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へいたいさん

文 渚女悠歩



 ―――絶対、帰って来るから。

 爆音、そして、迫り来る塀。

 ―君の名前は……――――


「ひゃうっ?!」


跳ね起きたレインの視線の先に、見慣れたアパートの壁が見える。


「夢、ですか……」


 呟きながら、表情を曇らせる。

 忘れてしまいたい、でも、忘れられない記憶を思い出してしまったらしい。


「おや、レイン、起きていたのですか?」


 ひょい、とレインの部屋に顔を出した目隠しの男は、レインの師匠。

 本人に言うと“助手ですよ”と言われてちょっと怒られるので言えないが。


「ぁ、ぇと、ちょっと……」


 あの出来事を、師匠に話すのは少し気が引けた。

 何故かはわからないが。


「御師匠様は、何を?」

「あぁ、ワタクシは少々、書き物を」


 このまま寝て、またあの記憶が蘇るのは怖い。

 師匠の様子でも見て、気を紛らわそうと考えた。

 ベッドから降りて、頭を引っ込めた師匠を追って部屋を出る。

 リビングに行くと、書き散らかされたメモ用紙が見えた。


「御師匠様、掃除するのは私なんですけど」

「いやいや、すいません」


 苦笑を浮べる師匠の傍をすり抜けて、メモに埋もれた一枚の原稿用紙に目を通す。


「……新しぃ劇、ですか?」

「えぇ、レパートリーを増やそうと思いましてね」


 しかし、原稿用紙は三分の一も埋まっていない。

 もしやと思い床を見れば、ぐしゃぐしゃに丸めた原稿用紙がばら撒かれてあった。


「御師匠様~」

「あぁ、すみませんすみません」


 平謝りする師匠の様子に、怒る気も失せてしまう。


 「ぃぃですよぅ……で、何の話なんですか?」

 「えぇ、ザッガーリア襲撃の話です」


 “エオスの護り手”。

 その言葉から、レインの脳裏にあの日の光景が浮かび上がってくる。

 焼ける町、壊れる建物。そして、死んでいく人間。


「レイン?」

「――ぁ、ぁ、ぇと、はぃ」


 知らぬ間に、表情を強張らせていたらしい。

 師匠の細い手が、レインの頬を撫でていた。


「大丈夫ですか?」

「は、はぃ」

「そうですか」


 ニコリ、と笑みを浮べて、師匠が手を離す。


「ぁ」


 名残惜しさを感じて、思わず声が出た。


「?」

「ぃ、ぃゃ、何でもなぃです」


 ぶんぶん、と首を横に振って誤魔化す。

 師匠も詮索する気もないらしく、再び書き物に戻った、が、筆が進まない。


「何に悩んでぃるのですか?」

「実体験がね、少ないのですよ」


レインの問いに、目隠しを撫でつつ応える師匠。


「実体験?」

「そう。

 ワタクシはあの事件に居合わせませんでしたから、頼るのは他人の経験な訳です。

 ですが、その他人があの事件の事を話してくれない」

「はにゃぁ……」


 確かにそうだろう。

 あの事件で友人や恋人を亡くした人間も多い。

 その出来事を語れというのはあまりにも酷過ぎる。


「そういえば、レインもあの事件には居合わせていましたね」

「ぁ、はぃ」

「よければ、その話を聴かせて頂けませんか?」


 いつもの笑顔で問い掛けてくる師匠の前で、視線を下に落とすレイン。

 あの時の事は、出来たら忘れたい。

 でも、レインは決して“忘れられない”。

 それならば、話した方が楽になるかもしれない。


「では、話しますです……」


ポツリポツリと、レインが話始めた。




 視線が霞み、周りの男が遠くなる。

 そろそろ、限界かもしれない。

 そう考えるが、体が動いてくれない。


「……ぁ……ぅ……」


 最後の力を振り絞って、掘っ立て小屋の外を見るが、助けてくれそうな人間は居ない。

 少女の仲間であるスラムの浮浪者達は、少女を遠ざけ、決して助けようとはしない。

 なぜなら、少女の死を望んでいるから。


「ぅ……」


 観念して目を瞑る少女の瞼越しの視界が、暗くなった。


「大丈夫かい?」


 優しい男の声。

 記憶に無い父が迎えに来たのだろうか。


「大丈夫じゃなさそうだな」


 頭が持ち上げられ、唇が押し開かれる。

 冷たい液体が、口に入ってきた。


「っ……コホッ」


 思わずむせてしまうが、喉を通った水は、熱のこもった少女の体を冷やしてくれる。


「……ぁ」


 目を開けると、優しげな瞳がこちらを覗いていた。


「熱があるみたいだね。

 今、医者を呼んでくるから」

「ぇ……ぉかね」

「そんなのは気にしないでいい。

 命の方が大事だ」


そう言って駆け出していこうとする男。


「ぁ……」

「ん、何?」

「なまぇ……」


 今にも途切れそうな声で話す少女の頭を撫でて、男はニヤリ、と笑う。


「兵隊さん、とでも呼んでくれ」




「食えるか?」

「はぃ・・・・・・」


 はぐはぐ、とパンを齧る少女を見て、“へいたいさん”は笑顔を浮べる。


「何日食べてなかったんだ?」

「ん……よん?」

「四日か、そりゃよく持ったなぁ」


 えらいえらい、と頭を撫でられる。

 不思議そうな顔をする少女の顔を見て、“へいたいさん”はぴしっと少女を指差した。


「普通四日飲まず喰わずじゃ死んじゃう。

 これからは気をつけなよ」

「う……んん」


 パンを口に突っ込んだまま首を上下に振る少女。


「よし」


 そのまま少女がパンを食べ終わるまで“へいたいさん”は優しげな視線を向けたまま見守っていた。


「ほれ、水」

「ん……コホッ」

「こらこら、慌てるなって」


 むせる少女の頭を再び撫でる“へいたいさん”。

 その度に、少女は不思議そうな顔をする。


「そういや、君の名前、聞いてなかったな」

「なまえ……?」


 理解できない、という風に、首を傾げる少女。


「名前だよ、名前。

 他の人に何と呼ばれてたのかな?」

「…………」


 黙りこくってしまった少女を見て、眉根を寄せる“へいたんさん”。


「名前、無いのか?」

「…………」


 暗い表情で俯く少女。

 それを見て苦笑を浮べる“へいたいさん”。


「それじゃ、ナナシ」

「ななし?」

「そう、ナナシ」


 繰り返して言うと、地面に「ナナシ」と字を書く“へいたいさん”。


「本当はまともな名前付けてあげたいんだけど、そういうのは、もっと親しい人間のする事だからね」


“へいたいさん”の言葉を聞いているのかいないのか、少女の視線は地面の文字に注がれている。


「ん、どうした?」

「なまえ……なまえ!」


顔を上げた少女が、ヒマワリのような笑顔を浮べた。


「お、気に入ってくれたかぁ。

 でも、仮決定だからね」


 そう言って、三度少女の頭を撫でる “へいたいさん”。

 少女の顔が一瞬不思議そうになり、すぐに笑顔に戻った。


「ナナシ」

「はぃ……?」

「俺が思うに君は語彙が足りない」


ビシッ、と少女を指差して、“へいたいさん”が言う。


「ごい……?」

「うん。

 知ってる言葉の数がね、少ないんだよ」

「すくない……」


オウム返しに言葉を返すと、何か考え込むような素振りを見せる少女。


「ことば……すくない」


呟くと、“へいたいさん”にすがるような視線を向ける少女。


「大丈夫」


 少女に笑顔を向けると、“へいたいさん”は荷物袋から五冊の本を取り出した。


「子供用の絵本だけど、これくらいが丁度いいだろう」

「えほん……」


 本を受け取ると、恐る恐るページを捲る少女。

 その表情が、ぱっと明るくなる。


「気に入ってくれたか」


 ほっとした笑みを浮べると、“へいたいさん”は腰を上げる。


「へいたいさん……?」

「兵隊さんはお仕事があってね。

 明日また来るから、それ、読んでおくんだよ」


 それ、と絵本を指差してから、少女に背を向ける “へいたいさん”。

 残された少女は寂しそうに“へいたいさん”の去った方向を見ていたが、絵本に視線を落とすとすぐに笑顔になる。

 その日、少女の済む掘っ立て小屋では、夜中までページを捲る音が聞こえていた。




「お~い」

「はわ……」

「お~い、ナ・ナ・シっ」

「はわ……ぅん」


 “へいたいさん”の声に、目の下に隈を浮べた少女が生返事を返す。


「もしかして、徹夜した?」

「てつや……?」

「朝まで起きてる事」


 こくり、と少女が肯いた。


「あ~も~、駄目じゃないか、ちゃんと寝ないと」

「ぅん……」


 少し強い調子で言われたのに驚いたのか、今にも泣きそうな顔になる少女。


「まぁ、いいや、次はちゃんと寝ようね」

「……ぅん」


 うなずきながら、少女が絵本を差し出してくる。


「ん、もういいの?」

「……おぼえた」

「え?」


 聞き返す“へいたいさん”に、おぼえた、と繰り返す少女。


「覚えたって……全部?」

「ぅん」


信じられない、といった顔の“へいたいさん”を見て、むぅ、と悲しそうな顔をする少女。


「“ある日ある時ある場所に、羊飼いの少年が居ました”」


 渡した絵本の中の内、一冊の冒頭を読み上げる少女。


「“少年は、羊飼いになったばかりで、うまく羊を運ぶことができませんでした”」


 その後の台詞も、一字一句間違える事無くすらすらと暗唱していく。


「“こうして、少年は幸せに暮らしましたとさ”」


 一冊丸々暗唱し終わると、“へいたいさん”の方を見てヒマワリ笑顔を浮べた。


「……驚いたな」


 ぽかんとしていた“へいたいさん”が、笑顔を浮べて少女の頭を撫でる。


「よくやったなぁナナシ。偉いよ」


 “へいたいさん”に誉められて気分が乗ったのか、他の絵本の内容も暗唱し出す少女。

 結局少女は、五冊全部の内容を完璧に暗唱した。




「ほらナナシ、今日はたっぷり持ってきてやったぞ」

「ぁりがとう!」


 嬉声を上げる少女を見て“へいたいさん”は満足げに肯く。


「おぉ、これがお前がご熱心な名無しちゃんかねぇ」


 ひょい、と“へいたいさん”の背後から顔を出した男を見て、首を傾げる少女。


 「今日はちょっと本が多くてね、仲間に手伝って貰ったんだ」

 「よろしくねぇ、名無しちゃん」


 男が手を振るのを、きょとん、とした表情で見つめる少女。


「んン?嫌われたかねぇ」

「多分、君が何者か分らないから反応に困ってるんだよ」


 そりゃねぇよ、と苦笑する男から本の束を受け取って、少女に渡す“へいたいさん”。


「本が……たくさん」


 本の表紙を撫でて微笑む少女。その様子を見て、“へいたいさん”が溜息をつく。


「へいたいさん?」

「あぁ、ごめん……実は、暫くここに来れない事になってね」

「へいたいさん……来ない?」


 うなずく“へいたいさん”を見て、悲しげな表情になる少女。


「でも、安心して。絶対戻ってくるから。

 それまでこの本を読んで待っててよ」

「……ぅん」


 むずかしい顔をする少女の頭を、名残惜しそうに撫でる“へいたいさん”。


「ほら、そろそろ行くぞ。

 城壁係の交代はあと一時間後だ」

「あ、うん……それじゃ、またね」


 男に急かされ、“へいたいさん”の手が頭から離れる。


「ぁ……」


 思わず手を伸ばした少女から遠ざかっていく“へいたいさん”。


「へいたいさん……」


 何度も心配そうに振り返る“へいたいさん”が見えなくなるまで、少女はじっと視線を動かさなかった。




「魔物が来たぞー!」


 そんな声が外から聞こえてきて、少女は本から顔を上げた。

 外では、スラムの人間がばたばたと走り回っている。


「魔物……」


 魔物は怖いもの。と少女は本を読んで知っている。

 でも、実物は見た事が無い。

 少女の中で好奇心がうずいた。


「ぅゅ……」


 久しぶりに外に出る。風通しの良い掘っ立て小屋だが、日除けの用はなしていたらしく、外に出た少女の目がくらむ。


「ぅ……」


 目を手で覆って、ぶんぶんと頭を振る。

 ゆっくり手を離すと、赤茶けた地面が見えた。


「魔物……」


 顔を上げて魔物を探すが、そこには見慣れたスラムの風景があるだけで、魔の気配も無い。


「おォう?お前、出てきたのか」


 いつも外に出るたびにちょっかいをかけてくる少年が、少女に声をかける。


「魔物……」

「はァ?」

「魔物……どこ?」


 少女の問いに、やれやれと首を振って向こうを指差す少年。


「魔物は、城壁で止められてるよ」

「城壁……」


 その言葉に、少女の記憶が蘇る。


 ―――ほら、そろそろ行くぞ。

    城壁係の交代はあと一時間後だ


「……へいたいさんっ!」

「こらっ、そっちは危ないって!」


 駆け出そうとする少女の肩を抑える少年。


「へいたいさん……」


 今にも泣きそうになりながら、少女が不安げに呟いた。




「へいたいさん……」

「呼んだかい?」

「…… ひゃっ?!」


 まどろみながら呟いた言葉を返してくる人が居るとは予想できず、慌てた声を上げる少女。


「ただいま」

「へいたいさん……っ!」


 夢にまで見た“へいたいさん”の姿がそこにあった。

 本当に居るのか確かめたくて、恐る恐る“へいたいさん”の手に触れる。


「ぁ……」


 ちゃんとした実体の感触に、震える声を出す少女。

 そっと、手を握る。


「ほら、ただいまって言ったんだから」

「ぅん……お帰り」


 言葉と共に、今までの不安と嬉しさがこみ上げて来る。

 ぐにゃりと視界が歪んだ。


「あぁ、こら、泣かない泣かない」


 苦笑を浮べた“へいたいさん” が、軍服の袖で少女の涙を拭う。


「だって……だって……」

「まあ俺も、ナナシに会えて嬉しいけど。

 でも、涙はそんなに簡単に見せちゃいけないんだよ」


 少女の顔を覗き込んで、ニッ、と笑う“へいたいさん”。


「ほら」


 急かされて、ぎこちない笑顔を浮べる。


「ほらほら」


 ニッ。

 ……ニッ。


「そう、それがナナシらしいよ」


 くしゃくしゃ、と頭を撫でられた。

 その手の懐かしさに涙が込み上げて来るが、ぎゅっと目を瞑ってそれを抑えると、ニッと笑う。


「これから大変だけど、ナナシは頑張りなよ」

「大変?」


 少女の頭から手を離して、“へいたいさん”は深刻そうな顔をする。


「国王と、花木蘭将軍が敵軍の手に落ちた」

「うゅ?」


 首を傾げる少女に、これは教えて無かったね、と指を立てる“へいたいさん”。


「国王っていうのは、俺達の住んでるこの都で一番偉い人、わかる?」

「ぅん」


 うなずく少女を見て、もう一本指を立てる。


「で、花木蘭将軍っていうのは、俺の居る軍隊でとっても偉い人、これはわかる?」

「……ぅん」

「よし、偉いぞ」


 “へいたいさん”の誉め言葉に、照れたような笑みを見せる少女。


「で、だ。

 その二人が敵に捕まっちゃった訳」

「じゃあ……危ない?」

「危ない危ない。

 このままだと、この国どころか中央大陸全土が魔物の国になってしまう」


とたんにスケールの大きくなった話に、きょとん、とした表情の少女。


「まあ、そうならないために、俺の仲間が助けに行く事になってる」

「へいたいさんは?」

「俺はこの都を守る兵だから、全力でここを守る」


 “へいたいさん”の返答に、ほっとした表情を浮べる少女。


「どうした?」

「ぅぅん……何でもなぃ」


 じゃあ、と“へいたいさん”は立ち上がる。


「俺はそういう事で忙しいから、ナナシ、自分の身は自分で守るんだぞ」

「ぅん」


少し不安げで、しかし、どこか熱のこもった視線を受けて、“へいたいさん”は笑って背を向けた。




「おいナナシ、起きろ!」

「ぅゅ……へいたいさん?」


 遅起きの少女が、寝惚け眼で“へいたいさん”を見る。


「早く外に出て!」

「ぅゅ……」


 わけのわからぬままに外に連れ出される少女。


「あれを見るんだ」

「何……っ?!」


上空を指差した“へいたいさん”につられるように外を見た少女の瞳に映る、幻影。

そこには、はっとする程の美貌と鋭い視線を持つ女性が、どこか挙動不審の男に剣を突きつけられている姿が映されていた。


「あれが、花木蘭将軍だ」

「へぇ……」


『ただの脅しではないという証拠に、少し余興を見せてやろう』


 見上げる少女の視線の先で、男が剣を翻した。


 パサリ。

 美しく映えた花将軍の髪が、ざっくりと切り取られた。

 しかし、花将軍は表情一つ変えない。


「くっ! この!」


 男が、剣の腹で花将軍を殴る。

 キッ!

 思わず男が怯むような気迫で、花将軍が男を睨み返した。

 そして、視線を画面の方へ向けると、口を開く。


「策あらばことごとく挙げてこれをおこなえ!

 我をもって念と為すなかれ!!」

「おぉ」


 感嘆の声を上げる “へいたいさん”を見上げる少女。


「つまり、“どんな作戦でも出来るものはしろ、私の命の事など気にしなくていい”と言ったんだ」

「すごぃ……」


 その言葉の意味だけでなく、花将軍の意気に感嘆の声を発する少女。


「くっ!」


 男が花将軍に殴りかかった映像が流れた直後、幻影は消えた。


「……こりゃあ、凄い事になるぞ」

「どうなるの?」


 興奮した様子の“へいたいさん”を不思議そうな顔で見る少女。


「この映像は、中央大陸だけでなく、全世界に流された。

 その上での花将軍のあの行動だ。全世界が、花将軍奪還に動き出すぞ……俺もこうしちゃいられない!」


 全世界、というスケールの大きな話をされて、頭の中で整理のついていない少女の頭を撫でると、“へいたいさん”は走り出す。


「ぁ……」


残された少女は、むぅ、と膨れると、小屋の中に戻っていった。




「……とまあ、こういうことで、花将軍と国王は助け出されて、連合軍は最後の戦いに向かう、というわけ」

「へぇ……」


 いつもの小屋で、少女は“へいたいさん”の武勇伝の聞いていた。

 ただし、“へいたいさん”は相変わらず王都の守護をしていたので、主に指揮官のカイトス将軍などの武勇伝だったが。


「へいたいさんは、最後の戦ぃに行くのですか?」

「ん、俺はまた砦の警備」

「へいたいさんって……実は弱ぃ?」


 少女の言葉に“へいたいさん”は、うっ、と言葉を詰まらせる。


「弱ぃんだ」

「俺は頭で戦う方なんだよ」

「負け惜しみ」


 少女の追い討ちに、降参と白旗ならぬ白ハンカチを上げる“へいたいさん”。


「それにしてもナナシ、随分語彙が増えてきたね」

「私、頭良いから」

「あはは、そうそう、ナナシは頭良いよ」


どこか馬鹿にするような “へいたいさん”の口調に、むぅ、と膨れる少女。


「そうやって膨れてると、まだまだだなぁって感じだね」

「む~」


 意地を張って膨れていたが、息が苦しくなって息を吐く。

 その様子が可笑しかったのか、更に笑う“へいたいさん”。


「むぅ~……ぷはっ」

「や、やめてくれナナシ、は、腹が痛い」

「もぅ」


 憮然とした表情のナナシの前で暫く笑っていた“へいたいさん”だが、笑いが収まると、真顔になって座りなおす。


「それでだ、ナナシ」

「ぅゅ?」

「俺はこの都を守る軍人だ。

 だから、都が守れるなら死んでもいい」

「ぇ……?」


 思いがけない人物から出された“死”の一言に、呆然とする少女。


「だけど、ナナシ。

 お前は生きろ、生き残って、生き続けるんだ」


 強い調子の言葉に、表情を改めて肯く少女。


「わかった……でも」

「ん?」

「へいたいさんも、死なないでっ」


 少女が語気を強める。

 その様子に、迷いながらも肯く“へいたいさん”。


「わかった、死なない、約束する」

「指きりげんまん」

「嘘ついたら針千本の~ます」


 指きった、と重ねていって、笑顔を浮べる二人。

 血戦前夜の夜は、静かに更けていく。




 小屋の入り口や板の隙間から差し込んでいた光が、何かに遮られた。


「雲、かな……」


 そう言いつつも、何か不穏なものを感じて外に出た少女。雲を見ようと上を向いた少女の視線が固まった。


「あれ……何?」


 空を移動する、黒き城。

 それはまるで山が一つ浮いているかのような感覚を覚えさせる。

 ふと横を見れば、スラムの人間達も、空を見たまま動かない。

 少女同様、あまりにも非現実的な状況に、頭が付いていけないのだろう。


「ぁ、へいたいさん―――」


 大丈夫だろうか、と呟こうとした少女の声を掻き消すように響く雷鳴と爆音。

 激しい地響きと共に、都の一角から煙が上がった。


「ぁ、ぁぁ……」

「逃げろー!」


 聞き覚えのある少年の声にはっと気を取り直し、煙の出た方向とは逆に走り出す少女。

 ドンッ!

 一瞬視界が光に染まり、そして、再びの地響き。

 見れば、一気に三箇所も煙が上がっていた。


 ―――お前は生きろ、生き残って、生き続けるんだ


“へいたいさん”の声が脳裏に響く。

 その声に従って、少女はあてもなく走り出した。


「こっちにドラゴンが居るぞー!」


 前方からの声と、ドラゴンの叫び声。

 慌てて方向転換して走り出す。


 ズンッ!


 一際大きな地響きに足をとられ、転んでしまう。


「ぁ……」


 起き上がろうと見上げた先に、倒壊寸前の塀。それが、ゆっくりとこちらへ傾いていく。


「っ……!」


 走り出そうとするが、塀が落ちて来る方が一瞬早かった。

 思わず顔を腕で覆う少女。


 ドンッ!


 しかし、予想された衝撃は来なかった。

 しかし代わりに、地面に転がっている。


「大丈夫?」

「……へいたいさん」


 “へいたいさん”が少女を抱えて一緒に転んでいた。

 こんな状況なのに、抱き締められているという事に赤面してしまう。


「お~い、照れてる場合じゃないって」


 立ち上がった“へいたいさん”が手を差し出してくる。

 それを握る少女。


「よっ、と」


 少女を立ち上がらせ、服についた埃を払う“へいたいさん”。


「ナナシ、あっちに逃げるんだ」


 “へいたいさん”が指差したのは、都の中央。

 見れば、大規模な結界が張られているのか、空間が七色に光っていた。


「へいたいさんは?」

「俺は、逃げ送れた人を助けに行く」


 とん、と少女を向こうに送り出して、背を向ける“へいたいさん”。

 何かを悟ったのか、“へいたいさん”の方を振り返らずに駆け出す少女。


「……あ、そうだ!!」


 “へいたいさん”の大声に、何事かと振り向く少女。


「名前、考えた!!」


 嬉しそうに手を振る“へいたいさん”が、声を張り上げる。


「君の名前は――――」


 閃光と衝撃。少女の視界が回転し、暗くなった。


「それ以来、へいたいさんには会えてないのです……」


 全てを話して、俯くレイン。

 しかし、涙は出さない。涙は簡単に出してはいけないから。


「そうですか……」


 師匠が沈黙する。

 何か言おうと口を開きかけて、気が変わったのか口を閉じて、手を伸ばした。


「ぁ……」

「悲しかったでしょうね……」


 師匠の体の温もりが、レインの体に伝わって来る。

 細身だと思っていた師匠の胸は、結構広かった。


「私……忘れたくて」


 ぽつり、と言葉を零すレイン。


「へいたいさんは居なくなっちゃって、だから、思ぃ出すのが辛くて、忘れたくて……」

「レイン」


 囁きと共に、師匠が抱き締める力を込める。


「忘れてはいけません」

「ぇ……」

「あなたが兵隊さんの事を忘れてしまえば、もしかしたら、兵隊さんを覚えている人間が居なくなってしまうかもしれません」


 優しく、しかし、力を込めて紡がれる、師匠の言葉。


「レイン、あなたの“忘れられない”力は、そういう事の為に使うのではないのですか?」

「……はぃ」


 泣かないと決めたのに、あの時のように視界が歪んだ。


「たまには、そういうのもいいですよ」

「…… はぃ」


 その夜、レインは暫く泣いた。

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