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11食

 ギルバートが店の厨房に復帰して早10日。

 今日も自慢のカウンター席に座って新聞を読む。もう新聞社も読者も怒っていいレベルにイトシゴ捜索の記事ばかりだ。貿易赤字の記事ですら10行程度で隅に押しやられている。この国もうダメかもしれない。


「ギルバート・ドライスタクラート、怪我の具合はどうだ」

「完治!! 若干長引いたけど、もう全快だぜ! 明日の練習試合も手加減抜きでよろしくな!」

「承知した」


 騒がしい声とともに、ことりと目の前に置かれた皿。そこにはケチャップソースがかかった黄色く美しいオムレツが。なんてふわふわの卵。


「わあ! ふわふわね!」


 しまった思わず間抜けな言葉が口に出た。威厳のあるナイス店主のイメージが崩れてしまう。なんとか表情だけでグッド店主パワーを解放せねば。


「ふわふわを作ったのはギルバート・ドライスタクラート」

「レオも野菜切ったり下拵えしただろ? レオが手伝ってくれると仕込みも早く終わるから助かるよ」

「手伝ったのはレオ」

「だからレオは君だって!!」


 ギルバートが当然のように私の隣に座って、その隣にレオが座る。みんながそれぞれ自分のマグカップを当然のように使って、当然のように食事を共にする。うん、まあ、こういう空気は、なんと言うかそう、悪くは、ない。かも。


「ギルバート・ドライスタクラート、私は負傷したギルバート・ドライスタクラートの代わりにこの店に来た」


 唐突に話し始めるレオにももう慣れた。慣れたので私は無視してふわふわのオムレツを食べる。美味しい。


「えっ、あ、そう言えばそうだったな。ここんところ、一緒にここに来るのが普通になってたから忘れてたよ……」


 もごもごと言いながらオムレツを口に運ぶギルバート。それを無表情で見て、レオはまた口を開いた。


「私はもう不要である。よって、明日よりこの店には来ない。今日の鐘が鳴り次第、私はここを去ろう」

「えっっ、そ、そんな急に、えっ、あの、俺たち、そんな寂しい関係、じゃな、い……よね? 最近、学校でもお昼一緒に食べてくれるし……柔軟のペアも組んでくれてるし……」


 ぼっち脱却してたのかギルバート。


「あっ、でも、それ全部レオ君が俺に気使ってくれただけか……そうだよな、最近よく周りにヒソヒソされるし……勝手にライバルとか言われてるイキリ勘違いクソ雑魚に剣あてちゃっただけなのに、学校でも気まずくさせてごめん。優しくしてくれてありがとう……でも、その、会ったら挨拶ぐらいさせてくれ……無視する時は事前に言ってくれよ……」


 コイツ根が卑屈というか、自分に自信が無いのは何故なんだ。普段あれだけ俺は美青年とか残念なことを言っているのに。学校生活での孤独が与える精神的影響えぐいな。


「レオで構わない」

「でっ、でもさ……ほら、やっぱり、距離感が……俺、勘違いしちゃうから、さ。俺キモイからさ、呼び捨てとかすると、友達、とかって、勘違いしちゃうからさ」

「レオで構わない」

「無理だ……ずっと引きずっちゃうだろそんな事したら! 捨てるならハッキリ言えよ!! バカ!!」


 そこらの女よりよほど艶っぽい表情で、レオを睨む目に涙を浮かべているギルバート。私は何を見せられてるんだ。


「レオ・アインツェーデルに友人は不必要だ」


 ギルバートは声も無く泣き出した。仕方ないので私の肩を貸してやる。あんな男やめときなさいよギル美、もっと優しくて融通きく人はいっぱいいるわよ。


「他者とは友好な関係を築くべきである。しかし、剣を鈍らせる物は、1つとしてレオ・アインツェーデルに備えるべきではない」

「え、おやつは?」


 思わず食い気味に聞いてしまった。だって気になったんだもん。


「おやつ」


 レオの頭からすぽーん、と知性が抜けた音がした。

 そしておやつに負けたギルバートは私の肩でさらに泣いた。泣くな、レオはあんたが作ったおやつに知性を奪われたのだ。大局的に見ればあんたの勝ちよ。これからもおやつで釣ったらホイホイ言うこと聞くと思うわ。


 私がよしよしとギルバートを慰めていると、ごーんと夜の鐘が鳴った。ああ、2人とももう帰る時間だ。

 せめてお別れは威厳ある店主らしくいこう、と席を立とうとしたところで、隣りから無感情で事務的な、まるでレオのものでは無いような、知らない声が発せられた。おそらく誰に聞かせる気もなかったのだろう、自分に向けた小さな声。


「……レオ・アインツェーデルを鈍らせる物は、1つとして備えるべきでない。レオ・アインツェーデルは、人間ではない。レオ・アインツェーデルは、」

「バカなこと言ってんじゃないわよおやつ大好き星人」


 拳を握り立ちあがった。

 レオがぱちくり、と目を丸くしている。なんでか酷く驚いたような、何かに失敗したような、とにかく初めてレオの表情が動いたのを見た。


 だが、今はそんなことはどうでもいい。


 右足を踏み込みレオに殴りかかろうとした所で、涙目のギルバートが羽交い締めにしてくる。離しなさい、あのすまし顔ぶん殴ってやる。


「ぬがああああ!!」

「だから女の子が出していい声じゃないって! あとレオを殴ろうとするな! イザベル、お前自分で思ってるより強くないからな!? 自分から喧嘩ふっかけるのやめろよ! 無謀なんだよ!!」

「うっさいだから騎士学校入って鍛えたのよ!!」

「最後まで実技へっぽこだったじゃんかーーー!!!」

「だってアイツ、レオの事人間じゃないなんて言ったのよ!? 許さない!!」


 人間だ、レオは間違いなく人間だ。

 産まれた時から私が焦がれ、なれないと諦めた、清く正しい人間だ。積み重ねられた世界の表層を正しく目に映し、先の事など知らずとも強く生きられる、紛うことなき人間なのだ。


 人間じゃないのは、人間になれないのは。

 あんな、あんな未来を。



 ギルバートが。この美しい銀色の人間が、まるで見世物のように、赤に染まって、断頭台で首を落とされるなんて未来を。



 見てしまった、イトシゴ()だけなのに。


「うえっ!? い、イザベル!? ごめん、ごめん痛かったか!? 本当にごめん!! ごめん!!!」


 ぱっ、とギルバートの手が離れる。思わずその場によろけたが、なんとか自慢のカウンターに手をついてレオを睨みつけた。自分の呼吸が、ふうふうと耳にうるさい。目が熱くて、視界が滲む。

 ダメだ、私の視界はいつだって晴れていなければならないのだから、早くなんとかしないと。だって、私は未来なんかじゃなくて、今が見たいのだ。今だけを見ていたいのだ。一瞬だって逃さずに、目を開いていなければいけないのだ。


「イザベル、謝罪する」

「……何でよ」

「イザベルを泣かせるのは、私の本意では無かった」

「……バカね、私は泣いてないわ。怒ってるのよ。でも、ごめんなさい、私が悪いわ。冷静じゃなかったの」

「イザベルが涙を流しているのは事実だ。改めて、謝罪を」


 びし、とレオが腰を折る。

 別にレオは悪くない。私が勝手に怒って騒いで、レオに八つ当たりしただけだ。全部全部、私が弱いのが悪いのだ。


「……レオ、私はずっと、人とご飯を食べてたのよ。人と一緒におやつを食べてたの」


 ギルバートがそっと私の肩を抱いた。いつもだったらひっぱたいてやるのに、今は喉まで強ばってしまっていて出来なかった。それでも、ぐっと前を向く。


「ねえ、レオ。今まで忙しいのにここに来てくれて、どうもありがとう。食べるに困ったら、お腹が空いたら、いつでもこの店に来なさい。絶対助けてあげるわ。その分働いて貰うけど」


 威厳のあるナイス店主として、しっかりと別れはキメる。キメてやる。


「レオは食べるに困ったらここへ来る。お腹が空いたらここに来る」

「そうよ。それだけ覚えたのならいいわ。じゃあねレオ、もし良かったら学校ではこれからもギルバートと仲良くしてあげてね」

「承知した」

「たまにはお腹いっぱいでもおやつ食べにいらっしゃいね」

「承知した」


 ちょっと喋り過ぎたが、まあ及第点だ。ナイス店主私。

 レオはそのまま踵を返し、おろおろと不安そうにするギルバートと共に、ドアの外へ消えていった。ぽかりと1人になった静かな店内が、なんだか。


「……」


 ギルバートも、レオも。忙しい学生なのだから、いつ来なくなったとしても不思議では無い。むしろ毎日来ていた今までが異常だったのだ。お腹が空かなければ、食べるに困らなければ、みんなこの店には来ないのだ。


 そう、他人との食事を保障してくれるものを、私は何一つ持っていない。自分の店を持っていても、私にとって人との食事は奇跡のような事だ。だって、私は人間じゃない。家族も居ない。人と共に食卓を囲める道理がひとつもない。

 本来ならいつだって、静まり返ったカウンターが私の食卓なのだ。


 それでも、たとえ1人だったとしても、嫌いなものに良いようにされるのは気に食わない。だから、絶対に私は、アイツを死なせない。そう、決めたのだ。


 それでも今日はもう疲れてしまって、着替えもせずベッドに倒れ込んだ。



 そんな事があった、次の日。


「おやつ」

「イザベルーーー!! レオって結構腹ぺこバカだったーーー!!! 普通に毎日おやつ食べに来る気だぞーー!! だから元気出せよおー!!」


 からんからん、とドアの鈴を鳴らしながら、夕方の店に腹ぺこの銀と黒が入ってきた。

 ギルバートは不安そうな顔でこちらを伺いながら、レオはいつもの無表情で。まるで当たり前のように、臙脂色のエプロンを着て手を洗っている。

 なによ、なによ。2人して、当たり前みたいに。


「……騒がしいわね、あんた達」


 私も、途端にお腹が空いた。


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