欲しがりな妹は現実を知る
皆の前できれいに微笑む姉を見上げる。
今日は彼女の結婚式で、そしてこの家の実権を全て手に入れる日。
まだまだこの家で勝手にふるまおうとしているはずの両親は、そのことを知らない。
私はうっすらと知っていて、彼女の邪魔をしなかった。
だから、私はまだ利用価値がある家族としてあの家にもう少しだけいられるのだろう。
じんわりと滲む涙を押さえながら、私は本当に心から姉に祝福を送った。
私が覚えている記憶の中の母は、いつも美しかった。
容姿と家柄だけを求められこの家に嫁いできた母は、私が生まれるまではそれなりに夫人として過ごしていたようだ。
綺麗な後継ぎを産む、ただそれだけを求められ誕生した長姉。
次こそはと挑んで生まれた自分。
私を見て、彼女は「もう十分でしょ!」という言葉とともに何もかもを放棄してしまった、らしい。
そのあたりはとても口の軽い下働きの者たちから漏れ伝わった。
跡取りを産めば好きにしてよい、という約束のもとに挑んだのに、姉を産んだばかりに私まで産まなくてはいけなかったと、そう思ったのかもしれない。
本当に、彼女は私のことには無関心で、そして姉に関してもこの家にいるための保険、ぐらいしか考えていない。
あちこちで様々な浮名を流し、噂話の中心の花となってはそれを私の耳にいれる軽薄な人物すらいる。
私に関して生の感情をぶつけたのはただ一度だけ。
姉の誕生日会で私が彼女に贈られた髪飾りを欲しいとだだをこね、泣いて騒いだ時。
私の泣き声が癇に障ったのだろう。
おもむろに姉からその髪飾りをむしり取ると、私の方へと投げて寄越した。
「うるさいわね、これでいいんでしょ」
そう言い捨てて、その会場を後にしていった。
涙をこらえ、周囲に謝って回る姉。
呆然とするしかない自分。
手元には、泣いて欲しがった髪飾り。
それは手にした瞬間から色褪せ、視界に入れてもいけないもののような重みすら感じた。
言葉なく近寄ってきた侍女にそれを渡し、結局私もその会場から逃げ出した。
それ以上姉の顔をみることすら出来ないまま。
「お姉さま、これ」
両手に捧げ、奪い取った髪飾りを姉の方へと渡す。
彼女はゆっくりと頭を左右に振り、私の手を両手で包み込む。
「いいのよ、それがとっても欲しかったのでしょ?あなたにあげる」
ゆっくりと、私に言い聞かせるように。
姉のお気に入りの侍女とともに、姉は家庭教師が待つ部屋へと進んで行った。私を振り返ることなどないままに。そのさい、この髪飾りが姉の婚約者から贈られたものだということを侍女から耳打ちされる。
そんな大切なものを、私はだだをこねてゆすった。
その事実に、母がやらかしたそれを上回る羞恥心が襲う。
以前から、ちょくちょく姉のものを欲しがったことはある。あるときは優しく渡され、あるときはやんわりと断られ。
断られたものについては、うるさく叫び続けることで自分のものにしてきた。
誰からも関心がなかった私は、そのことで怒られることもないし、窘められもしない。しいていえばお付きの侍女が何かを言ってくるけれども、それだって聞き流せばいい。
そもそも、姉は何でも持っている。
素敵な婚約者だって、この家だってゆくゆくは姉のものになるのだと聞かされた。
だから、少しぐらい私が姉からもらったっていい。
そうずっと思っていた。
それがどういうことなのかわからなかったし、どういう風に見られていたかもわからないまま。
でも、この出来事で、周囲の見る目は確実に変わってしまった。
少し、わがままな子供から、鼻持ちならないぐらいわがままな子供へ。
感情のままに欲しがった私だけれども、それがわからないぐらい頭は悪くはなかった。
腫れ物に触るかのように扱われ、そして姉は私が欲しがりそうなものは一切身に着けなくなった。
髪飾りは必ず私とお揃いのものを用意する、装身具は極力身に着けない。
装って赴くようような場には、私の目が触れないように屋敷から出かける。
徹底して行われたそれは、幼かった自分はしばらくは気が付かなかった。
はっきりと理解したのは次の年の誕生日会のとき。
姉は、私と色違いの髪飾りをして、それ以外の装身具は身に着けていなかった。
贈り物も私ではまだ読めない外国語の本だとか、綺麗だけど私はあまり興味はない筆記具だとか、ともかく徹底的に私が欲しがらないように対策されていた。
そして、極めつけは父方の祖母の存在だ。
今まで実母が嫌がるからとゆるく排除されていたはずの彼女が、存在感を放ってその場に君臨していた。
姉は、楽しそうに祖母と談笑をして、祖母もまたそれに応える。
嫁である母の存在を根本から気に入らない祖母は、誰に似たのか出来の良い姉に好意をもっている。それを知らしめるかのように。
もちろん、当時はそんな難しいことはわからなかったけれど。
私はマナーに厳しく、嫌なことしか言わない祖母を苦手にしていた。
だから、姉にも近寄れない。
これ見よがしに、姉に首飾りを贈り、それを身に着けさせる。
それを見て一瞬だけ、それを欲しい、と口に出しそうになったけれども、祖母の一瞥でなんとか漏れ出さないようにできた。
姉は、私を手招きし、自分の横に立たせる。
見下ろされる目はとても冷たくて、スカートを握って色々な感情をこらえる。
「母親に似たのねぇ、でもその欲しがり癖は息子かしら」
出来の悪い息子、私の父親すら気に入っていない祖母は、ぽつりと呟く。
そこにきてようやく、私は私のことがどう評価されていたのかに気が付いてしまった。
悔しくて、でも悔しいと思ってもいけないことだけはわかった。
なんとか付け焼刃のあいさつをして、その場を下がる。
まだ子供の私は、早々に退出をする。
侍女に連れられ、自室へ引きこもったあと、耐えきれずに大泣きする。
響いている泣き声も、あふれ出る涙も構わず、ただただ大声で泣き叫ぶ。
私は、気絶するかのようにベッドにうずくまって眠ってしまった。
翌朝、酷い顔になった私を気にするそぶりもせず、ただいつものように世話をやかれる。
頭は痛い、けれども、どこかすっきりとした。
その時に、私はようやく自分の立ち位置を理解することができた。
「お姉さま、あの、ごめんなさい」
音もたてずに、姉が茶器を置く。
もうそろそろ茶会デビューをさせようか、というところで姉に付き合ってもらい練習を繰り返す。
その中で、私はようやく謝罪を口にすることができた。
本来なら相手をしてくれるだろう母親は屋敷には寄り付かず、父方は適切な女性がいない。
必然的にそれは姉の役目となり、姉は嫌がるそぶり一つせずに受け入れてくれている。
「なんのことかしら?」
奥の奥の本当の感情は見せずに、それでも柔らかい笑顔で姉が答える。
「今までのこと、です。厚かましいですが、私に教育を授けてくれませんでしょうか」
姉は、後継ぎとして適切に家庭教師が派遣され、それを粛々とこなしている。
元からの資質もよかったのか、大部分先代夫婦が介入した教育は身になっているらしい。
それに引き換え私の方は、代替もいいところのわがままな出来損ない。
少しでも厳しい教師に当たれば逃げ回り、そしてそれが許されてきた。
それは、私が期待されない人間だから、というほかの理由はないのだと気が付いた。
全く期待されずに、それでも箍が外れすぎないようにコントロールされていた父、それに付随する本当に次代を産むだけの母。
そしてほんとうにおまけの私。
気が付いてみれば、このままの私ではまるで未来がないのだと嫌でも思い知る。
関心が欲しくて、愛情が欲しくて。
わがままを繰り返すままにここまで来てしまった自分。
うつむいて、姉の言葉を待つ。
私にとって、たった一人の姉はたった一人の救い主となれる人物だから。
「……、私が教えてもらった教師の方々に話を通しておきましょう。でも厳しくてよ?」
思った以上に柔らかな言葉が下りてきて、思わず顔を上げる。
姉は、とてもきれいに、そしてとても優しく微笑んでいた。
姉に連れて行ってもらった茶会では及第点をもらった。
もちろん、同じ年の令嬢たちと比べても私は劣るところだらけだ。
あちこちから視線が刺さる。
それを気にしないように、俯かないように胸を張る。
あまりわからない会話に、粗相がないように返事を返し、ときおり質問をする。
出すぎず、出しゃばらず、けれども無知な子供だと思われない程度に。
姉に教わったそれらは、今私の武器となっている。
がしゃん、という硬質な音がして、誰かが茶器を落としたのだと知る。
ゆっくりとそちらに視線を合わせると、おそらく私よりも高位の家の少女が怒りをあらわにしながら腕組みをしていた。
主催者が用意をした軽いけれどもとても美しい茶器が真っ二つに割れるさまが見て取れる。
床の上に濃い茶色の液体が広がっていく。
それを慌てることなく使用人たちが処理をしていく。
デビューしたての少女たちが集う茶会を主宰する家は、やはりそういうこともそつがないのだと妙なところで感心をする。
「かわいらしい方なのね」
この円卓で最も位の高い姉が口を開く。
それは、感情をあらわにして周囲を騒がせている少女に対するものだと気が付く。
決して彼女をけなすことなく、だからといってフォローするような言葉も口にはせずに。
扇で口元を隠しながら次々と、誉めているのだかけなしているのだかわからないすれすれの感想が飛び交っていく。
その話題を巧みに制御しながら、結局は皆の興味は見事に咲き誇る庭の花々へと移ろっていく。
花の種類も、産地も、何もかもわからない自分は、姉に言われたとおりに相手の知識を大げさにならない程度に褒め、そして形式上の会話は弾んでいく。
お開きになったころ、件の少女はいなくなっていた。
帰りに馬車の中で、姉に諭すように告げられる。
「あの子とはもう顔を合わせることはないでしょうね、そうすれば、あなたの代の筆頭はあなたにあってよ」
ずしり、と重たいものが肩の上に降りる。
そこそこの貴族ではない、自分たちの家には付いて回る義務のようなもの。
それをすべて無視して軽やかに活動している両親への失望がせりあがる。
姉は、最初から筆頭的な立場にいた女性だ。
私がいくら自分の家が主催の会だとしても、みっともなくも感情的にわめき散らし、それを上回るレベルで感情的にふるまった母がいた事実は、ひどく彼女の足を引っ張ったのだろう。
婚約者からもらった、綺麗な綺麗な髪飾りを強奪される、という意味以上の屈辱を姉に与えてしまったのだという事実に、何度目かわからないほどの恥ずかしさを覚える。
姉は微笑みながら、私の頭をなでる。
それは、本当に小さいころ、ほんの数回ほど私に与えられた優しい手。
大好きで、安心して。
私は姉のことが大好きだったことをようやく思い出す。
「おねえ、さま」
あまりの温かさに、不意に涙がこぼれる。
淑女たるもの、そのような顔を見せてはいけないというのに。
けれども、姉は私を抱き寄せ、なだめるように背中を撫でてくれる。
「大丈夫、あなたなら、できるから」
家へ帰りつくまで、私は涙を止めることはできなかった。
屋敷の扉が開けられ、色々な手続きを済ませた姉夫婦が屋敷へと戻ってきた。
執事を筆頭にして屋敷の使用人たちが彼らを出迎える。
そこには、私もちゃっかりと紛れ込む。
「改めてこれからも我が家を盛り立ててください」
姉の言葉に使用人一同伸びていた背筋をさらに伸ばす。
なんとなく、それにならって自分も背伸びをするようにしゃんとする。
軽やかに私の方へと近寄ってきた姉は、素早く私の頬に手を添え、優しい笑みを向けてくれる。
隣に立つお婿さんは、正直顔以外よくわからない。
たぶん、姉が最後まで彼がいい、といったのだから、多分いい人なのだろう、という思いしかない。
両親はもうこの屋敷にはいない。
もともと存在することが珍しかった彼らは、あっという間に領地のさらに先の療養施設、のようなところへ押し込められたらしい。
その手際は見事なもので、都会でもてはやされていた母は悪態をつきながらも連れていかれたようだ。最後まで彼女を擁護する分家や使用人たちとともに。
「お茶でも飲みましょうか」
新たな女主人を迎え、我が家はようやく正しい方向へと進んで行けるのだろう。
僅かでも、私がそれに手を貸すことができる未来を夢見ながら。