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軍隊にはもともと超過勤務の概念が存在しなかったが、震災後しばらくして軍隊にもタイムカードが導入された。残業手当は他の職種とは比べものにならないほどの少なさだが、今までのことを思えば手当がつくようになっただけでも大きな改善だと言える。
「コーエン少尉は自分で自分のことをいい加減な上官だなんて言うけど、あの人はすすんで雑用も俺たちと平等にこなすからな。絶対他の士官よりも働いている。その分、俺たち下士官が支えてやらないと」
マーチン・デービス上等兵の言葉を思い出しながら、若い二等兵はユキの替わりに彼女のタイムカードを押した。ユキはマーチンに言った通り、勤務終了時間より三十分早く帰ってしまったのだ。
二等兵自身も、ユキのことをいい加減な上官だなどと思っていない。同期で入隊した同い年の下士官たちは、上官に雑用を押し付けられたり、無意味にどつかれたり、さらにはもっとひどい扱いを受け、定期的にメンタルケアを受けている者もいる。
持ち場へ戻ろうとした二等兵は、通路を曲がる手前で足を止めた。呼吸も最小限にして気配を消す。聞こえてきた上官たちの会話に胸騒ぎがして、耳を澄ました。
「中尉、至急ペイジ中佐のお耳に入れるべきかと」
「本日のコーエン少尉の通話記録をか、軍曹。例の作戦まで三十分を切っているぞ。緊急なのだな?」
上官たちの会話は、コーエン少尉の個人のケータイによる通話記録の内容をペイジ中佐に報告しようというものだった。
――情報部の兵士にプライバシーはないぜ。ケータイの通話記録までチェックされてるって噂だぞ。
それは情報部への入隊前から、仲間内で話題に上っていたことだ。とは言え半ば冗談めかした話題だった。まさか、本当に個人のケータイの通話記録まで筒抜けだったとは。しかも上官たちの会話の端からは、毎日チェックしている様子が伺える。
こうして事実を突きつけられたことにより、二等兵は少なからずショックを受けていた。
「いずれの記録も少尉だけが一方的にしゃべっており、不自然です。つまり……」
つまり、それは符牒。ペイジ中佐の動向を監視していたコーエン少尉が何者かに報告していたということではないだろうか。二等兵の脳裏にスパイの文字が浮かぶ。
――まさか、情報部士官であるコーエン少尉が身内をスパイしていたと言うのか!?
「判断を下すのは我々の仕事ではない。事実だけをペイジ中佐に伝えよう」
「しかし、間もなく作戦開始時刻です。既にケータイは通じません」
「報告を後回しにするのはまずいな。暗号化無線を使う」
上官たちの足音が遠ざかった後もしばらく気配を消して固まったまま、二等兵は自分がどうするべきかを必死に考えていた。
「コーエン少尉が危ない。デービス上等兵に相談しよう。急がなければ!」
下士官であり、今回の作戦に参加しない彼は、本来作戦の詳細を知り得ない立場である。しかし、デービス上等兵は、そういった“本来知り得ない”ことを何故かよく知っていて、いつも他の下士官に得意げに教えてくれていた。
――彼ならば少尉を助けるか、最悪でも危険を警告することはできるに違いない。
軍隊という組織の中にあって、その行動は背信行為と見做されても文句は言えない。しかし、それが二等兵の出した結論だった。
* * *
この場所は今回の作戦における座標〇・〇・〇である。衛星からもカムフラージュできるよう、岩を模した天蓋の下に【アースシェイカー】を寝かせてある。
【アースシェイカー】の各関節部分へのリモートユニット取付作業を横目に、ペイジ中佐は装甲車の中でゆったりと座っていた。
基本的に、【アースシェイカー】用のリモートユニットと【パペット】用コアユニットは同じものだ。周囲の反重力フィールドを取り込み、無生物を操るための機械なのだ。
【パペット】を動かすために必要な反重力フィールドはごく微量。それに対し、【アースシェイカー】は質量が大きいためにユニットを各関節に装着する必要がある。とは言え、計算上は各関節に一つずつユニットを装着することで簡単に動かせるはずだった。
しかし【アースシェイカー】は、これまでの研究の中ではどうしても動かすことができなかった。
「これまで地球上になかった反重力フィールドを運んできたのが、あの【アースシェイカー】です。しかし、盲点でした」
それは以前、陸軍科学研究班の科学者からペイジ中佐が受けた研究報告である。
「あの震災によって地球上に充満した反重力フィールドこそが【アースシェイカー】の枷となっていたのです。
【パペット】用コアユニットは、反重力フィールドを取り込んでエネルギーに変換するタイプのものです。それに対し、【アースシェイカー】を動かすには、強力なトランスジェネレーターを使って周囲の反重力フィールドをエネルギーに変換しておく必要があったのです」
科学者は、外部装置によって予め反重力フィールドをエネルギーに変換し、それをユニットに供給する方法を提案した。ただ、それを実行するとジェネレーターが起動している間、周辺の反重力フィールドが一時的になくなる。それだけのコストをかけてはじめて【アースシェイカー】が動くというのだ。
現在ペイジ中佐が乗っている装甲車に【アースシェイカー】起動用のトランスジェネレーターが積んである。昨夜起動したこのジェネレーターは、連続稼働中だ。そしてこれが稼働している限り、ネオジップ周辺の反重力システムはダウンし続けるのだ。
「しかし、そのエネルギーを受け取るリモートユニットには、地球上の――現在の我々の技術では充分な耐性を与えることができませんでした。長時間に及ぶ連続運用ができないのです。つまり【アースシェイカー】の兵器利用は現実的とは言えません」
ユニットを利用して【アースシェイカー】を動かしても、まともに行動できる時間はせいぜい四十分、条件がよくても一時間というところだ。
そこでペイジ中佐が考えたシナリオは、【アースシェイカー】を悪役にして【パペット】でやっつけることにより、【パペット】を軍用兵器として制式採用してしまうというもの。
「そのためには我々の罪を担ってくれるスケープゴートが必要だ」
装甲車内に複数あるモニターのひとつが、ゲイリーのバイクを映していた。アイクの車に取り付けたカメラによる映像だ。ゲイリーの身長は百九十三センチであり、肩幅も広い。
「ふ。ヤギに見立てるには随分大柄だがな」
その時、別のモニターがある映像を流し始める。夜闇の中、陸軍のマシンガンをものともせずに歩き去る謎の巨人の映像だ。
昨夜の【アースシェイカー】を一般人が撮影していたのだ。その映像がネットを通じて配信されている。
「ふむ。良いタイミングだ。あのおせっかいな七大国連合が我が国に介入する前に片がつく」
本来ならリアルタイムに配信されていてもおかしくなかったはずのネット上の映像。陸軍情報部は――ペイジ中佐はネットさえも完璧に抑え込んだのだ。
ずっと眠っていた【アースシェイカー】が突然起きて暴れ出した。それを早々にマスコミに騒がれては国際社会の知るところとなり、間違いなく七大国連合に軍事介入される。震災の際に他国に随分世話になったこの国が、それを断ることはできないだろう。
しかし【アースシェイカー】が陸軍開発の【パペット】以外のものにやっつけられることがあってはならない。
ペイジ中佐は再びゲイリーを映すモニターに視線を戻す。
「貴様は天才エンジニアだ。そして今、その手には得体の知れないユニットを持っている。つまり……、【アースシェイカー】を起動するのは貴様だ、ブース」
(そうだ、貴様こそが身代わりのヤギ)
ペイジ中佐は声を立てずに笑った。
* * *
十五時まで十分を切った。スレッジのバイクは未舗装路を走っている。
「どこだ、奴らっ!? 完璧にカムフラージュしやがって!」
せめて兵士たちか、軍の装甲車があれば……。
焦りがスレッジの運転を雑にする。足場の悪い未舗装路でタイヤが滑るたび、ミリィは慌ててスレッジにしがみつく。
「焦んないで、スレッジ! 僕が探すから、できるだけ運転に集中しててっ!」
ミリィが設定したルートはまだ続きがある。ディスプレイの光点を眺めたスレッジは、一旦バイクを止めた。
「どしたの、スレッジ? あきらめちゃだめだよぉ!」
「ミリィ、見てみろ、このルート」
ミリィはスレッジの肩に手を置いてタンデムシートから腰を浮かすと、スレッジの肩越しにディスプレイを覗き込む。
「んーと。……てへ。僕、自分でルートを設定したんだけど、実際の道路や地形とは頭ん中で結びつかなくって……」
「あらら……」
ずっこけたスレッジだが、気を取り直して説明する。
「ここ、舗装路じゃないから虎柵こそ設置されてないが、あの岩や、この先の妙に均一に砂利が敷き詰められた道……」
ミリィにもようやくスレッジの言いたいことがわかった。
「僕ら、まんまと迂回させられてたってわけ!?」
「そ。今からちょっとばかり……、いや、そう言うと嘘になるか。思いっきりがくがく揺れる道を走るぞ。舌噛むなよ!」
残り五分だ。情報部の連中は、既に【アースシェイカー】へのユニットを取り付けたことだろう。
巨人が立ち上がる前と立ち上がった後では難度が段違いだ。
それに加えてこの岩場。移動にはバイクより二本足の巨人の方が圧倒的に有利なのだ。
「左か?」
理屈ではない。スレッジは突然、バイクを左へと巡らす。
「スレッジ! あそこっ!」
(いた!)
ミリィの左手が指差すところに、マシンガンを構えた兵士が並んでいる。
十人を超えている。ゆっくり数えていられない。
兵士たちの後ろには、不自然な岩の天蓋が見える。
近付くとはっきりわかる不自然さ――、人工的な建造物の上に岩が乗せてある。
「あの下だなっ、【アースシェイカー】はっ!」
兵士たちはすでにこちらに銃口を向けている。
「来るぞ、ミリィ! 銃弾が当たらないように祈ってろっ!」
予想通り、警告なくマシンガンの発射音が轟いた。
「上等だ、くそったれ!」
スレッジは一瞬、ゲイリーに取り付けてもらったスペシャル装備に目をやる。
まだだ。
レバーを引くのは、もう少し近付いてから。




