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第一話

※全年齢対象ですが、同性愛を含みます。

 世界の果てかあるいは真ん中か、それとも微妙に南東とかそんな方角かもしれない、とりあえず島国でもなく海辺でもない、大陸のどこかにある国で。

 いくらか前に、ウィルは生まれた。

 ウィルは名前。名字はない。

 昔、まだウィルの父が幼かったころにあった戦争の前まではあったようだが、今では政府のえらい役人か貴族しか、名字を名乗ることはできなくなった。

 母は「本当はメイにしようって言ってたのよ。でも女の子の名前みたいでしょ」と得意そうに笑った。どうやら父の案だったらしいが、詳しいことは知らない。父は、妹のメイが生まれたのとほぼ時を同じくして亡くなった。ウィルはようやく言葉を話せるようになったばかりだった。

 ウィルは今、だいたい大人である。

 だいたいというのは、まだ妻も子どももいないが、一人前に塗装屋としての仕事をしているからだ。同じ塗装屋にはジェイドという幼なじみがいて、ジェイドはウィルが生まれるより少し前に生まれたらしいが、彼もまただいたい大人だ。

 大人としての区切りは、婚姻と決まっている。だから、まだウィルはいちおう大人ではない。

 なぜそんなややこしいことになっているかというと、この国には「日付」がないからだ。

 日付が欲しいとき、たとえば誰かが生まれたときや死んだとき、結婚するときなどには、役場の近くにある日付屋で日付を買ってくる。

 ウィルはイザルの月の二十一日の生まれだが、それは父が日付を買ってくれたからある誕生日だ。だがいつの季節のいつになったらもう一度イザルの月の二十一日が巡ってくるのかをウィルは知らないし、この町のだれも知らないのだ。役場の三階にずっと住んでいる役人と、日付屋の人以外は。

 だから、いつになったら大人になるのかを知る人もいない。

 でもウィルはそのことに疑問や不安を感じたことはなかった。イザルの月の二十一日に、両親が生んでくれたウィルという自分がいる、それで十分なのだと思っていた。



***



 ウィルたちの住む町は、山間にぽっかりとあいた盆地にある。周りを深い森に囲まれているが、ちょうど峠へ向かう旅行者や行商人が最後の休息を取る町として、だいたい年中、それなりに賑わっていた。

 町の中心部は盆地のほぼ真ん中に位置し、住宅や店々はそれを取り囲むように成り立っている。ウィルの実家は中心部から近くも遠くもないあたりにあったが、勤める塗装屋が町はずれなので、毎日いくらかの時間をかけて歩く。

 しかし今日は塗装の仕事で、町の中心部に呼び出されていた。

「窓枠がそんな簡単に外れるもんか。どうせガキどもが壊したんだろ」

 ウィルの隣で仕事道具が山盛りに載った荷車を引きながら、ぶつぶつ文句をたれているのは、相棒のジェイドだ。

 本来塗装屋の仕事ではない、窓枠の修理という仕事を役人の「似たようなもんだろ」というわがままで引き受けさせられたうえ、修理費を値切ろうとされたので、機嫌が悪いのだ。しかもジェイドは子ども嫌い。

「まぁまぁ。もう今くらいなら学校に残ってる子どももいないよ」

 ウィルは苦笑しながらジェイドを振り返る。ジェイドも世間でいう結婚適齢期というやつにそろそろ入るのだろうが、いまだに子ども嫌いだ。

「そうであることを願うぜ」

 ジェイドは肩をすくめて、また前を見据えた。

 ウィルはそんなジェイドを斜め後ろからすこし見上げながら、ふと笑みをこぼす。

 おやじさんは若いウィルたちふたりだけで仕事に出すのをためらったようだが、ウィルにしてみれば振って沸いた幸運だ。ふだん、気さくな先輩たちに囲まれながら仕事をするのも楽しいが、ジェイドとふたりで歩くのはまたちがう。

 今日じゃなきゃいやだ!と駄々をこねた、服屋のおかみさんに礼を言いたい気分だ。おかみさんの我侭のせいで、他の面子はみな服屋の施工にかかりきりになってしまい、あまりおかみさんに重要視されていないウィルとジェイドだけがふたりで出てこれたのだから。

「なんでジェイドは子ども嫌いなんだろうなぁ」

 ウィルがぽつんと呟くと、ウィルの視線よりも少し高いところでジェイドが唇をとがらせた。

「しょうがねぇじゃん、なんかあの、意味不明な生き物なのがダメなんだよ」

「あそ。よくジェイド、ぼくのこと大丈夫だったね」

 ふたりの家は近所で、母親同士も仲がいいはずだから、先に生まれていたジェイドはウィルの世話をしていたはずだったが。

「自分も子どもだった時はよかったんだよ」

「そりゃあジェイドにも子ども時代があったんだよなぁ」

「なんだよお前、その目」

「いいえー別になんでもー?」

 ジェイドの子ども時代なんて自分もさらに子どもだったから、少し背の高い彼を見上げて追いかけていたことしか記憶にないが。しかも今もジェイドのほうがいくらか長身だが。

 考えれば、今の自分よりも小さい彼だっていたわけで。

 うわムカツク、と舌打ちしながらデコピンしてくるジェイドに、腹にパンチをお見舞いすることで反撃しながら、ウィルは小さいジェイドを妄想しながら面白い気分になっていた。

「お前は妹いるから子ども好きになんのかな」

「どうだろう? そんなにメイも小さいってわけじゃないけどね」

 メイは今年からパン屋の売り子として働いている。

「だよな。メイ、俺たちより先に大人になるだろうしな」

 そこのパン屋の次男坊と仲良くやっているというもっぱらの噂で、しかも長男は首都へ科学者になる勉強をしに行っているから、嫁入りももうすぐじゃないかと近所でささやかれている。

「――ぼくらは一生大人にならないよね、きっと」

 きっと、という言葉を付け足してしまったのは、約束が永遠でないことを既に知ってしまった大人だから。だがジェイドはすぐに気づいて言った。

「きっと、じゃなく絶対、だけどな」

 絶対を言うなら、日付が欲しい。

 せめてウィルが生まれ日を教わったように、日付を買いたい。だがそんなことが、出生でも婚姻でもないのに許されるわけもないのだろう。

 徐々に上り始める眩しい日差しに、ふと、今日は何の月の何日なんだろう、と考えてはいけないことを考えてしまい、頭を振って取り消した。


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