第7話「暴かれた『真実の愛』」
王都の社交界は、恋より噂で回っている。
恋は当人同士が燃やせば終わるが、噂は燃え移って街を焼く。だから私は、恋愛劇を“商品”として扱う。値札を付け、需要を見極め、最高値で叩き売る。
――そして今日は、叩き売りの日だった。
「お嬢様、本当にやるんですか……」
乳母が震える声で言う。私の部屋の机の上には、封筒が三つ並んでいた。ひとつは香水の匂いがする薄い紙。ひとつは安物の紙だが封蝋が丁寧。ひとつは、役所の印章が押された堅い書類。
「やるに決まってるでしょう」
「でも相手は王子ですよ……! しかも聖女様……!」
「“様”はいらないわ。聖女(笑)で十分」
私は封筒のひとつを開け、中身を指で弾いた。
中には、私が雇った噂屋が書き起こした“行動記録”が入っている。王子がいつ、どこへ行き、誰と会い、どんな護衛が付いていたか。聖女(笑)が寄付という名の金集めをしていた回数と、集めた額と、行き先。――そして二人が、どれだけ頻繁に“祈り”を捧げ合っているか。
祈り。そう、彼らはそう呼ぶのだろう。真実の愛のための祈り。密室で、夜更けに。
私は口角を上げた。
「恋は自由よ。でもね、婚約者がいるなら、自由には“税金”がかかるの」
「税金……」
「慰謝料っていう税金」
乳母は頭を抱えた。私は椅子から立ち上がり、外套を羽織る。今日は社交界最大の舞台、王宮主催の慈善晩餐会。聖女(笑)が主役として壇上に立ち、寄付金を集める日だ。
そして王子が、彼女の隣に立って“真実の愛”を美談に仕立てる日。
「……台本通りにしてあげる。私がね」
廊下の影が動いた。カシアンが、無言で外套を手に取り、私の後ろに立つ。最近の彼は、影の演技が上手い。存在を消しているのに、視線だけは相手の喉に触れるように鋭い。
「準備できた?」
「いつでも」
「じゃあ行きましょう。今日はあなたの剣じゃなく、私の金が血を流す日よ」
「……血は出ないだろ」
「出るわ。誇りの血がね」
馬車の中で、私は最後の確認をした。
証拠は三段構えだ。一つ目は“現場”。二つ目は“裏付け”。三つ目は“逃げ道を塞ぐ契約”。
社交界の人間は、真実そのものより“真実っぽさ”に弱い。だから現場を見せる。だが現場だけでは逃げる。だから裏付けを用意する。裏付けがあっても、権力で潰される。だから契約で縛る。
悪女の三点セット。
王宮に到着すると、黄金の灯りが私たちを迎えた。音楽、香水、宝石、笑い声。上流の空気は甘い。甘いぶんだけ腐りやすい。
私が姿を見せた瞬間、空気が一瞬だけ止まった。
「モンテスキュー嬢……?」
「最近、羽振りがいいらしいわよ」
「人質の少年を連れ歩いてるって……」
「怖い……目が合うと噛まれそう」
囁きが波のように広がる。私は笑って会釈する。無害な笑み。礼儀正しい悪女の仮面。
背後のカシアンは、何も言わない。ただ立つだけで、空気を冷やす。それで十分だ。
会場の中央、壇上近くに、白い光が集まっていた。
聖女(笑)がいる。淡い金髪、清純なドレス、慈悲の微笑み。周囲の貴族たちは彼女を見上げ、涙ぐみ、財布の紐を緩めている。
その隣に、エリック王子。
彼は完璧な笑みを作り、彼女の手を取り、まるで王国の未来そのものを掲げるように見せていた。
――吐き気がするほど、綺麗な絵だ。
私は会場の端にある小さな控室へ向かった。表の喧騒とは違い、ここは静かだ。控室の扉の前には、私が“金で雇った”宮廷の下働きが一人立っている。
「準備は?」
「はい、モンテスキュー様。今、ちょうど……」
私は扉の鍵を受け取り、中へ入った。カシアンも続く。薄暗い室内。カーテンの隙間から、隣の小部屋が見える。そこは“祈りの間”として用意された、聖女(笑)専用の休憩室。
そして今、その部屋に――二人の影が揺れていた。
王子と聖女(笑)だ。
近い。息が触れる距離。声が漏れる。
「……エリック様、皆の前では、あんなに私を見つめて」
「当然だ。君は光だ。イザベラのような女とは違う」
私の名前が出た瞬間、私は笑いそうになった。
(出た。比較でしか愛を語れない男)
聖女(笑)が甘えるように言う。
「でも……婚約者の立場が……」
「婚約は形式だ。いずれ破棄する。あの女は金に汚い。今は利用価値があるだけだ」
利用価値。そう。彼はそれを口にした。ならこちらも“利用価値”で返してあげる。
私はカシアンに視線を送った。カシアンの瞳が細くなる。今にも扉を蹴破りそうな殺気。
私は指を唇に当て、無言で止める。
――まだ。
私は懐から小さな紙を取り出し、下働きに渡した。
「合図よ。今」
下働きが頷き、廊下へ走る。数十秒後、会場側がざわついた。音楽が乱れ、足音が増える。貴族たちが“何か”を嗅ぎつけた時の、あの群れの音。
扉の向こうで、王子が苛立った声を出す。
「……何だ、騒がしい」
「誰か来ます……」
ちょうどいい。
私は控室の扉を開け、堂々と廊下へ出た。そこには、貴族夫人たちと役人、そして――王宮の儀礼官が集まっていた。全員、私が金と噂で“集めた観客”だ。
儀礼官が眉をひそめる。
「モンテスキュー嬢、これはどういう――」
「慈善晩餐会の趣旨に反する不正があると聞きました。確認したいだけですわ」
「不正?」
「ええ。寄付金の扱いと、“聖女”の清廉さについて」
夫人たちが息を呑む。好奇心が膨らむ。噂が喉の奥で踊る。
私はカーテンの前に立ち、声を張り上げた。
「聖女様。お祈りのお時間は大切でしょうけれど、寄付をしてくださった皆様への説明も必要ではなくて?」
沈黙。
次の瞬間、隣室の扉が勢いよく開いた。
聖女(笑)が顔を真っ赤にして飛び出してくる。その後ろから、外套を慌てて整える王子が現れた。
――現場、一丁上がり。
夫人たちの目が光る。儀礼官が凍る。役人が顔色を変える。
王子が叫んだ。
「イザベラ! 君は何を――!」
「何って、確認よ。殿下」
私は穏やかに微笑んだ。
「今のは“祈り”ですの? それとも、寄付者が知らない別の儀式?」
聖女(笑)が泣きそうな声を出す。
「違います……! 誤解です……!」
「誤解? じゃあ説明して。なぜ二人きりで鍵をかけていたの?」
夫人の一人が、扇で口元を隠しながら囁く。
「鍵……」
王子の顔が歪む。ここで怒鳴れば負け。黙れば認めたことになる。逃げ道がない。
だから私は、二つ目を出す。
「それから、寄付金の件」
私は封筒を開け、儀礼官の前に書類を差し出した。役所の印章が押された、正式な記録。聖女(笑)が主導した寄付金が、どこへ送られたか。孤児院? 教会? いいえ――その一部が、彼女の実家の商会へ流れ、さらに王子派の資金へ迂回している。
慈善の名を借りた政治資金。
儀礼官の顔が青くなる。
「……これは……」
「寄付者の善意を、選挙……いえ、派閥の財布に入れるのは、慈善ではなく横領ですわ」
聖女(笑)が悲鳴を上げる。
「そんな……! 私はただ、皆のために……!」
「皆のために、お金があなたの家へ行くの?」
「……っ」
夫人たちの視線が冷える。慈善に金を出すのは気持ちいい。だが騙されるのは許せない。上流階級の怒りは、刃物より怖い。
王子が歯を食いしばり、私を睨んだ。
「君は……いつから、こんな卑劣な真似を」
「卑劣? 違うわ。清算よ」
私は一歩前へ出た。
「殿下。あなたは私を“利用価値”と呼んだ。なら私も、あなたを利用する。対等でしょう?」
王子の目が見開かれる。言葉が詰まる。隣の聖女(笑)は震え、泣き崩れそうになっている。
私はそこで、三つ目を出した。
「婚約破棄の書類、用意してあります」
私は別の封筒を取り出し、王子の前に置いた。儀礼官にも見えるように。婚約破棄の正式書面。慰謝料、賠償、そして守秘義務の条項。
王子が睨む。
「慰謝料だと……!? 君が要求する立場か!」
「ええ。婚約者の不貞。しかも公共の場での信用失墜。私の名誉は安くないの」
私は指を立てた。
「慰謝料は金貨三千枚相当。モンテスキュー家への“名誉回復金”。加えて、あなたが昨日まで提示していた支援金――それも上乗せ」
「ふざけるな!」
「ふざけてないわ。計算してるの」
私は笑みを崩さず、さらに続ける。
「払わないなら、今夜の出来事と寄付金の流れを“王都の掲示板”に貼り出す。寄付者の皆様にも、名前付きで説明する。……それに、あなたが今まで口にした“私の利用価値”という発言も」
王子の顔が硬直した。
貴族の命は、剣ではなく信用で刺さる。王子なら尚更だ。しかも彼は“正義の王子”を演じている。そこが崩れれば、彼を支える派閥も崩れる。
儀礼官が低い声で言った。
「殿下……これは……」
「黙れ!」
王子は怒鳴りかけ、しかし会場の視線を思い出して口を閉じた。体面。体面だけが彼を縛る。
私は優しく畳みかける。
「殿下。あなたがここで署名すれば、私は“婚約破棄は円満に成立した”と発表する。寄付金の件も、あなたが関与していない形で処理してあげる」
つまり、私は救いの手も差し出している。悪女は、相手が最も欲しい“逃げ道”を売る。
王子の拳が震えた。
聖女(笑)が縋りつくように言う。
「エリック様……お願い……私のせいで……」
「黙れ!」
王子が振り払う。その瞬間、夫人たちの目がさらに冷たくなる。真実の愛のはずが、責任転嫁が始まった。
私は内心で拍手した。
(いい。勝手に破滅していく)
王子は書類を睨みつけ、最後に私を睨んだ。
「……君は、本当に金が好きだな」
「ええ。金は裏切らない。あなたと違って」
沈黙が落ちる。
そして、王子は――震える手で署名した。
ペン先が紙を掠める音が、やけに大きく聞こえた。聖女(笑)が泣き崩れる。夫人たちは満足げに息を吐く。儀礼官は頭を抱える。
婚約破棄。成立。
私は受け取った書類を丁寧に封筒へ戻し、微笑んだ。
「ありがとうございます、殿下。これで私たちは綺麗に別れられます」
「……イザベラ」
王子が低く言う。
「君は、いつか報いを受けるぞ」
「受けたわ。処刑台でね。だから二度目は、報いを“利子付きで回収”するの」
王子が何か言い返そうとしたが、言葉は出なかった。彼にはもう、正義の言葉しか武器がない。そして今、その正義は崩れている。
私は踵を返した。
廊下の奥で、カシアンが静かに待っていた。さっきから一言も発していない。だが、目はずっと王子を刺していた。
私が近づくと、カシアンが低く言った。
「……殺さなくてよかったのか」
「殺す価値もないわ。端金で買える男だもの」
「端金……」
「そう。私が今日買ったのは、自由と金と――」
私は封筒を軽く揺らした。
「慰謝料よ」
カシアンの目が僅かに揺れる。驚きではなく、理解だ。金で人が動くことを、彼はもう学び始めている。
馬車に乗り込むと、王宮の灯りが遠ざかった。背後で、晩餐会のざわめきが大きくなる。噂が飛び立つ音がする。明日の王都はこの話で満たされるだろう。
私は窓の外を見ながら、小さく息を吐いた。
「これで、王子の首輪は外れた」
「……嬉しいのか」
「嬉しい? 当然よ。私はもう、誰の“形式”にも縛られない」
カシアンが少しだけ黙ってから言った。
「……あいつが、お前を“利用価値”と言った時」
「ええ」
「俺は……噛みつきたくなった」
「噛みつかなかったのは偉いわ。今日は私の仕事だから」
私は彼の膝の上に、封筒の一つを置いた。金貨三千枚相当の支払い証文。これが入れば、モンテスキュー家は完全に立て直せる。鉱山の利益と合わせれば、私の資産は跳ね上がる。
「覚えておきなさい。恋愛スキャンダルは、最高の配当を生む」
「……最低だな」
「最低で最高よ。人は綺麗事で動くふりをして、汚れたものに一番反応する」
私は笑った。
「そして私は、その反応を買い叩く」
馬車の中で、カシアンが封筒を見つめている。彼の手が、僅かに握られる。怒りか、欲か、あるいは――独占欲か。
私は視線を上げ、彼を見た。
「何?」
「……お前は、誰にも買われないのか」
「買われないわよ」
「……俺にも?」
「あなたが王になって、私より高い値段を払えるなら」
私はわざと軽く言った。
「その時は考えてあげる」
カシアンの呼吸が、一瞬だけ乱れた。目が熱を帯びる。獣が餌を見た時の目ではない。自分のものにしたいものを見つけた目だ。
私は満足した。
(いい。欲しがりなさい)
欲は、王を作る。
屋敷に戻ると、乳母が玄関で待っていた。目が赤い。心配で眠れなかったのだろう。
私は封筒をひらひらと揺らした。
「終わったわ」
「……お嬢様」
「慰謝料、取った」
「……本当に……」
乳母が崩れ落ちそうになる。私は彼女の肩を軽く叩いた。
「これで借金も整理できる。屋敷も立て直す。人も雇う。鉱山の警備も増やす」
「……国に目をつけられますよ」
「ええ。だから面白いの」
私は廊下の影を見た。カシアンがいつも通り立っている。だが今日の影は少しだけ違う。熱を持っている。
私は微笑み、心の中で次の手を数えた。
王子は失墜する。聖女(笑)は“慈善”の仮面が剥がれる。王宮は火消しに走る。世論は揺れる。金は動く。権力が焦る。
――国難が近づく。
そしてその国難さえ、私は買い叩く。
封筒を机に置き、私はペンを取った。帳簿の新しいページに書く。
――投資回収:婚約(破棄)。
――配当:金貨三千枚相当+自由。
――副産物:王子派弱体化、聖女信用崩壊。
そして最後に、付け足した。
――次の市場:王国そのもの。
扉の外で、カシアンが低く言った気がした。
「……誰にも渡さない」
聞こえたふりはしない。まだ早い。だけど、私は笑ってしまった。
悪女の投資は順調だ。
あとは、国難に値札を付けるだけ。




