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第八話 フォアロックヒルズ会戦

 雪の桎梏(しっこく)から逃れた平原が、かぎりなく広がっている。

 芽吹いたばかりの新緑。

 馬蹄と軍靴が踏みつぶしてゆく。

 フォアロックヒルズ市の東南東およそ三〇キロメートルの地点まで、六カ国連合軍は迫っていた。

 アイリーンからフォアロックヒルズまでの五〇〇キロを、わずか五日で踏破したのである。

 通常、歩兵の行軍速度は一日に四〇キロが限界とされているから、 ほとんど奇跡か魔法のような進撃だった。

 むろんこれには多少の理由がある。

 連合軍総司令官たるガドミール・カイトス中将と総参謀長サミュエル・スミス中将が、行軍しつつ編成するという難事業を成功させ、編成にかかる時間をゼロにしたこと。

 鈍重な輸送部隊を切り離して、高速化を図ったこと。

 物資は集積場に備蓄されたものを用い、兵士たちの装備を最低限にしたこと。

 その他もろもろの手法を駆使して、一日に一〇〇キロという桁外れの行軍を実現したのである。


「とはいえ、強行軍に脱落者がかなりでてしまいましたな」


 サミュエルが苦笑いを浮かべる。

 当初、戦場に辿り着いたのは騎兵が四万ほどで、全軍の三分の一にも満たない数であった。

 対する魔王軍は地上部隊だけでも二〇万。

 このままぶつかれば、一戦で蹴散らされるだろう。


「だからこそ、敵は各個撃破を目論むと思わないか?」


 にやりと笑うカイトス。

 戦場にたどり着いた連合軍は四万しかいない。

 これはカイトスの失策だ、と、魔王軍が思ったとしたら、

 他の部隊が到着する前に叩き潰そうとするだろう。

 そうやって、連合軍が集結する前に叩いていけば、魔王軍は常に圧倒的多数で戦うことになる。

 つまり常に高い勝算のもとで戦えるというわけだ。

 まともな指揮官であれば、この好機を逃すはずがない。


「‥‥もし敵の指揮官が慎重に、こちらの出方を伺ったらどうなさいますか?」


 テオドール・オルローが訊ねた。

 サミュエルの部下とカイトスの弟子という二重の資格で参軍している青年騎士だ。


「その時は、我が軍はゆっくりと味方の到着を待てることになるな」


 カイトスが答える。

 自信に満ちて。

 洗練された剛勇、不敗の名将と讃えられる男の凄味が、そこにあった。

 魔王軍は、出戦の決断をしなくてはならない。

 このまま座視すれば連合軍の数は増えるだけだからだ。


「そして、出てきたら引きずり回すってわけさ」

「はい」


 サミュエルが、副官のリアノーン・セレンフィアに笑いかけた。

 各個撃破の可能性を見せびらかすことで、魔王軍をフォアロックヒルズから引きはがす。

 そのために、あえて進軍に粗と密を作ったのだ。

 相手を悩ませることもまた作戦のひとつである。


「‥‥お出ましだ」


 カイトスが呟く。

 視線の彼方、フォアロックヒルズの方角に土煙があがっていた。

 おそらく魔王軍の全軍に近い数が出撃してくるはずだ。

 司令官ウィリアム・クライブは、無能からはほど遠い男である。

 連合軍の狙いを正確に察した上で、最も有利ななる戦法を選択したのだ。

 実際に矛を交える前から、凡将には想像もつかない次元で戦いが始まっているのである。




 二〇万対四万がまともにぶつかった場合、後者に勝機はない。

 これは断言してしまって良いことである。

 戦において、数というのはそのまま力なのだ。

 戦争は数でするものではない、などとは、 数を揃えることができなかったものの言い訳にすぎない。

 少数が多数に勝った例は非常に稀で、だからこそ目立つのだ。

 どぎつい表現をすれば、健常者の中で異常者が浮いて見えるのと同じことだ。

 数を揃え、補給を整え、自軍に有利な戦場を設定し、指揮官の意志をできるだけ早く正確に末端部に伝える。

 面白くもおかしくもないが、必勝の法則とは以上のようなものになる。

 そして連合軍はいま、必勝の法則を自ら捨てていた。


「突撃!」


 カイトスの双竜剣が指揮棒のように躍る。

 地軸を揺るがして、四万の騎兵が突進を開始した。

 柔らかく受け止めようとする魔王軍。

 数が違うのだから縦深陣に引き込むという手も使える。

 先に動いた方が不利になるのは道理だ。

 だが、両軍の先頭は衝突しなかった。

 魔王軍に接触する直前、連合軍の軍列は大きく軌道を変える。

 左右へと。

 まるで巨岩にぶつかった流れが分かれるように。

 蹈鞴を踏む魔王軍の前衛部隊。

 彼らが体勢を立て直す時間は、ついに与えられなかった。

 左右に分かれた連合軍の前衛が、猛烈に投槍を撃ち込んできたからである。

 次々に倒れるモンスターども。

 凹陣形の外側を攻められては、どうにもならない。

 もともとが半包囲殲滅戦を目的とした陣形なのだ。


「木蘭の車懸をちょっとアレンジしてみた。

 お味はどうかな?」


 鞍上、カイトスが不敵な笑みを浮かべる。

 本来は一方向からの攻撃である車懸カラコールを左右双方向からおこない、さらに接近戦パートを省略することによって兵力の損耗を避ける。

 空恐ろしいまでに洗練されたカイトスの指揮ぶりだ。

 苦悶するように魔王軍の陣形が動き始める。

 前進も後退もせず、その場で陣形を変えているのだ。

 錐刑陣へと。


「さすがというべきだな」


 サミュエルが呟いた。

 はじめて受けた車懸で、その弱点を見抜くとは。

 車懸の弱点。

 それは、超攻撃的な陣形ゆえにうまれる防御力の低さだ。

 もし相手が後退すればひたすらに円運動攻撃を繰り返すだけ。

 前進しても同じ。

 しかし、一点突破でこちらの本陣を目指してきたらどうなるか。


「ま、攻勢を中断してさがるしかないな」

「その通りですな」


 カイトスとサミュエルが苦笑を交わす。

 先手を取ったのにもかかわらず、見事に切り替えされてしまった。

 いまは後退するしかない。

 ここで隙を作ってしまうようならカイトスやサミュエルにも可愛げがあるというものだが、


「弓兵を馬の後輪にのせて、追撃してくる敵の鼻柱に矢を射かけさせろ」


 指示が飛ぶ。

 レンディル・ライセスやレノ・ヴァレンシアなども、後ろ向きに馬に乗せてもらい弓矢や魔法で魔王軍前衛の足を止める。

 こうして、連合軍はほとんど損害らしい損害を出さずに後退し、ふたたび両軍は睨み合いの状態になる。


「ざっと一万ほどか。

 まだまだいっぱいいるなぁ」


 ぽりぽりと頭を掻くカイトス。

 一連の戦いではずっとリードし続け敵に痛撃を与えたものの、やはり数が違い過ぎる。




 日は移ろい、連合軍の歩兵部隊が戦場に到達した。

 一進一退を繰り返す戦況で、秩序を保った五万の兵力の登場は、実数以上に心強い。


しゃあ!!」

「うおぉぉぉ!!」


 戦極とサファ・ユニバースという戦士が、先頭に立って斬り込む。

 このふたりには本気で戦うべき理由があった。

 戦極は、息子がフォアロックヒルズの潜入部隊に志願している。

 サファは、落とし前をつけなくてはならなかった。


「あのとき、イグナーツの野郎を殺しておくべきだった」


 それは後悔。

 この事態を招いた責任の一端が自分自身にもあるような気が、サファにはしていた。

 むろんそれは考えすぎというものだろう。

 だが、


「僕は関係ないって開き直るほど、腐ってないつもりだよっ」


 ゴブリンが二匹、まとめて青年の剣に斬りふせられた。

 歩兵部隊の参戦は、強烈な横撃となった。

 まだまだ数の上で勝っている魔王軍だが、 思いも寄らぬ方向からの攻撃によって出血を強いられている。

 上空から俯瞰すると、魔王軍一八万の正面に連合軍騎馬部隊四万。

 左側に歩兵部隊が五万という形だ。

 半数の敵に翻弄されている事になる。

 ウィリアムほどの男が指揮を執っているにしては、対応の遅れが目立っているだろう。

 じつはこのとき金の竜騎士は、副将のシャラを伴ってフォアロックヒルズ市内に赴いており、

 一時的に魔王軍は最高司令官不在の状態だったのだ。

 だからこそ、歩兵部隊の奇襲横撃がここまで見事に成功したのだともいえる。

 五万の歩兵は、思うさま魔王軍の脇腹を抉っている。

 これが一時間にわたって続いた。

 だが、時間経過とともに歩兵部隊の不利がはっきりとではじめる。

 繰り返す突撃も、効果をあげなくなりつつあった。


「‥‥なるほど。

 ウィリアムが戦場に戻ったというわけか」


 カイトスが頷いた。

 急に精彩を取り戻した魔王軍を見ると、そう決定づけざるを得ない。


「ということは、人質は救出されたのかもしれませんね」


 サミュエルが言う。

 あるいは希望的観測かもしれない。

 しかし、充分に可能性のあることだった。

 それを証拠に、歩兵部隊を弾き返したのちの魔王軍は、少しずつ南へと移動を始めたではないか。


「フォアロックヒルズを捨てる、か。

 見事な決断だ」

「ですが、遅すぎましたな」


 カイトスの言葉を引き取ったのは、パク・ドファン。

 彼は本陣にはいない。


「全軍、弓矢と投槍、魔法で攻撃しなさい」


 遠距離攻撃の指令を下す。

 南へと向かう魔王軍の、さらに南東から。

 最も遅れて戦場に到達したパクの歩兵魔法兵混成部隊五万は、魔王軍が撤退する方向を知っているかのような布陣を敷いていた。


「包囲陣を食い破って撤退するのでなければ、この方向しかありえないのです」


 たんたんと語る老人。


「では、行ってください」

「はい」

「うん」


 ノエル・アラバスティンとリンネが、それぞれの方法で魔王軍の側背に攻撃を仕掛ける。

 正面に立ち塞がるような事はしない。

 古来、帰帥を阻むなかれ、というのだ。

 逃げようととする軍隊の前に立ちはだかれば、必死の反撃にあって大きな損害を被る。

 まして魔王軍の総数は、パクの混成部隊のざっと三倍に達するのだ。


「遠距離攻撃で充分です。

 ですがなるべく正確に効率的に。

 すこしでも敵の戦力を削いでおくに越したことはないですからね」


 さすがはカイトスの二倍の軍歴をもつ老人である。

 どこまでも、そつがない。




 結局、魔王軍は全体で六万ほどの損害を出す。

 対する連合軍の損害は二万に届かなかった。

 損害比率からみれば、六カ国連合の圧勝である。

 しかし、


「どうして魔王軍は、ドラゴンを投入しなかったのでしょう?」


 リアノーンが問うた。

 連合軍のペースで押し切られたような恰好だが、竜騎士たちが戦場に現れていたら話は違っていたはずだ。


「輸送に忙しかったのさ」


 薄い笑いを、サミュエルが浮かべた。

 テオドールとリアノーンが顔を見合わせる。


「輸送‥‥ですか?」

「そう。

 たぶん最初からウィリアムはここを捨てる気だったんじゃないかな?」

「では、どうして戦ったんですか?」

「自軍の脆弱な部分を切り捨てるためさ」


 歩み寄ったカイトスが言った。

 魔王軍は、弱兵をあえて削ぎ落とした。

 なんのためか。

 真の精鋭部隊を作るため。

 つまり、


「決戦の時が近い、ということだな」


 司令官の声が、夕焼けの大気に溶けていった。

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