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処刑台で笑った悪女は、10年前に戻って「推し」に全財産を賭けることにした ~没落予定の貧乏貴族ですが、未来知識で婚約破棄も国難も買い叩きます~  作者: 綾瀬蒼
第2章「国の値段」

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第3話「聖女の亡霊と、王国の火種」

帝都の朝は、王都より忙しい。


馬車の数が違う。兵の足音が違う。商人の声が違う。金の回り方が違う。だから噂の回り方も、当然速い。


難民の受け入れを始めて十日。帝都の掲示板には、私の名が日に三回は貼られるようになった。


「王妃は王国民を入れて帝国を汚す」

「王妃は人を売買している」

「呪いの印を集めている」


最後の一文だけ、質が違う匂いがした。悪口ではない。狙いがある噂だ。誰かが意図して火をつけている。


私は朝の茶を一口だけ飲み、机の上の紙束を叩いた。


「……出てきたわね」


侍女が怯えた声で言う。


「王妃様、どうか外出は控えてください。街が……荒れております」

「荒れてるのは街じゃない。相場よ」


私は外套を羽織る。侍女が止めようとするが、視線だけで黙らせた。黙らせるのは簡単だ。王妃の肩書きは便利だ。


回廊を抜け、別室へ向かう。そこは私が“臨時”で作らせた小さな執務室だった。机が二つ、椅子が三つ。装飾は最低限。必要なのは豪華さじゃない。作業効率だ。


中には、マリアがいた。王国から来た元金庫番。いまは帝国の臨時徴税局の補助官として、顔を上げる暇もなく帳簿を追っている。彼女の指先は早い。早い指先は、帝国の延命に直結する。


そしてもう一人。


リオが、椅子に座らされていた。腕には包帯。印は隠してある。怯えは消えないが、目が死んでいない。子どもが目を死なせないのは、怒りが残っている証拠だ。怒りは燃料になる。


「王妃様」

マリアが紙束を差し出す。

「今日の入国者数です。技術者が三十七、職人が九十二、元官僚が十一。……それと、問題が」


「問題は歓迎よ」

私は紙を受け取りながら言った。

「金になる」


マリアの顔が引きつる。


「……街で、“聖女の神託”が流れています」

「聖女の亡霊?」


マリアが頷いた。


「王国の内乱は、神が望んだ浄化だ。帝国が難民を受け入れるのは神への反逆だ、という……」

「神託が便利なのは、責任が不要だから」


私は机に腰掛け、指先で書類の端を揃えた。


「出所は?」

「難民の中から……と言われています。でも、語り口が妙に整っていて……」

「整っているなら、作ってる人間がいる」


私はリオを見る。


「あなた、街の噂を聞いた?」

リオは唇を噛み、頷いた。


「……俺みたいな印持ちは、神が捨てた奴らだって。近づくと運が悪くなるって」

「誰が言ってた」

「……布を被った女。顔が見えなかった」


布を被った女。聖女の象徴。王国では白。帝国でも白は“清廉”の色だ。色が一つで人を操れるなんて、安い投資だ。


私は立ち上がった。


「行くわ」

マリアが慌てる。

「どこへ!?」

「神託の現場。噂は現場でしか潰せない」


侍女が悲鳴に近い声を上げた。


「王妃様、危険です! 街では難民と市民が衝突して――」

「衝突させたい人間がいるのよ。衝突したら、私の契約政策が失敗に見える。失敗に見えたら、難民の価値が下がる。価値が下がったら、誰かが安く買える」


私は微笑んだ。


「そんな美味しいこと、させない」


外へ出ると、帝都の中心広場は熱を持っていた。商人が集まり、兵が警戒し、群衆が円を作っている。中心には木箱が置かれ、その上に――白い布を被った女が立っていた。


顔は見えない。声だけが澄んでいる。


「神は告げています……! 外から来た者を受け入れるな……! 呪いを抱えた者は帝国を腐らせる……!」


群衆がざわめき、頷く者がいる。恐怖が伝染していく。恐怖は理性より速い。


私は群衆の外側から観察した。


声の調子は良い。言葉の選び方も上手い。だが、上手すぎる。素人の煽りではない。訓練された演説だ。


(宗教屋か、政治屋か。どちらにしても金の匂い)


背後で、カシアンの気配が濃くなる。彼は私の後ろに立ち、群衆を見下ろしている。皇帝がここにいると気づけば、群衆は散る。だが今はまだ散らさない。散らす前に、根を掴む。


私は人波を割って前へ進んだ。兵が止めようとするが、私の顔を見て退く。王妃の顔は、ここでも通貨だ。


木箱の前まで来ると、布の女が声を強めた。


「王妃は王国の女! 皇帝を惑わせ、帝国を売り――」

「口が悪いわね」


私が言うと、群衆がざわめく。女が一瞬止まる。想定外の接近だろう。


私は続けた。


「あなたの神は、ずいぶん細かいことまで知っているのね。契約の条文まで読んだの?」

「……神は全てを見通します」

「じゃあ質問。神は“寄付金の流れ”も見通す?」


女の気配が揺れた。


私は笑った。


「神託を売るなら、帳簿も用意しなさい。あなたの背後の財布をね」


群衆がざわつく。帳簿、財布。現実の言葉が混じると、神託は汚れる。


女が声を荒げる。


「冒涜です! 神を金で測るなど!」

「私は金で測るんじゃない。金で“見える化”するの」


私は扇を開き、兵に合図した。兵が一歩前へ出る。群衆が後ずさる。


「その布を取って。顔を見せなさい」

「……!」

女が後退る。木箱から降りようとする。


その瞬間、群衆の中から石が飛んだ。私ではない。女に向かってだ。


石は外れたが、石を投げた者の怒号が響く。


「嘘つき! お前らの神託で税が上がったんだ!」

別の声。

「難民が来て仕事が奪われるって言ったのはお前らだろう!」


群衆の中で、対立が生まれる。火種が燃え始める。誰かが仕込んだ火は、誰かの怒りで勝手に広がる。


女は焦って声を張る。


「神の怒りが――」

その瞬間、彼女の背後で小さな光が走った。


布の隙間から、指先が光っている。淡い青。魔石の光だ。魔導具を隠している。


私は目を細めた。


(偽装)


神託を“奇跡”で補強している。人は言葉だけなら疑うが、光が走ると信じる。安い。


私は扇を閉じ、冷たく言った。


「あなた、魔石持ってるわね」

女が息を呑む。

「……何を」

「神託じゃない。魔導具の発光。人を騙すための演出。王国の聖女と同じ手口よ」


群衆がどよめく。聖女。王国の事件は、帝国にも噂として流れている。寄付金横領。密会。偽善。そこに“同じ”と言われれば、イメージが重なる。


女が叫ぶ。


「違う! これは神の――」

「神は魔石で光らないわ。光るのは財布よ」


その時、低い声が広場を切った。


「やめろ」


カシアンだ。


彼が一歩前へ出ただけで、群衆の音が半分消えた。恐怖が空気を縛る。皇帝の存在は、それだけで規律だ。


「皇帝陛下……」

誰かが膝をつく。続いて何人も膝をつく。群衆の中心から秩序が戻ってくる。


女は震えながら後退った。逃げようとする。


私はその逃げ道を塞ぐように、木箱の横へ回り込んだ。


「逃げないで。あなたの神託、値札を付けてみたいの」

「……近づくな!」

女が袖から何かを投げた。小さな粉。煙が立つ。刺激臭。目が痛む。


(煙幕)


私は咄嗟に口元を袖で覆った。だが、その瞬間に腕を掴まれた。


カシアンが私を引き寄せ、背後へ下げる。剣は抜かない。抜けば群衆が暴発する。彼は戦の勘で、最小の動きで最大の効果を出す。


煙が晴れた時、女は消えていた。


群衆が騒ぎ出す前に、カシアンが一言だけ落とした。


「解散しろ。騒げば処罰する」


それで群衆は散った。恐怖で散る群衆は、あとで別の火種になりやすい。だが今は散らすしかない。現場の火は消えた。問題は根だ。


私は咳き込みながら言った。


「……逃したわね」

「殺すか」

「殺さない。捕まえる」

「同じだ」

「違う。捕まえた方が高く売れる」


私の声に、カシアンの目が僅かに動いた。理解している。だが苛立ちもある。私が危険に飛び込むことへの苛立ちだ。


「お前は前に出すぎる」

「前に出ないと相場は動かない」

「相場より命だ」

「命も相場よ」


言った瞬間、しまったと思った。言葉が冷たすぎた。


カシアンの顔が硬くなる。感情が閉じる。こうなると厄介だ。獣は命令に従うが、心は遠のく。


私は息を吐き、言い直した。


「……でも、あなたが嫌がる形では死なない。約束したでしょう」

「約束は契約じゃない」

「契約にしてもいいわ」


カシアンの視線が私に刺さる。熱い。苛立ちと独占欲が混じる目。


「今すぐか」

「今すぐは忙しい。あとで」

「逃げるな」

「逃げない。交渉の順番があるだけ」


その時、遠くから馬蹄の音が近づいた。帝国の情報官――私が臨時で雇った噂屋兼連絡役が駆けてくる。息が上がっている。


「王妃殿下! 報告です!」

「言って」

「王国側で“神託”が再燃しています。内乱の指導者が『聖女の声が戻った』と宣言。帝国に難民を送るのは神の意思だが、帝国が受け入れるのは神への反逆だ、と……」


私は目を細めた。


「矛盾してるわね」

「はい。でも群衆は矛盾を気にしません。奇跡があれば……」

「奇跡は魔石で作れる。さっき見た通り」


情報官がさらに言う。


「そして、帝都でも同じ煽動が複数箇所で始まっています。布を被った女は一人ではありません」

「……組織ね」


宗教組織か、政治組織か。あるいは両方。どちらでも同じだ。資金源がある。資金源があるなら口座がある。口座があるなら追える。


私は回廊へ戻る途中、マリアとリオを思い出した。


リオの腕の印。布の女の魔石。神託の再燃。


点が線になる匂いがする。


「王妃様!」


王宮の裏口で、マリアが駆け寄ってきた。顔が青い。


「どうしたの」

「難民の中で……喧嘩が起きました。印のある者が疫病を持っているって噂が広がって……殴られた子が」

「リオ?」

「いえ、別の子です。でも……リオも狙われています」


私は舌を鳴らした。


(狙いは印持ちの隔離と排除。価値を下げて奪うため)


私はカシアンを見る。


「今日の夜、動くわ」

「どこへ」

「噂の根を掴みに。布の女たちの集金場所――つまり財布の場所へ」

「危険だ」

「危険だから価値がある」


カシアンの目が細くなる。


「俺も行く」

「当然。あなたは私の後ろ盾でしょう」

「違う」

「なにが」

「お前の隣だ」


その言葉は熱かった。政治の言葉じゃない。市場の言葉でもない。私の胸の奥を、少しだけ乱す言葉だ。


私は笑って、誤魔化さなかった。


「じゃあ隣で守りなさい。噛みつくのは、私が合図した時だけ」

「……分かった」


夜。


帝都の裏路地は、昼より静かで、昼より危険だ。灯りの届かない場所に、金が流れる。金が流れる場所には、必ず虫が湧く。


私は黒い外套を羽織り、頭巾で髪を隠した。カシアンも同じように姿を変えているが、隠しきれない。背が高く、気配が鋭い。獣は布を被っても獣だ。


情報官が先導する。


「この先です。布の女たちが“祈りの会”を開き、寄付を集めている」

「寄付。いい言葉ね」

「実態は資金集めです。王国の内乱指導者へ流している疑いが」


路地の奥、古い倉庫の扉から灯りが漏れていた。中から、祈りの声が聞こえる。女の声。複数。あの澄んだ声を真似している。


私は扉の隙間から覗いた。


中には十数人の市民。膝をつき、手を合わせ、怯えながら金を差し出している。布を被った女が受け取り、木箱へ入れる。その木箱の横に、魔石が置かれていた。淡く光り、奇跡の演出をしている。


(やっぱり)


私は息を吐き、情報官に囁いた。


「箱の移動先は?」

「まだ掴めていません。ここで回収した後、別の者が運び出している」

「運び出す者を捕まえる」


私は扉から離れ、壁に背をつけた。


「カシアン。合図したら扉を蹴る。でも殺さない。逃げ道を塞ぐ」

「……殺さない方が難しい」

「難しい方が価値が高い」


カシアンの口元が僅かに歪む。笑いではない。諦めにも似た表情だ。


祈りの声が高まる。寄付が集まる。木箱が満ちる。十分だ。魚は餌を食べた。


私は合図を出した。


――指を一本立てる。


次の瞬間、扉が砕けた。


カシアンが突入し、壁際の男を押さえ、出口を塞ぐ。兵ではない。情報官と私の私兵だ。金で雇った者たちが流れるように動き、逃げ道を閉じる。


市民が悲鳴を上げる。布の女たちが叫ぶ。


「冒涜者!」

「神の怒りが――」


私は中へ入り、木箱の前に立った。


「神の怒りは飽きたわ。財布を見せて」


布の女が私に飛びかかろうとした。だがカシアンが腕を掴み、床に押さえつける。剣は抜かない。拳も振るわない。圧だけで押さえ込む。獣の制圧だ。


私は布を引き剥がした。


女の顔が露わになる。帝国の女だ。若い。目がぎらついている。信仰ではない。利益の目だ。


「あなた、どこに送金してるの」

女が唾を吐く。

「知らない!」

「嘘。知らないなら、どうやって仕事をしてるの?」

「神が――」

「神は口座を持たないわ」


私は女の首元に下げられた小さな札を見つけた。印章の刻まれた金属片。商会の刻印だ。帝国の、古い商会の印。


私は息を止めた。


(商会が絡んでる)


宗教ではない。政治でもない。商会。つまり、金が動く仕組みがある。


私は札を摘まみ上げ、女に微笑んだ。


「あなたたち、神託を売ってるつもり? 違うわ。呪いを売ってるのよ。怖がらせて、印持ちを隔離して、価値を下げて――安く買い叩く」


女の目が揺れた。図星。


私はカシアンに視線を送る。


「この商会の名、調べて。帝国内の取引記録を全部押さえる」

「命令か」

「命令。今夜中」

「……分かった」


情報官が近づき、耳打ちする。


「王妃殿下。捕まえた男が一人、王国訛りです。運び出し役らしい」

「連れてきて」


男は震えていた。汗が滲み、目が泳ぐ。


私は椅子を引き寄せ、男の前に座る。視線を合わせる。


「誰の命令で運んでる」

「し、知らねえ……! 俺は金をもらって――」

「金は誰から」

「……白い女から……!」

「白い女はどこから金をもらう」

「……商会……」

「どの商会」

男が口を閉ざす。


私はため息を吐いた。


「カシアン」

「何だ」

「怖がらせて」

「殺せと言ってないな」

「殺さない。怖がらせるだけ」

「得意だ」


カシアンが男の顎を軽く持ち上げた。力はほとんど入れていない。だが男は息を止めた。獣に喉を触られる恐怖は、それだけで膝を折る。


男が叫ぶ。


「ディセル商会だ! ディセル! 帝都の北、石畳の倉庫街! そこに運べって――!」


ディセル商会。


私はその名を頭の中の棚に置いた。そこから繋がる線を想像する。魔石の流通。印の刻印。王国の内乱資金。帝国の反皇帝派。


「よく言えたわ。褒美に生かしてあげる」

男が泣きながら頷く。


倉庫の外へ出ると、夜風が冷たい。けれど私の頭は熱い。市場が見えてきた。呪いは商売だ。なら潰し方は簡単だ。


供給を断ち、信用を落とし、資金を凍結し、首魁を安く買い叩く。


背後でカシアンが言った。


「王国の聖女の真似事をする連中が、帝国にもいる」

「ええ。亡霊ってやつね」

「亡霊は斬れば消える」

「亡霊は斬っても消えない。財布を焼かないと」


私は歩きながら、指先で扇を弄んだ。


「ディセル商会を叩く。そこから王国の内乱指導者へ繋がる線を掴む。……そして、印の正体も」

「印」

「ええ。リオの印。難民の印。あなたの呪いの噂。全部、同じ市場に並んでる」


カシアンの横顔が硬い。彼は呪いを憎んでいる。自分を縛った噂だから。噂は鎖だ。鎖は、どんな王でも嫌う。


私は囁くように言った。


「鎖を売ってるのは誰か。次はそれを買い叩く」

「……お前は本当に」

「悪女よ」


帝都の夜はまだ深い。だが私たちは、もう火種を握った。


あとは燃やすだけだ。


――燃やす相手を選んで。

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