第7話「王国崩壊と、最安値の王冠」
魔導炉跡地は、帝都の外れにあった。
かつて帝国が誇った巨大な炉。いまは黒い骨になり、錆びた鉄骨が空へ突き刺さっている。周囲の土地は安く、近づく者も少ない。事故が多いという噂があるからだ。
事故。
そんな便利な言葉で片づけられているだけで、実際は誰かが燃やしている。
「王妃殿下。偵察はここまでが限界です」
情報官が囁いた。
「限界を伸ばしなさい」
「……中は警備が多すぎます。正規兵ではありません。私兵です」
「私兵がいるなら、金がある。金があるなら、理由がある」
私は外套のフードを深く被り、鉄骨の影へ身を滑らせた。同行は最小限。情報官と私兵数名、そして――マリア。
彼女は止めてもついてきた。包帯を巻いた肩はまだ痛むはずなのに、目が死んでいない。帳簿係の執念は、戦よりしぶとい。
「あなた、無理しなくていい」
私が言うと、マリアは短く返した。
「無理しないと、帳簿は掴めません」
「……いい子」
私たちは鉄骨の隙間から中を覗いた。
そこには、仮設の柵があり、粗末な小屋が並び、槍を持った私兵が巡回していた。まるで収容所だ。人を集めている。しかも外からでは分かりにくい位置に。
私の胸の奥が冷たくなる。
(印持ちをここへ集めてる)
あの契約書に書かれていた“指定施設”。治療と引き換えの労働。嘘。これは治療ではない。搾取だ。
「中に人影があります」
情報官が言った。
「どれくらい」
「百……いえ、もっと。柵の奥にも小屋があります」
「……増えてるわね」
王国からの難民は増えている。印持ちは排除され、行き場を失い、誰かが用意した“救済”へ流れ込む。救済の顔をした罠へ。
私は唇を噛んだ。怒りが湧く。だが怒りで突っ込めば負ける。ここは市場だ。市場では冷たい者が勝つ。
「証拠が必要」
私は低く言った。
「中へ入る」
情報官が青くなる。
「王妃殿下、それは――」
「私が入るんじゃない。入るのは財布よ」
「……財布?」
「買収したい人間を探す。警備の中に必ずいる。金で動く者が」
私は目を凝らし、巡回している私兵を観察した。姿勢が硬い者、緩い者。目が鋭い者、泳ぐ者。貧しい装備の者、妙に良い装備の者。
そして――角の詰所に立つ男。周囲より装備が良く、指輪が光っている。私兵なのに、商人の匂いがする。
「あれ」
私が顎で示すと、情報官が頷いた。
「詰所の隊長格です。ディセルの元手下との情報があります」
「よし。買う」
私たちは風下から近づき、詰所の陰へ滑り込んだ。情報官が短い合図を出す。私兵が裏口から入り、男を押さえた。口を塞ぎ、刃は見せない。刃は高い。脅しは安い。
私は男の前にしゃがみ込み、囁いた。
「あなた、金が好きでしょう」
男の目が揺れる。
「……誰だ」
「王妃よ」
男の瞳孔が開く。恐怖。だが恐怖だけではない。欲だ。王妃に弱みを握られれば、逆に高く売れると思っている目。
「……何が望みだ」
「中の記録。誰を入れて、どこへ送ってる」
男が唾を飲む。
「……俺が言えば、殺される」
「殺されないように買う。値段を言って」
男が笑った。汚い笑みだ。
「……金貨千枚」
「安い」
男が顔を上げる。
「は?」
「命の値段としては安い。だけど情報の値段としては高い」
私は指を一本立てた。
「金貨百枚。代わりに、帝都で新しい身分を与える。別の名。別の仕事。生きたいならそれで十分」
男が歯を食いしばる。
「……足りない」
「なら死ねばいい」
冷たく言うと、男の顔が歪んだ。交渉では、選択肢を二つに絞るのが早い。生か、死か。すると人は“妥協”を選ぶ。
「……分かった。記録は詰所の床下だ」
「鍵は」
「この首飾りの中に……」
男が震える手で首の鎖を示す。情報官がそれを奪い、私へ渡す。
「いい子。契約成立」
私は立ち上がり、詰所の床板を外させた。中から出てきたのは帳簿。人名、印の有無、到着日、そして移送先。
移送先の欄に、同じ文字が何度も書かれていた。
――“聖環院付属・浄化工房”。
工房。
浄化。
吐き気がするほど綺麗な言葉だ。汚いことほど綺麗な言葉を纏う。
私は帳簿を閉じ、情報官へ命じた。
「写しを取る。全部」
「はい」
「それから、工房の場所を割り出す」
「……おそらく帝都の外。ですが、聖環院の私兵が守って――」
「守ってるなら、守られてる価値がある。そこが核よ」
その瞬間、遠くで狼煙が上がった。帝都の方向ではない。国境の方向だ。戦場からの合図。カシアンが動いている。
私は胸の奥で、嫌な予感が膨らむのを感じた。市場が動く時、連動する。帝都と国境は繋がっている。財布の流れは、血の流れと同じだ。
馬車に戻る途中、伝令が駆け込んできた。息が切れている。
「王妃殿下! 急報です! 王国が――」
「崩れた?」
「……はい。王都が落ちました。旧王子派残党が王宮を制圧。王国の新体制は瓦解。各地で略奪が――」
私は目を閉じた。
(最安値が来た)
国が崩れる瞬間は、残酷だ。人が死ぬ。家が燃える。秩序が消える。だが同時に、あらゆる資産が叩き売りになる。土地、鉱区、港、官僚機構、王冠そのもの。
そしてそれを最初に拾った者が、新しい秩序になる。
「カシアンは?」
私は即座に問う。
「陛下は北部港湾を制圧。王国側の補給路を断ち、略奪部隊を押し返しています」
「よし」
「しかし……旧王子派が、王冠を掲げました」
「王冠?」
「新しい王を立てたと。神託により選ばれた“浄化王”だと宣言しています」
浄化王。
聖環院の匂いが濃くなる。宗教の仮面を被った金融屋が、王冠を商品にした。王冠は最も高い象徴だ。象徴は人を動かす。人が動けば、金が動く。金が動けば、戦が動く。
私は舌を鳴らした。
「王冠の在処は?」
伝令が迷いながら言う。
「……王国南部の大聖堂です。聖環院の分院が管理する」
「やっぱりね」
核は、そこにもある。帝国側の工房。王国側の大聖堂。両方が繋がっている。つまり、聖環院は帝国と王国の両方を燃やして利益を取るつもりだ。
私は馬車の中で、地図を広げた。王国南部。大聖堂。港湾。補給路。難民の流れ。聖環院の工房の候補地。
線が一本に収束する。
私はマリアを見る。
「王冠の価値は?」
マリアが即答する。
「象徴価値は計算不能。でも、官僚機構と徴税権を付ければ……年収は莫大です」
「年収じゃない。今の価値」
マリアが唇を噛む。
「……崩壊中なら、最安値です。護衛も弱い。混乱で市場が閉じている」
「市場が閉じてるなら、私が開く」
私は扇を閉じ、決めた。
「王冠を買う」
情報官が息を呑む。
「王妃殿下、王冠は金で買えるものでは――」
「買えるわ。今ならね。混乱は値下げの神様よ」
私はペンを取り、書状を書き始めた。宛先は二つ。
ひとつは、国境のカシアン。
――王国南部の大聖堂に“浄化王”の王冠。聖環院が管理。王冠を押さえれば王国は買える。だが、軍は動かしすぎないで。限定戦のまま、補給路を握って。
もうひとつは、帝都の外務官。
――王国の各地領主へ“融資と保護”の提案。条件は港湾使用権、鉱区、徴税権の担保差し出し。返せなければ帝国の保護下。印章と契約書を準備。使える官僚を買い取れ。
書き終えて封蝋を押す。赤い封蝋。帝国の印。私の名前が、王国の市場に貼り付く。
「王妃殿下……」
情報官が恐る恐る言う。
「あなたは本当に、王国を買う気ですね」
「ええ。崩れた王国は、誰かが拾う。なら私が拾う。拾い方は契約で」
「……残酷です」
「残酷なのは、拾わないことよ」
私は窓の外の難民の列を思い出す。怯えた目。泣き声。印を理由に殴られた子ども。マリアの肩の血。リオの腕の回路。
秩序が崩れれば、弱者は必ず踏まれる。踏む者を“神託”が正当化する。
だから私は、神託より先に契約を置く。契約は弱者を守らない。だが、守る理由を作る。守る理由があれば、守られる者は増える。
それが私のやり方だ。
馬車が帝都へ戻る途中、別の伝令が駆け込んできた。今度は帝国側の伝令。顔が青い。
「王妃殿下! 宮廷が……動揺しています! 貴族たちが“王妃排除”を――」
「今さら?」
「聖環院の神託が帝都に流れました。『王妃が呪いを集め、皇帝を呪縛し、帝国を戦に導いた』と……信徒が暴れています」
私は目を細める。
(王国が崩れる時、帝国も崩そうとする。二国同時に燃やす気ね)
情報官が言う。
「王妃殿下、帝都へ戻るのは危険です。護衛を増やすべきです」
「増やさない」
「なぜ」
「増やしたら、私は“怖がっている”と見える。怖がっている者の値札は下がる」
「……では」
「代わりに、買う」
私は静かに笑った。
「帝都の信徒の怒りを買い叩く。貴族の不満を買い叩く。聖環院の神託を買い叩く」
マリアが呟く。
「どうやって……?」
「簡単。神託の“供給元”を止める」
私は帳簿の頁をめくり、指を止めた。
――聖環院付属・浄化工房。
そこが核だ。そこを潰せば、帝都の神託は止まる。王国の浄化王も、値札を失う。王冠はただの金属になる。
私は馬車の揺れの中で、決めた。
「今夜、工房を叩く」
国が崩れる瞬間は、最安値だ。
最安値は、最も危険だ。
だからこそ、買い叩く価値がある。




