僕の何でもない過去(2)
僕は何と言いますか、中の下みたいな生活を送っていた。
幼い頃から何か大きな賞賛を浴びせられるような手柄を立てたわけでもなく。
だからといって、不足の事態や悪事をしでかすようなトラブルメーカーだったわけでもない。
喧嘩して、殴り合って、その後に肩を抱き合うような青春には出会ったことがなかった。
学校に一度でも通った人ならば解ると思うけれども、『運動、勉強、笑い』のどれか一つでも取り柄が無いと、自然と空気になりえるような環境だった。
でも空気ってまだ役に立つから良いよね。二酸化炭素とか言われ始めたら最悪だね。
毎日が虚空……とまではいかないけれど、僕の日常は青春なのに灰色であったように思う。
このまま高校生活も終わりかなぁと思いかけていた時だった。
「ねぇねぇ、牧場くんて何してる人?」
唐突に訳のわからない質問をする女子がいた。
「高校生活してる人」
「あはは何それっ、面白ー」
席替えで近くなった席の女の子だった。右から三、前から二番目である僕の席の後ろに位置する子。確か名前は工藤明日香。
女子同士で話しているのを見かけたことが幾度となくあるが、笑顔が多く、人なつっこい感じの人だったと思う。
白と紺のよくあるうちの学生服に身を包み、首もとまで伸びた少しだけ茶色がかった頭髪。
容姿は……可愛い。あんまり特徴のない顔立ちだけれど、少なくとも女子にあまり免疫のない僕が長時間話していると直ちに惚れてしまうくらいのレベル。
「質問が悪かったね。休みの日に何してるのかなーって思って」
「暇人に対して休みの日に何してるんですかっていう質問は、ある意味では拷問に近い質問だと僕は思うよ」
そう僕が言ってやると彼女はまた「えーなんでー」と大きく笑った。嫌みのない小動物のような笑顔だ。
「じゃあ、暇人なんだね、牧場くんて」
「うん。その通りだけど。面と向かって言われるとなんだかグサッとくるね」
小、中学生までは実は野球をしていた僕だが、高校まで来てやめてしまった。
すると一気に土日が手持ちぶさたになってしまった僕は休日の使い方に苦難した。
とりあえず今言えることは、ゲーム最高。
「うん、私もゲームとかするよ。クラッ○ュバンディクーとか全面クリアできるよ」
「マジで!?」
なんとなしに出したゲーム話題だったけれど、意外なことに彼女は乗ってくれた。女の子ってコアなところでマニアックだったりするよね。
そんな何でもないきっかけで始まり、僕は工藤さんと話すことが多くなった。
男子ってのは単純なもので。仲の良い女の子が出来ると日々の生活に張りが出た。
眠いだけでしかなかった起床もすんなりとこなせるようになったし、あまり好きじゃなかった勉強も頑張ってみようという気になった。
あれから僕は彼女とメール交換したりするようになり、日常の細かな出来事なんかを話したりするようになった。
単なるクラスメイトだとしか思っていなかった僕は段々と、彼女に惹かれていった。
大変です。彼女とデートすることになりました。
メールで週末はお互いに暇だねという話をしていた最中に起きた出来事だった。
女の子とデートするのが初めてだったという僕は、普段読まないようなファッション雑誌を開いたりして服装どうこうにも気を遣った。(ミヨにダメだしを食らったりもした)
迎えた当日、工藤さんはベージュのブラウスにチェックのブリーツスカートというとても可愛らしい服装をしていた。
僕はというとブルーのジーンズに上は白地のTシャツ。上から黒いジャケットを羽織るだけというシンプルな格好にした。ミヨがあんまり主張しない方が格好良いよ! と豪語していたのを参考に取り入れた結果だ。
こういうのは男がリードするものだろうと思っていた僕はなんとか工藤さんを楽しませようと頑張ってみたのだけど、初めてのデートでそううまくいくはずもなく。結果としてはただ街中をぶらぶらするというなんだか残念な結果に終わった。それでも工藤さんはとても楽しそうに見えた。僕ももちろん楽しかった。
「私、牧場くんのこと好きかも」
ある日、思いもよらない言葉が彼女の口から出た。正確にはメールの内容だけど。
そ、それは何を求めてるんでせうか? と、脳内に問い掛けたが答えは見つからない。当時の混乱ぶりといったらない。
この異常事態、僕は周りに相談という名の助けを求めた結果、『男なら突き進め!』 という結論になった。
うん、なんていうか、僕の中でも思っていることは一つだったのだ。
純粋に彼女が好きでした。好きになるとその人の全てが好き、とはよく言った物だ。もっと仲良くなりたいし、色んなところに行きたい。そんな想いに駆られるようになっていた。
僕は彼女を放課後屋上に呼び出し、決意と覚悟を持って告白した。
彼女の返事は“ごめんなさい”だった。……あれ?
「あっはは! あいつマジでコクったんだ!」
次の日、教室に行くと嫌な空気が僕の身を包んだ。
皆の視線が、僕に向けられている。しかし、その視線はとても歓迎できるような類の物ではなく、まるで動物園に持ち込まれた珍獣を流し見るような、そんなモノだった。
女子達はくすくすと笑いながら僕にちらちらと目を向けるし、男子達も集団でげらげらと笑っていた。
その笑いの対象が僕であるということは、確かめる必要も無かった。
「……」
僕が辺りを見回した先に、工藤さんがいた。
騒がしそうなギャル風の女子達に囲まれて、申し訳なさそうな顔をしていた。
僕はこの状況が何なのかを理解しようと頭を動かそうとしたけど、上手く動いてくれなかった。
するとそんな僕を前に、一人の女子が歩いてきて言い放つ。
「お疲れー。あ、何が何だか解ってないだろうけど、これってアレなんだ。そ、罰ゲームってヤツ。ぎゃはは! やっべー、笑い止まんねぇ!」
「え――」
「ごめんねー、怒んないでね? ちょっとした出来心で始めた遊びなワケ。良い夢見られたっしょ?」
もう一人のよく知らない女子がフォローするように加わった。テンションの高い女子独特の声色が僕の耳を覆う。……遊び? 何が?
「あ、変に思われるとあれだから言っとくけど、アスカはまるでお前のこと好きじゃないから。そこは誤解すんなよな」
目前の女子は吐き捨てるように言い放った。
いや、この状況で考えられるのって、そう多くは無いじゃないか。
要は、あれだろう? 僕って、なんか騙されたってことなんだろう? 女子達のちょっとキツーい、お遊びに。
つまり、工藤さんは別に、僕のことなんて大して好きじゃなかったっていう。別にどうでもよかったっていう。眼中に無かったって、いう。
でも、はは、なんか、その、認めたくない、や。
その後、先生がやってきたことをきっかけに教室は静まりかえったが、氾濫する川の水のように行き場を無くした僕の心はざわついたままだった。
あの日々は、全部まがい物だったのか。元々僕は、彼女と釣り合うような人じゃなかったのか。僕は自分で自分のことを中の下くらいじゃないかなぁとか評価していたわけだけど、本当は下の下だったのだろうか。
そう思うと絶望的に、悲しくなった。
「……むかつくわね、その女」
クレアたんは僕の話を聞き終えると、非常に面白くないという顔をした。
目はまるで魔物を狩る前のように怖く、今までに感じたことのない負の怒気を含んでいた。
「そいつ、どこに居るの? あたしが文句言ってきてやるわ」
「い、いいよクレアたん。別にそんなことしなくて」
「そういう人の良心を踏みにじるような輩は大嫌いなのよ、あたしは」
知っていた。クレアたんは芯の部分ではとことん正義の心を持った女の子である。強くて、勇ましい。
クレアたんは明らかに不機嫌になっていた。
「そうだよね、君は、弱い物虐めとか、そういうのが、大嫌いな子だもんね。よく知ってるよ。だって……だから……僕は、君が、好きになったんだもん……」
「タイゾー……」
「お兄ちゃん……」
なんかよく見るとミヨまでが涙目みたいになっていた。む、悲しませるつもりは無かったんだけど。傷つくのは僕だけでいいというのに、なぁ。こんなんではお兄ちゃん失格だな。
そんなわけで僕は真実が不確かである三次元よりも、始めから裏切られていると解っている二次元に重点を置くようになった。甘い? ま、いいじゃん。
僕は二次元だけで、生きていくのさ。