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処刑台で笑った悪女は、10年前に戻って「推し」に全財産を賭けることにした ~没落予定の貧乏貴族ですが、未来知識で婚約破棄も国難も買い叩きます~  作者: 綾瀬蒼
第2章「国の値段」

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第6話「征服王の条件、悪女の条件」

軍は動く前に金で動く。


兵の腹を満たすのも、槍を研ぐのも、馬の蹄鉄を打つのも、全部金だ。金が詰まれば進軍は止まり、止まった軍は腐る。腐った軍は勝てない。


だから私は、戦争の前に市場を整える。


帝国国債は予定通り売れた。聖環院は債権者として首輪を付けられ、王国へ流れる資金は目に見えて細くなった。だが代わりに、別の管が膨らみ始めた。軍需商会。軍が動く気配を嗅ぎつけ、武器と糧秣の値を吊り上げている。


戦の前に吊り上げるのは、売り手の常套手段だ。


そして買い手が焦れば、売り手は神になる。


私は神を嫌う。高いから。


「王妃殿下。ラグレン軍需商会が、鉄材の供給を絞っています」

財務官が青い顔で言った。

「ラグレン?」

「皇帝派の大商会です。摂政派のときも軍に納めていましたが、今は陛下に忠誠を――」

「忠誠が本当なら、供給は絞らないわ」


私は机の上の帳簿を閉じ、指で軽く叩く。


「価格は?」

「通常の二倍です」

「やるわね。三倍にする前に潰す」


財務官が怯えた声を出す。


「潰す……と申されましても、軍需商会は帝国軍の生命線です。供給を止められれば――」

「止められないようにするのよ。供給を“奪う”」


私はマリアへ視線を送った。

「ラグレンの帳簿、持ってきて」

「はい。もう整えてあります」


マリアは平然と紙束を差し出した。包帯の腕が痛むはずなのに、目が揺れない。彼女は仕事で立っている。


「ラグレンの裏口座は三つ。うち一つは王国国境へ送金。名義は慈善。内容は武器の前払い」

財務官が目を剥く。

「皇帝派の商会が、王国へ?」

「皇帝派の仮面を被った商売人よ。勝つ方に賭ける。勝ち馬に乗るってやつ」


私は立ち上がった。


「陛下に会う」


謁見の間ではなく、作戦室だ。地図と兵站図が壁一面に貼られ、矢印が増えていく。そこにカシアンがいた。鎧の試着をしている。赤い外套は脱ぎ、鉄の冷たい光を纏っている。


「どうした」

私の足音を聞かずに彼が言った。

「軍需商会が値を吊り上げてる。しかも王国へ資金を流してる」

カシアンの手が止まった。

「どこだ」

「ラグレン。皇帝派の顔をした虫」


カシアンの目が鋼になる。怒りが温度を奪う。


「斬る」

「斬らない」

私が即答すると、彼の視線が刺さる。

「なぜ」

「斬ったら供給が止まる。止まったら軍が腐る。腐ったら勝てない」

「ではどうする」

「買う」


私は地図の上に紙を広げた。


「ラグレンの主要倉庫と鉱山、製鉄所、輸送路。全部、担保を抱えてる。借金よ。借金は売れる。私が買う」

「借金を?」

「ええ。債権者になれば、命令できる。価格も供給も。彼らの首に、契約の首輪を付ける」


カシアンは黙って紙を見る。理解は早い。だが苛立ちが消えない。斬れば終わるのに、なぜ回りくどい、という顔だ。


私は続ける。


「その上で、裏口座の送金を公表。信徒と市民の怒りをラグレンへ向ける。商会は信用で生きる。信用が落ちれば株が落ちる。落ちたところを、買い叩く」

「……市場で殺す」

「そう。血は流さない。金だけ流す」


カシアンが低く言った。


「お前は血が嫌いか」

「嫌いじゃない。でも安い血は嫌い。流すなら高くしなさい」

「高い血とは」

「意味のある血。契約で止められない時の血」


私は彼の胸の鎧を指で叩く。


「あなたの血は高い。安売りしないで」

カシアンの目が一瞬揺れる。触れられるのが嫌なのではない。触れられた場所が熱くなるのを嫌がっている。


「……分かった。お前のやり方でやる」


その返事が出た瞬間、私は机の上の別の紙を差し出した。書類。契約書。


「じゃあ、次。あなたと私の条件」

カシアンが眉を寄せる。

「条件?」

「出征の条件よ。征服王の条件と、悪女の条件」


私はペンを取り、紙の上に線を引いた。


「まずあなた。征服王としての条件。戦の目的を“領土”にしない。目的は港湾と鉱区、通行税と条約。余計な虐殺は禁止。略奪は禁止。捕虜は契約労働へ転換。暴走した兵は即刻処罰」

「兵を縛れば動きが鈍る」

「動きが鈍るのは悪。暴走するのはもっと悪。暴走は利息が高い。あとで反乱と憎悪を生む」


カシアンが黙って聞いている。嫌がっているが、否定できない顔だ。彼は未来で征服王となり、王国を滅ぼした。その滅ぼし方が、今世では彼自身の足枷になる可能性がある。彼も薄々分かっている。


私は続ける。


「次に私。悪女の条件」

私は紙の下半分に書きつけた。


「私は前線には出ない。代わりに、戦費の調達、条約交渉、港湾買収、難民の再配置を担当。あなたは軍の指揮。役割を混ぜない」

カシアンが言う。

「前線に出ないのは守れる」

「それだけじゃない」


私は顔を上げ、彼を見る。


「戦の間、あなたは私を疑わない。私もあなたを疑わない。疑うなら問いただす。裏切る前に交渉する」

「……それは以前言った」

「言っただけ。紙にする」

「紙は万能じゃない」

「でも紙は逃げない」


カシアンが息を吐く。苛立ちと納得が混じる。


「署名しろというのか」

「ええ。皇帝の署名が必要」


彼はペンを取った。躊躇は一瞬。署名する。帝国の最も重い文字が、紙の上に落ちた。


私も署名した。


これで、戦は“契約”になる。契約になれば、制御できる。制御できれば、勝てる。勝つだけじゃない。高く売れる。


扉が開き、軍務官が入ってきた。


「陛下! 出征準備が整いました。港湾制圧部隊、国境へ向けて――」

カシアンが立ち上がる。

「行く」

軍務官が一瞬、私を見る。王妃がここにいることがまだ信じられない顔だ。

「王妃殿下も……?」

「私はここに残るわ」

私が言うと、軍務官がほっとしたように息を吐く。だが次の瞬間、私が続けた言葉でその息が止まる。


「代わりに、あなたたちの財布を持つ」


軍務官が咳き込みそうになりながら礼をして退いた。


カシアンは鎧を纏い終え、外套を肩に掛けた。戦装束の彼は、学園の少年ではなく、帝国の王だ。


彼が扉へ向かう前に、私は呼び止めた。


「カシアン」

「何だ」

「勝って。私が回収できるように」

「回収?」

「ええ。私の投資。あなたは私の最高額の資産でしょう」

カシアンの口元が僅かに歪む。

「……金の話に戻すな」

「戻すんじゃない。繋ぐの。怖い話を金に繋げば、手が震えない」

「お前は震えてる」

「震えてない」

「嘘だ」


カシアンが一歩戻り、私の手首を掴んだ。強い。熱い。


「俺は戻る」

「当然。契約よ」

「契約じゃなくても戻る」

「……じゃあ何?」

「約束だ」


それだけ言って、彼は去った。


扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。


私は一瞬だけ立ち尽くし、次に机へ戻った。感情に浸る時間はない。戦の間に市場は動く。動く市場は、弱者を潰す。弱者は私の資産を減らす。


私はペンを取り、ラグレン軍需商会の債権買い取り書類に署名した。


その日のうちに、帝都の掲示板に新しい告示が貼られた。


「ラグレン軍需商会の監査開始。債務の再編。供給の公的管理」


翌日には、ラグレンの株価が落ちた。


市民が噂をし、商人が引き、貴族が距離を取り、信徒が怒り、信用が崩れる。


崩れたところを、私は買った。


買った瞬間、供給は戻る。価格は下がる。軍は腐らない。


市場で勝てば、戦場でも勝てる。


けれどその夜、情報官が持ってきた報告が、私の指先を止めた。


「王妃殿下。聖環院が動きました」

「国債を抱えてるのに?」

「はい。別口の手段です。……“呪い”を使います」


呪い。


私は息を止めた。


「どういうこと」

情報官が言葉を選ぶ。

「陛下の出征に合わせ、帝都で“呪われた血筋が戦を呼ぶ”という神託が拡散。さらに……王妃殿下が呪いの印持ちを集め、魔導炉跡地で何かをしている、と」


私は目を細めた。


(私を悪にする。皇帝を呪いにする。戦の正当性を潰すために)


聖環院は鎖を焼かれた。なら別の鎖を作る。噂という鎖。呪いという鎖。最も安い鎖。


私は立ち上がった。


「リオを守る。印持ちを守る。……そして聖環院の“核”を掴む」

情報官が躊躇する。

「核とは」

「呪いを作っている場所。回路を刻み、噂を流し、人を集める場所。魔導炉跡地――そこが臭い」


私は窓の外を見る。帝都の夜空。遠くで狼煙が上がっている。出征の合図だ。カシアンはもう動いている。


私は独りで動くわけにはいかない。契約がある。前線には出ない。だが帝都の背後が燃えれば、前線は無意味になる。


私は扇を閉じ、決めた。


「明日、魔導炉跡地を調べる。密かに。財布より先に、“鎖の工房”を潰す」


征服王が戦場へ向かった今、悪女は帝都で別の戦を始める。


血を流さずに、首を落とす戦を。

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