第五話 策動
王都アイリーンへの攻撃は、結局、失敗に終わった。
攻城戦の指揮を執ったシャルヴィナ・ヴァナディースが無能だったから…などといったことは当然ない。
彼女の指揮ぶりは完璧で、かの不敗の名将ガドミール・カイトスの作戦すらも凌いでいた。
にもかかわらず、撤退を余儀なくされたのは、
「そうか。
聖騎士たちがな‥‥」
腕を組んで考え込むのは、ウィリアム・クライブ。
竜騎士の長である。
「すまない。
二〇万もの兵力を預かりながら」
シャラが頭をさげる。
「いや、聖騎士が揃ってしまったのであれば撤退はやむをえない」
聖騎士が持つ神の力に対して、闇の軍勢はあまりにも無力だ。
戦い続けても敗北は必至で、最悪、全滅という可能性もあっただろう。
主神七柱が揃うというのは、そういうことなのである。
シャラの速やかな退却指揮は賞賛こそされ、責められるべきなにものもない。
「しかし、あそこまで攻めておきながら撤退とは。
無念だな」
いささか悔しそうな顔をするシャラ。
もし聖騎士どもが現れなければ、ルアフィル・デ・アイリン王国の王都を押さえることができた。
中央大陸全土に覇を唱える根拠地とするはずだったのに。
そう考えると、戦略的な判断としては正しくとも、口惜しさは感じてしまう。
「いや、単に結果だけいうならそう悪くはない」
ウィリアムが、微笑めいた表情を浮かべた。
「私は陽動というわけか」
「結果としてそうなっただけだ。
怒るな」
「怒ってはいない。
たしかに花火というものは、光と音が大きいほど注目されるからな」
にやりと、シャラが笑う。
魔王軍の主力である竜騎士たちはアイリーンに現れなかった。
では、彼らはどこにいたのか。
フォアロックヒルズ市は、アイリン王国第二の都市である。
人口はおよそ四〇万。
アイリーンの賑わいには及ばないものの、かなりの大都市だ。
ここを国王マーツが視察したのは、二月も末になってのことである。
おしのびではなく堂々たる行幸だ。
王国軍最高司令官ファイアス・トッド大将や最高顧問花木蘭大将を伴い、青の軍一二万五千がこれを守る。
大陸最強の呼び声も高い最精鋭だ。
「王都が攻撃を受けているだと?」
その報告を木蘭が受け取ったのは、二月二九日午後一時であった。
むろん、無視できる情報ではない。
トッド大将とも協議の上、視察期間を短縮してただちに王都へと取って返すことになった。
もし王都が失陥すれば、マーツ王の面目が潰れるだけでなく、
アイリン王国は政治と経済の中枢機能を失ってしまう。
是が非でも守らなくてはならない。
とはいうものの、フォアロックヒルズからアイリーンまではあまりにも遠い。
ひとつの軍団が移動するには、一〇日はかかるだろう。
「まあ、だからこそのんびりしている暇はない」
ひとりごちた木蘭が、ただちに全軍に出立を命じる。
時間を空費するわけにはいかないのだ。
作戦の立案などは行軍中におこなうつもりだった。
というのも、いまある戦力は青の軍だけだからだ。
どの部隊を使うか、という選択肢は最初から与えられていない。
現有戦力をもって最も効果的な作戦を立てる。
「‥‥つもりだったのだがな」
黒い瞳が上空を見つめた。
迫りくる無数の影を。
それは竜に跨った騎士。
ドラグーンと呼ばれる存在。
「臨戦態勢を取れ。
友好親善使節ではないぞ。
あれは」
一二〇〇騎の竜騎士と、一二万の青の軍が激突した。
数だけ考えれば、竜騎士はアイリン軍の一パーセントに過ぎない。
しかし竜騎士の乗騎とはドラゴンだ。
一二〇〇頭のドラゴンを相手取って戦わなくてはいけないのである。
普通の指揮官なら恐慌に陥っても不思議ではない。
だが、木蘭は薄紙一枚分ほどの動揺すら示さなかった。
巧みに陣形を組み直して方円陣をとる。
これは上空からの攻撃に備えたものだ。
バリスタ部隊に訓令する。
「猟師が飛んでいる鳥を射るときと同じだ。
滑空する先を狙うのだ。
鳥だろうと竜だろうと、急に飛行方向は変えられぬ。
むしろ図体がでかい分だけ小回りはきかぬだろう」
神妙に頷く将兵。
常勝将軍の話しぶりは淡々としていて、
勝利が既定のものであるかのような印象を与える。
「ブレスを恐れるな。
高速飛行状態で
あんなもの使えるわけがない。上の騎士が死ぬからな。
となれば、ブレスを使うためには、止まるか低速にならなくてはならなぬ」
一度、言葉を切る。
「良い的だ。
そなたらの腕前を見せてやれ!」
湧き上がる鬨の声。
士気があがる。
竜騎士たちは三度突撃し、そして、三度撃退された。
木蘭の指揮ぶりは完璧であった。
最強の魔獣と呼ばれるドラゴンが突撃の都度、何頭も撃墜されるのである。
むろん青の軍もそれなりの損害を出しているが、
倒されたドラゴンが一〇〇頭以上であることに対して、
人間ども死者は二〇〇人に達していない。
「こんな馬鹿なことが‥‥」
金竜アイアールの鞍上、ウィリアムが無念の臍をかんだ。
無敵を誇る空中騎士団が押されている。
信じられない光景だった。
竜と人間では、戦闘能力において比較にならない。
ならないはずだ。
「はずとべきで立てた作戦は、必ず失敗する」
とは、対峙する木蘭の弁である。
人間だろうとモンスターだろうとチェスの駒ではないから、差し手の思い通りには動かない。
だからこそ意外の生ずる余地がある。
竜騎士は自分たちの戦闘力に自信があった。
だからこそ最初の突撃を撃退されたとき、意地になってしまったのだ。
作戦としてなら、べつに地上に降り立って戦ってもかまわないのに。
なにも空中戦に固執する必要はない。
地上戦においても、竜の鱗は最強の鎧なのだ。
「もっとも、その手を使っても、わたしには三〇通りほども対処法があるがな」
不敵な笑みを浮かべる木蘭。
奉られた常勝将軍という異名は伊達ではない。
彼女の指揮棒が踊る都度、最強のはずの竜たちが撃墜されてゆく。
「これが‥‥花木蘭‥‥」
知らず冷たい汗を拭う竜騎士の長。
これまで中央大陸の大地が幾度も見てきた女将軍の神技的な采配を、今度は空が見せつけられる番だった。
「‥‥退却すべきか‥‥」
屈辱に満ちた決断をしかかるウィリアム。
フォアロックヒルズを攻略するどころか、近づくこともできぬとは。
だがそのとき、異常きわまることがおこった。
青の軍の各所で、白旗が掲げられたのである。
「なん‥‥だと?」
信じられないものでも見るように、金竜にまたがった男が見つめていた。
ほとんど完璧に勝っていた青の軍が降伏したのには、むろん理由がある。
奇術ともいうべき理由が。
その奇術を演出したのは、フィリップ・イグナーツという男だった。
かつて木蘭に対する反乱をおこなおうとして失敗した男。
恩赦をもって罪を許された男。
彼は不平分子を集め、ふたたび反乱の狼煙をあげたのである。
つまり交戦中の青の軍本陣に味方として接近し、木蘭とともにあった国王マーツの喉元に剣を突きつけた。
王を人質に取られては、トッド大将も木蘭も、どうすることもできなかった。
こうしてアイリン王国の最高幹部三人を捕虜としたフィリップは、意気揚々とウィリアムに面会を求める。
事情を知った竜騎士の長は、あまりのあざとさに顔をしかめたものの、厚遇を約束してフィリップを陣営に迎え入れた。
フォアロックヒルズ市は、市民の損害を出すことなく魔軍の手に落ちる。
時に、大陸暦二〇〇四年三月一日。
アイリン王国は人格的な支柱と、第二の都市を失った。