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スレッジのエアバイクに音声通信の着信を告げるランプが灯る。メーターパネルの着信表示に【ポメラニアン】と表示されている。
【ポメラニアン】というのは、デジルが登記登録のために届け出た船名で、既に受理されている。船名だけを聞くと、元は軍の輸送機だったことが想像できない。
そのネーミングセンスについてさんざん文句を言ったスレッジだったが、デジルは全く取り合わなかった。
「俺の退職金で買った船だ。名前ぐらい好きに付けさせろ!」
それを言われては、スレッジとしては渋々ながらも引き下がるしかない。
イヤホンマイクは装着済みだ。顔を見て話す必要など微塵もない。スレッジは迷わず“VOICE ONLY”のボタンを押す。
『スレッジ。現場まであと何分だ? パーマーから連絡があってな。“お客さん”、アパートを飛び出したそうだ』
「おいおい、あと五分かそこらで着くってのに。……いや、そんなことよりデジル。その情報屋、別に俺たち専属ってわけじゃないんだろ。後で情報料ふんだくられるんじゃねえの?」
タイミングの良すぎる追加連絡。スレッジは訝しんだ。
『気にするな。セット料金の範囲内だ』
スレッジはまだこの稼業を始めて一年そこそこの駆け出しだ。つくづく奥の深い世界だと思いつつ、ひとまず仕事を優先することにした。
「あっそ。……んで、部屋を飛び出した“お客さん”の行き先、わかってんの?」
『確証はないが、方角としてはメーベイ港方面だ』
港と聞いたスレッジの頭に密航の二文字が浮かぶ。しかし震災直後の混乱期でもないのに、様々なチェック体勢とスキャン装置を備えた現代の船では、そうやすやすと密航できるものではない。しかも、“お客さん”――ブース・ノイルはたかだか二百二十ローエン程度の賞金首だ。密航を手配してくれるほどの組織力を持つコネがあるなら、殺人の事実を揉み消す方が楽だ。
「メモリキューブにはろくな情報が入ってなかったぜ! いったい誰を殺したのさ、あのブースって奴は」
『……悪い。データのコピー、またミスってたようだな。奴が殺ったのはヤクの売人だ』
(一枚わずか三ルギーかそこらの粗悪なメモリキューブを使い回すか、普通? たとえ経費節減のためと言っても、必要なところまで削ったんじゃ仕事に差し支えるじゃねえか。デジルの奴、元の職場でどんな仕事をしていたのやら。噂じゃ切れ者だというが、人の噂はあてに……)
ぶつぶつと独り言をつぶやき始めたスレッジは、デジルの言葉を“音”としてしか聞いていなかった。耳に残った単語を反芻し――。
「ちょっと待てデジル、今何て言った。ヤクだと? まさか、今回マフィアを相手にしろってのか!」
スレッジの武器は麻痺モードで三十発、致死モードなら六発程度しか撃てない銃が一丁だけ。文句を言おうとするスレッジを制するように、デジルが告げた。
『心配すんな。“お客さん”は何故だか売人が持ってたヤクには手をつけていない。サツが見つけた時には組織が回収済みで一グラムも残っちゃいなかったんだとさ。しかもその売人、私腹を肥やすために粗悪な混ぜ物を売ってたらしい。マフィアとしても、いずれ消すつもりだったようだ』
「はぁ……ん。ヤクが無事だから組織としても真剣に追っていないってわけか」
考えてみれば当然だ。マフィアが真剣に動けば、懸賞金がかけられる前に“お客さん”の命はなかったことだろう。
『多分そんなところだ。“お客さん”は組織に繋がる情報なんか持っていない。ヤクとは無関係の揉め事で喧嘩した揚げ句、売人を殺してしまった……』
「それで、懸けられた賞金はわずか二百二十ローエンな訳ね」
懸賞金が大きくなればリスクも高くなる。それがこの世界の道理だ。
目的地はすぐそこだ。スレッジは運転に集中しようとしたが、デジルの話にはまだ続きがあった。
『パーマーからの情報がもうひとつある。ああ、これはサービスだそうだ。――どうやらメーベイ港方面で事故か何かがあったらしくて交通規制がかかってる。足止めを食うことになれば、いくらケチな賞金首と言っても他の賞金稼ぎにかっさらわれることだって有り得る。なるべく急いで追ってくれ』
エアバイクはハメルーン通りに進入した。
日没直後のハメルーン通りは既に薄暗い。通りを照らす街灯の数が少ないのだ。鞄を抱えて自宅を目指すサラリーマン風の住人はほとんど見られない。多くの者は屋内に引きこもっているのだろうか、通りは閑散としている。外に出ている者もその多くは黙って道ばたに座り込んでおり、陰気な印象だ。
そんな中、妙に機敏に行動するふたり組の男たちの姿がスレッジの目を引いた。八月だというのにふたりとも季節外れな黒革のズボンとベストを着ている。
褐色の髪を短く刈り込んだ男の後ろを、赤い巻き毛の小柄な男がついていく。正面から見ているわけではないので確証は持てないが、赤毛の方は少年なのかも知れない。
「あそこは――たしかカナって女が住んでいるアパートだ……」
男たちが目指しているのは、つい五分前までのスレッジの目的地だった。もしかして、男たちはスレッジの同業者なのだろうか。
ここのところ、賞金稼ぎの仕事は過当競争だ。自分たち以外にもブースを追っている賞金稼ぎがいてもおかしくない。
女しかいないことに気付けば、おそらくあのふたりも“お客さん”を追うはずだ。
「本気で急いだ方が良さそうだぜ」
スレッジはカナのアパートをスルーし、メーベイ港方面へと急いだ。
急ぐ……はずだったのだが。
一瞬、視界がぶれた。
「な! ……んだ?」
路面が近付いてくる。エアバイクが降下しはじめているのだ。
メーターパネルが赤い光を点滅させ始めた。目を遣ると、“SYSTEM ERROR”の文字が。
「ばかな!」
反重力ホバリングシステムがダウンした。それは、長年エアバイクを運転してきたスレッジがついぞ経験したことのない事態だった。
路上五メートルの高さを時速約百二十キロで走行中、突然システムダウン。この異常事態は、実は反重力システムが実用化されて以来初めてのことなのだ。スレッジだけが未経験というわけではない。だが彼には考えている時間がない。
緊急制動、姿勢制御。
驚異的な反射神経で通常エンジンに切り替えたスレッジは、路上への着地に備える。
「ぬおあ!」
着地。
はでに巻き上げる煙の分だけタイヤのゴムが削れていく。甲高い音はタイヤの悲鳴だ。
「あーあぁ。デジル怒るだろうな。高くつくぜこいつは……」
ほんの一瞬、何かが視界を遮る。
落下物だ――それも、エアバイク。
進行方向の道が塞がれた。障害物までの距離、わずか五十メートル。
「ちいぃっ!」
舌打ちしつつ、後輪をロック。同時に思い切り左へ体重移動。
エアバイクのステップが路面を擦り、派手に火花を散らす。
障害物までの距離は見る見る詰まっていく。
「バーロー!」
振動で舌を噛みそうになりながら叫ぶ。
「止まりやがれええっ」
アスファルトを削る耳障りな音に神経を逆撫でされる。
まだ止まらない。
三メートル、二メートル――停止。
「ふぅ。なんとかコケずに済んだぜ」
エアバイクを降りたスレッジは、墜落して道を塞いでいたバイクとの間隔を目測した。わずか四十センチだ。
一方、壊れたエアバイクのライダーはマシンに跨ったままだ。目立つ外傷はない。スレッジは自分のバイクから飛び降り、相手のライダーに声をかけた。
「無事か、あんた」
バイクの上に俯せていたのは金髪の大柄な男だ。スレッジが呼びかけるとすぐに身体を起こした。その顔に外傷は見当たらない。
「う……。ああ、なんとか自力で歩けそうだ」
無事なら興味はない。珍しい事故だが、相手ばかりを責めるわけにはいかない。彼自身、相手と同じように突然路面へ墜落したことには変わりがないのだ。
スレッジは自分のバイクに戻り、通信機のスイッチを入れた。
「ごらぁ、デジル! カネがないからってエアバイクの整備も省略したのかよっ!」
これではブースを追うどころではない。【ポメラニアン】を呼び出したスレッジは、デジルの返事を待とうともせずにマイクに怒鳴った。文字通りマイクに噛み付くかのような勢いだ。
しかしデジルはあくまで冷静に、スレッジにとって予想外の答えを寄越した。
『異常事態だ。ネオ・ジップ空港の管制塔から連絡が来た。どうやら街全体で反重力システム搭載機がシステムダウンしているらしい』
「なんだと――」
『【ポメラニアン】もメーベイ港、東沖三キロポイントに着水待機の指示を受けた。軍が総出で交通整理に当たるらしいからな。賞金首どころじゃないぜ……。バイクが無事なら戻ってこい』
「……どうやって海を渡れと? 俺のバイクも飛べねえよ」
その時、スレッジは視界の隅に先ほど目撃したふたり組の男を捉えた。
女を抱えるようにして、車に乗り込んでいる。首を不自然に傾け、栗色の長髪を無造作に垂らすその様子は、まるで。
「気絶しているのか」
カナの容姿を知らないスレッジだったが、女を気絶させて連れ去るなど尋常ではない。いかにここが治安の悪さで有名なハメルーン通りだったとしても。
やはり、ふたり組の車も飛び上がることはできないようで、タイヤを鳴らして走り去っていく。
「どういうことだ。奴ら、ブースを追ってる賞金稼ぎじゃないのか」
ふたり組が連れ去った女はカナだとは限らない。しかも、ふたり組の狙いは初めからその女で、ブース・ノイルとは別件の賞金首かも知れない。
だが、ふたり組が女を連れ去っていく光景を目の当たりにして、なお冷静に考えている余裕はスレッジにはなかった。
「追うぞ」
主語も目的語も省略して呟き、通信を切ったスレッジ。再びバイクに跨ると、考えるより先に車を追った。