第4話「呪われた血筋の値札」
帝都の北、倉庫街は昼でも暗い。
石畳は濡れていないのに光を吸い、建物の壁は煤け、窓は小さい。金の流れはいつだってこういう場所を好む。表の大通りでは美談に化け、裏の路地では帳簿になる。
ディセル商会の倉庫は、その中心にあった。
看板は小さく、門は頑丈で、警備は妙に多い。貴族の屋敷の護衛より、よほど真面目だ。つまり、金がある。金があるなら、守る理由がある。
「夜明け前に動く」
私は馬車の中で言った。
「今夜じゃないのか」
隣のカシアンが低く返す。
「今夜は早い。焦ると高くつく。荷が出る時間を待つ」
「荷?」
「呪いよ」
カシアンの眉が僅かに動いた。
「呪いは荷物じゃない」
「荷物にされてるの。だから安売りされる」
私は膝の上の書類に目を落とす。昨夜、捕まえた運び屋が吐いた経路。祈りの会で集めた寄付金の移動先。魔石の仕入れ元。印章の刻印。
全部、ディセル商会に繋がっていた。
「この商会、表向きは“祈祷具と護符”の卸し」
「護符」
「笑えるでしょう。魔石の欠片を布に縫い付けて光らせ、奇跡に見せる。光れば人は信じる。信じれば金が落ちる。金が落ちれば、次は恐怖を売れる」
恐怖は最も回転率がいい。賞味期限が短いからだ。だから売り手は常に火を焚く。火を焚くために、次の燃料が必要になる。
その燃料が――“呪いの印”だ。
馬車が止まり、私たちは影の中へ移った。情報官が先導し、私兵が周囲を固める。帝国の正規兵は使わない。正規兵を動かすと、貴族の鼻が利く。鼻が利けば、ディセル商会は荷を隠す。
静かに、確実に、財布を掴む。
倉庫の裏手。扉が一つ。鍵は二重。だが鍵は万能じゃない。金と脅しが鍵を上回ることもある。
情報官が囁く。
「内部に出入りする下働きに、買収が成功しました」
「よし。扉を開けさせて」
扉が軋み、薄い灯りが漏れた。中は薬草と香の匂いに混じって、鉄と魔石の匂いがする。護符の倉庫らしくない。護符はこんな匂いをさせない。魔導炉の匂いだ。
私が一歩踏み込むと、奥で箱が積まれているのが見えた。木箱。封蝋。刻印。ディセルの印章。
カシアンが箱に手をかける前に、私は止めた。
「開ける前に記録」
情報官が頷き、書記が封印の形を写し取る。証拠は“奪う”より“残す”方が強い。
封を切る。
中身は、黒い粉末を混ぜ込んだ油紙に包まれた小さな金属片だった。薄い板。細い線が絡み合った模様が刻まれている。
私は息を止めた。
「……回路」
リオの腕の印と同じだ。あれは痣ではない。焼き印でもない。金属片に刻まれた回路を皮膚に転写するための型。
「呪いじゃない」
情報官が呟く。
「呪いに見せかけた“刻印”よ。近づくと運が悪くなる? 当然。魔石の微弱な波を乱す回路なら、魔導具の誤作動くらい起きる」
帝国の街は魔導具に依存している。灯り、炉、扉の鍵、荷車の制御。そこへ誤作動が混じれば、事故が増える。事故が増えれば噂が立つ。噂が立てば――印持ちは排除される。
排除された印持ちは、どこへ行く?
安く買い叩ける場所へ行く。
「誰が買うの」
私が問うと、情報官が別の箱を指した。
「こちらに、契約書が」
開くと、薄い紙束。労働契約の形を装っているが、条項が異様だ。
――“印保持者は指定の施設へ移送し、治療と引き換えに無期限の労働に従事する”
治療。笑える。印は病気じゃない。
「施設の所在地は?」
「帝都郊外。旧魔導炉跡地の近く」
「魔導炉跡地……」
私は舌を鳴らした。点が繋がる。
刻印で事故を増やす。噂で恐怖を作る。恐怖で印持ちを隔離する。隔離した印持ちを、魔導炉跡地へ集める。集めた人間で何をする?
魔導炉の燃料。あるいは、回路の実験台。
「……最低」
マリアが言った。彼女も同行している。帳簿係は現場に連れてくるべきだ。数字の匂いを嗅げるから。
「最低で、儲かる」
私は答えた。
「だから潰す」
その時だった。
倉庫の外で、金属が擦れる音がした。甲冑。複数。正規兵の足音ではない。もっと軽い。私人の護衛の足音だ。
情報官が顔色を変える。
「嗅ぎつけられました……!」
「誰に」
「貴族側の私兵です。数が……」
扉が勢いよく開いた。
黒い外套の男たちがなだれ込み、剣を抜く。先頭には、昼間の議会で私を睨んでいた顔があった。摂政派の残党。あるいは、その支援者。
「王妃殿下。ここで何を?」
男が笑う。礼儀正しい笑みの仮面を被りながら、剣は私に向いている。
「見学よ。護符の倉庫って聞いたから」
「ならば、貴女の持っている箱は返していただこう」
私が答える前に、カシアンが前へ出た。
一歩だけ。たった一歩で空気が変わる。倉庫の温度が下がる。男たちの刃が、ほんの僅かに揺れた。
「それに触れるな」
カシアンの声は低い。
「ここは帝国領内だぞ。皇帝の許可なく――」
「許可は俺だ」
男の笑みが歪む。皇帝がここにいる想定はしていなかったのだろう。だが引けない。引けば自分の背後が露呈する。
男が舌打ちし、別の方向へ目を向けた。
「では……王妃殿下だけでもお戻りを。危険な場所ですので」
「優しいのね」
私は微笑む。
「でも、あなたの優しさは高くつく」
私は封筒を取り出し、指で弾いた。倉庫の箱から出てきた契約書の写し。印章の写し。魔石の仕入れ票。
「ディセル商会と、あなたの家の商会。取引が繋がってる。これ、どう説明する?」
男の顔が一瞬固まり、すぐに笑う。
「偽造でしょう」
「偽造だと思うなら、裁判で争えばいい」
私は一歩近づき、声を落とした。
「ただし裁判は公開。帝都の掲示板に、あなたの署名と金額が貼り出される」
「……!」
「そして“呪いの印”の正体もね。帝国の事故が増えた理由も。あなたたちが恐怖で儲けていたことも」
男の目が細くなる。恐怖が滲む。恐怖は短時間で人を乱暴にする。
「……殺せ」
男が小さく命じた。
私兵が動く。刃が走る。
その瞬間、カシアンが私の前に立った。剣は抜かない。抜けば殺し合いになる。彼は抜かずに止める。体で。圧で。
私兵の一人が突っ込んできた。カシアンは肩で受け、相手の肘を折り曲げ、床へ沈めた。音がしない。骨が悲鳴を上げないように潰す、訓練された動き。
もう一人が背後から斬りかかる。カシアンが半歩ずれる。刃が空を切り、次の瞬間には相手の喉元に指が添えられている。触れているだけで、命を握れる距離。
「動くな」
カシアンが言うと、相手は動けなくなった。
私兵たちが怯む。彼らは護衛であって、戦士ではない。殺す気で来たのに、殺せない空気に飲まれる。
男が焦り、袖から何かを取り出した。
小さな筒。短い針。
毒針だ。
(狙いは私)
私は息を止め、身を引こうとした。だがその瞬間、視界の端で銀色が走った。
マリアが、私の前に滑り込んだのだ。彼女は帳簿係のくせに、身を張った。
針が、マリアの肩をかすめる。薄い血が滲む。
「……っ」
マリアが歯を食いしばる。
私は一瞬、頭が真っ白になった。
(人を材料にするなと言いながら、私はまた誰かを――)
だが止まらない。止まれば、次はもっと大きい血が出る。
私は即座に命じた。
「医療班! 解毒剤を! 今すぐ!」
情報官が叫び、外で待機していた医療係が駆け込む。
男は逃げようとした。だが倉庫の出口に、カシアンが立っていた。影が塞がる。逃げ道が消える。
カシアンの目が、冷たい鋼になる。
「逃げるな」
男が震える。
「皇帝陛下……私は……」
「お前は俺の王妃に刃を向けた」
「違う! 誤解だ!」
「誤解なら、なぜ毒針が出る」
男の膝が折れた。誤解ではない。市場はもう決着している。
私はカシアンの横に立ち、男を見下ろした。
「あなたたちが売っていたのは呪いじゃない。鎖よ」
男が唾を飲む。
「鎖……?」
「恐怖で縛る鎖。噂で縛る鎖。印で縛る鎖」
私は男の顎を扇で持ち上げる。
「でも鎖はね、売った側の首にも巻けるのよ」
男の瞳が揺れた。その揺れの中に、諦めが混じる。諦めは、口を開かせる。
「……口座がある」
男がかすれ声で言った。
「何の口座」
「資金を流すための共同口座だ。王国の残党と……帝国の反皇帝派が……」
共同口座。
私は笑いそうになった。笑えないのに、笑ってしまいそうになる。人はどれだけ大義を語っても、最後は帳簿に落ちる。
「口座名は」
男が震えながら吐いた。
「“聖環基金”……祈祷名義の……」
「管理者は」
「ディセル……いや、ディセルの背後にいる……“聖環院”……」
聖環院。
宗教組織。だが宗教の顔をした金融組織。祈りで金を集め、金で噂を作り、噂で人を動かす。
私は息を吐いた。
(やっと首が見えた)
マリアが呻き声を漏らす。医療係が解毒剤を注射し、包帯を巻いている。彼女は青い顔で、私を見上げた。
「……王妃様。仕事……続けて」
「当然よ」
私はマリアの手を一瞬だけ握り、立ち上がった。
「カシアン。ここは押さえる。ディセル商会は差し押さえ。関係者は拘束。資産凍結。口座を凍らせる」
「命令か」
「命令」
「……分かった」
カシアンの声は短い。だが、その短さには怒りが混じっていた。私が傷つきかけたことへの怒り。マリアが傷ついたことへの怒り。皇帝の怒りは刃物より高くつく。
倉庫を出ると、帝都の空が赤く染まり始めていた。夜明けだ。
私は馬車に乗り込む前、カシアンに腕を掴まれた。強い。離さない。
「お前」
「なに」
「前に出るなと言った」
「前に出ないと財布は掴めない」
「財布より命だ」
「命も相場――」
「それを言うな」
カシアンの声が低くなる。怒鳴らない。怒鳴らない方が怖い。
「お前が死ねば、帝国は困る」
「困るから守るの?」
「違う」
カシアンが私の額に自分の額を軽く当てた。視線が逃げられない距離。
「困るからじゃない。俺が嫌だ」
その一言が、帳簿より重かった。
私は一瞬だけ言葉を失い、次に笑った。悪女の笑みではなく、少しだけ柔らかい笑み。
「じゃあ守りなさい。隣で」
「隣にいれば、前に出てもいいのか」
「妥協案よ。市場は妥協で回る」
「……俺は妥協が嫌いだ」
「なら独占しなさい。私を」
カシアンの目が熱くなる。危険な熱。だが今は戦の前だ。熱は武器にもなる。
私は視線を逸らし、馬車へ乗り込んだ。
帝国は、呪いを売る者たちに汚されている。王国の内乱も、その延長線にある。
鎖を売って儲ける連中がいるなら、鎖そのものを買い叩いて叩き割る。
王妃の初仕事は終わらない。むしろ、ここからが本番だ。
そして私はもう一つ、確信していた。
“呪われた血筋”の噂は、噂ではない。
値札だ。
誰かが、カシアンに値札を付けていた。
なら私は――その値札を裏返して、貼り直す。




