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処刑台で笑った悪女は、10年前に戻って「推し」に全財産を賭けることにした ~没落予定の貧乏貴族ですが、未来知識で婚約破棄も国難も買い叩きます~  作者: 綾瀬蒼
第2章「国の値段」

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第7話「王国崩壊と、最安値の王冠」

魔導炉跡地は、帝都の外れにあった。


かつて帝国が誇った巨大な炉。いまは黒い骨になり、錆びた鉄骨が空へ突き刺さっている。周囲の土地は安く、近づく者も少ない。事故が多いという噂があるからだ。


事故。


そんな便利な言葉で片づけられているだけで、実際は誰かが燃やしている。


「王妃殿下。偵察はここまでが限界です」

情報官が囁いた。

「限界を伸ばしなさい」

「……中は警備が多すぎます。正規兵ではありません。私兵です」

「私兵がいるなら、金がある。金があるなら、理由がある」


私は外套のフードを深く被り、鉄骨の影へ身を滑らせた。同行は最小限。情報官と私兵数名、そして――マリア。


彼女は止めてもついてきた。包帯を巻いた肩はまだ痛むはずなのに、目が死んでいない。帳簿係の執念は、戦よりしぶとい。


「あなた、無理しなくていい」

私が言うと、マリアは短く返した。

「無理しないと、帳簿は掴めません」

「……いい子」


私たちは鉄骨の隙間から中を覗いた。


そこには、仮設の柵があり、粗末な小屋が並び、槍を持った私兵が巡回していた。まるで収容所だ。人を集めている。しかも外からでは分かりにくい位置に。


私の胸の奥が冷たくなる。


(印持ちをここへ集めてる)


あの契約書に書かれていた“指定施設”。治療と引き換えの労働。嘘。これは治療ではない。搾取だ。


「中に人影があります」

情報官が言った。

「どれくらい」

「百……いえ、もっと。柵の奥にも小屋があります」

「……増えてるわね」


王国からの難民は増えている。印持ちは排除され、行き場を失い、誰かが用意した“救済”へ流れ込む。救済の顔をした罠へ。


私は唇を噛んだ。怒りが湧く。だが怒りで突っ込めば負ける。ここは市場だ。市場では冷たい者が勝つ。


「証拠が必要」

私は低く言った。

「中へ入る」

情報官が青くなる。

「王妃殿下、それは――」

「私が入るんじゃない。入るのは財布よ」

「……財布?」

「買収したい人間を探す。警備の中に必ずいる。金で動く者が」


私は目を凝らし、巡回している私兵を観察した。姿勢が硬い者、緩い者。目が鋭い者、泳ぐ者。貧しい装備の者、妙に良い装備の者。


そして――角の詰所に立つ男。周囲より装備が良く、指輪が光っている。私兵なのに、商人の匂いがする。


「あれ」

私が顎で示すと、情報官が頷いた。

「詰所の隊長格です。ディセルの元手下との情報があります」

「よし。買う」


私たちは風下から近づき、詰所の陰へ滑り込んだ。情報官が短い合図を出す。私兵が裏口から入り、男を押さえた。口を塞ぎ、刃は見せない。刃は高い。脅しは安い。


私は男の前にしゃがみ込み、囁いた。


「あなた、金が好きでしょう」

男の目が揺れる。

「……誰だ」

「王妃よ」

男の瞳孔が開く。恐怖。だが恐怖だけではない。欲だ。王妃に弱みを握られれば、逆に高く売れると思っている目。


「……何が望みだ」

「中の記録。誰を入れて、どこへ送ってる」

男が唾を飲む。

「……俺が言えば、殺される」

「殺されないように買う。値段を言って」

男が笑った。汚い笑みだ。

「……金貨千枚」

「安い」

男が顔を上げる。

「は?」

「命の値段としては安い。だけど情報の値段としては高い」


私は指を一本立てた。


「金貨百枚。代わりに、帝都で新しい身分を与える。別の名。別の仕事。生きたいならそれで十分」

男が歯を食いしばる。

「……足りない」

「なら死ねばいい」


冷たく言うと、男の顔が歪んだ。交渉では、選択肢を二つに絞るのが早い。生か、死か。すると人は“妥協”を選ぶ。


「……分かった。記録は詰所の床下だ」

「鍵は」

「この首飾りの中に……」


男が震える手で首の鎖を示す。情報官がそれを奪い、私へ渡す。


「いい子。契約成立」


私は立ち上がり、詰所の床板を外させた。中から出てきたのは帳簿。人名、印の有無、到着日、そして移送先。


移送先の欄に、同じ文字が何度も書かれていた。


――“聖環院付属・浄化工房”。


工房。


浄化。


吐き気がするほど綺麗な言葉だ。汚いことほど綺麗な言葉を纏う。


私は帳簿を閉じ、情報官へ命じた。


「写しを取る。全部」

「はい」

「それから、工房の場所を割り出す」

「……おそらく帝都の外。ですが、聖環院の私兵が守って――」

「守ってるなら、守られてる価値がある。そこが核よ」


その瞬間、遠くで狼煙が上がった。帝都の方向ではない。国境の方向だ。戦場からの合図。カシアンが動いている。


私は胸の奥で、嫌な予感が膨らむのを感じた。市場が動く時、連動する。帝都と国境は繋がっている。財布の流れは、血の流れと同じだ。


馬車に戻る途中、伝令が駆け込んできた。息が切れている。


「王妃殿下! 急報です! 王国が――」

「崩れた?」

「……はい。王都が落ちました。旧王子派残党が王宮を制圧。王国の新体制は瓦解。各地で略奪が――」


私は目を閉じた。


(最安値が来た)


国が崩れる瞬間は、残酷だ。人が死ぬ。家が燃える。秩序が消える。だが同時に、あらゆる資産が叩き売りになる。土地、鉱区、港、官僚機構、王冠そのもの。


そしてそれを最初に拾った者が、新しい秩序になる。


「カシアンは?」

私は即座に問う。

「陛下は北部港湾を制圧。王国側の補給路を断ち、略奪部隊を押し返しています」

「よし」

「しかし……旧王子派が、王冠を掲げました」

「王冠?」

「新しい王を立てたと。神託により選ばれた“浄化王”だと宣言しています」


浄化王。


聖環院の匂いが濃くなる。宗教の仮面を被った金融屋が、王冠を商品にした。王冠は最も高い象徴だ。象徴は人を動かす。人が動けば、金が動く。金が動けば、戦が動く。


私は舌を鳴らした。


「王冠の在処は?」

伝令が迷いながら言う。

「……王国南部の大聖堂です。聖環院の分院が管理する」

「やっぱりね」


核は、そこにもある。帝国側の工房。王国側の大聖堂。両方が繋がっている。つまり、聖環院は帝国と王国の両方を燃やして利益を取るつもりだ。


私は馬車の中で、地図を広げた。王国南部。大聖堂。港湾。補給路。難民の流れ。聖環院の工房の候補地。


線が一本に収束する。


私はマリアを見る。


「王冠の価値は?」

マリアが即答する。

「象徴価値は計算不能。でも、官僚機構と徴税権を付ければ……年収は莫大です」

「年収じゃない。今の価値」

マリアが唇を噛む。

「……崩壊中なら、最安値です。護衛も弱い。混乱で市場が閉じている」

「市場が閉じてるなら、私が開く」


私は扇を閉じ、決めた。


「王冠を買う」

情報官が息を呑む。

「王妃殿下、王冠は金で買えるものでは――」

「買えるわ。今ならね。混乱は値下げの神様よ」


私はペンを取り、書状を書き始めた。宛先は二つ。


ひとつは、国境のカシアン。


――王国南部の大聖堂に“浄化王”の王冠。聖環院が管理。王冠を押さえれば王国は買える。だが、軍は動かしすぎないで。限定戦のまま、補給路を握って。


もうひとつは、帝都の外務官。


――王国の各地領主へ“融資と保護”の提案。条件は港湾使用権、鉱区、徴税権の担保差し出し。返せなければ帝国の保護下。印章と契約書を準備。使える官僚を買い取れ。


書き終えて封蝋を押す。赤い封蝋。帝国の印。私の名前が、王国の市場に貼り付く。


「王妃殿下……」

情報官が恐る恐る言う。

「あなたは本当に、王国を買う気ですね」

「ええ。崩れた王国は、誰かが拾う。なら私が拾う。拾い方は契約で」

「……残酷です」

「残酷なのは、拾わないことよ」


私は窓の外の難民の列を思い出す。怯えた目。泣き声。印を理由に殴られた子ども。マリアの肩の血。リオの腕の回路。


秩序が崩れれば、弱者は必ず踏まれる。踏む者を“神託”が正当化する。


だから私は、神託より先に契約を置く。契約は弱者を守らない。だが、守る理由を作る。守る理由があれば、守られる者は増える。


それが私のやり方だ。


馬車が帝都へ戻る途中、別の伝令が駆け込んできた。今度は帝国側の伝令。顔が青い。


「王妃殿下! 宮廷が……動揺しています! 貴族たちが“王妃排除”を――」

「今さら?」

「聖環院の神託が帝都に流れました。『王妃が呪いを集め、皇帝を呪縛し、帝国を戦に導いた』と……信徒が暴れています」


私は目を細める。


(王国が崩れる時、帝国も崩そうとする。二国同時に燃やす気ね)


情報官が言う。

「王妃殿下、帝都へ戻るのは危険です。護衛を増やすべきです」

「増やさない」

「なぜ」

「増やしたら、私は“怖がっている”と見える。怖がっている者の値札は下がる」

「……では」

「代わりに、買う」


私は静かに笑った。


「帝都の信徒の怒りを買い叩く。貴族の不満を買い叩く。聖環院の神託を買い叩く」

マリアが呟く。

「どうやって……?」

「簡単。神託の“供給元”を止める」


私は帳簿の頁をめくり、指を止めた。


――聖環院付属・浄化工房。


そこが核だ。そこを潰せば、帝都の神託は止まる。王国の浄化王も、値札を失う。王冠はただの金属になる。


私は馬車の揺れの中で、決めた。


「今夜、工房を叩く」


国が崩れる瞬間は、最安値だ。


最安値は、最も危険だ。


だからこそ、買い叩く価値がある。

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