クルセイダー加藤
『おやぶん、デコっぱちでヤンスよ』
通知はデコからだった。
俺は否応なしに生徒会長さんの件を思い出す。
あの、俺の言いなり処女ビッチの件だ。
「デコ! さっきはなんで途中で消えたんだよ」
とりあえず話を聞いてからだ。
俺が過剰に捉えているだけかも知れない。
『悪かったでヤンス』
「生徒会長さんをデコが調教していて、俺の雌奴隷ってどういう事だよ」
……酷い書き込みだ。
これ、学校側で検閲してたら速攻退学なんじゃないか?
『分かりやすく例えるなら 、生徒会長さんは調教済みで、おやぶんの雌奴隷でヤンスよ』
まったく分からない。
「つまり?」
『その件でヤンスがね。そんな悠長な事を言っている場合では無いのでヤンス』
「なんでだ、デコ? お前、何かあったのか?」
生徒会長さんの事も気にならないと言えば大嘘になるが、かわいい子分のピンチとなればそれどころではない。
なにしろ、生徒会長さんとのパイプはお前だけなんだからな……。
『それがでヤンスね、何か起こるのはオヤブンでヤンス』
ぺたーん
ぺたーん
おや? なんだこの音は?
ぺたーん
ぺたーん
荒井さんの慎ましさを表す擬音だろうか?
ぺたーん
ぺたーん
いや、これはトイレから聞こえる音では無い。
廊下の向こう側だ。
『おやぶん、どうしたでヤンス? 返事が無いところを察するに奴が来たでヤンスね。あのクルセイダーが!!』
ぺたーん
廊下の突き当たり。
T字路に人影が現れた。
その姿は、俺や荒井さんの様なブレザー姿ではない。
では連女のワンピースかと言えば、それも違う。
その人はゆっくりと身体をこちらに向けた。
その姿は一見するとズボンの裾を折ったジーンズ。
「あの姿は……男子が一度は憧れるあの!」
腰に巻き付いているのは上着、ではない。服の上半身だ。
「つなぎ服の上だけ脱いで腰に巻くやつ!」
このお嬢様学校でつなぎ服。
これだけでも十分に異様だ。
だが、その人物の個性はそれだけではとどまらない。
つなぎ服の上半分を腰に巻くスタイル。
その定番はTシャツに他ならない。理想はもちろん白T。
しかし、いま俺の眼前に現れた人物は違う。
白には違いない。だがその輝きは白Tの比ではない。
「つなぎ服の上が、夏物の半袖白セーラー服だと!?」
ウェーブのかかった長い髪はポニーテールでまとめられていた。
そいつ、そう彼女は女生徒だ。
デニムのつなぎ服に丈の短い半袖の白セーラー服。
俺の履いているサンダルでも連女の革靴でもない、安っぽい白い内履き。
ぺたーん
彼女が歩けば、かかとを踏み潰した内履きが床を叩く。
こ、これはまるで。
「おい、ごらぁ。そのこのお前!」
軍手ごしに握られた巨大な血濡れの十字架を真っ直ぐ俺に向けて叫んだ。
「なにやってんだ、あー?」
奇抜な格好に、彼女の属性を掴みかねていたがそれが判明する。
これは昭和のスケバンだ!!
「え? なんでスケバン? そもそもなんでつなぎにセーラー服??」
俺を見つけたスケバンは、ぺたんぺたんと速度を上げてこちらに向かってきた。
「おい、お前。そこを動くなよ」
荒井さんはまだトイレから出てこない。
俺がもし、荒井さんを待っていなければ、この場から逃げ出していただろう。
スケバンの唸り声が廊下にこだまする。
「ごぉぉきぃぃぃげぇぇん、よぉぉぉぉ」
ついに眼前までスケバンがやってきた。
「おい、何だお前、ごきげんか? おら?」
女子にしては長身で、俺とあまり変わらない身長のスケバンさん。
三十センチはあるだろう赤と銀の十字架をもてあそびながら問いかけてきた。
そんなもので殴られたら一発でおだぶつだ。
「ごきげんかって聞いてんだろ?」
「え? いえ。はい。悪くはないです」
「ひとりか、ごら?」
「いえ。一人トイレに行って……います」
ちらりと視線を落とせば、それなりに立派な膨らみの上に二年生を示す学年章が見えた。
さらに、おれたちブレザー姿には無い樹脂プレートの名札を付けている。
「加藤……先輩?」
「おう、加藤だ、ごらぁ」
そのとき、トイレから荒井さんが戻ってきた。
*
スケバン加藤先輩が歩くとぺたーんと音が響く。
ちなみに荒井さんの効果音もぺたーんである。
いや、そんなことを言っている場合ではない。
駄目だ、荒井さん逃げて。
小動物ごときではスケバンに食われてしまう。
だが、荒井さんの行動は意外なものだった。
「あー、加トちゃ」
スケバンの姿を見るや、その胸に飛び込んだ。
迎えるスケバンではあるが、ブラッディクロスが荒井さんに当たらないよう、手を広げた。
さらに少し腰を落として、しっかりと荒井さんを抱きしめる。
なんかこう、園児と遊ぶ保母さんのようだ。
スケバンなのに子供好きか!?
その表情は、ついさっきまで俺を睨み付けていたスケバンとは思えないほど優しい。
こうしてみると、なかなかの美人さんだ。
「あ。えーと、あれ? お前、なんだっけ?」
「もー、千雪だよ」
そういえば、荒井さんの名前は千雪だったな。
仲が良さそうなのに名前忘れられて荒井さんかわいそう。
とりあえず、荒井さんの知り合いなら襲われはしないだろう。
「知り合いなのか? 千雪」
「そーです。友達ですよ、碇矢くん」
荒井さんの語気を強めたくん呼び。
どさくさに紛れて名前を呼び捨てにするのは駄目だったようだ。
あー、可愛いクラスメイトを名前で呼ぶリア充になりたかった。
「こちらは、幼馴染みの加トちゃ先輩です」
「おい、碇矢。ごきげんよおぉぉ」
首を捻りながら、挨拶らしき威嚇音を投げかけられた。
だがそこで怯んではいられない。
美人先輩をあだ名で呼ぶチャンスを俺は逃さない。
男子クラスメイトと一緒にいるとき、偶然通りかかった加藤先輩を親しげに呼ぶことでマウントを取るのだ。
「こんにちは、加トちゃ先輩」
そのためにはリスクも犯すのだ。
「あ!? おい、てめぇ」
加トちゃ先輩は、手にしていたシルバークロスを荒井さんに押し付ける。
ぺたーん
ぺたーん
加トちゃ先輩は手が届く距離までやってきた。
そこでとどまらず、そのまま俺の首に手を伸ばしてきたのだ。
――加藤先輩に、がっしりと首根っこを掴まれてしまった。
「か、加藤せんぱぃ?」
「ネクタイ曲げてんじゃねーぞ、ごら」
――ネクタイの形を直された。
つなぎが視界に入らないほど、眼の前にいる加藤先輩。
こうなってしまえば、綺麗な先輩にネクタイを直してもらっている事実しか残らない。
「ぐぇ」
「おっと、すまねぇ」
詰めすぎたネクタイを調節するためだろうか、俺の喉元とワイシャツの隙間に加藤先輩の細い指が滑り込む。
驚き興奮していた俺に、その冷たい指はとても気持ちが良い。
「こんなもんだろ、ごら」
最後にワイシャツの襟を直すため、首周りをその気持ちのいい指がすっと滑る。
午前だけとはいえ、普通に来ていたワイシャツの襟だ。
多少は汚れている。
そんな俺の汚れに、加藤先輩が触れた。
こんな綺麗な年上の先輩が俺で汚れたのだと思うと、申し訳ない気持ちだけでは無い、不思議な感情がこみ上げてくる。
「ありがとうございます、加藤先輩」
感謝の言葉が、心の奥底。魂から漏れた。
俺の人生でこれほど心のこもった「ありがとう」を言ったのは初めてだと思う。
「おう。二度と曲げてんじゃねーぞ、ごら」
「はい。もちろんです」
あぁ、これからも絶対にネクタイは曲げておこう。
「ところで、おい。えーと、あれ?」
また忘れている。
名前覚えるのが苦手な人?
「千雪……さん」
これは、名前呼びをしたのではなくて、加藤先輩に教えただけだからセーフ。
「そうそう。千雪はなになってんだ、ごら」
その質問に、荒井さんは我が意を得たりと満面の笑みを浮かべた。
ちらりとこちらを見た視線には勝ち誇った感じさえ伝わってきた。
「二人で、保健室に行くんだよ」
加藤先輩は天井を見上げてしばし考え込む。
抱き合っていた荒井さんを引き剥がすと、再びかがみ込んで目線を合わせた。
「千雪も高校生になったんだな。保健室に男連れ込むようなお年頃か。人生の先輩になるから、これからは千雪さんて呼ぶぜ」
「良かったな荒井さん。お母さんの許しが出たぞ」
荒井さんは口をパクパクさせて、加藤先輩の袖を引っ張った。
「違うでしょ、加トちゃ! ほら、メッセ、メッセージ」
「あ? あぁ!」
加藤先輩がまた何かを思い出したようだ。
その瞬間の表情はとても優しい。
オラついているときの表情が作ったもので、本当は優しい顔立ちなのだろう。
「駄目だぞ、ごら。いまはまんぼうだからな。連れションも連れ保健室も無しだ。どうしても必要ときはオレたちを呼べ」
「オレたち、とは?」
「ほれ」
加藤先輩が左肩をズイと俺に突き出す。
なんだ?
「これ見りゃ、わかんだろ?」
ぐいっと、俺に左手を寄せる。
加藤先輩の白セーラーはボタン止めだ。
左側に立つと、立派な膨らみに押し上げられた布とボタンの隙間が広がって見える。
「あ? どこみてんだ」
さらに詰め寄られれば、セーラーの襟元が覗けそうなほどに近い。
連女には廊下を歩くときに、巨乳の先輩を呼ぶ風習があるのか?
この感謝は誰に伝えるべきだろう? そういえば校庭に大きな連理の樹があった。
言われてみれば寄り添う二本の樹のすき間は、セーラー服のボタンのすき間に似ているのかもしれない。
「加トちゃ、わかんないよ?」
「あ?」
加藤先輩は俺に突きつけていた左腕を見下ろすと「あ、やべ」と一言。
カーゴパンツのポケットに手を滑り込ませると、そこから腕章を取り出した。
「ほれ」
突き出された腕章には『校内浄化委員会』の文字。
加藤先輩が「汚物は消毒だ」と叫んでいるのをイメージする。
とても似合っていると思った。
「わかっただろ?」
ごそごそとポケットに腕章をしまう。
せっかく出した腕章は着けないんだ?
「どーしてもって理由がないなら、ふたりでぶらぶらすんな」
「加トちゃ、私たち保健室に体温計を取りにいくんだよ。私の熱を測るの」
「体温計なら」
加藤先輩は今度は逆のポケットに手を突っ込んだ。
小型で白い棒状の物体。モニターと押しボタン。先端にはセンサーらしきもの。
見た目でそれが体温計であろうと予測がついた。
ぴっ
「平熱」
荒井さんは軽くブラッディクロスを掲げて見せた。
勝利のポーズ感が伝わってくる。
そして、ドヤ顔を向けてきた。
荒井さんや。お前さんおでこが弱点とか言ってなかったか?
なんで加藤先輩にはあっさりさらしてんですか?
いったいさっきまでの抵抗はなんだったのか、俺限定でおでこ禁止なのか?
俺の疑問をよそにドヤ顔荒井さんは上機嫌だ。
「これで私の疑いは晴れました」
正直に言ってもう一度、荒井さんの体温測定をしたかった。
「――そうだな」
*
「それじゃあ、教室へ戻りますか」
荒井さんの宣言に、俺は教室から持ってきた体温計を振ってみせた。
「備品が動かない件が未解決だ」
荒井さんは口をぽかんと開けて驚いた。
すっかり忘れていたのだろう。
どうせ開けるなら、その口で体温を測らせてくれ。
「では、ささっと保健室へ向かいましょう」
俺に体温を測られる心配がなくなって、ずいぶん元気になった様だ。
しかし、加藤先輩がそこに割って入る。
「まてまて。千雪がなんともねーなら二人でぶらぶらすんな」
ふむ。
たしかにそうだ。
「じゃ、俺が保健室に寄るよ」
「あと、千雪は十字レンチを返せ」
加藤先輩が荒井さんからブラッディクロスを取り上げる。
レンチ? なんか機械の整備とかに使うやつだったか?
なるほどつなぎ服に工具の組み合わせなら別に不思議なことではない。
「それじゃ、加トちゃ。一緒に音楽室行こうよ」
「だから集まるなってんだろ」
シュンとする荒井さん。
「途中までだからな」
今度は、パッと喜ぶ。
なんだろう、この面倒見の良いスケバンは。
学年の違うはずの二人だが随分と仲が良いようだ。
二人の姿が見えなくなり、さて俺も保健室に向かおうかとしたときにスマホに通知が来きた。
『おやぶーん、無事でヤンスかー』
もちろんデコだった。
「なんだあの、スケバン先輩は?」
『この町で整備工場を営む加藤自動車の一人娘でヤンス。スケバンに憧れて県外の工業系高校に進学したのでヤンスが、まんぼうで去年から連女の合同校舎に通っているでヤンス』
「お嬢様校でたった一人のスケバンか」
『結果として、スケバンの肉体にお嬢様の心を持つ、悲しいモンスターになったでヤンス』
「そのわりには、浄化委員会なんて役持ちなんだな?」
『それには、あの冬の事件を語らなくてはならないでヤンス』
つづけ
保健室への道のりは遠いでヤンス。
うがい、手洗い、ブックマークと評価も忘れずにでヤンス。