第8話「愛の重さは金で測れない」
浄化工房は、地図の上では“空白”だった。
帝都の外れ。古い魔導炉跡地のさらに奥。街道から外れ、森の影に隠れ、近づく者は「事故が多い」「呪いが出る」という噂で追い返される。噂は柵になる。柵は安く作れる。だから悪党は噂が好きだ。
夜。私たちは灯りを落とした馬車で森の縁まで行き、そこから歩いた。私兵は最小限。多ければ目立つ。目立てば相手が値を釣り上げる。私は高い買い物が嫌いだ。
「王妃殿下、警備が二重です」
情報官が囁く。
「正面は聖環院の私兵。裏は……修道服を着た者たちです」
「聖職者が武装?」
「ええ。祈りの手で槍を持っています」
祈りは手を汚さないための言い訳だ。だから祈りの手ほど汚い。
木々の隙間から、工房の灯りが見えた。大きな建物ではない。倉庫のような外観。だが屋根の上に伸びる煙突が二本、煙を吐いている。炉が動いている証拠だ。
私は鼻を鳴らした。
(魔導炉の匂い)
鉄と油と魔石の匂い。これは護符でも祈祷具でもない。生産だ。何を生産している? 答えは簡単だ。
呪いの鎖。
「中にいるのは?」
「印持ちが集められています。数は……三百以上」
情報官の声が僅かに震えた。
三百。子どもも混じるだろう。リオのような腕の回路を刻まれた者たち。恐怖で追い込まれ、救済の顔をした収容所に吸い込まれた者たち。
私は扇を閉じ、口の中で言葉を整えた。
怒りは熱になる。熱は判断を鈍らせる。私は市場で勝つために冷たい女でいると決めた。
「証拠を取る。次に、炉を止める。最後に、資金の流れを切る」
「救出は?」
情報官が問う。
私は一瞬だけ迷った。救出は必要だ。だが救出だけを先にすれば、聖環院は別の場所で同じ工房を作る。核を潰さないと、救出は繰り返しになる。
「救出もする。だけど順番を間違えない」
私は言った。
「順番?」
「炉が止まってから。今助けたら、彼らは“余った材料”として殺される」
情報官が息を呑む。理解した者は黙る。私はその沈黙を、良い返事として受け取った。
裏手へ回る。警備が薄い。薄いところは値札が低い。低いところを突く。投資の基本だ。
買収した修道服の男が一人、裏扉の鍵を持っていた。恐怖で震えながら鍵を差し出す。
「……私は罪を……」
「罪は祈っても消えない。帳簿で消える」
私は冷たく言い、鍵を受け取った。
扉が開く。熱気が漏れる。中は暗い。だが炉の灯りが赤く揺れ、壁に影を踊らせている。
私たちは息を殺して入った。
廊下の先から、金属が擦れる音がする。鎖の音。人の呻き。水の落ちる音。
そして、甘い香の匂い。気づけ薬の匂いだ。意識を鈍らせるための香。労働をさせるための香。
私は舌を鳴らした。
(効率化までしてる)
奥の作業場に辿り着いた時、私は拳を握りそうになった。目の前にあったのは、机ではなく“台”だった。腕を固定するための台。皮膚に回路を転写するための型。魔石の粉末。油紙。焼き鏝。
印は、こうして作られている。
台の横には、柵の中に押し込められた人間がいた。やせ細った男、泣いている子ども、虚ろな目の女。腕には包帯。包帯の下に回路がある。
「次」
白い布を被った女が命じる。布の女だ。広場で見たものと同じ。声が澄んでいて、慣れている。
その横で、修道服の男が帳簿を持っていた。人を番号で呼び、回路を刻み、終わった者を奥へ送る。
奥――煙突へ繋がる炉の間へ。
私はそこで、決定的なものを見た。
炉の間の床に、黒い水が流れている。魔石の粉と血が混ざったような濃い液体。あれは燃料だ。魔導炉は魔石だけで動くが、効率を上げるには“人の魔力”が必要になる。古い禁忌の技術だ。
(人を燃やしてる)
怒りが喉まで来た。私は咽せそうになるのを噛み殺し、情報官へ合図した。
――記録。
書記が震える手で写しを取る。これが武器だ。これが首だ。
その時だった。
背後で、木が軋む音がした。
誰かが踏んだ。こちらの私兵ではない。足音が一つ多い。
情報官が振り向くより早く、私の耳に声が落ちた。
「よく来たわね、王妃殿下」
女の声。
白い布ではない。はっきりとした声。笑みを含んだ声。
私はゆっくり振り返った。
そこにいたのは、修道服を着た女だった。年は三十前後。肌は白く、髪は黒く、瞳は金色がかっている。聖環院の幹部だ。いや、それ以上。
彼女は私に向かって礼をした。礼儀正しい礼。だからこそ気味が悪い。
「初めまして。私は“聖環院の会計監督”――クラウディア」
会計監督。
宗教の顔をした金融屋が、自分の役職を隠さない。つまり、この場が自分の勝ちだと確信している。
「歓迎のつもり?」
私は声を平らにした。
「ええ。あなたが来るのを待っていたのよ。だって、あなたは帳簿が好きでしょう?」
クラウディアが指を鳴らす。
すると、壁際の影から私兵が現れた。数が違う。十、二十、三十。出口が塞がれていく。私たちの退路が削られる。
情報官が息を呑む。
「……罠」
「そう。あなたは賢い。でも賢さは予測できる」
クラウディアは微笑んだ。
「工房を叩けば神託が止まる。そう考えた。正しいわ。だから私は、工房を餌にした」
私は扇を握り直した。
「餌にした割に、随分と見せたいものを見せてくれたわね」
「見せたいのよ。あなたに」
クラウディアが一歩近づく。
「あなたは理解が早い。私の商売の価値を理解できる。だから交渉ができる」
交渉。
この女は、私を殺す気ではない。殺すならもっと簡単だ。毒でも矢でもいい。だが交渉と言った。
つまり――買いたいのだ。
「何が欲しいの」
私が問うと、クラウディアは嬉しそうに言った。
「あなた」
空気が一瞬、止まる。
背後の私兵がざわつく。情報官が口を開きかける。だが私は動かない。動けば相手の思う壺だ。
「私を?」
「ええ。あなたは優秀。帝国の財政を立て直し、国債で聖環院に首輪を付けた。感心した。だから――あなたを欲しい」
私は笑った。
「随分と率直ね」
「宗教は率直が強いの。信徒は嘘が嫌いだから」
クラウディアは指先で、私の胸元――王妃の印章がある位置を示した。
「あなたは“王妃買い取り契約”で皇帝に買われた。契約は法。法は神にも等しい。なら、その契約を利用できる」
嫌な予感が背筋を走った。
「どう利用するの」
「簡単よ。皇帝にこう迫るの」
クラウディアは甘い声で言った。
「王妃を返せ。返さねば、呪いを帝都に解き放つ。印持ちを燃やし、事故を増やし、信徒を暴れさせ、皇帝を“呪われた征服王”に仕立てる」
私の喉が冷える。
この女は帝国を燃やせる。炉がある。材料がいる。噂の網がある。金の流れがある。信徒の群れがいる。全部揃っている。
私は笑いを消し、低く言った。
「あなた、帝国を壊す気?」
「壊さない。再編するの」
クラウディアは肩をすくめる。
「帝国も王国も、今は最安値。焼け野原の方が、買い叩きやすい」
私は息を吐いた。
(同類だ)
この女は、私と同じ言葉を使う。市場。最安値。買い叩く。だから危険だ。言葉が通じる相手ほど、手が出にくい。相手は私のやり方を先回りする。
クラウディアが囁く。
「あなたなら分かるでしょう? 呪いは商品。印は値札。恐怖は利息。これ以上に回転率のいい市場はない」
「市場は嫌いじゃない」
私は言った。
「でも、燃やす市場は嫌い。焼け跡は臭いが残る」
「臭いは慣れるわ」
「私は慣れない」
クラウディアの瞳が細くなる。笑みが少しだけ鋭くなった。
「なら交渉しましょう。あなたがここで私の部下になる。そうすれば工房の者たちは生かす。印持ちも“燃料”ではなく“労働”に変える。あなたが管理すれば、効率はもっと上がる」
「人を数字でしか見ないのね」
「あなたも同じでしょう」
「違うわ」
私は自分でも意外なくらい強く言っていた。
クラウディアが首を傾げる。
「何が違うの」
「私は――選ぶ」
言った瞬間、私は自分の胸の奥に触れた気がした。
私は確かに人を材料として見てきた。契約で縛り、値札を付け、投資対象として扱ってきた。だが、選んできたのは“数字”だけじゃない。マリアを拾った。リオを守った。難民を契約で繋いだ。
守る理由を作りたかった。
それは、私の中のどこかが、焼け野原を嫌がっているからだ。
クラウディアが笑った。
「綺麗事ね。王妃らしくなったじゃない」
「王妃らしくないのが売りよ」
私は扇を閉じ、静かに言った。
「あなたの提案は断る」
「断る?」
クラウディアの声が冷える。
「では、あなたをここで――」
「殺す?」
私は先に言った。
「それは安い。あなたは安い選択をしない」
クラウディアの唇が僅かに上がった。
「鋭い。じゃあ、こうしましょう。あなたを人質にする。皇帝が引き換えに何を差し出すか見せてもらう」
「皇帝は差し出さない」
「差し出すわ。王妃は“買った財産”だもの。財産を失えば信用が落ちる」
「信用?」
「そう。皇帝が王妃を守れないなら、帝国は守れない。市場がそう判断する。だから差し出す」
私の指先が冷たくなる。
(この女、私を“契約”で殺しに来てる)
王妃買い取り契約。私はあれを、自由を守る鎖として使ってきた。だが鎖は、引っ張る者が変われば首を絞める。
その時、工房の外で爆音がした。
扉が砕ける音。叫び声。金属の衝突。短い悲鳴。
クラウディアの顔が一瞬だけ歪む。
「……何?」
私の胸が跳ねた。
(来た)
情報官が震える声で言う。
「外で戦闘です。正規兵ではない……でも、動きが――」
次の瞬間、工房の天井近くの小窓が割れた。冷たい夜風が流れ込む。その風に混じって、血の匂いがした。
そして、低い声。
「イザベラ」
その呼び方は一人しかいない。
クラウディアが振り向くより早く、影が落ちた。
黒い外套。鎧。泥。血。剣。
カシアンだ。
本来、彼は国境にいるはずだった。限定戦の指揮を執っているはずだった。なのに、ここにいる。
彼は着地すると同時に、工房の私兵を二人、無音で沈めた。剣は抜く。抜いたら終わりだと分かっていながら、抜いている。ここは市場ではない。ここは彼の“禁忌”だ。
私の側に立つと、彼は私を一度だけ見た。
目が赤い。怒りが燃えている。
「……約束を破ったな」
「私は前線に出てない」
「帝都の裏の前線だ」
彼の視線がクラウディアへ向く。殺意が言葉より先に出る。
クラウディアが微笑んだ。
「皇帝陛下。噂通りね。王妃を大事にしている」
「黙れ」
「交渉しましょう。王妃を返せば――」
「返さない」
「帝都を燃やすわよ。呪いで。事故で。信徒で」
クラウディアが腕を広げる。炉の間が赤く光る。まるで自分の支配を見せつけるみたいに。
カシアンは一歩も引かない。
「燃やせ」
「……え?」
「燃やすなら燃やせ。俺は止める」
「止められると思って?」
「止める」
その断言は、私の心臓を強く打った。契約じゃない。市場でもない。意思だ。
クラウディアが眉を寄せる。
「皇帝は合理的だと思っていたのに。帝国が燃えれば、あなたの王座は――」
「王座はいらない」
「……は?」
「俺が欲しいのは、これだ」
カシアンは私の手を掴んだ。熱い。強い。握り潰すみたいに強いのに、痛くない。
「俺の王妃だ」
工房の空気が凍る。私兵がざわつく。クラウディアの笑みが初めて揺れる。
私は息を止めた。
(この人、王座を捨てるって言った)
征服王が、王座より私を選ぶと言った。市場の理屈ではありえない。ありえないけれど、言葉は真実だった。目がそう言っていた。
クラウディアが低く笑った。
「なるほど。あなたは“金で測れない”方を選ぶのね」
カシアンが言う。
「選ぶのは俺だ」
「じゃあ、王妃はどうなの?」
クラウディアの視線が私に刺さる。
「王妃殿下。あなたも選びなさい。皇帝を守るなら私の側。帝国を守るなら私の側。人を救うなら、効率を上げなさい。あなたは数字が好きでしょう?」
「……」
私の喉が乾く。
選べと言われるのは嫌いだ。選べと言われる時、選択肢は罠だから。
でも、今は逃げられない。
私はカシアンの手を握り返した。強く。
「私は――帝国を守る」
クラウディアが微笑む。
「なら私の側へ」
「違う」
私は扇を開き、静かに言った。
「帝国を守るために、あなたを潰す」
クラウディアの笑みが消える。
「潰す? どうやって」
「市場で」
私は言った。
「あなたは神託を売り、呪いを売り、恐怖を売った。なら、私は“真実”を売る。証拠を掲示板に貼り、口座を凍結し、信徒の怒りをあなたに向ける」
クラウディアが冷笑する。
「信徒は真実で動かない」
「動くわ。真実そのものじゃない。真実に付いた“値札”で動くの」
私は情報官に合図した。写しの束。帳簿。口座名。人の移送記録。炉の燃料記録。全部、すでに袋に入っている。証拠があるなら勝てる。
「聖環院の資金は国債で縛ってある。逃げ道は限られてる。逃げ道を塞げば、あなたはここで自分の工房ごと燃える」
クラウディアの目が細くなる。
「あなた、私と同じだと思っていたのに」
「同じじゃない」
私は言い切った。
「私は焼け野原が嫌い。あなたは焼け野原が好き。そこが違う」
クラウディアが息を吐き、突然手を叩いた。
炉の間の奥から、修道服の男が一人、子どもを引きずって出てきた。腕に包帯。小さな体が震えている。顔が見えた。
リオだった。
「……っ!」
私の喉が詰まる。カシアンの手が強くなる。
クラウディアが淡々と言った。
「なら、これを燃やすわ。あなたの嫌いな焼け野原の前に、あなたの好きな資産を燃やす」
「やめて」
私は低く言った。
「やめなさい」
「条件は一つ。王妃がここに残ること」
「……」
「残れば子どもは生かす。残らなければ燃やす」
クラウディアの声は優しい。優しい声で人を殺す者ほど、救いようがない。
カシアンの殺意が跳ねる。
「殺す」
「殺したら燃える」
クラウディアが笑う。
「皇帝陛下、あなたは速い。でも炉はあなたより速い。燃えるのは、子どもの方」
カシアンが動けない。獣が鎖で止まる瞬間を、私は初めて見た。彼の鎖は命令じゃない。私だ。
私は一歩前へ出た。
「クラウディア」
「なに」
「交渉しましょう」
「やっと折れた?」
「折れない。値札を付けるの」
私は扇を閉じ、言葉を落とした。
「あなたが今欲しいのは、私の身柄じゃない。時間でしょう。工房を移し、口座を逃がし、王国の浄化王に王冠を渡して混乱を続けるための時間」
クラウディアの目が僅かに動く。
「……続けて」
「時間を買う代わりに、あなたは“今夜の燃焼”を止める。リオを放す。印持ちを殺さない。ここで血を流さない」
クラウディアが笑う。
「時間を買う? 何で払うの」
「私の信用」
私は言った。
「私は明日まで、聖環院の件を公表しない。その代わり、あなたはリオを放し、工房の人間を生かす。明日になったら私は全部貼り出す。あなたは逃げる準備ができる。私は証拠を確実に広める準備ができる」
クラウディアが目を細める。
「あなた、私を逃がすの?」
「逃がすんじゃない。追い込み方を選ぶの。今ここで乱戦になれば、工房は燃える。証拠も燃える。人も燃える。私はそれが嫌い」
クラウディアが少しだけ黙った。損得を計算している顔だ。私と同じ顔。嫌になる。
「……いいわ」
クラウディアは言った。
「あなたの信用を買う。明日まで公表しない。代わりに子どもは放す。今夜は燃やさない」
修道服の男がリオを突き飛ばした。リオが床に転ぶ。私は駆け寄り、抱き起こす。軽い。骨みたいに軽い。
「大丈夫?」
リオが震える声で言った。
「……王妃、さま……」
「喋らなくていい」
私はリオを情報官に渡し、囁いた。
「外へ。医療班へ。絶対に離さないで」
「はい」
クラウディアがこちらを見て笑う。
「王妃殿下。あなた、やっぱり優しいのね」
「優しくない」
私は言い返す。
「私は損を避けてるだけ」
「でも、皇帝陛下は?」
クラウディアがカシアンを見る。
「あなたも損を避けているの? それとも――」
カシアンが低い声で答えた。
「選んだ」
その一言で、私の胸の奥が痛くなった。熱い痛み。金にならない痛み。
私たちは撤退した。戦うのは明日だ。今夜は燃やさせない。燃やさせなければ勝てる。
工房を出て森へ入った瞬間、カシアンが私の腕を掴んで壁――木の幹へ押しつけた。強い。乱暴ではない。だが逃がさない。
「……何をした」
「交渉」
「なぜ一日待つ」
「乱戦になれば燃える。証拠も人も」
「お前が残ると言った時、俺は――」
カシアンの声が震えていた。怒りではない。恐怖だ。彼が恐怖を言葉にするのは珍しい。珍しいから、胸が締まる。
「俺はまた、失うと思った」
私は息を吐いた。喉が痛い。
「失わせない」
「信用を売るな」
「売るわ。私は売れるものを売る」
「お前自身を売るな」
「……」
私は言葉を探した。だが市場の言葉は、今の彼には刺さらない。
だから私は、別の言葉を選んだ。
「売らない」
私は言った。
「あなたのために、売らない」
カシアンの目が揺れた。怒りが少しだけ溶け、別の熱が混じる。
「……今のは、契約か」
「契約じゃない」
「なら何だ」
「選択よ」
私は彼の胸の鎧に指先を置いた。冷たいはずの鉄が、彼の体温で温かい。
「私も選んだ。あなたを失うのは嫌」
「……それは」
「金で測れない」
言い切った瞬間、私は自分で驚いた。
私がこんな言葉を口にするなんて。私はずっと、金と契約で世界を測ってきたのに。
でも、胸の奥は嘘をつけない。嘘をつくと、次の一手が鈍る。鈍れば負ける。
カシアンは私の額に自分の額を当てた。呼吸が近い。
「明日、俺が全部燃やす前に止めろ」
「止めるわ」
「止められなければ」
「その時はあなたが止める」
「……分かった」
彼は私を離した。離したのに、手はまだ近い。いつでも掴める距離。守る距離。
森を抜け、馬車へ戻る道の途中で、私は空を見上げた。
遠くの空が赤い。国境の狼煙だ。王国は崩れている。浄化王は王冠を掲げるだろう。クラウディアは逃げ道を作るだろう。
明日が勝負だ。
私は扇を閉じ、心の中で数字ではないものを握った。
金で測れない重さが、確かにここにある。
だから私は、負けない。
負けたら――この重さを失う。




