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13食

 落ち着け。

 落ち着け落ち着け落ち着け。


「イザベル、1度座るべきだ」

「え、ええ」


 どくどくと嫌な音を立てる心臓と、止まらない冷や汗。自慢のカウンター席に座って、無理やり深呼吸をした。


 ギルバートが、店に来なかった。


 今まで、あの銀髪は一度だって、また明日、の言葉を破ったことは無い。あいつはあほだが、絶対にその言葉を守ってきた。つまり、今、ギルバートがここにいないのは、相当な異常事態。


「レオ、ギルバートはどうしたの」


 震える声を押さえつけ、なんでもないふうに聞いてみた。


「今朝、寮の前にギルバート・ドライスタクラートの姿は無かった。しかし、夏季休暇の間、ギルバート・ドライスタクラートはそこにて私を待つと約束した」


 また冷や汗が出る。

 待って、大丈夫だから、落ち着け。

 私が見た未来では、ギルバートは断頭台で殺される。こんなに唐突に、なんの前触れも無く死ぬなんてこと、ありえない。それに、見た景色では空の雲が夏のものではなく、秋の雲だった。大丈夫。

 そうだ、大丈夫。ギルバートはまだ生きている。大丈夫。





 本当に?


「っ……」


 思い出してしまった忘れられない赤に気分が悪くなって、思わず手で口を抑えた。

 私が見た未来が変更可能なのは、もう1つ見た別の未来で試してみて実証済みだ。未来で通うはずだったお嬢様学校に行かずに騎士学校に行ってみたら家が潰れ家族が処刑されたのはちょっと予想外だったが、それでも未来は変えられた。


 じゃあ、今この瞬間、私は何を根拠に安心すればいい。


「イザベル、医者が必要か」

「いいっ……!!」

「ベッドまで運ぼう」

「いい、いいから。……そう、店。お店開けるわよ」

「しかし、イザベルは体調が優れない。ギルバート・ドライスタクラートも居ないのであれば、私だけでこの店を営業するのは困難だ」


 結局、私はお昼過ぎまでその場から動けず、いつの間にかレオは店に居なかった。

 そのことにも驚いてしまって、気がついたら夕方だった。


「断頭台……」


 やっと、ふらりと体が動き出す。

 そうだ、この国にある断頭台を、片っ端から探しに行こう。幸い断頭台の数と場所は全部覚えている。7歳の時に全部地図に書き込んで覚えた。そこを全部探せば、あの銀色がいるはずなのだ。

 なら、私は何もかも打ち捨てて、剣を取り、行かなければ。


「イザベル」

「……レオ」


 またいつの間にかレオが店内に居て、外に出ようとしていた足が思わず止まる。


「ドライスタクラートの本邸へ行ってきた」

「ギルバートは!?」


 反射のようにレオに詰め寄って大声を上げた。

 まさか、まさかもう。やだ、やだそんなの。やだ、私、なんのために。


「ギルバート・ドライスタクラートは風邪をひいたので、しばらく外に出られないそうだ」

「……」


 かくん、と全身から力が抜ける。レオに腕を取られ、なんとか倒れこまずに済んだ。無遠慮に力を込めて握られた二の腕が、少し痛い。しかし、その痛みのおかげで冷静になれた気がした。


「……風邪」

「命に別状はないと聞いている」

「……そう」

「イザベルも風邪をひいたか? ならば、医者を呼ぼう」

「ううん、違うの。大丈夫」


 なんだ、ただの風邪か。あほは風邪をひくのか。

 なんだ、やっぱり全然大丈夫じゃない。焦らせてくれちゃって、ギルバートのあほめ。寿命縮んだかと思った。無事ならいいのよ、まあ風邪ひいてるけど。


「イザベル、ベッドまで運ぶか?」

「……いいえ、大丈夫よ。それよりレオ、今日はお店開けなかったけど……まさか、今日1食も食べてないとか、無いわよね?」

「寮では夏季休暇中食事が提供されない。さらに、今日はここからドライスタクラートの家まで徒歩により向かったため、飲食の時間は取っていない」

「水も飲んでないの!? 死んじゃうわよそんなの!!」


 慌てて厨房から今日店で出すはずだった料理をだしてレオに出す。黒いマグカップに並々と水を注いで、今すぐ飲むように言って手渡した。


「あんた少しも汗かいてないけど、もしかして熱中症だったりする!? お医者様を呼びましょう!」

「この程度で汗を流すことはない。それから、イザベル。イザベルも水分を取り、食事を取るべきだ」

「え?」


 スタスタと厨房に入って行ったレオは、赤いマグカップに水を入れて戻ってきた。それから、手のひらに飾り切りのきゅうりを乗せて。


「私はギルバート・ドライスタクラートのようには出来ない。よって、これでしかイザベルを喜ばせられない」

「……これ、くれるの? 私が喜ぶから?」

「ギルバート・ドライスタクラートが、イザベルが喜ぶのは良い事だと言った。私はそれを理解した」


 可愛らしいきゅうりが、もっと愛しく見えた。


「ありがとう、嬉しい。ごめんねレオ、朝から取り乱したわ」

「謝る必要は無い」

「あーあ! 今日もお店休んじゃったわ! ギルバートが居なくても、明日から頑張らなくちゃね!」


 つとめて明るく言えば。


「店が潰れる」

「恐ろしいこと言うんじゃないわよ。別に私だって冷製パスタぐらい作れるわよ」

「イザベルの冷製パスタは危険物」


 飾り切りのきゅうりは1口で食べてやった。

 そのあとギルバートの居ない3日間は、冷やしたジュースがよく売れた。


 ジュース屋イザベル4日目の夕方。


「イザベル、パサパサのパンが異常だ」

「ああ、それはね、カビてるの。夏はカビやすいのよ。捨てましょう」

「食べないのか」


 本気で言っているのかと、レオの手にある緑がかったパサパサのパンに目をやる。どう見たってカビている。なんだか綿毛のようなものまで生えているし。


「お腹壊すわよ」

「イザベルの料理とカビてるパンは危険物」

「なんて物と同列にしてんのよ。……まったく、私ちょっとジュースとパン買ってくるから、店番よろしく。鐘までには帰ると思うけど、間に合わなかったらこれで鍵締めて帰ってね」

「承知した」


 皿洗いさえさせなければ、レオはもう立派にジュース屋の店番ができるまでになった。さすがに飲み込みは早いし、覚えた仕事は正確にこなす。国の宝をこんなことに使ってしまって申し訳ない。


 オレンジ色に染まった街を、汗だくになりながら歩いた。本当なら汗をかかないレオに買い出しに行ってほしかったが、我が店の帳簿は私の頭の中にしかないので、やっぱり私が買い出しに行くしかないのだった。今度から紙の帳簿つけようかな。

 しかし、昨日匿名で届いた荷物の中にあった大きなスイカはどうしたものか。ギルバートめ、加工せずとも食べられるから送ってきたのだろうが、レオと私であんなもの丸々食べられる訳ないだろう。お客さんに出すにしたって出し方が分からない。お皿に乗っけて出せばいいのか。


「まったく、早く元気になりなさいよ」


 あほバート。


 ジュースとパンを買って、早足に店に戻る。パンが安いと言うから珍しく少し遠くまで足を運んでみたが、ここから先の道は少し治安が悪い。王都に出稼ぎに来るような人達が、その日凌ぎに借りるような宿がチラホラとあるからだ。もっと進むとさらに治安が悪く、もっともっと進むと貧困街がある。

 この国は、50年前に開国して貿易を始めて、豊かになったと同時に貧しくなった。貧しさも豊かさも、天井を失った。貴族たちの生活は華美を極めているが、貧困層の人々がどんな暮らしをしているのか、想像するだけで私も実際に見たことはない。本来この先で暮らすはずだった私は、運良く自分の店を持てているからだ。


「おっ、こりゃいい男……ってレベルじゃねえな。しかも銀髪なんて……下手な男娼屋に売るようなモンじゃねえ。貴族に直接売りに行ったって天井無しの値がつきそうだ」


 だから、夏の暑い風に乗って聞こえてきた声も、この貧しい地域では珍しくないのだろう。


「立てや兄ちゃん、人生変えてやるよ」


 多分、勘違いだ。嫌な薄暗さと淀んだ空気を孕んだ路地が、私におかしな妄想をさせているだけだ。


「おーおー、本当にえげつねえほどいい顔してんなぁ。本当に男か?」

「……ぅっ」


 息を殺して覗いた路地では、下卑た笑みを浮かべた太い男が、うめき声を上げた忘れられない銀髪を、ぎとつく太い指で掴んで持ち上げていた。


 とりあえず、こちらの武器は拳とジュース瓶だ。


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