第二話 竜騎士
かつて、竜は畏敬の対称だった。
神とすら同格だった。
西方大陸などにも名残はある。
いくつかの国々が竜を神として崇めている。
それは土着宗教でしかなくなってしまったが、竜と神が同一直線上に存在したというたしかな証拠だ。
しかし、悠久の時の流れの中、竜の存在意義は変わってゆく。
巨大な力を持ってはいるものの、ただの魔獣へと堕されてゆく。
蛟やワイバーンといった竜の眷属たちは、モンスターと同列に扱われるようになった。
神とともに創世に携わり、ともに魔を伐ってきたのに。
「どうして我々だけが貶められる?
忘れ去られる?」
低い男の声が闇を圧して響く。
応えるもののいない問いかけ。
暗い、暗い地の底。
日の光すら差さぬ場所に数百の竜が蹲っている。
その乗り手とともに。
じっと。
静かに戦いの時を待つように。
竜騎士。
彼らはそう呼ばれていた。
天翔ける騎士、ドラグーン、と。
竜騎士の根拠地を、竜の里という。
安直きわまるネーミングだが、ここはドラグーンたちの鍛錬場であり、生活の場であり、活動の拠点だ。
広大な領域を持ち、農耕や牧畜などもおこないながら暮らしていた。
竜を友とし、彼らとともにモンスターなどを退治しながら。
ウィリアム・クライブは竜騎士の名門に生まれ、数百年に一人の天才と呼ばれた。
剣術、槍術、戦術眼、指導力、竜を駆るテクニック。
彼の右に出るものなどおらず、次代の竜騎士の長は彼、という呼び声も高かった。
事実、ウィリアムは有能な男だったのだ。
見事な行政手腕をも有し、視野は広く識見は深い。
飢饉が起こったときも、いちはやく公庫を開いて救恤している。
ただし、里長の許可が下りるより先に。
独断専行を責める声もあったが、ウィリアムは意に介さなかった。
長の許可とやらを待っている間に民は飢えて死んでゆくのだ。
民の命と、許可証とやらいう紙切れ一枚。
どちらが大切であるか、考えるまでもない。
それが彼の論法であり、彼の考え方だった。
民のためならば、長の権威など平然と蹴飛ばす。
確固たる信念と高いまなざし。
何よりも部下や民を大切にする心。
里の民も若い竜騎士たちも、ウィリアムを褒め称えた。
一方、面白くないのは古参の竜騎士や、里の幹部たちだった。
じつのところ、一度ならずウィリアムを排しようという動きがあったのである。
あるいは降りかかる火の粉を払っているうちに、彼の中に確固たる覚悟ができあがっていったのかもしれない。
運命の日がくる。
ついにウィリアムが起ったのだ。
竜騎士たちの七割までが彼の味方をした。
里の民のほとんどが武器を取り、彼の元に馳せ参じた。
平和の影で漫然とくすぶっていた不満が方向性を得たのだ。
新しい時代を築く象徴が、ウィリアムだった。
一国どころか中央大陸全土に覇を唱えるだけの力を持ちながらも、こんな逼塞した山奥に隠れ、日々の暮らしにすら困る生活。
何が竜の眷属か。
各国からの救援要請に応えて出撃しても、その報償を受け取るのは長と幹部だけ。
民はいつまでも貧しいままではないか。
圧倒的多数で本城たる竜の城を攻め立てる反乱軍。
近衛たちも勇戦はしたが、数の前に後退に後退を重ね、いつしか戦火は、玉座の間へと及んだ。
ほとんど傲然と入室する反乱指導者。
「私に何の罪があるというのだっ!
答えよ!
ウィリアム!!」
長の叫び。
若き竜騎士は、沈痛な顔で答えた。
「里の民が飢えに苦しんでいるとき、あなたは何をしていた?
貧家の娘が家族を養うために身を売っていたとき、あなたは何をしていた?」
その表情は、むしろ苦い。
「あなたの罪とは、まさにその一点。
何もしなかったということだ」
「‥‥っ!」
声にならない叫びをあげ、長が剣を抜きウィリアムに斬りかかった。
が、
「遅いな。
飽食と怠惰のせいか」
冷然たる青年の声。
交わされる剣光。
ごろりと床に転がる長の首。
もはや先代の。
「‥‥‥‥」
長を殺した男の鋼色の瞳がじっと見つめる。
旧時代の終わりを。
その象徴を。
「我らが盟主よ‥‥」
部下の一人が恭しく宝剣を差し出した。
竜騎士の長だけが持つことを許された、聖剣ケストナール。
黙然と受け取ったウィリアムが、高々と掲げる。
「皆のものっ!
我らの時代の幕開きぞっ!!」
傲然と告げる。
勝利を祝うかのように、上空をドラゴンたちが舞っていた。
「なにを考えていた?
ウィリアム」
不意に、背後から声がかかった。
「ぺつに、たいしたことではない」
振り向いた竜騎士の瞳に女の姿が映る。
金の髪を一房だけ青く染めた、美しい女。
彼と同じく、竜を奉ずるもの。
「気宇壮大だな。
新たな世界を築くための政戦両略が、たいした事ではないか」
揶揄するように笑う女。
ウィリアムが肩をすくめた。
この地下宮殿に、続々と竜の眷属たちが集まりつつある。
ふたたび、栄光を掴むために。
「そういえば、何か用だったのではないのか?」
相好を崩して竜騎士が問う。
「アイアールが探していた」
女が言った。
アイアールとはウィリアムの乗騎たるゴールドドラゴンである。
ちなみに、勇者という意味の名だ。
「わかった。
すぐ行こう」
歩き出した男を、女が見送る。
扉から消える一瞬、ふとウィリアムが立ち止まり、
「我らは勝てると思うか?
シャラ」
「負ける戦いはしたくないものだな」
まじめくさって答えるシャルヴィナ・ヴァナディース。
男の背中越しに苦笑の気配が伝わった。
「そうだな。
絶対に勝たなくては。
我らが竜の民のために」
不吉な彗星のように尾を残し、男の声と姿が廊下へと消えた。
侵攻作戦の開始が、一週間後に迫っていた。