未完の手記 あるいは東日本紀行
開始直前まで混乱が続いた政府の「Go To トラベル」事業が22日に始まる。新型コロナウイルスの感染が再拡大する中での観光振興には疑問の声があり、内容の変更を続けた政府の迷走ぶりは消費者の心理に冷や水を浴びせた。景気の押し上げ効果は当初の期待ほど得られそうにない。(関連記事を社会面に)
「一連の混乱でGo Toの割引を使わない客までツアーを敬遠している」。東京の旅行会社のキャンディツアーの小松信行代表は肩を落とす。
Go Toは国内旅行の代金を半分まで補助する事業で、コロナ禍で落ち込んだ観光需要を喚起する目玉事業のはずだった。実際には観光の現場に混乱を引き起こした。
赤羽一嘉国土交通相は21日、4日前に否定したばかりのキャンセル料の補償を一転、実施すると発表した。10~17日に予約した東京都発着の旅行が対象で、キャンセル料の全額を補償する。
GoTo、かすむ経済効果、きょう補助開始、2割減の試算も、政府迷走、観光振興遠のく. 日本経済新聞.2020-08-22, 朝刊, p.3.
2020年という年はエンブレム盗作問題やマラソン移転問題に象徴されるすったもんだの末ではあるものの元東京都知事石原慎太郎氏の念願だった第二回東京五輪が開催される予定であり、いわゆるオリンピックイヤーとして少なくとも表面上は一定の輝きを孕んだ年になると誰もが予想していたことだろう。ところが現実は前年末から中国はウーハンの研究所から流出したと言われる新種のウィルスが世界中にパンデミックを引き起こしたことによって、委員会内でややもめた後に一年の延期が決定されたが、その頃になるともはや人々の関心はオリンピックどころではなくウィルスに対する自分たちの身の安全に移っていた。この原稿を執筆している2020年9月中下旬に至るまで世間はかなりの場面において新型ウィルスに振り回されてきており、この期間の社会の動きは三流研究者の私に対しても非常に興味をそそる内容であったが、私の身の回りの波乱も含めた詳しい叙述は別の機会に譲るとして、ひとまづここでは旅の経緯について述べることにしよう。
3月末以降日本中を覆っていた厳戒態勢は第一波の感染者数が減少に転じた5月末になるとやや緩んだように見え、それまで原則閉鎖していた教育機関や行政機関が再開するなど徐々に元どおりの日常へ戻っていってしまったが、依然として世間においては遠出が許される空気ではなく、私が3月以来鉄道に乗車する機会は6月末にとった親の里帰りの同行を待つことになる。ところが私は元々夏季休暇まで鉄道を断つ予定であり、それが良くも悪くも6月に破られたのだから、7月に近場の一人旅をおこなってもよかったのだが、大学の課題が授業数の割に捗らなかったことやアルバイトを多めに入れていたことを理由に、東京近郊の大回り乗車を除いては8月末まで旅行に出ることはなかった。今考えると理論上はその時期その状況でも旅に出ることは可能だったと思うが、当時の宿泊予約スキルの低さや、ウィルスに対するある程度の恐怖感を持っていたことを踏まえると致し方ない判断だと思う。そうこうしているうちに7月中ば、夏季休暇を目標にあるお方に逢うために個人的に密かに計画していた西行きの予定(この時まで鉄道を断つ予定だった)がとある事情により没となり、ニートの自分に対してますます元どおりを取り戻す世間の様子もかえって神経に悪影響を与えたらしいこともあり、恋患いによる抑うつ状態のもと某アメリカの兄妹バンドをユーチューブでループしながら"Good-bye to love~"と口ずさむのみで一向に期末課題が進まない日が続く事態となった。どうやって回復したのか定かではないが、おそらく提出期限という外的圧力には逆えなかったのであろう、余裕も出てきた7月末ごろ頃英語のエッセイ執筆課題と並行しながらこちらも残念ながらのちに没となる9月末の九州旅行を計画し、せっかくだから8月にもどこか行きたいと思いついたのがこの「魅惑の東関東・南東北」旅行である。
旅行の方は初めはとりあえず銚子を目的地に決定し、JR東日本によるえきねっと半額キャンペーン「お先にトクだ値スペシャル」開始とほぼ同時期に東京から銚子までのチケットを購入した。ちなみにこれは乗車20日前に購入すると乗車券と指定席特急券を合わせた切符が通常の半額で販売される仕組みであり、コロナを受けた需要喚起策として全国的に適用されると発表当初は「新幹線半額キャンペーン」と呼ばれネット上で大いに盛り上がったが、元々は価格の安い高速バス等に対抗する目的から在来線で行われていたくキャンペーンである。それが手元にあったのみだから、あとは感染症対策を施された施設の宿泊費を割り引かれる国策「Gotoキャンペーン」利用の宿泊を加えた一泊二日の弾丸旅行を予定していた。
ここで少し時間を巻き戻す。最後の期末課題を出し終わった(スケジュールミスにより二個ほど遅延してしまいました)のが7月の30日代だったにもかかわらず、どういうわけか非常に長かった梅雨がまだ開けておらずあまり夏の雰囲気を感じることができていなかった。とは言っても各旅行会社からのキャンペーン適応商品販売が続々始まっていたことや街角やネットから伝わる世の中の空気を読むにこれから若者のグループ旅行が増えてくることは容易に想像できたので、ここは敢えて感染防止の観点と多数派に対する皮肉として今回の旅は全て独り旅にて催すことを最初に決めた。これよりやや先の時点ではまだ「大人数旅行=悪」という式が多数派であり、これは独り旅旅行者の天下ではないか、と考えていたため、状況が変わってしまったことはやや残念ではあったが。
私の夏休み開始と同時に、バイト先のスペインレストランもあらかじめ予定されていた通り移転に伴う休業となり、最終日の夜にこじんまりと余ったワインを従業員で空ける語らいの場(ほとんどが近所在住の方だったからいいものの、下手にリークされたらまだまだバッシングが飛んできたであろう内容である)を後にし、丑満時に公園の丘に寝そべり眺めし沈みゆく月は2ヶ月少々たった今でも思い出すことができる。シェフにいただいたお褒めの言葉をもとにやや余裕が出た日々を暮らすうち、ひょんなことからある方と横濱でお会いする機会もあり、緊張はしたが失われた青春を少しは取り戻せたかと思うまに旅行の日が近いた。そんな時、じゃらんがGo Toキャンペーンと併用可能なクーポン券を配布し始めたことを受け、即座に破格の7割引で宿を2件予約し、後半に青春18切符を利用した2泊3日に改めた。この時期は10月中旬現在よりも割引率が高いクーポンが配布されていながら、その消化は遅かった。宿泊地はもちろん銚子、それから魅力度ランキング最下位で有名な茨城県の首都水戸である。
前提とした社会情勢の特殊性より前置きが長くなってしまったが、いよいよ本題の旅行記へと移ることとしよう。8月22日の早朝は空気が澄んでおり、これからの旅が全てうまくいくことを表象しているように思えてならなかった。すでに部屋の掃除と荷造りは前日までに済ませており、なぜか家族分味噌汁を作り一人大急ぎでかきこみ、粥を握り、起きてきた親に3日間家を開けるとこの場で初めて伝えるというサプライズも甚だしい出発を飾った。
早朝とはいえ緊急事態宣言下と比べると道にまだ人の動きが見られる。しかし土曜日とあって、有名な遠距離通勤サラリーマンの姿はほとんどない。
優雅にわがまち鎌倉の雰囲気を感じたいところだが、生憎列車の発車時刻が迫っているためそうのんびりしていられない。鎌倉駅6時25分発を逃すと次は9分後の34分発となり、階段の上下を伴う東京駅での乗り換えがたった数分と慌ただしくなる。普段、もっとも今学期は全て自宅からの受講だったが、通学から利用している我らが横須賀線は朝の時間帯とくに運転間隔にばらつきがあり、34分発の一本前は12分空いて46分発とさらに間があくのに対し、乗ろうとしている25分発の一本前はたった5分空いた20分発である。
かろうじて目当ての列車に滑り込み、ボックス席を確保しまずは読書、飽きると携帯電話を触るという流れで過ごす。このボックスシートもラッシュ時混雑緩和の観点からか、来年度以降の営業運転に向け現在試運転を繰り返している新型車両E235系には設置されないことが決まっている。郊外電車としての側面を持つ横須賀線だが車両的にはこれで完全に通勤用路線に切り替わったと言えよう。学校帰りの空いている時間帯によく一人でボックスシートを占領してお茶とおにぎりで一服した思い出があり、個人的にはこのまま消えゆくのは少々忍びない。
大船をすぎ、建設中の横浜南部環状線をくぐった頃、サークルの新歓担当グループに先輩からの返信が来ているのを確認できた。22時の就寝前に送った文章に対し、起床後見ても何の反応もなかったので少々怯えていたのであるが、これで一安心である。おかげで武蔵小杉をすぎたあたりから仮眠をとることができた。都内に入った横須賀線は品川駅を過ぎると地下に潜るのだが、コロナヴィルス対策をうたって車両の窓が開いている関係でよく響くジョイント音をぼんやりと聞いているうちに、あっという間に東京駅に到着、最寄駅から58分の所要時間でござる。
さて、これから乗車するのは先ほど紹介した「お先にトクだ値スペシャル」を利用してチケットを獲得した「しおさい1号」である。こちら、臨時・定期列車を含め銚子にもっとも早く到着する特急であり、予想していたよりもホームで待っている客は多い。というのも、始発駅であるにもかかわらず車内点検の都合でまだ乗車が認められないのである。ホーム上で待つこと5分、出発5分前を切ったところでようやく乗車が認められたので、これは下手に早く来ていなくてよかったと思った。割と大勢いた待ち客も9両編成の車内に散って仕舞えば結果的にはシート数にかなりのお釣りが出るといったところである。
列車は定刻通りに東京駅を出発し、車内には独特のチャイムが流れ、次いで車掌の放送が入る。この通称「ビューチャイム」は私のお気に入りであるから、ついでにインスタグラムにて動画を撮影し切符とともに投稿したのだが、これがこの旅における最初で最後の投稿になってしまった。このチャイムに限らず最近のJR東日本のチャイムにおける唯一の不満点は例えば国鉄型車両では途中駅前後後に鳴るメロディーと始発駅発車後・終着駅到着前を、後者に長尺メロディーを流すことで区別しているのに対し、JR車両は全ての駅で同じメロディーを流すため趣がやや薄れる点であるが、メロディーが流れるだけで十分旅情はあるため気にするのも乙ではないというところである。
錦糸町を出た特急列車はスカイツリーを横目に時速130kmで都内を駆け、あっという間に江戸川を渡るともう千葉県である。総武線沿線は首都圏屈指のベッドタウンであるから、高架からの車窓には高層マンションや住宅地が広がるが、先ほど少し触れたラインに関係するサークルの作業を始めた私にはそれを楽しむ余裕はなく、結局パソコンをしまったのは1時間半後、最後の停車駅を発車した頃であった。ここまでくると首都圏5本の指に数えられる千葉県の場末も場末であり、線形もカーブが多いため特急列車も大幅にスピードを抑えて単線の総武本線を走行する。
そして9時34分、定刻通りわけなく念願の銚子駅へ到着、ここですぐ有名な銚子電鉄に乗り換えてもいいのだが、地方都市を訪れたときはまず駅前を散策するのがマイルールであるため、ここでもそれに倣うことにする。駅のマスコットなどを少々写真におさめ改札を出ると、まずは木材をふんだんに使った綺麗な内装に驚かされる。外装は(犬吠埼)灯台、内装は醤油蔵を模したというこの駅舎、どうやら戦後間もなしに造られた旧駅舎を解体して2018年に竣工したらしく、まだ新しさが残っている。また、誰でも演奏可能ないわゆる「ストリートピアノ」が設置されており、後に調べたところ国内の駅で2番目に設置されたものだそうだが、残念ながら使用停止となっていた。しかし現在の感染予防を徹底すべき流れを考えると致し方ない。
観光案内所で地図をもらいいよいよ駅前に出ると地方の駅にはつきものの開放的なロータリーがあり、止まっているバスや客待ちのタクシーを横目にとりあえずその先を広がる道路を歩く。この銚子駅前通りシンボルロードは地方都市ではまれな36mの全幅を誇り、全体の印象としてはさながら積雪を考慮して広く取られた北海道の道路のようであるが、こちらは当然降雪が少ないため車線数は多くなく、代わりに歩道と駐車スペースにかなりの余裕がとられている。雑貨屋や魚屋等々が軒を連ねる通りを過ぎると利根川にぶつかる。左手には川に掛かる橋としては日本一の長さを誇るという銚子大橋、対岸には茨城県神栖市を臨み、右手には利根川の河口と銚子漁港が見えるほか、岸壁にはたくさんの漁船が係留されている。利根川の川幅ゆえに大分開けた景色を前に思わず深呼吸、塩の香を存分に吸い込むと疲れた心もいくらか気分が上がってきたようだ。
さて、いくら上等な空気を吸い込んでも朝食に味噌汁と握り飯を一つ食べたのみという空腹を時間とともにごま化すことができなくなってきた。川沿いに少し進んだのち信号を渡り、今回の旅のメインイベントである銚子電鉄乗車に向けて内陸へと方向転換しつつ、何か軽食を探すことにする。少し歩くと古民家風の建物にのぼりが立っていた【さつま揚げ・はんぺん】ので近ついてみると看板にそれぞれの値段表が書いてある。建物の大きな入り口はあいていたが誰も居ないようだったので土間に入って声をかけると、奥からご主人がいらして、外のメニューから選んたものを揚げてくださるという。私はご存知の通り優柔不断であるから後から来た方に順番を譲り時間をかけて二種類ほど選び、揚げたての暖かいさつま揚げを手に入れた。店のパンフレットをみると週二日、一日4時間しか開けていないようとのことだったので、偶然あいているときに来れてよかったとつくづく思う。
途中の公園で烏に怯え蚊と格闘しながら揚げたてでまだ温かなこの上なく美味しいさつま揚げを平げ、いいお十時になった。公園の裏手にあるヤマサ醤油の建物の外周に沿って歩くといよいよ銚子電鉄の一駅目、仲ノ町駅に到着する。階段を登ってホームの端から上がり、ふだんとはあべこべでホーム側から駅舎に入るという行為は改札がないローカル線においてのみこなせる芸当である。駅舎はこじんまりとした木造で照明は暗いが趣がある。後から視聴した電鉄公式YouTubeで知ったことだがこの駅舎に併設しているみすぼらしい木造の掘立小屋が銚子電鉄の本社なのだそうだ。そういうわけでこの駅は駅員が常駐しており、ここの窓口でフリー乗車券を購入する。銚子電鉄の一日乗車券として有名なのは「弧廻手形」だが、私が購入した「銚子1日旅人パス」銚子電鉄全線に加え指定されたバス路線が乗り降り自由のものである。わずかな購入額だが、少しでも広く行き渡っていただきたいという思いである。
だが年齢層が低めな鉄道おたくが数名いたため、銚子電鉄乗車は一旦後に回し、また銚子駅に戻ってバスを利用して犬吠埼方面へ向かうことに決めた。目的地は高台に位置する「地球の丸く見える丘展望館」であるが、どうも近くにバス停がないらしく、バスの運転手さんに最寄りのバス停を聞きそこで下車することにする。ついでに言うとこの博物館は銚子電鉄の駅からも徒歩二十分とだいぶアクセスが悪い。唯一近くを通るバス路線は1日6本、しかも通勤・通院向けなので昼間は2本しか走っておらず利便性がよろしくなく当然このときも使えなかった。すなわち自家用車による来館を想定しているのだろうが、持たざる者にとっては少々訪れるのを躊躇してしまう施設である。
バスに揺られてわけなく名洗バス停に到着する。この殺風景な土地から展望台めがけて歩く。ほとんど田畑、たまに住宅といった道を途中コンビニで水分を調達しながら進むと登り坂となった。真夏の暑さに分厚いロシア語の辞書とノートパソコン、水筒、それと着替えをリュックに背負いながら登り坂を歩くのはかなりこたえるが、このご時世道ゆく車にヒッチハイクを頼むこともできず、とりあえず気にする人目もないため「山男の歌」やエレカシなどを口ずさみながら疲れをごまかす。当時はまだ8月下旬であり、立秋を過ぎていたため流石に「暑中見舞〜憂鬱な午後〜」を歌うのでは四季の神様にバチが当たると思ったため最近好みの「真夏の革命」や「旅の途中」をチョイス、しかし「真夏の革命」も季節に適合しているかというの観点で見るとグレーゾーンかもしれない。
展望館を作るからには当然なのだがそれなりに標高の高いところまで上がり、近くまで来るもやや道に迷いながら展望館に入館する途中、日曜日とあって多少の人出はあるようで何人かのグループとすれ違った。一階は土産物屋なのでまずはスルー、二階の資料館で銚子の自然環境や文化を多少学習し、三階がガラス窓が開放的なカフェテリア兼展望デッキとなっている。ここでいよいよ背中のリュックが文字通り重荷となってきたところ、ちょうどいいことにコインロッカーがあったので預けることにしたが財布の中に100円玉がない。運よく返金されるタイプだったので、カフェテリアのレジで100円玉を借りてロッカーを使うという珍しい体験を果たした。
さて3階のデッキに出るとここでも一応眺めを見ることができるのだがさらに屋外階段を上がって屋上展望フロアに入る。さすがに名称通り「地球が丸く見える」かと問われれば夏の霞がかかっていたこともあり素直には肯けないが、銚子きっての高地に建てたこと、比較的下界に遮蔽物が少ないことがあり四方がかなり遠くまでよく見えた。海が位置するのは東側だが、述べたように西側も平地が続いていることから察するに、夕暮れ時に訪れればかなり美しい光景が望めるであろう。もっとも入館券は再入場を認めていないので新たに買う必要が出てくるのだが。混雑具合はというと日曜日とあって家族連れが多く、入れ替わりで常に4、5グループは屋上にて雄大な景色を楽しんでいた。
しばらくしてまた3階のカフェテリアに戻り、ロッカーからリュックを受け取り100円玉をレジにて返却したのち階段を降りて展望館を後にし、ここから銚子電鉄犬吠駅まで坂を下り15分ほどでたどり着いた。この犬吠駅は有名な犬吠埼灯台の最寄りに位置し電鉄の中でも重要な役割を占めており、構内に併設されている売店では今や銚子電鉄の経営を支えていると言っても過言ではない銘菓な「ぬれ煎餅」や「まずいぼう」の販売が行われており、休日ということもあり観光客と思しき人々でなかなかの大盛況であった。羞恥心がなければ某グリーンな都知事の如く「蜜です!」とでも言ったところだろうか。駅からいよいよ電車に乗って終点の外川を目指すでもよし、乗らずとも駅からさらに足を伸ばせばチーバくんの耳の位置である先述した犬吠埼灯台にたどり着けるというわけである。がしかし、丁度電車が出たばかりだったようなのでここは一つ灯台まで歩くことにする。
実のところ、私はこれまで本州最東端はここ銚子は犬吠だと決め付けていたのだが、旅行前に地図帳で日本の全体図を何気なく眺めているとどうやら私が誤っているのではないかと気付かされた。ほんとうの本州最東端の地は岩手県のリアス海岸地域にあり、そうであるから銚子市は「関東最東端のまち」とか「日本で一番早く初日の出が見られるまち」というキャッチコピーで宣伝をしている。ちなみになぜ東経の大きさにおいて岩手や北海道に劣る銚子で一番早く初日の出が拝めるのかというと、地軸の傾きによって、緯度が高い北にいくほど冬は日が短くなるためである。地球の南北端に行くほど冬と夏の日照時間差が大きくなり、赤道に近づくにつれその差は縮まっていく、そして日照時間がちょうど12時間の日が春分・秋分、と、知識をもとにある程度の定義を説明できはするのだが、地球と太陽の模型を頭の中にイメージして、日照時間を考え出したりすると途中でメモリのキャパシテイをオーバーしてしまう。どうやら、裏紙に落書きしながらの地学の復習が必要だ。
犬吠埼は想像以上に賑わっていた。というのも、私にとっての比較対象が1年前の春に訪れた北海道は根室市に在るノシャップ岬だったのでは無理もない。あれは3月の平日の訪問であったから、たまたま暖冬だったとはいえまだまだ寒く完全なオフシーズンであり訪問者は我々を除いて一、二組ほどという有様であった。だが今目の前に広がる駐車場には大量の車やバイクが止まりライダー連中やカーキチが大勢たむろしているし、左手に広がる店の並びにはインスタ映えを狙って建てられたと思しきテラス付きの建物を横目にインスタ映えを狙ってきたと思しき女子大生のグループが大勢湧いている。これには、こちとら、ジャージの半袖TシャツにGAPのセールで購入した半パンを合わせたちっとも垢抜けない男子大学生の独り旅では、どうも肩身が狭い。その駐車場に面した商業地をすぎるとお目当ての犬吠埼灯台があり、チケットを購入すると展望室に上がれるようなのだが、明らかに混んでいて気が進まないので今回はパス!灯台の外周、すなわち諺「灯台下暗し」でいう「灯台元」に整備されている遊歩道をわずか数分で潮風を楽しみつつのんびり一周歩くにとどめ、今度は空いている時に訪れたいなあ、どうせ冬場は初日の出シーズン以外空いているだろうから、と思いながらもう灯台に背を向け歩き出す。
さて、今まで味噌汁、おにぎり、さつま揚げ2つと少々ひもじい食事であり、加えて人混みもあって流石にお腹が空いたので、店の並びの中から、昔ながらの観光客向け定食屋といった少々寂れた雰囲気の建物に足を踏み入れる。旅行が激減した2020年のコロナ禍を踏まえると、自分一人で何ができるかといった問題はさて置き、経済の回復のためには変に地元の人向けの隠れ名店を探すよりもこういう観光客向けの店舗を利用した方が良いのではないかと考えたのである。ここで銚子名物である「さんが焼き」定食を食す。さんが焼きとは何かご存知ない方はぜひインターネットを利用して調べてみてほしい。
本作品は2020年の9月から11月ごろに執筆された未完の旅小説である。まだコロナ禍冷めやらぬ時期、可能な限り世の中で起きていることを客観視かつ相対化しようと試みていた私であるが、そのような意向が本作品において生かされているか否かは読者の皆様に判断いただくほかない。
今回、2023年1月1日にこの草稿を再発見し、公開するにあたり一部表現の稚拙なところを改めた他、句点の少ない字体も含め、内容は全く改変していない。手前味噌になってしまうが、卒業論文に追われていることを言い訳に日々の日記の執筆すらおろそかにしている近日の私にしてみれば、当時の状況を詳細に癖のある文章で記録された数千字にわたる草稿を残した過去の自分にはただただ感服するしかない。
小説自体は犬吠の食堂でさんが焼きを食すシーンで終わるが、実際の旅行はその後三日間続いた。
本文にもちらりと言及されていた、割引を駆使して泊まったオーシャンビューの旅館では新鮮な地物をご馳走になったが、翌日はあいにくの天気で期待した日の出は拝めず、小雨に打たれて銚子を去ることになる。佐原で途中下車した頃には折しも雨が上がり、「江戸まさり」の称号に違わぬ、伊能忠敬のふるさとの美しい街並みを満喫することができた。小野川沿いに酒蔵の木造建築が並ぶ一帯は今や全国にあまた存在する伝統的建造物保存地区の先駆け的存在であり、のちに受講した行政法の授業において任意レポートの題材にするとは、当時の自分は知る由もない。
成田、我孫子を経由して次の宿泊地水戸へ到着したが、まだ日が高くとどまっており、せっかくなので列車でさらに北まで足を伸ばし、たどり着いたのは勿来である。駅から関所跡までは徒歩わずか30分ほどの距離で、行き着くことはわけなかったが、途中の山道に大量の蚊が襲ってくるのには参った。
当時は代行バスが活躍していた水郡線の不通区間の復旧が、これを執筆している今、すでに完了しているのは感慨深い。翌日は朝早くに水戸を出て郡山へと向かい、少々駅前を散策したのちは南下して白河に少々とどまった。ここは古からヤマトと蝦夷を分つ関所があり、江戸時代になると代々親藩もしくは譜代大名が治めていた要所で、寛政の改革を進めた松平定信が出身者としては有名であるが、最盛期14万石を誇った白河藩であった。列車が速度を落としつつホームへ滑りこもうとする瞬間、進行方向右手、青空を背景とした荒野に突如として小ぶりだが荘厳な小峰城の本丸櫓が姿を現す。ホームから望む小高い丘の上にポツンとたつ城の美しい姿はまさに息を呑むほどで、読者の皆様には機会があればぜひ訪れていただきたいものである。ところで、白河は日本では珍しい正教会建築がある街の一つだ。公式ページによると教会は1882年の建立(ただしメインの聖堂は大正に建てられた)で、すでに1876年には白河の地において布教が始まっていたといい、この頃の様子については数年前の「まいにちロシア語 中級編」に関連する文献が扱われていた記憶があるが、今回は確認を取る時間がなかった。ともあれ、この教会は日本正教会が自治教会の地位を得たのち設置された東日本主教教区の管轄となり、現在は月に一度の土・日曜に儀式が行われるという。
白河を立ったのちは自宅へ向かってひたすら南下し、夜のそれほど遅くない時間に帰宅したように思われる。
思いのほか後書きが長くなってしまった。旧題「魅惑の東関東・南東北 〜伝説の測量士は明日をどう生きただろうか〜」から察するに、当初自分は本作品において佐原観光をメインに取り扱う予定だったと推測されるが、構成のバランス感覚を著しく欠いたがために、ついに本文では到達することがなかったのである。残念なことに私は何度も経験しているが、このような、枝葉末節にこだわるあまり主題以外の箇所で分量が膨張し、最後まで執筆できないという問題はアマチュアライターに共通する現象であろうから、今後機会があれば克服したいものだ。
ところで、今回の公開にあたり、サイトから過去の作品を大幅に削除した。バックアップは取得済みである。




