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処刑台で笑った悪女は、10年前に戻って「推し」に全財産を賭けることにした ~没落予定の貧乏貴族ですが、未来知識で婚約破棄も国難も買い叩きます~  作者: 綾瀬蒼
第2章「国の値段」

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第1話「王妃の初仕事は“帝国を買い叩く”」

戴冠式の翌朝、帝国の空は嘘みたいに青かった。


昨日まで広場を埋め尽くしていた歓声は、夜のうちに片づけられた舞台装置みたいに消えている。王宮の回廊に残るのは、磨かれた石床を打つ靴音と、警戒の気配だけだ。祭りの翌日はいつだって現実が露骨になる。特に、国がひっくり返った翌日は。


私は寝台に背を預けることもなく、机に向かっていた。


机の上は豪奢な刺繍布で覆われ、金の燭台が甘い香を焚き、真珠のインク壺が光っている。けれど、そこに並ぶのは宝飾でも花でもない。


帳簿と報告書と、赤い封蝋の付いた封筒だ。


「……うそでしょう」


羽根ペンを置き、私はもう一度、数字を追った。追っても結論は変わらない。


帝国国庫――空。


正確には、空にされた。戴冠式の赤い旗は豪華だったのに、あれは国庫の余裕ではなく、摂政派が最後にぶちまけた血糊みたいな見栄だったらしい。国庫の残高は戦時基準を下回り、軍の維持費も、港の整備費も、魔導炉の燃料費も、帳尻を合わせる気配がない。


ここまで綺麗に抜けるのは、盗人が賢いからではない。盗みを許されていたからだ。つまり、政治が腐っていた。腐った政治は、金より高くつく。


扉の外で控えめな声がした。


「王妃様。陛下がお呼びでございます」


侍女だ。帝国の侍女は王国のそれより所作が整っている。整いすぎていて、逆に信用ならない。笑顔の角度まで教育され、目が笑わない。王宮は舞台で、彼女たちは裏方だ。


「入って」


侍女が入ると、机上の帳簿に視線が落ちる。すぐに目を逸らした。見るな、触るな、口にするな。王妃付きの侍女にはそう仕込まれている。


「準備が整い次第、謁見の間へ」

「ええ。すぐ行くわ」


侍女が去ると、私は外套を羽織り、鏡の前に立った。帝国の王妃としての装いは重い。布も、宝石も、肩書きも。けれど重いものほど価値は高い。私はその価値を扱う立場だ。


回廊に出ると、視線が刺さった。


貴族たちが行き交い、誰もが私を一瞬見てから、見なかったふりをする。敬意、好奇心、侮り、恐れ。混ぜ物だらけの視線は、上等な毒に似ている。量を誤れば死ぬ。だが使い方を知っていれば、相手の脚を痺れさせる。


囁きが聞こえる。


「王国の女が王妃だと?」

「金で皇帝を買った悪女だそうだ」

「陛下は呪われた血筋……王妃も同類か」


私は笑わない。笑う価値はない。価値があるのは、この囁きをどう転売するかだけだ。


謁見の間の扉が開いた。


玉座が見える。赤い絨毯。石柱。整列する官僚と大臣。彼らの肩書きは立派だが、目の奥には昨日までの主人の影が残っている。新しい皇帝に跪いたはずなのに、心までは追いついていない。心が追いつかない者は、次の主人を探す。市場としては分かりやすい。


玉座に座る男が、私の“推し”だった。


カシアン。冠を被り、背筋を伸ばし、目が冷たい。祭りの王ではない。仕事をする王の顔だ。昨日、民衆に見せた恐れられる微笑みは消え、代わりに刃のような静けさがある。


「来たか」


「呼んだのはあなたでしょう」


私は礼を最小限にして前へ進んだ。周囲の大臣たちが息を止めるのが分かる。王妃が口を出すかどうかで、今日の政治の相場が決まるからだ。


カシアンが顎で示した。


「報告を聞け」


財務官が進み出て巻物を広げ、声を整える。


「帝国の国庫残高は――戦時基準を下回っております。軍の維持費、食糧備蓄、港湾整備、魔導炉燃料、いずれも……不足。短期的な融資なしでは、三ヶ月以内に支払いが滞り――」


ざわめきが広がる。大臣たちの顔が青くなる。だが彼らは、青くなった顔を隠す術も知っている。政治家の顔だ。


カシアンは眉ひとつ動かさず、淡々と聞き終えた。


「原因は」


財務官の声が一瞬、詰まった。視線が泳ぐ。原因は口にできないのだ。原因を口にした者が消える世界で、彼らは長く生きてきた。


私は一歩前へ出た。


「原因は明白よ。抜かれてる」


軍務官が立ち上がり、声を荒げる。


「王妃殿下! 軽々しく――」

「軽々しく? じゃあ重く言うわ」


私は懐から封筒を取り出し、卓上に置いた。赤い封蝋が割れる音が、意外と大きく響いた。


「港湾税の横流し。軍糧の水増し。魔導炉燃料の架空調達。賄賂の受領書。署名付き。摂政派の“後払い帳簿”よ」


財務官が目を見開き、軍務官が言葉を失う。大臣たちが互いの顔を盗み見る。自分の名があるかどうかを確かめる目だ。こういう目をした人間は買える。恐怖で財布が緩むから。


私は続けた。


「呪われているのは血筋じゃない。国庫を食い物にした指よ」


空気が冷たく固まった。


カシアンが私を見た。


「で、どうする」


私は即答する。


「買い叩く」


「何を」

「帝国を立て直す手段。まず資金調達。次に市場操作。最後に粛清」


また声が上がる。


「帝国は商会ではない!」

「ええ。だから商会より簡単。帝国には“正義”という名目がある。名目は最高の通貨なの」


私は財務官を指名した。


「国債を発行する。希少魔石の利権を担保に。利率は高め。買い手は帝国の大商会だけじゃない。中立国にも、王国にも売る」


軍務官が唸る。


「敵国に利を与えるのか!」

「利を与える? 違うわ。首輪を売るの」


私は扇を閉じ、ゆっくり言い聞かせる。


「債権者になった瞬間、相手は帝国が潰れたら困る。つまり、帝国を守る側に回る。敵国だろうが味方だろうが、金を払った時点で利害は固定される」


静寂。


理解した者ほど黙る。反論する者は、理解できないか、理解したくないか、どちらかだ。


カシアンが低く言った。


「戦は」


私は彼を見た。


「戦争は買い叩く。起きる前に、ね」


その瞬間、扉が開いた。伝令が駆け込んでくる。顔色は紙のように白い。


「陛下! 国境より急報! 王国が――」


伝令が息を呑み、言葉を選ぶように言った。


「王国が内乱状態です。旧王子派が暴発し、王都周辺で衝突が拡大。難民が帝国へ流入を開始。さらに……王国は帝国へ“援軍”を要請しております」


ざわめきが爆発する。


「放置すれば勝手に崩れる!」

「難民など入れるな!」

「援軍? 厚かましい!」

「今こそ王国を――」


大臣たちが口々に叫ぶ。正義を語る者、恐怖を語る者、利益を語る者。私はそれを聞きながら、心の中で数える。


難民は労働力。

内乱は資産の値下がり。

援軍要請は主導権の売り時。


私は静かに言った。


「王国を助けるんじゃない。王国の“崩壊”を買うの」


叫びが止まる。全員の視線が私に集まる。


私は続ける。


「難民を受け入れる。慈善のためじゃない。契約のためよ。王国の技術者、商人、元官僚、職人を優先。住居と食糧と安全を与える代わりに、帝国の再建に従事させる。期間と賃金は明記する。曖昧は争いを生む」

「人を買うのか!」と誰かが叫ぶ。

「買わないわ。雇うの。あなたたちが今までやらなかっただけ」


私は扇を開き、さらに畳みかけた。


「そして王国へは“援軍”ではなく“融資”を提示する。戦費と食糧を貸す代わりに、港湾の使用権、鉱区、街道の通行税、王家の財産差し押さえ。返せなければ差し押さえる」


「略奪だ!」という声。


私は笑った。


「略奪は無料。契約は有料。あなたたちが嫌うのは、略奪じゃなくて値札が付くことよ」


誰も答えない。


カシアンが私を見下ろす。


「お前は、王国を食う気か」


「食う? 違うわ。買うの」


私は彼の目をまっすぐ見た。


「あなたが欲しいのは領土? 名誉? 復讐?」

「帝国だ」

「なら、今が最安値。崩れる王国は叩き売り状態よ。取るなら今」


カシアンの瞳が細くなる。やがて彼は玉座から立ち上がり、階段を下り、私の前に立った。大臣たちが息を止める。皇帝が王妃に近づく。それだけで政治になる。


「いい。やれ」


その一言で、空気が変わった。声の大きかった者が黙り、黙っていた者が動く。官僚が走り、軍務官が地図を広げ、財務官が指を震わせながら計算を始める。


私は伝令から、もう一通の紙を受け取った。王国の封蝋。だが筆跡は荒い。焦りが滲む字だ。


目を走らせて、私は口角を上げた。


援軍要請ではない。


引き渡しの提案だった。


王国は、内乱を鎮めるために帝国へ取引を持ちかけている。旧王子派残党の処分を帝国に委ねる代わりに、新体制を認めてほしい。つまり――自分の首を自分で安売りしている。


私は紙を折り、カシアンにだけ聞こえる声で言った。


「王国はもう、自分で値札を下げてる」

「どうする」

「買い叩く。徹底的に」


カシアンの口元が、ほんのわずかに上がった。笑みではなく、牙を見せる前の合図だ。


会議が終わり、人が散った後も、謁見の間の空気は落ち着かなかった。誰もが動揺しているのに、誰もが忙しいふりをする。王宮は巨大な機械で、歯車は止まれない。


回廊へ出ると、背後から低い声が追いかけてきた。


「イザベラ」


振り向くとカシアンがいた。周囲の目を避ける位置取り。だが近い。近すぎる。皇帝が王妃に近づけば噂になる。噂になれば市場が動く。


彼は気にしない顔で言った。


「お前は、本当に金で全部測るのか」


私は一瞬だけ沈黙した。こういう問いは嫌いだ。正解がないから。言葉にした瞬間、どちらかが嘘になる。


だから私は、嘘にならない形で答える。


「測らないものもあるわ」

「……例えば」

「あなた」


カシアンの目が揺れた。ほんの一瞬。けれど確かに。


私はすぐに付け足す。


「でも安心して。あなたの価値は上がり続ける。私は投資家だもの」

「それは安心なのか」

「私にとってはね」


カシアンが一歩近づき、私の手首を取った。強くない。けれど離さない。支配ではなく、確保だ。


「王国を買うのはいい。難民を雇うのもいい。国債もいい。だが――」


彼の声が低くなる。


「お前だけは、誰にも買わせない」


私は笑った。


「誰にも買われないわよ。私はもう売りに出してない」

「俺が買った」

「ええ。契約書に署名したものね」

「契約じゃ足りない」

「欲張りね」

「教えたのはお前だ」


私は手首を引かず、彼の目を見て言った。


「じゃあ、追加の約束をする。どんな噂が流れても、互いを疑わない。疑うなら問いただす。裏切る前に交渉する」

「……分かった」


カシアンの返事は短い。短いから重い。


私はそっと手首を抜き、踵を返した。


回廊の窓から見える帝都の空はまだ青い。けれど、青さは嵐の前の静けさだ。


王国は崩れる。難民が押し寄せる。残党が暴れる。呪いが市場に出回る。帝国の貴族が牙を剥く。すべてが値下がりし、すべてが買い時になる。


私は胸の奥で静かに笑った。


この国難は、高く売れる。

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