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『ネオジップを突如襲った反重力システムの無効化現象は局地的なものですが、依然復旧の目途が立っておりません。そんな中、昨夜七時ごろに何者かによる破壊活動が行われ、周辺地域は一時騒然としました。警察の発表によると、テロリスト六名を射殺、しかし少なくとも四名は現在も逃走中とのことです』
早朝の時間帯としては珍しく、叫ぶように原稿を読み上げる女性リポーターが画面に映っている。軍と警察が封鎖のために張ったロープのすぐ外側からのライブ映像だ。
『通常車輌とヘリによる捜査は難航しており、逃走したテロリストの足取りは掴めていないとのことです。警察では現在、射殺した犯人たちの身元を調べており……、はい! はい』
女性キャスターがアナウンスを中断し、イヤホンに手を添えた。その直後、画面外側のスタッフから新たなニュース原稿を受け取る。アナウンスを再開した。
『新しい情報です! 射殺した犯人たちのつながりがこれといって見当たらず、警察は、ここ数年の間に結成された新しいテロ組織が最初の犯行に及んだものとの見方を強めています。また、間もなくテロ組織から何らかの犯行声明が出されるものと見られており、警察ではテロ組織の意図がはっきりするまでの間、市民の皆さんはできる限り外出を控えるようにと呼びかけています』
今、【ポメラニアン】にはゲストがひとり乗っている。デジルはモニターから目を離し、目の前に座る賞金首を一瞥した。自分の禿頭を撫で、コーヒーを音をたてて啜った。何ごとか考え込みながら話しかける。
「で? あんたが売人を殺ったわけじゃないって証拠は示せるのか?」
「無理だ。何の証拠も残っちゃいない。だが、俺は冤罪のまま服役してもいいと思っている。ただ、カナだけは! 何とか、元の生活に戻してやってくれないか」
答えた男はブース・ノイル。短く刈り込んだ黒髪の、浅黒い肌をした唇の分厚い男だ。もう金髪の鬘をかぶってはいない。
「……惚れてるのか」
「答えるまでもない」
即答。
デジルはひとつ溜息をつき、ブースを値踏みするように見た。
「あんた、整備士免許持ってるんだってな」
「あ? ……ああ、殺人容疑で追われる前は修理工場で働いてた。その前はレーシングチームのメカニックをやったこともある」
質問の意図が判らないまま、とりあえず聞かれたことに答えるブース。
「エアバイクはいじれるか」
「ああ。どのメーカーだろうが部品さえありゃ修理できるぜ」
先を促すブースを無視し、デジルはケータイを操作した。
「俺だ。ちと頼みたいんだが。運転免許と整備士免許、ひとり分。ああ、そうだ。幾らだ? ――わかった。ああ、二日後にいつもの場所だな」
まだよく事態が飲み込めず、ブースは聞いてみた。
「なんだ? 何を……」
「あんたをメカニックとして雇う。名前を変えるんだ。一生引き受けるなどとは口が裂けても言えないがな。だが、DLとMLさえあれば、その気があれば小さな修理屋を自営することだってできるだろ。偽造だからでかいところに潜り込んで仕事するのは難しいけどな」
ブースは口をぽかんと開け、次いで弾かれたように立ち上がった。百九十センチを超す巨体を折り曲げ、デジルに歩み寄って土下座した。
「ありがたい! この恩は一生忘れねえ!」
「やめてくれ……。あんた無実なんだろ? それより、こき使うから覚悟してくれ」
「ああ! なんでもするさ!」
「ふむ。では早速」
デジルはにやりと笑った。
「?」
ブースは若干気圧されつつも、やる気満々の光を瞳に灯した。
* * *
カナが目をさましたのは朝になってからだった。そこは彼女が今まで住んでいたアパートの倍はある広い部屋。豪華なマンションといった感じの部屋だった。
「!」
ベッドから身を起こしかけたカナは、あわててタオルケットをたくしあげる。一糸纏わぬ姿で寝ていたのだ。
「大丈夫です。ここには私以外誰もいません。着替えはあなたのサイズに合うものがクローゼットにいくつか入っています。洗顔セットはここです。化粧品もあちらに一通り揃っています。足りないものがあったら私に言ってください」
陸軍の制服に身を包んだ若い女性がカナに話しかけてきた。にこりともせず、事務的に一息に説明する。
カナは彼女を観察した。黒髪のベリーショートの痩せぎすの女性だ。スリムなカナよりさらに細いが、細く尖った顎と細く吊り上がりぎみの黒目のせいか、見る者に鋭角的な印象を与える。身長は百六十四センチ。カナは百五十五センチなのでおよそ十センチ違う。
彼女はカナが何も言わないうちに自己紹介した。
「ユキ・コーエン、二十一歳。グレートザップ陸軍少尉です」
「軍が、あたしに何の用?」
ユキは初めて表情を変え、カナに答えた。
「さあ。私はあなたの世話係を仰せつかっただけなので。外出以外の事であれば、できるだけ不自由のない生活を提供します。なんなりとお申し付けください」
ユキのぎこちない表情は、冷たい印象をさらに濃くしただけだったが、おそらく笑おうとしたのだろう。
「本日は一二:〇〇時にペイジ中佐からあなたに説明があるそうです。それまではおくつろぎください」
カナは理由もわからず軟禁されたのだが、相手の言うことが本当なら自分を軟禁したのはグレートザップ正規軍であり、ひとまずこちらに危害を加えるつもりはなさそうだ。
ユキと名乗る女性の階級が嘘でないなら、単なる世話係とは思えないが、今はあれこれ詮索しても仕方がない。
「シャワー、浴びてもいいかしら」
カナは完璧な営業スマイルを浮かべ、ユキに言った。
「バスルームはこちらです」
ユキはもとの無表情に戻り、見ればわかることをいちいち案内してくれた。
* * *
スレッジはエアバイクを丹念にチェックしていた。
倉庫にはスービィがエアバイク用のスペアパーツを用意してくれていたのだ。スレッジは元レーサーではあるが、「走り」専門なのでメカにはさほど強くない。
メンテしやすいように設計されたエアバイクではあるが、タイヤ交換その他の大まかな作業はスレッジが行い、バランス調整その他の細かい作業はミリィが行った。
ミリィは今、端末の前に座って何やら作業をしている。
「お前、ガキのくせにすげえな! 天才プログラマは天才メカニックの才能もあるってか?」
「うーん。他人と較べたことがないから、僕が天才かどうかは知らないけどさ。昔っから同級生の誰よりも機械いじりが好きだったことは間違いないよ」
スレッジはエンジンをかけ、倉庫内を少し移動する。
「うん。いい感じだ」
エンジンを切ると、ミリィを見た。
「ん。なに?」
「ホントは色々聞きたいところだが……。時間もないし、ひとつだけ聞く」
ミリィは端末を操作する手を休め、スレッジの方を向いた。
「お前、弟とはどういう関係なんだ?」
「あー……。僕は今でも兄弟のつもりだけど。向こうは僕のことを異星人だとでも思ってるのかもね」
「はぁ?」
意味が分からず、頓狂な声を上げるスレッジ。
「多分、向こうは容赦なく攻撃してくるよ。だからスレッジも、僕の弟だと思って遠慮しなくていい。敵だと思ってね」
言葉の内容とはうらはらに、ミリィはにっこりと笑いかけてきた。
「んなこと笑顔で言われてもなぁ……」
「さて。僕の方は作業が一段落したよ。スレッジはどう? 昼ごはん、食べよ!」
「あはは……」
スレッジは、つい今し方まで感じていたレース前のような緊張感が氷解していくのを感じていた。
* * *
クローゼットはウォークインタイプの相当広いものだった。ユキは「いくつか入っている」という言い方をしていたが、ジャージからカクテルドレスに至るまで、豊富な種類の服が用意されていた。
カナは散々迷った挙げ句、タンクトップとジーンズを身に着けた。
入浴を終え、化粧を落としたカナの外見には、まだ少女の面影が色濃く残っている。彼女が勤めている店は客に酒を出す店で、酒の苦手な彼女は十八歳だということにしているが、実際は二十二歳である。
「十二時までまだ三時間以上あるわ。ユキさん、あたしと年も近いしお話しない?」
「世間話は苦手ですので」
間髪を置かずに答えるユキを、カナはまじまじと眺めた。もしかしたら幼い頃から軍に入隊することだけを考え、訓練に明け暮れていたのだろうか。本当に雑談が苦手なのかもしれない。カナは自分の想像に基づきそんな感想を持ったが、それがかわいそうなことなのかどうかについては判断がつかない。
「他に御用がなければ部屋の外で控えています。御用があれば、ベッドのところにある電話を使ってください」
ユキが指し示す電話は、どうみてもホテルのフロントコールである。
一旦出ていこうとしたユキは、すぐに立ち止まって振り返った。
「?」
「朝ご飯はこちらに用意してあります」
ユキが指差す方を見ると、ホテルのルームサービスのようにワゴンの上に半球型のふたを被せた食事が用意されている。
「苦手なものやお食事の希望は、なんなりとお申し付けください」
「ちょ……。それって、この先何日も外に出してもらえないってこと?」
「そのあたりのことも中佐から説明があるとは思いますが、この施設内のフィットネスや娯楽施設のご利用に関しては特に制限がないでしょう。……監視はつきますが」
ごく事務的に答えてはいるが、カナにはユキが少し困っているように見受けられた。
「……ふ。うふふ」
「?」
「いえ。あなたを困らせるつもりはないの、ユキさん。仕事しなくてものんびり過ごせるだけマシかな、って。そんなことを考えてる自分がおかしくてね」
「そうですか。今すぐにでも元の生活に戻りたいと思っていらっしゃるとばかり……」
それまでの話し方はずっとハキハキしていたユキだったが、珍しく語尾を濁した。
「最低の生活よ。でも、そのうち自由が恋しくなるかもね」
「……。失礼します」
何かを言おうとしてやめた様子のユキを黙って見送り、カナはひとりごちた。
「嘘よ。元の生活だって、決して自由とは言えないわ」
* * *
エアバイクのフロントパネルに繋いでいたケーブルを外し、端末の前から離れたミリィは大きく伸びをしてから言った。
「うん。準備おっけー。さ、いこ!」
スレッジは顎に手を当て、ミリィをまじまじと見つめている。
「どったの、スレッジ」
「あーいや、錯覚だろう、多分」
スレッジが倉庫の外にバイクを出し、エンジンをかけているとミリィがタンデムにまたがった。
「よろしくぅ、スレッジ!」
「なんだかなぁ。まるでピクニックにでも行くみたいだ……。しっかりつかまってろよ」
「はーい」
スレッジが背に感じた感触は――。
「な……! お、女の子?」
「あれぇ? 言わなかったっけ」
さっきミリィが伸びをしたとき、やけに胸が大きいと思ったスレッジだったが、錯覚ではなかったのだ。
「道理で……。男にしちゃかわいいとは思っていたが」
「うはは。微妙にセクハラっぽい発言だけど、スレッジだから許す♪」
「それはどうも。じゃ、行くぜ」
エアバイクを発進させつつ、スレッジの脳裏に昨晩の会話が過ぎる。
昨日のスレッジによる賞金稼ぎふたり組の追跡は、スービィが仕組んだものだった。あわよくばカナも奪還するつもりだったが、主な目的は賞金稼ぎの車に発信器を取り付けることにあった。
しかし普通に発信器を取り付けても、すぐに発見されてしまう。そこで、ミリィが作り出す“電波の傘”――電子機器による探知不能ポイントに誘い込む必要があったのだ。
「この一年間お前さんの働きを陰から見てたんだがな。お前さんなら女を気絶させてさらっていく連中を追っかけるに違いないと思ったのさ。お陰で奴らを“電波の傘”にうまく誘い込むことができた」
スービィにそう言われたスレッジは、見透かされたような発言が気に入らずに反論を試みた。
「反重力システムがダウンしなかったら、あのままブースを追っていたはずだぜ」
「あのタイミングでシステムがダウンすることは、ふたり組を雇った連中は予め知っていたのさ」
「なんだって?」
スレッジの疑問に、ミリィが答えた。
「わざと【アースシェイカー】を長い眠りから叩き起こしたんだよ、あいつら」
「あーすしぇいかー?」
スレッジにとっては初めて聞く単語だった。
四十二年前の大震災は一般的には自然災害だと認識されている。しかし政府と軍は情報を隠しているのだ。
「どこから来て、いつの間に棲み付いたのかわかんない怪物が、地面の中で暴れたんだってさ」
「おいおいミリィ。初めて聞く奴に説明するにはちょっと不親切な言い方だぞ、それ」
軍の研究班によれば、ここから離れた場所――人類の観測範囲外の異なる時空間から突然直径十メートル程度の物質が転移してきたという説が有力である。その際に生じた破壊的なエネルギーが大震災を起こしたと見られているのだ。つまり、隕石と大震災は無関係という公式発表と研究班の認識は大きく違っている。
転移してきたことが確認されている地球外物質というのは巨大な怪物が一体。便宜上【アースシェイカー】と名付けられた。生命体であることは確認されているが、発見以来四十二年間眠り続けてきたのだ。
また、それと関係があるのかどうかは不明だが、震災の直後から何回かにわたり、その辺のゴミのような物質が人型に寄せ集まってふらふらと行動する現象が確認されている。その人型のことは便宜上【パペット】と呼ばれている。
「反重力システムが震災後わずか数年で突然実用化されたのは、軍の研究班が怪物の調査をした際の副産物のようなものらしい」
「で、さ。僕が軍のコンピュータをハッキングしてわかったんだけど。今日が【アースシェイカー】を叩き起こす日だったのさ。で、起こした瞬間にここら一帯の反重力システムがダウンすることもわかってたらしい」
「ふ。起こし方はわかってたけど、起こした途端に逃げられたってのか。間抜けだよな、軍も」
スレッジが笑うと、スービィは真面目な顔で否定してきた。
「いや、コトはそう単純じゃない。怪物の強さも大体判っていた上でワザと逃がした可能性が高いんだ」
「なに! どういうコトだ」
「スレッジ!」
背中からミリィが叫ぶ声が聞こえてきて、スレッジの回想は中断した。
「ねえ、モニター見てる? 奴ら、動き出したよっ」
「了解だっ」
フルスロットル。元レーサーの腕の見せ所だ。