096.取り越し苦労
目の前に見えるは、綺麗に手入れされた日本庭園のような庭。
苔石に灯籠、そして水面の揺れる池など、厳かな雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。
俺は1つの汚れもない、そんな綺麗な庭を縁側にて眺める。
隣にずっと支えてくれた彼女、優佳を連れて。
俺達が善造さんと2度目の対面を果たしてから、30分程度の時が過ぎた。
時刻は夕方。夏だからかまだ太陽は元気の、まばゆい光を放っている。
そんな太陽の影に位置する軒下で、俺は何をするまでもなく二人庭を眺めている。
30分も続いた無言の空気。しかし悪いものではなく、むしろ心地良い。
厳かな空気の中そんな居心地のいい空間に身を委ねていると、ふと彼女の手が俺に重ねられる。
それにつられて視線を向けるも、彼女はまっすぐ庭へと視線を向けていた。
「……アンタ、本当にアレでよかったの?」
「アレって?」
「謝罪のことよ。お金、受け取らなくてよかったの?」
「あぁ…………」
その言葉にもう一度さっきあった出来事を思い出す。
一度否定したものの再度提案される金銭的な援助。
『もはやこれくらいしかすることができない』というのは彼の談。しかし、知らなかったとはいえ10年前にもらっている上更には不要だと、丁重にお断りした。
「沢山あって困るものじゃないけど、もう十分あるからね。 それにあの時と違って、俺は一人じゃないから」
「……そうね」
あの事故で一人きりになった当時とは違い、今は一人なんかじゃない。
優佳に父さんと母さん、そして伶実ちゃんや遥たちがいる。むしろこれ以上望むなんて贅沢すぎるだろう。
そう結論づけて背中を反らすとチラリと見える、優佳の反対側の手。そこにはさっきの話し合いでも見えた、謎の書類が。
中身はさっきも見た、お金に関する報告だったはず。しかし、それにしても分厚すぎるような。
「そういえば優佳、それ母親に調べてもらったものだよね?なんか分厚くない?」
「これ?大したことじゃないわよ。アンタがまだ落ち込んでた時のために他のプランを用意してたけど、必要なくなっちゃったわ」
「他のプラン?」
「えぇ。 はいこれ」
軽い調子で手渡されるのは、厚紙でできた封筒。これが分厚さの大半を占めていたのか。
中身を見ろと理解してその紙を取り出すと、更に小さな封筒が。そちらは糊のせいか開けることができない
「なにこれ?」
「開けていいわよ」
「……? 遥の写真?」
封を切って取り出して出てきたのは、遥の写真だった。
真っ白の楚々とした服に身を包んだ、遥の写真が2枚。全身が写ったものと胸上のみの写真だ。
「レプリカだけど、遥ちゃんのお見合い写真よ。 相手はアンタ」
「は!?お見合い!? ……てか俺と!?」
なにそれ聞いてない!
なんで遥と俺がお見合いすることになってんの!?
思わず目を見開いて優佳に顔を向けると、彼女は大きくため息をつきながらつまらなそうに説明をしてくれた。
「あれから10年以上。あの父親はずっとアンタのことを探してたみたいよ。でもウチの両親や施設の人が守ってくれて特定には至らなかったけど」
「……それが何の関係が?」
「いつか見つかる日が来たら、遥ちゃんとお見合いさせようと思ってたみたいよ」
「本人の意思は!?」
お見合いとか時代錯誤のような気もするが、そんな本人の意志も無視しちゃっていいの!?
少なくとも母親は黙っていないような……。
「父親の独断だったみたいね。ついさっきこれを知ったから、今頃母親に絞られてることでしょうよ」
「あぁ……だから無理やり連れてかれたのね……」
さっき、話が終わった直後。
突然母親が善造さんの腕を引っ張って俺たちの前から去ったのは記憶に新しい。
何か急ぎの用かと思ったけど、まさかお仕置きの為だったとは。
「もしもアンタが許さないようならコレを見せて父親の気概を知らせようとも思ったけど、普通に立ち直ってるんだもの。私の計画は全部パーだわ」
「ははは……。でも、俺のために調べてくれてありがと」
「別に。総が人を恨むこと無く元気ならそれでいいんだけど……つまんないわ」
「?」
彼女は縁側に寝そべるようになり、こちらに身体を向けつつ口を尖らせる。
その一本だけ出した指はひたすらに俺の脇腹をつつきだした。
「早かれ遅かれ、いつかはきっとアンタを突き止めてたわ。……つまり、どう転んでも遥ちゃんはアンタと出会うことになる。それって運命の人みたいじゃないの。……つまらないわ」
「優佳…………」
彼女の想いはとうに知っている。その上で俺を立ち直させるための手段を調べた結果、遥の運命の人が俺とわかっただけという。
取り越し苦労というやつだ。俺は彼女に合わせるよう、寝転がって視線をまっすぐつついてくる方向へ向ける。
「なあ優佳」
「……なによ」
「もし俺が優佳と出会ってなかったら養子になってなかったと思うんだ」
「……そうね。当然、そうなっていたでしょう」
「だからきっとその時は施設行き……いや、人生に絶望して自殺してたと思う」
「…………」
彼女の怒りの篭もった目が俺を射抜く。
そんなことは絶対に許さないと。そう意思を込めた目。俺は仮定の話だと笑みを作って彼女の頭を軽く撫でる。
「でも実際には優佳と出会って今生きてる。俺は優佳のお陰で生きてるんだ。……これって、運命の人にならないか?」
「総…………」
その目の怒りはフッと力を失い、不安そうな目へと変わっていく。
そんな不安は杞憂だと、そっと肩を引き寄せてその小さな身体をギュッと抱きしめた。
「だからきっと、俺は優佳がいないと生きていけないんだ。 俺のために、これまで何度もありがとう」
「べっ、別に……このくらい当然のことよ……」
そう言って強がる声が聞こえてくるが、彼女の耳は真っ赤だ。
俺は何度かその頭を撫でてそっと距離を取る。
再び見えたその表情は、優しいもの。
「だからこれからも俺を支えてほしいんだが……ダメか?」
「……そんなの、聞く必要ある?」
「……だな」
答えなんて聞くまでも無いと、身体を起こした彼女はまっすぐ庭へ目を向ける。
俺も続くように庭に目を向けると、そっと手が重ねられる感触がした。
「そんなの、嫌って言ってもそばに居続けるんだから。 ずっと……一生……ね」
優しい言葉には何も答えない。
ただ、心が繋がっている。そんな気が互いに感じ取っていた。
そして、俺たちは気づかなかった。背後から影が忍び寄ってきていることに――――




