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「ごめんなさい、まだ勤務中なの。あと一時間したら電話ちょうだい。――ああ、そうね。こちらからかけ直すわ。それまで電源切っておくわね。じゃ」

 ケータイを制服のポケットにしまったユキの背後から、ペイジ中佐が声をかけた。

「ほう。恋人かね、コーエン少尉。今のは聞かなかったことにしておく。今後は勤務中にケータイの電源を切っておくことを忘れないようにな」

「は、中佐! 以後気をつけます!」

 ユキは回れ右をしてペイジ中佐に敬礼した。

 ペイジ中佐の横をタンクトップにジーンズ姿の女性が歩いている。カナだ。どこか機嫌が良い様子のカナは、ユキの横を通り過ぎる際、ユキの方を向いてウインクして見せた。

 ばつが悪そうに会釈して見せたユキは、ペイジ中佐たちが廊下を曲がった後、再びケータイをポケットから取り出した。

「あ、もしもし? 私よ。上官がね、予定より早く出掛けたの。いつものとこ? 三十分で行くわ。勤務時間? いくらでも誤魔化せるわよ、そんなもの」

 電話を切ったユキは人の気配を感じて振り向いた。そこには黒髪を五分刈りにした男性兵士が立っており、柔らかく微笑みつつ敬礼をしていた。たしか、年齢はユキと同じ二十一歳のはずだが、士官学校へ行かずに入隊した彼の方が古株である。

「お盛んですね、少尉殿」

「悪いが、三十分早く上がらせてもらう。いつものように頼むぞ、デービス上等兵」

 表情も口調も軍人のそれへと瞬時に切り替わる。まるで二重人格者のようなユキに対し、デービス上等兵は終始柔らかい態度と丁寧な口調を崩さない。

「お任せください。少尉殿にはいつもお世話になっておりますので」

「貴様も」

「はい?」

 ハイスクールの頃から情報部への入隊を目指してきたユキにとって、同い年の下士官が見せる人の良さはまぶしかった。

(貴様も、普通の恋愛をしたければ一刻も早く情報部以外の部署への転属願いを出すことだ)

 その言葉を呑み込み、ユキは別のことを言った。

「貴様も、私のようないい加減な上官の下にいては苦労が多かろう? いつも助けてもらっているのは私の方だ」

「とんでもない。少尉殿のような上官がいらっしゃるからこそ、私ら下士官は軍隊の中にいながら人間らしさを失わずに済むし、ご命令には全力でお応えしようと思えるんですよ」

「ありがとう、マーチン」

 部下をファーストネームで呼ぶと、ユキはその場を後にした。それ以上言葉を交わしているのが辛かったのだ。そして、恋人がいるかのように演技することも。


     *     *     *


『ガンマ4へ。こちらアルファ2。配置変更だ。貴官らは座標三・三・一へ移動せよ。繰り返す――』

「こちらガンマ4です。配置変更発令理由の開示を求めます」

 既に一般のケータイが通じないよう、基地局への工作は実行済みだ。兵士同士の通信は暗号化無線に限られていた。

『配置変更はアルファ1からの指示だ。作戦開始時刻まで三十分を切っている。発令理由の開示には認められない。速やかに命令を実行せよ』

「アルファ2へ。ガンマ4、了解!」

 コードネーム“ガンマ4”を与えられた下士官に、“ガンマ1”が話しかけた。いずれも髪を五分刈りにした二十代の男性兵士である。

「で、誰の指示だって?」

「は! アルファ1――ペイジ中佐殿からの指示であります!」

「けっ。あの不摂生オヤジか。どうせまたえげつないこと考えてるんだろ、胸くそ悪い」

 今回の作戦においても、メタルジャケット弾を装填したマシンガンを使う。しかも、近付く者はたとえ民間人であっても発砲しなければならないのだ。

 そのせいか、作戦前のブリーフィングの段階から、ガンマ1の機嫌は最悪だった。困った顔を向けるガンマ4に向かい、ばつの悪そうな顔をしたガンマ1は言葉を絞り出すように言った。

「わかってるよ。兵士は命令に従うしかないんだ。どうせ民間人ってのも、警察の手に負えない悪党どもに違いない」

 実際、ネオジップには多くの悪党が住んでいる。しかし、ガンマ1は、情報部という組織がこなす作戦には非合法のものが多く含まれることを知っていた。

 もっとも、合法であろうとなかろうと、兵士は作戦に疑問を抱いてはならないのだ。ガンマ1は苦労しながらも軍人として頭を切り換えた。

 ガンマ4が叫んだ。

「曹長殿――ガンマ1! バイクが1台接近中です。民間人のようです」

「まだ作戦開始時刻じゃないよな。警告だけで済ませよう」

 銃を構え、バイクの進行方向を塞ごうとしたふたりの兵士を、陸軍情報部の士官が制止した。

「待て! あの民間人はアルファ1の“客”だ! 手出し無用!」

「コーエン少尉殿!? 本日の作戦はお休みのはずでは?」

「情報部の士官は二十代のうちは休みを申請しても休めないことが多い。覚えておけ」

 その言葉に、この作戦終了後に少尉への昇進が決まっているガンマ1はげっそりとした顔をした。

「やっぱりねー。そうだと思っていましたよ」

 その呟きをあっさりと無視し、ユキはもう一方の下士官に声をかけた。

「ガンマ4、無線を借りるぞ!」

「は! どうぞ」

 手渡された無線の周波数を変更せず、ユキはそのまま呼びかける。

「アルファ2へ! こちらアルファ3。“客”を確認。座標四・一・二を現在――通過!」

『こちらアルファ2、了解! アルファ3は座標〇・〇・〇に戻られたし!』

「了解」

 通信を切ったのを見計らい、ガンマ1が文句を言う。

「そういうの、ブリーフィングの時に言っておいてもらわないと……、下手すりゃ発砲してたところですよ」

 ユキにはガンマ1の文句は、民間人を撃たずに済んでほっとした気持ちの裏返しに思えた。軽くいなすように言う。

「まあそう文句を言うな。本来休暇のはずの私が呼び出されるほどだ。こういう作戦では多少の情報の混乱は覚悟しておけ。貴官らの判断で慎重かつ迅速に対応してほしい」

「はっ!」


     *     *     *


 同じ時刻、無線を切った“アルファ2”は【ポメラニアン】への専用回線を開いた。こちらは陸軍情報部のそれよりさらに高度な暗号化無線である。

「デジル。ユキがうまくやってくれた。スレッジが通るルートを確保したぜ」

 無線の向こう側から噛みつくような返事がきたので、彼はヘッドフォンを耳から遠ざけた。

『パーマー! スレッジは大事に育ててる最中なんだ! 今度からはこういうことは先に俺を通せ。わかったな!』

「文句は後でたっぷり聞く。何しろ情報部が相手だからな。準備から行動までの時間を極限まで短縮したかったのさ」

 叩きつけるような勢いで通信が切られた。スービィは口元だけをゆがめ、薄く笑った。

「大事に育てた……か。だったら奴の力をもっと信用してやりな、デジル」


     *     *     *


 【ポメラニアン】の格納庫では、金髪の鬘をかぶったブースがエアバイクにまたがっていた。

「今のところ順調だが、相手は軍隊だ。絶対に無理すんじゃねえぞ、ゲイリー!」

 ブースの新しい名前はゲイリー・カーターに決めた。決めた時点でデジルは彼を本名で呼ぶことをやめたのだ。

「あんたにはせっかく拾ってもらったんだ。カナを連れて、必ずここに戻ってくる。しかし、スレッジって奴は街のために戦うってのか? よっぽど正義感が強いのか、単なるバカなのか」

「はん。正義? ありえねえ。バカが報酬に目が眩んだだけのことさ」

 ブース――ゲイリーが声を立てて笑った。

「何がおかしい?」

「いや……すまん、デジル。でも、あんたが本当にそう思っているのなら、スービィにあそこまで噛みついたりしなかっただろうな、と思ってさ」

「勝手に言ってろ」

 表情を引き締めると、ゲイリーはエアバイクのエンジンをかけた。

「行くぜ!」

「ああ、気ぃつけてな!」

 ゲイリーの手で水陸両用に改造されたエアバイクは、しばらく海上を飛んだ後、反重力システム無効地帯に入り込んでも水上を快調なペースで進んでいった。


     *     *     *


 カナは賞金稼ぎのアイクが運転する車の後部座席に座っていた。

 目の前の運転席で窮屈そうに運転している男こそ昨夜自分をさらった男なのだということを、カナは知る由もない。

 カナは助手席に座る赤毛の少年に興味を持った。

「あなたも賞金稼ぎなの? 随分若いのね。名前を聞いてもいいかしら」

「マーカス・ペイジ。マークと呼んでください」

 マークは無表情に答えた。

「あら。違ってたらごめんなさいね。もしかしてペイジ中佐のお子さん?」

「ペイジ孤児院で生活してました。そこで育った子どもはみんな苗字が“ペイジ”なんです」

 マークの言葉に運転中のアイクが驚いた顔を向けた。

 ペイジ孤児院というのはペイジ中佐の父親が創設した私設孤児院で、設立当初は純粋な孤児院だった。しかし近年は、孤児の中から才能のありそうな子どもだけを集めて英才教育を行っている。入所できる子どもを独自の基準で選んでいるため、ペイジ中佐のシンパを増やすための施設と揶揄されることも多い。しかし、入所している子どもに最高の教育を受けさせているため社会福祉事業として一定の評価を得ており、これまで一切の行政指導が行われたことはない。

「ペイジ孤児院だって? あそこ出たガキって、ほとんどエリート軍人になってるよな……。お前、頭いいんだろ? 賞金稼ぎなんかやって、勿体ない」

「軍人になりたくなかったので早々に賞金稼ぎのライセンスを取りました。しかし、最初の仕事を依頼主に世話してもらう結果になってしまって……」

 ルームミラーに映るマークは唇を噛み、口惜しそうな表情をしていた。頑なに“依頼主”という言葉を遣い続ける彼からは、孤児院のオーナーたるペイジ中佐を慕う様子が感じられない。

(へえ、歳相応の表情も見せるじゃない)

 カナの視線に気付いたマークは、一瞬でもとの無表情に戻った。


 四十二年前の大震災で孤児が増えた。そんな孤児を養子として育てる人々もいたし、資産家の中には私財をなげうって孤児院を作る人もいた。ペイジ孤児院は、その時に作られた施設なのだ。

「俺たちの依頼主って、案外いい人なのかもな」

 その言葉に、マークは一瞬首を振ったかのように見えたが、何も言わなかった。

 気になったが、そのことをマークに聞いても答えてくれないような気がしたので、カナは話題を変えた。

「ブースのこと、見つけてくれてありがとう。無実なんだから、この先あなたたちのような賞金稼ぎに狙われなくて済むわね」

 カナにとってはやや意外なことに、アイクではなくマークが落ち着いた声で答えた。

「そのことなんですが、まだ安心できません。昨夜、ノイルさんを探していた我々は何者かに謎の男のいる場所へまんまと誘導されました。未知の敵が、我々とノイルさんとの接触を邪魔することも充分に考えられます」

「他の賞金稼ぎは、まだブースが無実だってことを知らないからな。もうじきブースと会うことになってるが、邪魔が入る可能性もあるぜ。しかし、たかが二百二十ローエンの賞金首だろ? そんな必死に俺たちの邪魔してくるものかね……」

 無言で相棒を見返すマーク。アイクははっとした。

「ブースが持っているっていう機械の部品か。そんなに価値のあるものなのか」

「あるんでしょうね。少なくとも、依頼主にとっては」

 どうやら賞金稼ぎは、ごく断片的な話しか聞いていないようだ。カナは、ペイジ中佐から聞いた話をするべきかどうか少し迷った。だが、自分が知っていることを黙っていたことが原因の一つとなって、目の前の男たちが生命の危機に陥ることになっては寝覚めが悪い。

「その部品をめぐって外国の情報部がブースを追いかけてるかも知れないっていう話だったわ」

「ひゅー。そいつはおっかねえ話だ。道理で報酬額が良かったわけだ」

「本当に知らなかったの?」

 無言で肩をすくめるアイクの様子を見て、カナは嘘ではなさそうだと思った。しかし彼女は、マークの様子に違和感を感じた。ほんの一瞬、ルームミラーに映るマークの表情にどこか辛そうな色がよぎったのだ。

(この子、何か知っている)

 何を知っているのか、直接聞いてみるべきか。カナはやめておくことにした。

 ペイジ孤児院にいたというマークには、望むと望まざるとにかかわらずペイジ中佐の息がかかっていると見るべきだ。ペイジ中佐が何を考えているのかわからない以上、信用すべきではない。彼女の勘がそう告げていた。

 カナは再び話題を変えようと思い、アイクに話しかけた。

「ねえ、あなたの名前を聞いてないわ」

「う……。名乗るほどの者じゃねえよ……」

 口ごもるアイク。彼は仕事とはいえ昨夜さらった相手に名を聞かれて戸惑っているのだが、カナはそれを誤解した。

「やあねえ。なにも付き合ってくれって言ってるわけじゃないのよ」

「わかってるよ。俺はもてねえし、あんたには彼氏がいる。……俺はアイク・ホイだ。でも、できれば覚えないでくれ」

「? 変な人……」

 逆に印象に残るように演出しているつもりなんだろうか。何にせよ、カナはアイクへの興味が薄れていった。


     *     *     *


 スレッジのエアバイクにデジルからの連絡が入った。

『スレッジ。パーマーの協力者がうまくやってくれた。今んとこ邪魔されずに走っているな?』

「ああ、デジル。気味悪いくらい順調だぜ」

 海沿いの道を走りながらスレッジが答えた。ミリィが選んだ経路上には陸軍も警察も見当たらない。そのことを敏感に察知した民間人がまばらに外出しており、スレッジにとっては良い隠れ蓑になりそうだった。

『そろそろゲイリーが合流する』

「ゲイリー?」

『偽名だ。お前も今後はブースのことをゲイリー・カーターと呼べ。奴は今金髪のヅラをかぶってる』

 金髪――。スレッジの脳裏に、昨夜目の前に墜落したエアバイクが甦る。

「まさかね」

 海上を走ってきたエアバイクが海沿いの道へと飛び上がってきた。午後の日差しを反射し、サングラスと白い歯が輝いている。その顔を見たスレッジは小さく舌打ちした。

「くっそ。あの時の野郎がブースだったのか」

 憎まれ口のような口調で呟いたものの、ブースに非があるわけではないことを知っているので、腹を立てているわけではない。

「おーお。かっこいいご登場だこと。……どことなく古くさいけど」

 スレッジのバイクの横に並びながらゲイリーが叫ぶ。

「今から恋人を取り返そうってんだ。少しだけカッコつけさせてくれ」

 スレッジの後ろからミリィが叫んだ。

「ゲイリーかっこいい! でもズラがずれてるよっ!」

 併走するゲイリーが止まるよう指示してきたので二台は一旦止まった。

「デジルから伝言だ。“エアバイクは壊れても構わん”だとさ」

 ゲイリーは言いながら、運んできた細長い円筒形の機械を二つ、スレッジのバイクに手際良く括り付ける。ハンドルの下側、左右に一本ずつだ。

 先端は前方斜め下を向いているから、敵に向けてぶっ放すバズーカ砲というわけではなさそうだ。

「壊れても構わん? ひょえー、あのデジルがねぇ」

「死ぬなってことさ」

 取り付け終えたゲイリーがスレッジににやりと笑いかける。

「で、今取り付けたこれって何?」

「スペシャル装備だ。ピンチになったら使え。使うときは二本同時にそのレバーを後ろに引けばいい。さあ、急げ。作戦開始時刻間近だから、連中の準備は最終段階のはずだぜ」

「待てよ、あんたのは?」

 見たところ、ゲイリーのバイクには同じものはついていない。

「そいつはあんたたち専用だ。俺には別のスペシャル装備がある」

 ゲイリーは乗ってきたバイクのタンデムシートに括り付けた箱を指差して言う。

 自分の命を守る装備がどんなものか知りたかったが、ゆっくり話を聞いている暇はない。

「っしゃ! 行くぜ」

 飛ぶように走り去るスレッジを見送り、ゲイリーが呟いた。

「同じエンジンなのに、なんであんなに速いんだ?」

 スレッジが角を曲がって見えなくなると、別の角から車が現れた。ゲイリーは、その車に近付くべく、ゆっくりとバイクを発進させた。

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