第十三話 聖戦
少女が駆ける。
降りそそぐ雷光のなか。
轟く地鳴りのなか。
サウリーヌ川に浮かぶ駆逐艦へと向かって。
少女の名は月音。
駆逐艦イーゴラに乗っているのは、彼女にとってかけがえのない家族だ。
「絶対に守るんだからっ!」
前方にわだかまる黒々とした塊。
イーゴラに取り付いたエンシェントドラゴン。
黒のアンディア。
魔王ザッガーリアの腹心。
ぞくり、と、悪寒が少女の背筋を走る。
彼女は人間ではない。妖狐である。
だから、人間たちより少しだけ多くのものが見えるし、知覚できる。
鋭敏になっている月音の感覚が、アンディアのチカラを感知してしまったのだ。
格の差、というものだろうか。
足がすくみかける。
「怖くない。
怖くないんだからっ!」
だが必死に、自分を奮い立たせる月音。
立ち止まってなどいられない。
恐れてなどいられない。
「セラさん!
レナさん!
無事でいてください!!」
弓弦から放たれた矢のように、少女が走る。
王都アイリーンは、花の都という異名を返上しなくてはならないような惨状だった。
あちこちで建物が崩れてゆく。
炎上する家々。
虫けらのように死んでゆく人々。
これが世界随一の繁栄を誇る都の姿だろうか。
ぎりり、と、奥歯を噛みしめるテオドール・オルロー。
彼の仕事はサミュエル・スミスを守ること。
それが護衛官というものである。
セムリナ大使館の戦力は取るに足りない。
連合軍に参加していた部隊も本国に引き揚げ、一〇〇名足らず武官が、大使館の総兵力である。
たったこれだけの人数で、大使たるサミュエルを守らなくてはならない。
けっして楽なことではない。
「テオ」
前庭に降り立った赤いドラゴンに攻撃を加えながら、上司が呼びかけた。
「なんですか?」
「ここは良いから、行ってやれ」
微笑。
その意味は、即座にテオドールの察するところとなった。
サミュエルは言っているのだ。
恋人の元へ駆けつけてやれ、と。
「しかし‥‥」
だが、小麦色の肌の青年は躊躇った。
騎士としての義務、誇りが彼を縛っていた。
「立派な騎士として行動する。
それは万金の価値がある。
だが、一人の男として行動できなかったらテオという人間には、いくらの価値があるんだ?」
高らかに笑うサミュエル。
金色の髪が戦場の狂風になびく。
「そう‥‥ですね‥‥」
躊躇いを振り切るように口を開いた。
「自分、いや、俺は一人の男としてセラを助けに行きますっ!」
決然と言い放つ。
「私の馬を使え。
一番速い」
「はいっ!」
「貸すだけだからな。
ちゃんと生き残って、返せよ」
「はい。
必ず!」
駆け出すテオドール。
何も言わずに見守っていたリアノーン・セレンフィアが、すっと彼のポジションに入った。
「お優しいですね。
閣下」
「‥‥どうせ死ぬなら、好きなやつと一緒の方が良いだろう」
「縁起でもないことを」
屹と恋人を睨む美貌の副官。
勝負はまだついていない。
今から死ぬことを考えてどうするのか。
「どうせ覚悟を決めるなら、勝って生き残る覚悟を定めてください」
「そうだな。
その通りだ」
背中合わせになって、互いを守りながら戦う恋人たち。
「リアノーン!」
「はい?」
「この戦いが終わったら、デートしてくれ!!」
あるいはそれこそが、決意の表明。
「喜んで!!」
銀髪緑瞳の女騎士が、大きな声で応えた。
激しい破砕音を立てて、暁の女神亭の窓ガラスが砕け散る。
飛び交う悲鳴。
なにかが落ちてきたのだ。
「フウザーさんっ!?」
かけよるバロック。
床に、無様に横たわる人影。
それが落下物の正体だった。
「しっかりしてくださいっ!」
恋人の身体を抱え上げようとする少女。
だが、
「ヒィっ!?」
小さな悲鳴が口をついて出る。
稀代の大魔法使いと呼ばれる男の左腕が、肩からぞごりと落ちたのだ。
腱一本で繋がっているにすぎない。
「ぁ‥‥あああ‥‥」
酸欠の金魚のように口を開閉するバロック。
恐怖は二重だった。
恋人の重傷を目にしてしまったこと。
恋人に、ここまでの重傷を与えられるものが存在するという事実。
「いかな‥‥いと‥‥魔王をなんとかしない限り‥‥浮遊城はとまらない‥‥」
「そんな身体でっ」
必死に組み付いてバロックが引き留める。
だが、青年の口からは呪文が紡がれ、ホールの床に魔法陣が描かれた。
転移門である。
おそらくは浮遊城インダーラへと繋がる。
這ってでも転移門に入ろうとするフウザーの前に、数個の人影が立った。
「ま、ここは俺らに任せるんだな」
「怪我人は大人しくしていろ」
ロック・サージェントと、ゲトリクスが何の気負いもなく門へと飛び込む。
「今のお前が行くより」
「僕たちの方がなんぼかマシじゃん」
カルマ・T・ゼロフォードとサファ・ユニバースが続く。
散歩にでも出掛けるような気軽さだった。
「いけない‥‥ザッガーリアはそんな生やさしい相手じゃ‥‥」
「本当はわかっているんです。
皆さんも」
言いかけるフウザーを遮って、ルシアが転移門の前に立つ。
そして恋人のキースを振り返った。
「いってきます」
万感の想いを込めた言葉。
「必ず‥‥生きて帰ってこい」
「はい」
ルシアもキースも弁舌の徒ではない。
口にすれば平凡なものにしかならぬ。
一度だけ、抱きしめられる少女の身体。
想いを確かめるように。
「行きますっ!」
それが終わると、決然と前を向いた少女が、門へと消えた。
「みんな‥‥」
「ま、死なん程度にやってくるわ」
最後にアオイ・エクレールが飛び込み、魔力を使い尽くした門が消える。
「みんなわかってるんだよ。
ホントは」
ぽつりと、キースが言った。
ルシアの言葉を補うように。
相手は魔王だ。
神々とすら同列に数えられるのだ。
並々ならぬ相手だという事は、だれに指摘されるまでもわかっている。
正直、勝算など一割もない。
生還できる確率だってそのくらいだ。
それでも、彼は恋人を送り出した。
背負うべきものがあるから。
ルシアは、命をかけてこの世界を護る。
アイリーンの聖騎士として。
そしてキースは、ルシアが帰る場所を守る。
だから、
「バロック。
ここを頼むな」
義妹に声をかけ、出てゆく。
一瞬後、その姿は光り輝くゴールドドラゴンとなり、空へと羽ばたいていた。
金竜キアル。
すべての竜が魔王に荷担した中、ただ一頭人間の味方をする、叛逆のドラゴン。
負傷者が、次々と診療所に運ばれてくる。
包帯も医薬品も、すでに底をついていた。
「困りましたわ」
一向に困っていなさそうな顔で水尊が言ったが、事態はそれほど悠長ではない。
ベッドはパンク状態だし、なんといっても助かる患者より死んでものの方が多い。
「落ち着いてないでくださいっ」
何人かにまとめて回復魔法をかけながら、リンネが目くじらを立てた。
のんびりしている余裕も、落ち着いているゆとりもない。
リンネの服も、すでに血で真っ赤に染まっている。
それでもなお処置が間に合わないのだ。
この日一日だけで、アイリーン市民一〇〇万のうち一六万人が死亡したといわれている。
未曾有の大惨事だったのである。
だが、むろんそれは後日になって判明することで、
このとき水尊もリンネも目前の傷病者の処置をするだけで精一杯だった。
彼女らだけではない。
街中の医師や魔法医が同じ状態だ。
とある病院では包帯が決定的に足りなくなり、女性看護士が自分の白衣を裂いて
包帯代わりにした。
という逸話が公式記録に残っている。
浮遊魔城インダーラからの攻撃も、竜族たちの攻撃も、ある意味で公平だった。
貧富も貴賤も区別しない、という一点に於いて。
だが、攻撃する方は公平でも、それを受ける方には大きな差がある。
スラム‥‥つまり貧民街に住む人々は、自分の身を守るものなどなにも何も持っていない。
日々の生活で精一杯なのだ。
なのに、
「なんでこんなところまで攻撃しやがるっ!」
レノ・ヴァレンシアが叫ぶ。
その腕に抱かれるのは、五歳くらいの少女の遺体。
竜の攻撃は、スラムにまで及んでいた。
せっかくこの世に生まれたのに、教育も受けられず、遊ぶための道具もなく、
働く場所すら与えてもらえない人々に、追い打ちをかけるように攻撃を加えるのか。
「それかてめぇらの築こうとする世界なのかよっ!
こん畜生!!!!」
少女の身体を地面に横たえ、レノが走る。
スラムを攻撃している竜へと向かって。
「黒い太陽っ!!」
放たれる魔法。
迎え撃つかのようなブレス。
威力で後者が勝り、ギャンブラーが瓦礫の山に叩きつけられる。
「か‥は‥‥」
口から溢れる鮮血。
おそらくは折れた骨が内臓を傷つけたのだろう。
かすむ視界。
「まだまだ‥‥あの子の痛みはこんなもんじゃなかったはずだぜ‥‥」
血を流しながら立ちあがる。
負けられない。
絶対に。
絶対に絶対に絶対に!!
ふたたびドラゴンへと走るレノ。
「ィヤァァァァ!!!」
喊声とも雄叫びとつかぬ声を立てて。
竜が腕を上げる。
鋭利な爪に貫かれるレノの身体。
「ぐ‥‥」
御守り代わりのダイスが、青年の懐からこぼれ落ちた。
「みんなっ!
はやく逃げて!!」
ジュリア・ロブソンが孤児院の子供たちを誘導する。
ここもまた、容赦のない無差別攻撃に晒されていた。
「絶対に守るんだからっ!」
剣を抜く。
いつもの魔力剣ではない。
どこにでもありそうな、ただの剣。
こんなもので竜の鱗に傷をつけられるのか。
はなはだ疑問である。
だが、
「みんなが逃げるくらいの時間は稼いでみせる!」
斬りかかってゆく少女。
相手は、小振りだが正真正銘のドラゴンだ。
勝負になるはずがない。
誰かがそう思ったとしても、それは杞憂だったかもしれない。
パワーの不足はスピードでカバーする。
ちょこまかと走り回るジュリアに、ドラゴンが翻弄される。
「それにっ!」
投げ上げられたナイフが、竜の目に深々と刺さった。
響き渡る絶叫。
「目に、かすり傷はないのよ」
少女の顔に冷笑が閃く。
それは獲物を狩りたてるハンターの笑み。
ただし、ジュリアにはわかっていた。
彼女だけでドラゴンには勝てないことを。
最強の魔獣というふたつ名は伊達ではない。一対一で人間が竜に勝てるはずがないのだ。
子供たちが逃げる時間が稼げれば、それでいい。
ちらりと背後に視線を送る。
命取りだった。
ドラゴンが苦し紛れに振り回した尻尾が、ジュリアの横腹を打つ。
骨の折れる嫌な音。
暗転しかかる意識を必死で現世にとどめ、大きく飛びさがる。
「へへ‥‥油断しちゃったね‥‥」
痛恨の極みだが、ジュリアは絶望したりしなかった。
ドラゴンの片目は潰した。ということは、片側に常に死角ができているということだ。
速度で攪乱し続ければ、なんとかなる。
意を決した少女が駆ける。
傷が痛むが、いまはそんなことを言っている場合ではない。
戦いは長く長く続いた。
どちらに有利ともつかず。
しかし、
「うぐ‥‥」
不意に、本当に不意にジュリアが喀血する。
「やば‥‥」
一瞬の停滞。
だがそれは永遠を失うに等しかった。
ふたたび叩きつけられる尻尾。
弾き飛ばされたからだが、壊れた人形のように二度三度と地面にとキスをする。
「ぐ‥‥」
本来、彼女は戦える身体ではない。
寝たきりでも不思議でないほどの重病だったのだ。
無理に無理を重ねた代償。
仰向けに倒れたまま、もう、起きあがることすらできなかった。
視界の中には子供たちの姿はない。
逃げ切れただろうか。
逃げ切ってくれればいい。
と、なにかが視界に入る。
こちらに向かって一直線に駆けてくる人影。
腕に抱くのは神槍ワダツミ。
ジュリアの恋人である木霊だ。
助けにきてくれたのだ。
嬉しさがこみあげる。
だが同時に巻き込むべきではないとの思いも働き、
「木霊っ!
来ちゃダメーっ!!!」
力の限りに叫ぶ。
もったいぶった死神のように、ドラゴンが口を開いた。
口を開くアンディア。
セラフィン・アルマリックとレナ・ベルシュタットが撃った弾丸が、次々と命中する。
こうるさげに首を振る黒竜。
「アンタなんかに負けない」
屹っと睨み据えるセラ。
溶鉱炉で燃える石炭のような瞳。
むろんそんなもので竜は気圧されたりしない。
ふたたびブレスを吐こうとする。
「させませんっ!!」
横合いから、アンディアの頭に体当たりする白い影。
「ひなかわっ!?」
セラの叫び。
月音が、友たちの危機に駆けつけたのだ。
ぐらりとよろめいた黒竜だったが、すぐに体勢を立て直す。
「妖狐か‥‥何故に人間どもの味方をする‥‥」
「大切な家族だからっ!」
両手に灯る狐火。
アンディアに叩きつける。
「蚊が刺したほどもきかんな。
小娘」
殴りつけられ、つくねの身体は艦橋へと飛び込んだ。
「よっと」
柔らかく受け止める腕。
セラでも、レナでもない。
「何とか間に合ったな」
不敵な微笑を浮かべる緑瞳の騎士。
テオドールだ。
「そうね。
後五分遅れてたら罰金だったわよ」
嬉しさを隠しつつセラが言った。
くすりと笑うレナ。
「さて。
四対一だな。
数の上では圧倒的に有利だけど」
アンディアを睨んだままテオドールが呟く。
相手はドラゴンだ。
戦力比なら、お話にならないレベルである。
「不遜な人間どもよ。
たった四人で儂に勝てると思っているのか」
「四人じゃない」
空から聞こえる声。
同時に、アンディアより一回り小さな竜が金鱗を煌めかせて黒竜に襲いかかる。
キアルだ。
「小僧っ!」
強大な竜たちが戦う。
黒と金の対決。
だがそれは、キアルにとって圧倒的に不利だった。
まずは身体の大きさが違う。
踏んだ場数も違う。
なにより相手はエンシェントドラゴンだ。
じりじりと押されてゆくキアル。
人間たちは何とか援護したいところであった。
が、少しでも動くとブレスの発射態勢を取られる。
つまり、アンディアとキアルの勝負はそれだけの差があるということだ
ちらりと視線を交わすセラとレナ。
瞬間、レナの魔銃が、目にも止まらぬ速度で抜き撃ちされる。
アンディアに向かって、ではない。
彼女が撃ったのは、魔導砲発射スイッチである。
その意味を理解していたのは、人間たちだけだった。
黒竜はイーゴラの甲板の上にいた。
天空へと放たれる魔力の光。
エンシェントドラゴンの身体を、腹から脳天へと貫いて。
大きな水柱を残し、アンディアが海中に没した。
「人間を‥‥なめんじゃないわよ」
セラが言う。
月音とレナが困ったように顔を見合わせ、テオドールが恋人の頭に手を置いた。
「‥‥‥‥」
海中に没してゆく黒竜に興味を示さず、キアルが空を見あげた。
宿主の恋人が死闘を演じているであろう、天空魔城インダーラを。
剣戟。
爆光。
稲妻。
ありとあらゆる武術と魔法が、謁見の間に展開される。
インダーラ内部。
ルシア、カルマ、サファ、ゲトリクス、ロック、アオイの六人が戦うのはたった一人。
魔王ザッガーリア。
外見は人間と変わらない。
ウィリアム・クライブが黒髪黒瞳になっただけだ。
魔軍司令だった男と面識のあるアオイやロックなどには、それだけでいくつかのことがわかる。
「‥‥取り込まれたか‥‥」
「いや、依り代にされたんや」
呟くふたり。
だが、今は魔王の出自など気にしている場合ではない。
「ライセっ!」
ルシアの影から現れた巨大な炎の蜥蜴が、火弾となって魔王に迫る。
「ただのサラマンダーではなさそうだな。
だが」
ザッガーリアが左手を伸ばす。
火蜥蜴に触れる指先。
それだけだった。
ただそれだけで、
「ギャンッ!!」
西瓜がはぜ割れるように吹き飛ぶ、ライセの身体。
「ぁ‥ぁぁ‥‥」
信じられないものでもを見るようにルシアが見つめる。
むろん精霊が死ぬことはない。
この世での支配力を失い、一時的にに具現化できなくなっただけだ。
それでも、パーティーに与えた衝撃は大きかった。
人間よりはるかに強い力を持つ精霊が、一瞬で消されたのである。
「‥‥‥‥」
このとき、ゲトリクスは心に決めた。
攻撃には加わらない、と。
仲間も守ることだけに終始しよう、と。
盾で良い。
と、寡黙な蛮族の戦士は思った。
おそらく自分はここで死ぬ。
魔王の攻撃を受け続けるというのはそういうことだ。
だがその間に、仲間たちは防御を気にせず戦うことができる。
「‥‥予言なんて、いい加減なもんだな」
北方の原野を去るとき、彼は予言者に言われた。
西に進めば英雄の道。
南に行けば王の道。
「だから南にきたんだけどな」
不敵とも自嘲とも取れる笑み。
ルシアに迫る魔王。
その前に立ちはだかりザッガーリアの剣を、大剣で受ける。
ただの一合で折れ砕ける大剣。
ゲトリクスは失望などしなかった。
最初からわかっていたことだから。
普通の、否、相当な力をもった魔力剣でも、魔王と戦うには役者不足である。
だからこそ聖騎士たちの神具があるのだ。
蛮族の右肩に食い込む魔王の剣。
「ぐあぁァァ!!!」
凄まじい激痛のなか、ゲトリクス両手が剣の根本を掴む。
「木蘭が言ってたぜ‥‥剣は斜めに引かないと斬れないんだよ‥‥」
鬼の形相で言い放つ。
剣を握りしめた掌からしゅうしゅうと音を立てて白煙が立ち上る。
魔力で灼かれているのだ。
「放せ。
下郎」
ザッガーリアの蹴りが腹部に入る。
肋骨の折れる嫌な音。
口から鮮やかな色の血が溢れた。
それでも、ゲトリクスは魔王の剣を放さなかった。
「今のうちだァァァァ!!」
叫び。
はっとしたように仲間が攻撃を再開する。
「アンタの考えに賛成だ。
ゲトリクス」
「無理も無茶もしないで勝てる相手じゃないからね」
カルマとサファが魔王に迫る。
上下から。
蛮族の戦士に剣を押さえ込まれているザッガーリアには回避の方法がないはずだった。
「良いコンビネーションだが」
すっと自らの剣を捨て、カルマの魔剣を右手で、サファの斬魔光炎竜爪牙を左手で握る。
「なっ!?」
「馬鹿なっ!?」
「多少、熱くない事もない。
その程度だな」
にやりと笑う魔王。
足が一閃し、男をたち弾き飛ばす。
カルマとゲトリクスは壁に激突し、サファは床に這いつくばった。
三人の口からこぼれた血が、魔城の床を汚した。
「けど‥‥剣はいただいたぜ‥‥」
凄絶な笑みを浮かべ、血と咳と言葉を同時に吐くゲトリクス。
冷然と見つめた魔王が、
「そうか、よかったな」
と言って右手を振る。
現れる、新しい剣。
「嘘や‥‥」
「なんで‥‥」
アオイとルシアがあえぐ。
ゲトリクスの腕にはたしかに魔王の剣が握られているのに。
「べつに驚くほどの事でもない。予の力の一部を結晶化しただけのものだからな」
こともなげに説明する魔王。
簡単な料理の作り方を教えるような風。
事実、その程度のものなのだろう。
大魔法使いクラスの人間が一生かかっておこなう、力の結晶化も。
「ならっ!」
「これで!!」
「どうやっ!!!」
ロック、ルシア、アオイの三人が、同時に仕掛ける。
それぞれの手にあるのは神具。
輪廻、七宝聖剣、最後の秘宝剣。
さすがにこれらの攻撃を身体で受けるつもりはないらしく、ザッガーリアは後退しつつ剣で流す。
三対一ではあるが、まったく危なげない剣捌きだった。
もっとも、ロックとアオイはスペルユーザーであり、接近格闘戦に精通していないという事情もある。
だが、それでも、
「負けるわけにはいかないんやっ!」
「みんなのためにもっ!
わたし自身のためにもっ!!」
偶然だろうか、アオイとルシアの剣が一点に決まり、魔王の左腕を肩から斬り飛ばした。
「チャンス!」
ロックの剣が脇腹を薙ぐ。
「ぐ‥‥」
魔王の動きが停滞した。
この隙を逃さじと突進するカルマとサファ。
そして魔の剣を掲げたゲトリクスも迫る。
千載一遇の好機だ。
今を逃せばザッガーリアを倒すことはできない。
全員が共通の思いを抱いていた。
神具が、魔剣が、ザッガーリアに肉迫する。
「虫ケラどもめ!」
魔王の目が異様な輝きを発した。
瞬間、ルシアもサファも、なにが起こったのかわからなかった。
「ぁ‥‥ぅぁ‥‥」
アオイが呻吟する。
数本の触手に身体を貫かれて。
彼女だけではない。
全員が、魔王の左肩から現れた無数の触手に貫かれ、まるで磔刑のようにその場に縫いつけられていた。
「くふっ」
カルマの口から溢れる鮮血。
触手の太さは五ミリメートルくらいだろうか。
それが一人につき五本から一〇本ほど刺さり、ドリルのように回転している。
「あが‥‥が‥‥」
がくがくと震えるルシアの身体。
激痛だけではない。
絶望の黒い染みが、心と視界を蚕食してゆく。
もうダメだ。
やはり無謀だったのだ。
人の身で魔王を倒すなど。
「できるわけ‥‥なかったんや‥‥」
アオイの呟き。
右手から最後の秘宝剣が落ちかかる。
「諦めるな。
人の子ら」
突然、大広間に響き渡る声。
力感に溢れた、女性の声。
それは、かつて魔王軍の副将だった女性。
ザッガーリアの党与としてこの世界に弓引いた、シャルヴィナ・ヴァナディース。
翼を出し、瞳を輝かせ、半ば竜と化した状態で大広間の入り口にたたずんでいた。
「魔王ザッガーリア。
我が盟友の肉体、返していただきに参上した」
朗々たる宣言。
聖剣ケストナールを両手に掲げ、魔王へとむけて一直線に羽ばたく。
その速度と武器は、ザッガーリアににとっても脅威だったのだろうか。
パーティー貫く触手を引き抜いて、迎撃しようとする。
しかし、その動きすらもシャラのスピードには勝てなかった。
まさに、閃光。
どごっ!、という音をたて、ケストナールに貫かれるザッガーリアの腹部。
同時に、無数の触手がシャラの身体を、翼を貫通する。
相打ちか‥‥?
「シャラぁぁぁぁ!!!!」
悲痛な叫びをロックが発した。