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処刑台で笑った悪女は、10年前に戻って「推し」に全財産を賭けることにした ~没落予定の貧乏貴族ですが、未来知識で婚約破棄も国難も買い叩きます~  作者: 綾瀬蒼
第2章「国の値段」

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第8話「愛の重さは金で測れない」

浄化工房は、地図の上では“空白”だった。


帝都の外れ。古い魔導炉跡地のさらに奥。街道から外れ、森の影に隠れ、近づく者は「事故が多い」「呪いが出る」という噂で追い返される。噂は柵になる。柵は安く作れる。だから悪党は噂が好きだ。


夜。私たちは灯りを落とした馬車で森の縁まで行き、そこから歩いた。私兵は最小限。多ければ目立つ。目立てば相手が値を釣り上げる。私は高い買い物が嫌いだ。


「王妃殿下、警備が二重です」

情報官が囁く。

「正面は聖環院の私兵。裏は……修道服を着た者たちです」

「聖職者が武装?」

「ええ。祈りの手で槍を持っています」


祈りは手を汚さないための言い訳だ。だから祈りの手ほど汚い。


木々の隙間から、工房の灯りが見えた。大きな建物ではない。倉庫のような外観。だが屋根の上に伸びる煙突が二本、煙を吐いている。炉が動いている証拠だ。


私は鼻を鳴らした。


(魔導炉の匂い)


鉄と油と魔石の匂い。これは護符でも祈祷具でもない。生産だ。何を生産している? 答えは簡単だ。


呪いの鎖。


「中にいるのは?」

「印持ちが集められています。数は……三百以上」

情報官の声が僅かに震えた。


三百。子どもも混じるだろう。リオのような腕の回路を刻まれた者たち。恐怖で追い込まれ、救済の顔をした収容所に吸い込まれた者たち。


私は扇を閉じ、口の中で言葉を整えた。


怒りは熱になる。熱は判断を鈍らせる。私は市場で勝つために冷たい女でいると決めた。


「証拠を取る。次に、炉を止める。最後に、資金の流れを切る」

「救出は?」

情報官が問う。


私は一瞬だけ迷った。救出は必要だ。だが救出だけを先にすれば、聖環院は別の場所で同じ工房を作る。核を潰さないと、救出は繰り返しになる。


「救出もする。だけど順番を間違えない」

私は言った。

「順番?」

「炉が止まってから。今助けたら、彼らは“余った材料”として殺される」


情報官が息を呑む。理解した者は黙る。私はその沈黙を、良い返事として受け取った。


裏手へ回る。警備が薄い。薄いところは値札が低い。低いところを突く。投資の基本だ。


買収した修道服の男が一人、裏扉の鍵を持っていた。恐怖で震えながら鍵を差し出す。


「……私は罪を……」

「罪は祈っても消えない。帳簿で消える」

私は冷たく言い、鍵を受け取った。


扉が開く。熱気が漏れる。中は暗い。だが炉の灯りが赤く揺れ、壁に影を踊らせている。


私たちは息を殺して入った。


廊下の先から、金属が擦れる音がする。鎖の音。人の呻き。水の落ちる音。


そして、甘い香の匂い。気づけ薬の匂いだ。意識を鈍らせるための香。労働をさせるための香。


私は舌を鳴らした。


(効率化までしてる)


奥の作業場に辿り着いた時、私は拳を握りそうになった。目の前にあったのは、机ではなく“台”だった。腕を固定するための台。皮膚に回路を転写するための型。魔石の粉末。油紙。焼き鏝。


印は、こうして作られている。


台の横には、柵の中に押し込められた人間がいた。やせ細った男、泣いている子ども、虚ろな目の女。腕には包帯。包帯の下に回路がある。


「次」


白い布を被った女が命じる。布の女だ。広場で見たものと同じ。声が澄んでいて、慣れている。


その横で、修道服の男が帳簿を持っていた。人を番号で呼び、回路を刻み、終わった者を奥へ送る。


奥――煙突へ繋がる炉の間へ。


私はそこで、決定的なものを見た。


炉の間の床に、黒い水が流れている。魔石の粉と血が混ざったような濃い液体。あれは燃料だ。魔導炉は魔石だけで動くが、効率を上げるには“人の魔力”が必要になる。古い禁忌の技術だ。


(人を燃やしてる)


怒りが喉まで来た。私は咽せそうになるのを噛み殺し、情報官へ合図した。


――記録。


書記が震える手で写しを取る。これが武器だ。これが首だ。


その時だった。


背後で、木が軋む音がした。


誰かが踏んだ。こちらの私兵ではない。足音が一つ多い。


情報官が振り向くより早く、私の耳に声が落ちた。


「よく来たわね、王妃殿下」


女の声。


白い布ではない。はっきりとした声。笑みを含んだ声。


私はゆっくり振り返った。


そこにいたのは、修道服を着た女だった。年は三十前後。肌は白く、髪は黒く、瞳は金色がかっている。聖環院の幹部だ。いや、それ以上。


彼女は私に向かって礼をした。礼儀正しい礼。だからこそ気味が悪い。


「初めまして。私は“聖環院の会計監督”――クラウディア」


会計監督。


宗教の顔をした金融屋が、自分の役職を隠さない。つまり、この場が自分の勝ちだと確信している。


「歓迎のつもり?」

私は声を平らにした。

「ええ。あなたが来るのを待っていたのよ。だって、あなたは帳簿が好きでしょう?」


クラウディアが指を鳴らす。


すると、壁際の影から私兵が現れた。数が違う。十、二十、三十。出口が塞がれていく。私たちの退路が削られる。


情報官が息を呑む。


「……罠」

「そう。あなたは賢い。でも賢さは予測できる」


クラウディアは微笑んだ。


「工房を叩けば神託が止まる。そう考えた。正しいわ。だから私は、工房を餌にした」


私は扇を握り直した。


「餌にした割に、随分と見せたいものを見せてくれたわね」

「見せたいのよ。あなたに」


クラウディアが一歩近づく。


「あなたは理解が早い。私の商売の価値を理解できる。だから交渉ができる」


交渉。


この女は、私を殺す気ではない。殺すならもっと簡単だ。毒でも矢でもいい。だが交渉と言った。


つまり――買いたいのだ。


「何が欲しいの」

私が問うと、クラウディアは嬉しそうに言った。


「あなた」


空気が一瞬、止まる。


背後の私兵がざわつく。情報官が口を開きかける。だが私は動かない。動けば相手の思う壺だ。


「私を?」

「ええ。あなたは優秀。帝国の財政を立て直し、国債で聖環院に首輪を付けた。感心した。だから――あなたを欲しい」


私は笑った。


「随分と率直ね」

「宗教は率直が強いの。信徒は嘘が嫌いだから」


クラウディアは指先で、私の胸元――王妃の印章がある位置を示した。


「あなたは“王妃買い取り契約”で皇帝に買われた。契約は法。法は神にも等しい。なら、その契約を利用できる」


嫌な予感が背筋を走った。


「どう利用するの」

「簡単よ。皇帝にこう迫るの」


クラウディアは甘い声で言った。


「王妃を返せ。返さねば、呪いを帝都に解き放つ。印持ちを燃やし、事故を増やし、信徒を暴れさせ、皇帝を“呪われた征服王”に仕立てる」


私の喉が冷える。


この女は帝国を燃やせる。炉がある。材料がいる。噂の網がある。金の流れがある。信徒の群れがいる。全部揃っている。


私は笑いを消し、低く言った。


「あなた、帝国を壊す気?」

「壊さない。再編するの」

クラウディアは肩をすくめる。

「帝国も王国も、今は最安値。焼け野原の方が、買い叩きやすい」


私は息を吐いた。


(同類だ)


この女は、私と同じ言葉を使う。市場。最安値。買い叩く。だから危険だ。言葉が通じる相手ほど、手が出にくい。相手は私のやり方を先回りする。


クラウディアが囁く。


「あなたなら分かるでしょう? 呪いは商品。印は値札。恐怖は利息。これ以上に回転率のいい市場はない」

「市場は嫌いじゃない」

私は言った。

「でも、燃やす市場は嫌い。焼け跡は臭いが残る」

「臭いは慣れるわ」

「私は慣れない」


クラウディアの瞳が細くなる。笑みが少しだけ鋭くなった。


「なら交渉しましょう。あなたがここで私の部下になる。そうすれば工房の者たちは生かす。印持ちも“燃料”ではなく“労働”に変える。あなたが管理すれば、効率はもっと上がる」

「人を数字でしか見ないのね」

「あなたも同じでしょう」

「違うわ」


私は自分でも意外なくらい強く言っていた。


クラウディアが首を傾げる。


「何が違うの」

「私は――選ぶ」


言った瞬間、私は自分の胸の奥に触れた気がした。


私は確かに人を材料として見てきた。契約で縛り、値札を付け、投資対象として扱ってきた。だが、選んできたのは“数字”だけじゃない。マリアを拾った。リオを守った。難民を契約で繋いだ。


守る理由を作りたかった。


それは、私の中のどこかが、焼け野原を嫌がっているからだ。


クラウディアが笑った。


「綺麗事ね。王妃らしくなったじゃない」

「王妃らしくないのが売りよ」


私は扇を閉じ、静かに言った。


「あなたの提案は断る」

「断る?」


クラウディアの声が冷える。


「では、あなたをここで――」

「殺す?」

私は先に言った。

「それは安い。あなたは安い選択をしない」


クラウディアの唇が僅かに上がった。


「鋭い。じゃあ、こうしましょう。あなたを人質にする。皇帝が引き換えに何を差し出すか見せてもらう」

「皇帝は差し出さない」

「差し出すわ。王妃は“買った財産”だもの。財産を失えば信用が落ちる」

「信用?」

「そう。皇帝が王妃を守れないなら、帝国は守れない。市場がそう判断する。だから差し出す」


私の指先が冷たくなる。


(この女、私を“契約”で殺しに来てる)


王妃買い取り契約。私はあれを、自由を守る鎖として使ってきた。だが鎖は、引っ張る者が変われば首を絞める。


その時、工房の外で爆音がした。


扉が砕ける音。叫び声。金属の衝突。短い悲鳴。


クラウディアの顔が一瞬だけ歪む。


「……何?」

私の胸が跳ねた。


(来た)


情報官が震える声で言う。


「外で戦闘です。正規兵ではない……でも、動きが――」


次の瞬間、工房の天井近くの小窓が割れた。冷たい夜風が流れ込む。その風に混じって、血の匂いがした。


そして、低い声。


「イザベラ」


その呼び方は一人しかいない。


クラウディアが振り向くより早く、影が落ちた。


黒い外套。鎧。泥。血。剣。


カシアンだ。


本来、彼は国境にいるはずだった。限定戦の指揮を執っているはずだった。なのに、ここにいる。


彼は着地すると同時に、工房の私兵を二人、無音で沈めた。剣は抜く。抜いたら終わりだと分かっていながら、抜いている。ここは市場ではない。ここは彼の“禁忌”だ。


私の側に立つと、彼は私を一度だけ見た。


目が赤い。怒りが燃えている。


「……約束を破ったな」

「私は前線に出てない」

「帝都の裏の前線だ」


彼の視線がクラウディアへ向く。殺意が言葉より先に出る。


クラウディアが微笑んだ。


「皇帝陛下。噂通りね。王妃を大事にしている」

「黙れ」

「交渉しましょう。王妃を返せば――」

「返さない」

「帝都を燃やすわよ。呪いで。事故で。信徒で」


クラウディアが腕を広げる。炉の間が赤く光る。まるで自分の支配を見せつけるみたいに。


カシアンは一歩も引かない。


「燃やせ」

「……え?」

「燃やすなら燃やせ。俺は止める」

「止められると思って?」

「止める」


その断言は、私の心臓を強く打った。契約じゃない。市場でもない。意思だ。


クラウディアが眉を寄せる。


「皇帝は合理的だと思っていたのに。帝国が燃えれば、あなたの王座は――」

「王座はいらない」

「……は?」

「俺が欲しいのは、これだ」


カシアンは私の手を掴んだ。熱い。強い。握り潰すみたいに強いのに、痛くない。


「俺の王妃だ」


工房の空気が凍る。私兵がざわつく。クラウディアの笑みが初めて揺れる。


私は息を止めた。


(この人、王座を捨てるって言った)


征服王が、王座より私を選ぶと言った。市場の理屈ではありえない。ありえないけれど、言葉は真実だった。目がそう言っていた。


クラウディアが低く笑った。


「なるほど。あなたは“金で測れない”方を選ぶのね」

カシアンが言う。

「選ぶのは俺だ」

「じゃあ、王妃はどうなの?」


クラウディアの視線が私に刺さる。


「王妃殿下。あなたも選びなさい。皇帝を守るなら私の側。帝国を守るなら私の側。人を救うなら、効率を上げなさい。あなたは数字が好きでしょう?」

「……」


私の喉が乾く。


選べと言われるのは嫌いだ。選べと言われる時、選択肢は罠だから。


でも、今は逃げられない。


私はカシアンの手を握り返した。強く。


「私は――帝国を守る」

クラウディアが微笑む。

「なら私の側へ」

「違う」


私は扇を開き、静かに言った。


「帝国を守るために、あなたを潰す」


クラウディアの笑みが消える。


「潰す? どうやって」

「市場で」

私は言った。

「あなたは神託を売り、呪いを売り、恐怖を売った。なら、私は“真実”を売る。証拠を掲示板に貼り、口座を凍結し、信徒の怒りをあなたに向ける」


クラウディアが冷笑する。


「信徒は真実で動かない」

「動くわ。真実そのものじゃない。真実に付いた“値札”で動くの」


私は情報官に合図した。写しの束。帳簿。口座名。人の移送記録。炉の燃料記録。全部、すでに袋に入っている。証拠があるなら勝てる。


「聖環院の資金は国債で縛ってある。逃げ道は限られてる。逃げ道を塞げば、あなたはここで自分の工房ごと燃える」


クラウディアの目が細くなる。


「あなた、私と同じだと思っていたのに」

「同じじゃない」

私は言い切った。

「私は焼け野原が嫌い。あなたは焼け野原が好き。そこが違う」


クラウディアが息を吐き、突然手を叩いた。


炉の間の奥から、修道服の男が一人、子どもを引きずって出てきた。腕に包帯。小さな体が震えている。顔が見えた。


リオだった。


「……っ!」


私の喉が詰まる。カシアンの手が強くなる。


クラウディアが淡々と言った。


「なら、これを燃やすわ。あなたの嫌いな焼け野原の前に、あなたの好きな資産を燃やす」

「やめて」

私は低く言った。

「やめなさい」

「条件は一つ。王妃がここに残ること」

「……」

「残れば子どもは生かす。残らなければ燃やす」


クラウディアの声は優しい。優しい声で人を殺す者ほど、救いようがない。


カシアンの殺意が跳ねる。


「殺す」

「殺したら燃える」

クラウディアが笑う。

「皇帝陛下、あなたは速い。でも炉はあなたより速い。燃えるのは、子どもの方」


カシアンが動けない。獣が鎖で止まる瞬間を、私は初めて見た。彼の鎖は命令じゃない。私だ。


私は一歩前へ出た。


「クラウディア」

「なに」

「交渉しましょう」

「やっと折れた?」

「折れない。値札を付けるの」


私は扇を閉じ、言葉を落とした。


「あなたが今欲しいのは、私の身柄じゃない。時間でしょう。工房を移し、口座を逃がし、王国の浄化王に王冠を渡して混乱を続けるための時間」

クラウディアの目が僅かに動く。

「……続けて」

「時間を買う代わりに、あなたは“今夜の燃焼”を止める。リオを放す。印持ちを殺さない。ここで血を流さない」


クラウディアが笑う。

「時間を買う? 何で払うの」

「私の信用」

私は言った。

「私は明日まで、聖環院の件を公表しない。その代わり、あなたはリオを放し、工房の人間を生かす。明日になったら私は全部貼り出す。あなたは逃げる準備ができる。私は証拠を確実に広める準備ができる」


クラウディアが目を細める。


「あなた、私を逃がすの?」

「逃がすんじゃない。追い込み方を選ぶの。今ここで乱戦になれば、工房は燃える。証拠も燃える。人も燃える。私はそれが嫌い」


クラウディアが少しだけ黙った。損得を計算している顔だ。私と同じ顔。嫌になる。


「……いいわ」

クラウディアは言った。

「あなたの信用を買う。明日まで公表しない。代わりに子どもは放す。今夜は燃やさない」


修道服の男がリオを突き飛ばした。リオが床に転ぶ。私は駆け寄り、抱き起こす。軽い。骨みたいに軽い。


「大丈夫?」

リオが震える声で言った。

「……王妃、さま……」

「喋らなくていい」


私はリオを情報官に渡し、囁いた。


「外へ。医療班へ。絶対に離さないで」

「はい」


クラウディアがこちらを見て笑う。


「王妃殿下。あなた、やっぱり優しいのね」

「優しくない」

私は言い返す。

「私は損を避けてるだけ」

「でも、皇帝陛下は?」

クラウディアがカシアンを見る。

「あなたも損を避けているの? それとも――」


カシアンが低い声で答えた。


「選んだ」


その一言で、私の胸の奥が痛くなった。熱い痛み。金にならない痛み。


私たちは撤退した。戦うのは明日だ。今夜は燃やさせない。燃やさせなければ勝てる。


工房を出て森へ入った瞬間、カシアンが私の腕を掴んで壁――木の幹へ押しつけた。強い。乱暴ではない。だが逃がさない。


「……何をした」

「交渉」

「なぜ一日待つ」

「乱戦になれば燃える。証拠も人も」

「お前が残ると言った時、俺は――」


カシアンの声が震えていた。怒りではない。恐怖だ。彼が恐怖を言葉にするのは珍しい。珍しいから、胸が締まる。


「俺はまた、失うと思った」


私は息を吐いた。喉が痛い。


「失わせない」

「信用を売るな」

「売るわ。私は売れるものを売る」

「お前自身を売るな」

「……」


私は言葉を探した。だが市場の言葉は、今の彼には刺さらない。


だから私は、別の言葉を選んだ。


「売らない」

私は言った。

「あなたのために、売らない」


カシアンの目が揺れた。怒りが少しだけ溶け、別の熱が混じる。


「……今のは、契約か」

「契約じゃない」

「なら何だ」

「選択よ」


私は彼の胸の鎧に指先を置いた。冷たいはずの鉄が、彼の体温で温かい。


「私も選んだ。あなたを失うのは嫌」

「……それは」

「金で測れない」


言い切った瞬間、私は自分で驚いた。


私がこんな言葉を口にするなんて。私はずっと、金と契約で世界を測ってきたのに。


でも、胸の奥は嘘をつけない。嘘をつくと、次の一手が鈍る。鈍れば負ける。


カシアンは私の額に自分の額を当てた。呼吸が近い。


「明日、俺が全部燃やす前に止めろ」

「止めるわ」

「止められなければ」

「その時はあなたが止める」

「……分かった」


彼は私を離した。離したのに、手はまだ近い。いつでも掴める距離。守る距離。


森を抜け、馬車へ戻る道の途中で、私は空を見上げた。


遠くの空が赤い。国境の狼煙だ。王国は崩れている。浄化王は王冠を掲げるだろう。クラウディアは逃げ道を作るだろう。


明日が勝負だ。


私は扇を閉じ、心の中で数字ではないものを握った。


金で測れない重さが、確かにここにある。


だから私は、負けない。


負けたら――この重さを失う。

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