097.いつもの2人
「ま~ぁ~す~…………たぁ!!」
「うぉぉお!?」
それは突然のことだった。
俺と優佳。姉弟で永本家の広くて美しい日本庭園のような庭を眺めていると、突如背後からの衝撃に前のめりになってしまう。
さっきまでの体勢といえば縁側から脚だけを放り出して座っている状態。それがいきなり押されたものだから、落ちて綺麗な庭を汚しそうになったところを、持ち前のバランス感覚でなんとか寸前で踏みとどまる。
「あっぶな…………いきなりなに!?………って、遥?」
「えへへ~! マスター!ただいまっ!!」
背中から抱きつくよう、俺の肩から顔を出すのは朝も寝起きから見た顔、遥だった。
彼女は目が合うと同時に砕けた笑顔で見せつけると同時にギュウと首を巻きつける力が強くなる。
……常々思うが、どうしてそれほどまでに良い香りを漂わせているのだろう。
朝もだったが、強く抱きしめられているものだからいつも以上に強く感じられる。
遥だけじゃなくてみんなそうだ。何か特別なことでもやっているのだろうか。
「お、おかえり……。早かったね」
「え~?普通の時間だよ~! それから……ただいまっ!」
「それさっきも聞い――――」
2度目の挨拶に指摘しようと苦笑すると、彼女の顔が突然こちらに傾いて柔らかな感触が俺を襲う。
それは朝も実感した、頬へのキス。思わず目を見開いて彼女を見ると、頬に赤みは灯っているもののその顔は笑顔だ。
「マスター隙だらけ~。ただいまのキッスだよっ!」
「お……おかえり…………。 っ――!」
不意打ちはズルいって。
上機嫌な彼女はそのまま柔らかなほっぺを俺の頬にこすりつけ始めた途端、隣から発せられる冷たい、突き刺さるような視線。
見るまでもない…………優佳だ。
この背中にヒシヒシと感じる、蛇に睨まれているような感覚。明らかに不機嫌なときの目だ。
極力視界に収めないように背を向けていると、今度は遥から引き剥がされるように優佳の腕が伸びてきて後方へと引き寄せられる。
「!! ……あれ?」
「ったく……アンタは油断し過ぎなのよ。 ……ていっ」
「あたっ」
引き剥がされた俺に今度は何をされるのかと目を硬く瞑って身構えていると、襲うのは全身が包み込まれるような優しい感触。
それが今度は俺が抱きしめられていると気付くには、そう時間はかからなかった。
腕の中に収められてなおかつ抱きしめられる、いわゆるあすなろ抱きだ。ただし俺がされるほう。
顔を上げて彼女の表情を収めようとすると、眼前に手が伸びてきて軽くデコピンされる。
「おかえり、遥ちゃん。 でもそこまでよ」
「む~! 優佳さんずるい~!アタシにも~!」
「だめよ。これは姉の特権なの。 そもそも遥ちゃんには一晩貸してあげたじゃない」
「それはそうだけどぉ……あの時はそれどころじゃなかったし…………」
あの……俺のことで争ってくれるのは嬉しいんだけど、俺は俺のものだからね?
頭上の優佳と眼前の遥が睨み合っているのを冷や汗垂らしながらジッとしていると、今度は遥によって死角になっている前方から何者かが歩いてくる音が聞こえてくる。
「遥さんお待たせしました……って、何言い争っているんですか」
「伶実ちゃん…………」
遥が横にズレて見えるようになった前方には、頼りになる従業員、伶実ちゃんが近づいてきていた。
彼女も遥も制服姿。きっと学校が終わって直接ここに来たのだろう。
「レミミ~ン! マスターが取られたぁ!」
「はいはい。マスターはマスターのものですからね。 ……風邪はもう平気ですか?」
「うん。お陰様で」
その心配してくれる可愛らしい声に安心感すら覚える。
そうか、風邪の看病してくれた日以来か。なんだか色々あって随分久しぶりの気がする。
「マスターすみません。ここ数日何かあったか遥さんにお聞きしました」
「それはいいけど……なんでジリジリ近寄ってるの?」
一歩。また一歩と。
ジリジリと歩み寄ってくる彼女に俺は嫌な予感しかしない。
さっきまで持っていたバッグを放って身軽になってるし……え、俺何されるの!?
「それはもちろん、こうするためです! えいっ!」
そう声を上げて一歩を強く踏み出した彼女は、倒れる勢いのままに俺に抱きついてきた。
ポスンと軽い感触のうちに胸の中に収められる、伶実ちゃんの小さな身体。そして女の子特有の柔らかな感触やいい香りがダイレクトに直撃する。
「伶実ちゃん……?」
「…………遥さんから聞いて、すごく心配してました。元気そうでよかったです」
胸元からくぐもった声とともにギュッと服が強く握られる。
あぁ、優しい彼女のことだ。きっと遥から大丈夫だったと聞かされても気が気じゃなかったのだろう。
「…………うん。心配かけたね」
「ホントですよ……本当に……私が近くにいればとどれだけ思ったことか……」
心から心配してくれていることを嬉しく思いながらその柔らかな髪を撫でていると、ふと近くに遥が座り込んでいるのに気がついた。
その目はまっすぐ見つめていて軽く頭を差し出している。無言の視線にもしかしたらと思って空いた手を頭に乗せると嬉しそうにその顔をほころばせる。
「ったく、仕方ないな」
「えへへぇ。マスター、ありがとぉ」
俺も口では呆れたものだがその実、頼られて嬉しい。
自然と2人を抱きしめる形で頭を撫でるのは、俺を抱きしめている優佳が痺れを切らして怒りだすまで続くのであった。




