第四話 王都の戦い
魔王軍が王都アイリーンを包囲してから九時間。
軍勢は、いまだ市内になだれ込めない。
赤の軍の兵たちは良く戦い、城壁を利用して巧みに敵に出血を強いている。
「堅忍不抜だな」
舌打ち混じりの感歎をシャルヴィナ・ヴァナディースが洩らした。
魔王軍は二〇万。
王都を守る兵力は最大で見積もっても七万。
城壁のことを計算に入れても、勝負になどならぬはずであった。
しかも、北門と南門は閉鎖されたものの、西門に取り付くことは成功している。
戦闘開始直後、失陥は時間の問題だと思われた。
だが、
「図られたか‥‥」
呟くシャラ。
西門は封鎖に失敗したのではない。
わざと開け放たれていたのだ。
むろん、魔王軍の攻撃を一点に集中させるためだ。
普通に考えれば、敵の攻撃のポイントを固定させない、というのが兵法の基本である。
だが、その基本こそが、カイトスが弄したトリックだった。
一点突破の可能性を見せびらかすことで、魔王軍に誤断させる。
「うかうかと乗ってしまったな」
魔王軍アイリーン侵攻部隊司令官という、いささか長い肩書きを持ったシャラ。
その声は苦い。
西門に固執するあまり、北と南への攻撃が甘くなってしまった。
あげく、西門方面でも巧みに縦深陣に引き込まれ、多くの犠牲を出している。
「‥‥まずい戦いをしたものだ」
アイリン軍の損害はざっと一万弱だろうか。
対して魔王軍はすでに四万近くの犠牲を出している。
「さて、どうするかな」
腕を組む。
このまま西門を攻撃し続けるか、あるいは北か南に攻撃のポイントを切り替えるか。
いずれにしても、こちらが兵力を分散するのは愚劣というものだ。
力は集中してこその力なのだから。
「‥‥このまま西門を攻撃されるのか、連中としては最も苦しいかもしれないな」
思考がめぐる。
西門を攻撃したのは失敗だ。
または罠だ。
と思った魔王軍はどうするか。
北か南へと移動するだろう。
それこそが狙いなのではないか。
北でも南でも西門以上に簡単に陥とせるとは思えない。
時間をかけさせ、そしてその隙に西門の守備をふたたび整える。
魔王軍は引きずり回されるだけだ。
「だが、我らがこのまま移動せず、西門を攻め続けたらどうなる?」
アイリン軍はいつまでも次の段階に移行できない。
ということは、南と北を守っている兵力は、そのまま遊兵になる。
西に圧力をかけ続ければ、いずれは南北の兵力をまわさなくてはいけなくなるだろう。
それが、堅守に綻びが生まれる瞬間だ。
「攻撃の手を緩めるな。
押して押して押しまくれ」
シャラの声が響く。
鬨の声をあげるモンスターたち。
このとき、彼女の知謀は名将カイトスをも凌ぐ冴えを見せている。
「はぁはぁ‥‥何匹殺った‥‥?」
息を弾ませながら、フィランダー・フォン・グリューンが言った。
「さあな‥‥二〇匹までは数えてたけどな‥‥」
背中合わせに戦いつつ、ゲトリクスが応えた。
ふたりの身体を彩るのは、無数の傷と返り血。
「アイシクルランス!」
「黒の太陽!」
アオイ・エクレールとレノ・ヴァレンシアの魔法が煌めき、深夜の戦場を無明の火花で飾る。
「さがっていろ」
竜と化して宙へと舞ったキースが、キアルの声で告げ、城門に群がるモンスターどもを焼き払う。
「‥‥減らないな」
「あたりまえだ」
ひとつの身体の中で交わされる会話。
眼下に広がる平原には、闇の軍勢がひしめき、あふれ、視界そのものを埋め尽くしている。
キアルのブレスで五〇匹や一〇〇匹を薙ぎ払ったとして、大勢に変化が出るはずはない。
「それでもっ! やるしかありませんっ!」
城壁の上に立って、朗々と告げるのはノエル・アラバスティン。
「ドイルの子らよ。
目を醒ませ。
目を醒ませ。
目を醒ませ!!」
声に応じて大地が揺れ、無数の種子が飛び出す。
鋼の鎧すら貫く危険な種だ。
狙いなどつけることは不可能で、味方もいる状況で使ったら大惨事になってしまう。
だからこそ、敵しかいない城門の外側では有効だろう。
数十匹の小鬼どもが、種に貫かれて絶命する。
もちろん、状況にはまったくといって良いほど変化がなかった。
そもそもの数が違いすぎるのだ。
個人的に武勇や特殊能力で、どうにかなるようなものではない。
「わかってるけどやるしかない‥‥だろ」
「ああ‥‥」
シェキル・ガーラントの大弓から放たれた矢がオークの胸板を貫き、ロック・サージェントが召喚した悪霊がオーガーを一瞬で灰に変える。
木霊と水尊も後方から懸命に援護していた。
善戦。
そう。
王国軍だけではなく、駆けつけた冒険者たちも善戦していた。
だがそれは、苦戦へと転げ落ちる断崖の上に、かろうじて爪先立ちしているようなものだった。
徐々に、徐々に。
真綿で首を絞められるように、少しずつ押され始めている。
次々と飛び込んでくるモンスターたちを、ひたすらに叩き潰してゆく。
永遠とも思われる作業。
「いまさらだが、軍隊の忍耐強さには感心するぜ」
倒しても倒しても押し寄せる敵にうんざりしながら、レノが言った。
参戦から三〇分も経っていないが、すでにうんざりしていた。
これを軍は一〇時間近くも続けてきたのである。
「さすがは大陸一の強兵ってか」
呟きながら、矢継ぎ早に魔法を繰り出す。
「きっついなぁ」
嘆息が夜空に吸い込まれてゆく。
「破っ!」
「どうりゃっ!」
前列で戦うフィランダーやゲトリクス。
すでに満身創痍だ。
あるいは、ここで死ぬことになるかもしれない。
ふたりは期せずして同じ感慨を抱いた。
金髪の軍人の長剣も、蛮族の戦士の大剣も、すでに刃はこぼれて血糊がこびりつき、単なる殴打用の棒と化している。
全身の傷が痛む。
疲労とダメージのため、視界が狭まる。
それでもふたりは、一歩も退かなかった。
この街を、闇の軍勢に蹂躙させるわけにはいかない!
と、その時。
魔王軍の後方から、ふたたび援護の魔力弾が飛ぶ。
昼間から何度も街中に着弾しているものだ。
狙いは不正確、というよりも、ただ当てずっぽうに撃っているだけのものだが、当たれば人間のなど木っ端みじんになってしまう。
「ちぃっ!!」
空中のキースが、十数発を叩き落とす。
が、やはり数が違う。
街に降りそそぐ魔力弾。
戦っている冒険者の至近にも。
めくるめく魔力光。
吹き上がる爆煙。
死神が大鎌を振りおろすさまを幻視したものもいるかもしれない。
だが、それは現実の光景にはならなかった。
現実になったのは、べつのものである。
「大友っ!?」
アオイの悲鳴。
彼女のペットであるヘルハウンドが全身から煙を噴きあげて倒れている。
そして背中から腹部へと抜ける大穴。
考えてみずとも、ヘルハウンドが自らの身体を盾として利用したのは明白だった。
仲間たちを守るために。
「だから‥‥言ったで‥しょう‥‥あお‥い‥‥」
青白いスパーク。
優しげな瞳。
不意に、光を失う。
「嘘や‥嘘や‥‥大友ぉ!!!」
慟哭が、城門広場に響き渡った。
暁の女神亭では、幾人かの避難民を収容している。
西門から最も近くで頑丈な建物といえば、ここくらいしかなかったのである。
恐怖に泣き叫ぶ子供たちを、必死に天霧やルシフェーラ・ウェイトリがなだめる。
「なんでこんなことに‥‥」
とは、アレク・ディリアスの台詞であるが、そんなもの、ルシアだって知りたいくらいだ。
突然の攻撃。
戦いへと赴いた友人たち。
そして恋人。
どうして自分はここにいる?
皆、血みどろになって戦っているのに。
「わたしは‥‥」
守られるだけ。
あの時もそうだった。
姉は命を捨てて守ってくれたのに。
「わたしがだれかを守ることは‥‥できないの‥‥?」
「そうでもない」
突然、ホールに響く声。
天霧とアレクが慌てて見渡す。
そして、
「人は誰でも守るために戦うもの。
あるいは、かの竜騎士たちもな」
カウンター席に腰掛けた女が言う。
どこから入ってきたのか。
いつからそこにいるのか。
むろん、誰にもわからなかった。
「あなたは‥‥」
ふらふらと。
吸い寄せられるように近づくルシア。
ホールにいる人々が固唾を呑んで見守る。
「そなたの想い人は、いま戦っている」
「‥‥はい」
「そなたの友たちも、戦っている」
「‥‥はい」
「そなたは、戦いを望むか?」
「わたしは‥‥戦いは嫌いです。
でも‥‥それでも」
「それでも守るために」
「はい‥‥はい」
やっとのことで少女が頷く。
ふわり、とその身体が抱きしめられた。
聖母の腕のように暖かい抱擁。
「ぁ‥‥」
「すまぬな。
そなたには大きすぎる荷物を背負わせてしまう」
輝き。
ホールに満たされる光。
眩しさに瞳を閉じた人々が見たものは、呆然と立ちすくむルシアと。
その手に握られた光り輝く剣。
「七宝聖剣‥‥」
アレクが、呟いた。
それは、伝説に語られる祝福の剣。
「へへ‥‥御大将のお出ましだぜ‥‥準備はいいかぁ」
ゲトリクスが言う。
本来は両手で持つ大剣を、右手だけで提げている。
左肘は関節を砕かれ、もう動かないのだ。
否、腕だけではない。
額からも腹部からも背中からも足からも、小さな滝のように血が流れている。
他のメンバーも、ほとんど彼と大差なかった。
参戦から一時間半。
休むことなく戦い続けているのだ。
無傷である方がおかしい。
「大友‥‥仇とるからね‥‥」
アオイの魔法が雷を呼び、敵陣に穴を穿‥‥たなかった。
高々と掲げられた剣が、すべて絡め取る。
死霊騎士だ。
それだけではない。
ついに姿を現した魔軍司令シャラ。
その周囲には、バルログやケルベルスといった上位のモンスターがひしめく。
「このっ!」
かっとするアオイ。
両手に火焔の球がうまれる。
が、それが放たれるよりはやくバルログが駆ける。
迫る黒い悪魔。
「キサマの相手は俺だっ!」
鉄扇が悪魔の横面に叩きつけられた。
レノだ。
ちらりとそれを見たアオイが、火焔球を放つ。
礼を述べるのはあとでもできる。
いまは一匹でも多く敵を屠らなくては。
ノエルの手からも鞭が伸び、不死の騎士を拘束する。
火焔球が死霊騎士に迫り、しかし、いきなり消滅した。
飛び出したケルベロスに吸収されたのだ。
「こいつら‥‥なかなかやるっ!」
木霊の嘆息。
だが、嘆いている余裕はないだろう。
すっと飛んだ死霊騎士がノエルの前に降り立ち、正確極まる斬撃が次々と襲いかかる。
「くっ!
はっ!」
なんとか受け、回避するものの、彼女の身体には無数の傷が刻まれてゆく。
危機はノエルだけではない。
飛びかかってきたバルログに大きく左肩を切り裂かれたレノが地面に転がった。
「かはっ!?」
口から溢れる血塊。
「まだだ‥‥黒い‥‥太陽っ!」
炸裂する魔法。
バルログの腹が大きく薙がれ、
「これで終わりだ!!」
横合いから飛び込んだゲトリクスが悪魔の首を斬り飛ばすのを、急速に狭まる視界の中で見た。
「‥‥へへ‥‥昨日のうちに出発すれば‥よかったぜ‥‥」
救護班の水尊の足音を、どこか遠くでレノは聞いていた。
上空のキースは、仲間たちを援護できなかった。
むろんするつもりは充分にあったのだが、状況が許してくれなかった。
間断なく撃ちあげられる魔力光。
キアルがブレスを一発撃つ間に、それ以上が飛んでくるのだ。
金色の翼も、最強を誇る竜の鱗も、すでにぼろぼろだった。
だが、退がるわけにはいかない。
彼が退いたら、また街に魔力弾が降りそそぐことになるから。
「ぜったいに‥‥うしろには倒れないぞっ!」
「応!」
キースの意識に金竜が応える。
降りそそぐレーザーブレス。
撃ち抜かれる翼。
「ぐっ‥‥」
大幅に揚力が削がれる。
だが、
『ここは、絶対に通さないっ!!』
竜と人の声が重なった。
ケルベロスが駆ける。
飛び交う魔法と、剣戟をかわして。
「このぉ!!」
アオイの攻撃魔法が頭のひとつを吹き飛ばし、
『斬!』
フィランダーの剣が銅を薙ぐ。
しかし、地獄の番犬の勢いは止まらない。
「が‥‥は‥‥っ」
赤毛の女の唇から、苦痛の声と濡れた吐息がもれる。
番犬に残された二つの頭。
ひとつが女の首に咬みつき、もうひとつが脇腹を咬み裂いていた。
誰がみても、致命傷だろう。
「アオイどのっ!」
駆け寄ったフィランダーがケルベロスに剣を突き刺す。
幾度も幾度も。
その度ごとに、女の傷口から血が噴き出した。
「かんにん‥おおとも‥‥アンタの仇‥とれそもないわ‥‥」
薄れゆく意識の中、ぼんやりとアオイは考えていた。
「もうやめろっ!
シャラ!!」
魔軍司令の前に立った男が叫ぶ。
「操られているだけなんだよな?
こんなのは‥‥お前‥‥」
「久しいな。
ロック」
端然と微笑するシャラ。
絶句する男。
操られているなら、彼女の意識がないなら、彼の名を呼んだりなどできるはずがない。
この侵攻も、魔軍にいることも、すべて彼女の意志だというのかっ!
「シャラ!!」
「再会早々だが。
消えてくれ」
大きく振れられる女の右手。
瞬間、真空の刃を伴った颶風がロックを弾き飛ばす。
血みどろになった青年が、地面に叩きつけられる。
そのとき、ついに力尽きたキアルもまた、大地と接吻した。
もうダメなのか。
ここで終わってしまうのか。
絶望の黒い染みが、仲間たちの心を蚕食していった。
「いいえ。
終わりません。
終わらせません」
ぼろぼろの姿で無様に横たわるキース。
その横に立った人影が言った。
右手に掲げもつ、光り輝く剣。
「るしあ‥‥こんなところにきちゃ‥‥だめだ‥‥」
「キースさん」
すっとしゃがみこみ、恋人の血みどろの顔に口づける。
ルシア。
アイリーンの聖騎士。
ルシフェーラ・ウェイトリィ。
「すこしだけ待っていてくださいね」
歩き出す。
「ダメだっ!
行っちゃダメだ!!」
動かない体を懸命に叱りつけ、後を追うキース。
彼は見てしまった。
恋人の表情に宿った悲壮な決意を。
「なんでだっ!?
なんでルシアが背負わなくちゃならないんだ!!」
悲痛な声は、神への断罪か。
背負うなら自分が背負う。
罪も罰も。
すべて背負ってやるのに。
「ルシア‥‥ルシアー!!!」
遠ざかってゆく背中。
巡礼へとむかう聖者のように。
集え。
集え。
集え。
剣の放つ光が強くなってゆく。
「アオイどの!
しっかりしてください!!」
フィランダーの声。
だが、女の顔にはもはや死の影が濃い。
絶望の表情を浮かべる青年騎士。
だが、
「ここで死ぬにはアンタは少し勿体ないくらい良い女だな」
突如として現れた人影が、女と唇を重ねる。
みるみるうちに塞がってゆく傷。
致命傷だったはずなのに。
「奇跡‥‥?」
「かもな」
言葉を最後に影が消え、代わって赤毛の女の手には一振りの剣が残される。
その剣の名は、最後の秘宝剣。
アイリーンの兄、アイルの神具である。
奇跡は、いたるところで起こっていた。
「お若いの。
十字架を背負う覚悟がおありかな?」
老人がロックに声をかける。
「何言ってやがる‥‥?」
「あの娘の魂。
救いたいとおもうかの?」
「シャラの‥‥」
一瞬だけ沈黙したあと、力強くロックは頷いた。
「いいぜ‥‥なんだかしらねぇが背負ってやろうじゃねぇか」
「良い覚悟じゃ」
老人が消える。
そして現れる一振りの剣。
このとき、ノエルは少年からサークレットを、木霊は青年から槍を、それぞれ受け取っていた。
それは、聖騎士の証。
神々の器。
「‥‥‥‥」
魔軍司令が無言で頭を振る。
満ちた潮が引くように、月が欠けてゆくように、魔王軍が撤退を始めた。
「聖騎士が現れた以上、攻撃は無意味だからな」
整然とした撤収。
ついに付けいる隙は与えなかった。
王都アイリーンは、かろうじて守られた。
沖天にかかる月が破壊を免れた街を照らしていた。