけですよ?」

 誤魔化してる?

「会話まで誤魔化せるわけないだろ」

「まあそうですけど、まあ、人間の耳がとらえられる音域って限られてるんで」

 ハ?

「……オレ、人間だけど?」

「どう見ても人間ですよ。河童にでもなりたいんですか? 申し訳ないですけど、尻子玉はあげられません」

「そんなもんいるかーっっ!」

 あれ? そういえば、オレのこの怒鳴り声にも誰も反応しない。

 不思議になって周囲を見回すけれど、誰もこっちを見てこない。……え。関わりたくないとかそういう類の空気じゃないよな?

「若、眉をひそめてないで。あ、ちなみにこれ、結界ってやつです」

「なにっ!? おまえ、そんなのできないって言ってたじゃないか!」

「できるわけないじゃないですか。若はマンガの読みすぎです」

 あっさりと馬鹿にされた返しをされて、オレは耳まで赤くなる。この女~! どこまでひとを馬鹿にすれば気に済むんだ!

「ちょっとですね、私が持っている機械で、音域を調節しているんです」

「機械?」

「当たり前じゃないですか。ふつうは種も仕掛けもありますよ」

 くっ、首を傾げて馬鹿にするなっ。くそ、わかってるよ。

「まあ事情があってお見せはできませんけど、その機械で、我々の会話は周囲には聞き取れないようになっています」

「す、すげー……」

「人間に限りですよ。ほかの動物には聞こえてますし、この機械も万能じゃないので」

「ふ、ふぅん」

 充分すごいと思うけど。

 というか、こいつは本当になんなんだろう。

「ああそうそう、別邸にあった盗聴器は外しておいたんですが、良かったですよね?」

「は?」

「あれ? ご存知なかったんですか?」

 ぷぷっ、と笑いながら言うお面女にムカーっとしながら、オレは口元を引くつかせつつ尋ねる。

「し、知らなくてわるかったな……!」

「別に悪いとか言ってないでしょう? 若って、ほんと自意識過剰ですよね」

「おまえはほんっっっとに腹の立つ女だな!」

「若は女性にも夢を見すぎです。女性は基本、打算で動くリアリストなんですよ?」

「みんながみんな、おまえみたいな女であってたまるか!」

 嫌だそんなの! 悪い夢すぎる!

「まあ若が元気なのは充分わかりましたので、話を戻しましょう。盗聴器は、おそらく奥方の夫である男性の命じたものか、その手下のものでしょうね」

「? 判別がつかないのか?」

「調べろとは命じられていませんし、量産されている類いのものですからね」

 さらっと怖いこと言ってないか、こいつ。

「若の部屋にあったのも外してあります」

「えっ、オレの部屋にもあったのか!?」

「ありますよ。あなたたちはいわば部外者、余所者なんですから、見張り代わりでしょうね」

「…………」

 そんなことは、言われなくてもわかってる。

 突然こんな家に住むことになって、反発しなかったわけはない。

 俯くオレを見つめ、お面女は小さく息を吐いた。

「期待をしなければ、失望もしないでしょうに」

「……べつに期待なんてしてない」

「でしょうね。若は、ご自身が無力だと知っている、賢い子供です」

 オレは咄嗟に顔をあげた。

 ヒッ! お面が変わってる! いつの間に金魚にしたんだ、しかもリアルできもちわるいっ!

「この家の力を利用しようとする強靭な精神もない。ずる賢さもない」

「けなしてんのか?」

「してません。あなたは誠実なんでしょう?」

 問いかけられても「はいそうです」なんて頷くヤツはいないだろう。

 ムスッとして睨むと、お面女は小さく笑った。それからまた平坦な声で続ける。

「盗聴器はべつのところに仕掛けておいたので、バレはしないでしょうから安心してくださいね」

「……なんか今、すごく恩着せがましい顔してないか、お面の下で」

「してませんよ?」

 くすくすと笑ってる時点で絶対してるだろうが!

 こほん、とお面女がわざとらしく咳をする。

「じゃれあうのもこれくらいにしましょう。護衛をするにあたり、色々と若に相談しなくてはいけないので」

「オレは頼んでない!」

「依頼主は奥方ですから、若に私への命令権はありませんよ」

 ぐっ、こ、こいつすごい見下した目ぇしてるだろ、今! 絶対に!


 結局歩いているオレに、部屋までついてきて、やっぱり入ってきた。簡単に入ってくるなよ! 不法侵入者め!

「さし当たっての問題は、新学期……もうすぐ始まる2学期ですね」

「……学校までついて来る気か?」

 呆れるオレの横を通り過ぎて、お面女は窓側の壁に背をあずけて腕組みをする。

「四六時中ついていればいいんでしょうけど、私はそういうストーキング癖はないので御免こうむります」

「オレだって嫌だよ! きしょくわるいっ」

「それに私は、一応学生ですし」

 は? 学生?

 身なりは、まあ一応高校生だけど。

 胡散臭そうに見ていると、お面女はこちらをじぃっと見てきた。なんだ……この威圧感は。

「若の中学からわりと近い、御白高校に通っております」

「ちかーっ!」

 近距離すぎるだろ!

「在籍名は、鈴木楓になっておりますので、用がある時はそれで呼んでください。あ、でも若は顔を知らないので困りましたね」

「おまえ……会話がおかしいとか思わないのか? 顔を知らないってなんだよ? また認識難くなってるのか?」

 学校でもそんなことをしてたらとんだ変態だ!

 お面女は軽く右手を挙げて左右に振った。

「違います。変装をしております」

「ヘンソウ」

 なんだそれ。ますますスパイっぽいぞ。特殊なあれか? なんか、マスクとか?

「若、顔に出すぎです。露骨に期待されても、裏切るだけなのでやめたほうがいいですよ?」

「忠告ありがとう!」

 悪かったな! 夢見がちな中学生で!

 お面女は面をとった。そこには、平凡な顔立ちの女がいる。あれ……なんだ? べつに、なんてことない、ふつうの……顔だな?

「特殊メイクも、マスクもしていません。これは、実際は脳内への信号を使って、別の顔を認識させているのですが……若には難しいでしょうから省きますね、説明」

「はああああ?」

「簡単に言えば、印象に残らない平凡な顔を、脳が勝手にイメージして、私の顔だと認識しているのです」

「……それも、機械か何かの力で?」

「当然です。人間がなんの力もなしに、他者の脳に電波や信号を送れるわけないじゃないですか。きもちわるい」

 そもそもこの女は、そんな意味不明な機械をどこに隠し持ってるんだ? というか、そんな機械、どこで手に入れてきたんだ?

 ……考えるべきところは「そこ」じゃないのか? 今更ながら、オレはそのことに気づいた。

 みーんみーんと、うるさい蝉どもの鳴き声の中、オレは暑さのせいばかりではない汗をぬぐった。

「それで……おまえは何者なんだ?」

 問いかけに。

「あなたを護衛に来た人間です」

 …………やはり、真面目に答える気はないらしい。

「じゃあ質問を変える」

「はぁ、どうぞ」

「妙な機械をたくさん持ってるけど、それ、おまえが作ったのか?」

「いえ、支給品です」

 なんだと?

「……お、おまえ、どこかに勤めてるのか?」

「まあそうですね。一応」

「高校生じゃないのか?」

「高校生もしてますよ?」

 なんだろう……全然、その、なんだ。やり取りが進んでない気がするのはオレだけか?

 つまりだ。こいつはまともに答えてるけど、こたえてないんだ。オレが欲しい答えを、出してこないわけだ。

 性格が悪いことだけは、はっきりした。

 ムスッとするオレは、どかっと勉強机のところにある椅子に腰掛けた。

「オレを護衛するとか言ってるけど、どうやって? べつに狙われてないし、いじめられてもないぞ」

「友達がいませんけどね」

「いないんじゃなくて! べつに、必要としてないっていうか」

 校内でオレが浮いてるのはわかってんだよ。

「そういう余計なお節介はいらないから」

「でも、適度に学校生活に馴染みたいでしょう? 若」

「そ、そりゃ……」

「出席日数ぎりぎりまでは、学校休んで……まああれこれしてあげますよ」

 おい……なんかこいつさらっと……。

「休むなよ!」

「いいんですよ。……あー、説明がめんどくさいので省きますけど、若が気にするようなことにはならないですから」

「つーか! だいたい、どうやっておまえ、オレの学校生活を助けるんだよ」

「そうなんですよね。だから、相談しようと思って」

 まさか! こいつ……忍者みたいに木登りでもして、そこから盗撮とかしないよな……?

 ふいに浮かんだオレの想像を見透かしたかのように、タイミングよくお面女が「ぶふっ」と盛大に吹き出した。

「なっ、なんで笑う!?」

「いやぁ、今の若の顔みたら、なに考えてたか手に取るようにわかっちゃって……ぶくく……」

 体をくの字に曲げて、必死に笑いを我慢しようとしてる……。オレは恥ずかしくなってまた真っ赤になってしまう。どうも、調子が狂う。

 あれ、気づけばこいつ、お面つけてる。あれっ!? いつの間に?

「正々堂々と、お助けしますよ?」

「……まさか、オレの学校の生徒に成りすますとか、そういうことをするのか?」

「できなくはないですけど、予算少ないのでやりません」

 よさん……。

 顔をしかめていると、お面女は笑った。

「若、マンガやゲームとは違って、現実ってのはなにをするにもお金がかかるんです。お金がすべてなんですよ?」

「夢のないこと言うなよ。でも、金が大事なのはわかってるよ」

「いいえ、若はわかっていないです。たとえば、依頼料が破格ならば、使える予算が大幅にあがります」

 突然始まったわけのわからない講釈に、オレは疑問符を浮かべてしまう。

「ま、普通の人は知りもしませんが、大人になって社会人になり、世の中の荒波に揉まれればあれこれと見えないものが見えてくるものなんです」

「は……?」

「例えば、若が大好きなゲームがありますね? ユーザーの若としては、『もうちょっとここのところ、どうにかなんないかな~』とか思いますよね」

「え? あ、ああ、まあな」

「ユーザーとしてはしごく当然の反応ですね。ですが若、ゲームというものは、お金を使って作られている『商品』なんですよ?」

「?」

「では身近なところから説明しましょうか。そうですねぇ、若が、絵を描きたいと思います」

「は?」

「まずは、紙が必要です。ふってわいて出るわけではないので、お金を出して紙を買わねばなりませんね。

 では次です。鉛筆が必要ですね? 同様に、これもお金を出さねばふつうは手に入りません。まあ、親切な人が譲ってくれるというのはここでは考えないようにしましょう」

「わかったわかった! つまりは、道具を手に入れるには金が必要なんだろ!」

「んー、ちょっとそこは入り口なので、違うんですけど。

 まあつまりは、お金をかければもっと上質な紙が買えますよね? 鉛筆も同様です」

「ん? でも、道具に左右されないものもあるだろ」

「若って、成績いいのに頭悪いんですね」

 おい。

 お面女はやれやれと嘆息した。

「才能で確かに左右されないこともあるでしょう。でも、ふつうの人は超人なみの才能なんてありませんよ? だったらどうします?

 その才能を手に入れるために、若ならどうします?」

「ど、努力する」

「模範的回答ですが、不正解ですね」

 明らかに不機嫌になったオレを気にもせず、お面女は人差し指を立てた。

「『買う』んです。才能を、『買えば』いいんです。お金を出して、その才能を持つ人に仕事をしてもらう。ほらね? お金があればできることが増えますよね?」

「…………おまえの理屈だと、なんでもかんでも金ってことになるな」

「そうは言いませんが、実際問題、世の中で一番力を持っているのは愛でも友情でもなく、お金です」

 なんてやつだ……。

「若、私をそんな目で見ても無駄ですよ。あくまでこれは一例にすぎません。

 お金がなければ食べ物も買えない。そうしなければ飢え死にしてしまう。若だって、養われてる身なんですからわかるでしょう?」

「そりゃあ……そうだけど」

「お金で動かない者も確かにいますが、大抵のことはお金さえあればできますよ。あればあるほど、お金というのは力を持ちますから」

「金の亡者か、おまえは……」

「いいえ。お金があれば、『できること』、つまりは『選択肢』が自動的に増えるんです。いま私が使っている機械も、依頼料が発生すれば、もっと精度のいいものに変えられますしね」

 だったらそう言えよ。遠まわしな説明する女だな。

「ああ今、若が『だったら最初からそう言え』と思っているのは、わかっていますよ」

「ひとの心を読むな!」

「読んでいませんし、あてずっぽうですから。若って単純ですよね」

 ムッカー!

 はらわだが煮えくり返るとはまさにこのことだろう。オレは初めてこの言葉の意味を、経験して知ったのだった。

 しかし不安すぎる。こいつはオレの学校に来るつもりだ。何をするつもりなんだ?

「二学期が始まるまでには色々と準備しておきますから、お楽しみに」

「準備……?」

「ああそうそう」

 いきなり、お面女の口調が明るくなる。

「若って、登下校をあの黒塗りのいかにもな車でされるのが嫌なんですよね。まずはそこから改善しましょうか?」

「はっ?」

「自転車登校をおすすめします。ママチャリを用意しましょう」

 なにを楽しそうに言ってんだ、こいつは!

「いらんっ!」

「もったいない。チャリンコ登校は、学生時代としてはなかなかにいいものだと思いますがね」

 おまえも高校生という名の学生じゃないのか?

「おまえは自転車で通ってんのか?」

「……いえ、徒歩ですね」

 なんで微妙に間があいてんだよ……。またなにか隠してるな。しかも、わざと。

 どうせなに言ったって、こいつはしつこくやって来るだろうし、雇い主の母さんの依頼を遂行しようとするのだろう。

 そもそも、こいつは聞いてるようで、オレの話を聞いていない。

「護衛でもなんでも勝手にすればいいだろ!」

「しますよ」

 ほらな。完全にこっちの意志は無視だ。

「あと」

 付け加えるようにお面女はまた人差し指を立てた。

「危険から守るのだけが、『護衛』ではないんですよ、若」

「? どういう意味だ……?」

「二学期が始まるまではこちらに居ますので、適度に接しましょうね、若」

「…………おい、居候。なにが適度だ。いきなり過度な接触してるだろうが……」

「いい感じでドスの効いた声ですね~。可愛らしい容姿なのに、なんでそう粗雑なんですかねぇ」

「お面のくせに、失礼なことばっかり言ってんじゃないっ!」

「ハハハ。若って本当に単細胞ですね」

 馬鹿にしながら笑うお面女をまた睨み、オレは唇を尖らせる。

「お面が気になるなら、マスクにしましょうか?」

「え? マスク?」

「こういうのもありますよ」

 明らかに馬の頭部をリアルに作られたかぶりものに、オレはゾッとした。

 こ、こんなのかぶって「若」とか呼ばれながら馬鹿にされたら……血管が切れそうだ!

「やめろ! 悪趣味だろ、おまえ!」

「そうですかねぇ。なかなかいいと思うんですけど。相手にインパクトは与えられますよ?」

 充分インパクトだよ、そのお面も! 気持ち悪い金魚のお面なんて、最悪だったよ! しかもあれ、さりげなくでめきんだったろ!

「若がしきりにお面お面って言うから……もー、わがままですねぇ」

「どっちがだーっ! お面で素顔をさらせない変質者に言われたくないわっ」

「お面をとったら視覚情報に……って、説明しても無駄だったことを思い出しました。

 まあいいです。じゃあ、若の好きなように呼んで構いませんよ。お面でも、デスマスクでも」

 おい……こいつまさか、デスマスクまで所持してるんじゃないだろうな……? 持ってそうで怖いんだが。

 オレはちょっと構えを解いて、さっきの母さんとのやり取りを思い出す。えっと、確か母さんは「くづき」って呼んでたっけ。でもこいつは、鈴木楓とか。

 あれ? くづきが本名ってことか?

「……くづき、さん?」

 一応年上だし、散々悪態ついたし、乱暴な言葉遣いしたけど、まあ……一応。

 そう思って呼ぶと、明らかにお面の下のくづきの様子が変わった。あからさまに舌打ちしたのだ。

「気色悪いですねぇ、いきなり『さん付け』とか。なに狙ってるんですか? 予算とかあげられませんよ?」

「だれが予算の引き上げを狙ってるか! そうじゃなくて、お、おまえ、年上だろ?」

「べつに呼び捨てでいいですよ。くづきも本名じゃないので」

 ……へー、そう。

 なんかもうすべてにおいてやる気がうせて、オレは椅子に深く座り込んだ。

 みーんみーんと、蝉のうるさい鳴き声が耳に入る。こうしてオレは、護衛としてやって来たこのお面女「くづき」との出会いを、中二の夏にしたのだった。

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