094.空気の読めなさ
「到着しました」
「…………ありがとうございます」
遥が久しぶりの学校へ行くのを見送ってから数時間後。
俺は昨日に続いて連日の臨時休業とし、タクシーに揺られてとあるお家の前までやって来ていた。
そこは昨日も見た、1家族が住まうとは思えないほど立派なお家の、その門。
タクシーから降りた俺は夏の日差しに手で影を作りつつも、扉が開く音に目を向ける。
「昨日ぶりね。 ちゃんとご飯は食べたかしら?」
「…………優佳」
立派なお家――――永本家から姿を表したのは、何故ここに居るのかわからない姉、優佳その人だった。
彼女も一旦は家に帰ったようで昨日とは違う、見たことのある服に身を包みながらも、我が物顔で現れる姿に少し困惑する。
「あら、どうしたのかしらその顔は。 もしかして何も食べずに来ちゃったとか?」
「……いや、ちゃんと食べたよ。 朝も昼も」
困惑顔が疲労に見えたのか、彼女は下から覗き込むように見上げてくる。
今日も今日とて暑い夏。優佳も当然ながら暑さに耐えるために軽装だ。
だからなのかわからないが、知ってか知らずか彼女が覗き込んだ時にシャツの隙間から下着がチラリと見えたのを平静を装って引き剥がす。
しかし、確信犯だったのだろう。
優佳は引き剥がされた瞬間クルリと翻って、俺の腕にギュウと抱きつきながら口を開く。
「えっち」
「……誰がだ誰が。むしろ見せつけてくる優佳がそうでしょ」
俺の視線はわかりやすいのだろうか。
プイッとからかうような声から逃げるように反対側へ視線を背けると、優佳の方からくぐもった笑い声が聞こえてくる。
「アンタってホントわかりやすいわねぇ。 もう何年も一緒なんだし、堂々と見てもいいのよ? 洗濯物でだっていくらでも見てるじゃない」
「優佳はそれでいいのか……?」
「あら、もちろんよ。総にならね」
腕を組んだまま手を恋人つなぎしてくる彼女に思わず俺はたじろんでしまう。
高校卒業してからこういう接触が増えてきたけど、最近また激しくなってきた気がする。しかもあえて嬉しい言葉を選んでくれているのか、なんとなくむず痒い。
「え~……あ~……そ、そうだ! 今日呼び出したのは何の用!?」
…………我ながらなんと拙い話の逸らしようか。
ほら、あまりにもアレすぎて優佳もぽかんとした顔を浮かべてるじゃないか。
「ぷっ……!ふふっ……! 何よそれ!わざとらし過ぎるじゃない!!」
「し、仕方ないだろ! こういうの今までなかったんだから……」
突然わらしだす彼女に口を尖らせながら返答する。
だって、こういう直接的な好意はどうしても慣れないんだ。
遥と居た時はショックやら非日常感やらでフワフワして第三者的な視線でいられたけどさ、いざ一人の時間を経て冷静になったらどうしても……ね?
あの後、遥が学校に行ってから暫く身悶えしてたし、なかなか慣れるものではない。
「ふふっ……まぁいいわ。 総のことだし、1晩経ってもう”大丈夫”だろうって思ってね」
「……あぁ」
”大丈夫”
その言葉が何を差しているかは、付き合いの長い俺たちだからこそ理解できた。
昨日聞いた真実を受け止め、その上で再度彼と会うことができるかどうか。
ゆっくり頷いてみせると優佳も微笑んでくれる。こういうところは頼もしい。姉らしいな。
「でも、優佳も来なくて良かったのに。今日遥帰ってきたら来ようと思ってたし」
「あの子待ってたら夕方になるじゃない。 そうしたらあたしが総を独占できないもの!」
「…………そうですか」
更にギュッと強く抱きしめる彼女に、俺は何をするわけでもなく放置する。
優佳は優しい。きっと、誰よりも。
俺が悲しんでいたらそばにいてくれ、また別の日にも悲しんでいたら、そっとしておいてくれる。
矛盾した行動のようにも思えるが、その実誰よりも敏感に俺の心を感じ取って、その時してほしいことが言わなくてもわかってくれているのだ。
学生時代だって何度も告白されていたのに、全てを断って俺のそばに居てくれた。
それがあの事故があったからの行動かはわからない。でも、なんとなくではあるが事故が無くても変わらなかったと思う。
きっと今日は俺が寂しい、不安に感じている。そう思ったからこうしてくれているのだろう。事実、その通りだから何も言えない。
「後は遥ちゃんのお母さんに調べ物をしてもらっててね」
「調べ物?」
「……使わないでしょうけど念の為よ。 ほら、行きましょ」
そう言って無理に引っ張って門の向こうへ歩いていく優佳。
…………懐かしいなこの感覚。
俺が事故に遭った直後、落ち込んでいたときもこうやって手を取られて無理やり連れ回されたっけ。
あの時はそっけない態度をしちゃってたけど、今思えば本当に楽しかった。
グイグイと。
人目こそ無いが人目を憚らず付き合いたての恋人のように手を繋いでたどり着いた場所は、初めてこの家に訪れたときも利用した客間。
彼女はそこを勝手知ったる態度で襖を開いていく。
「ただいまです。 総を連れてきましたよ」
「ありがとうございます、優佳さん。 そして大牧さん、いらっしゃいませ」
既にその部屋で座っていたのは、いつものように綺麗な和服を身につけて凛とした態度を崩さない女性、遥の母親だった。
俺はお辞儀をする彼女に会釈しながら優佳に連れられるまま遥母の座る場所とは机を挟んで対抗側に腰を下ろす。
「えと……昨日ぶりです。 昨日は突然帰ってしまいすみませんでした」
「いえ、こちらこそすみません。 突然空気も読まずあの人が言い出して……あの後本気で怒ったので今は多少マシになってると思いますが……」
空気……まぁ、たしかに会って早々あんな話は重すぎた。
でも、彼女が本気で怒ったのかぁ……怖そうだなぁ。
「あれから空気読めないエピソード聞いてたけど凄かったわよ。総も聞いてみなさいよ。プロポーズの話とか」
「プロポーズ?」
その口ぶりから察するに、優佳は色々と聞いているようだ。
プロポーズっていうと、『結婚しましょう』的なアレだよね?
「……はい。あの人、私に初めてプロポーズしたのが映画を観終わった直後だったのです。 映画が終わって、観客が帰ろうとしているその時に、観終わった勢いのまま……」
「それは、なかなか……」
思った以上の……なかなかの空気読めなさだ。
『初めて』とあえて言ったということは、あと何度かあるのだろう。気持ちはわかる。男の俺でもそのシチュエーションでのプロポーズはたとえ結婚する気があっても了承できない。
「だから……とは言いませんが、あの人も悪意などは無いのです。そこだけはわかっていただけませんか?」
「そりゃあ、はい……」
謝罪をするように深くお辞儀をする彼女に俺も頷く。
元々悪意云々は考えてなかった。ちゃんと念押しされた上で言ったし、何より遥の父親だし。
「ってわけで総、その当事者を今から呼んでいいかしら?」
「それは…………」
最後の念押しに、つい顔を伏せてしまう。
きっと、また聞いた時の感情が浮かび上がってくるのが怖いのだ。
驚き、悲しみ、恐怖、そして……恨み。
あの時一瞬ではあるものの、確かに幾つも浮かんできた感情の中に恨みがあった。自身でも、そんな感情がまだ眠っているとは思って無くて驚いた。
だから、今また対面するのが怖いのかもしれない。俺自身、自分が自分でないような感情が浮かんでくるから。
「総」
「……」
膝に置いた手に視線をやっていると、そっと触れてくるのは優佳の暖かな手。
その声につられるよう顔を上げると、まっすぐ俺の目を見て力強い励ましの感情を送ってくれていることに気づく。
「”大丈夫”よ。何かあっても今回はあたしも助けるから」
「優佳……」
”大丈夫”
再び出てきた言葉に肩の力が抜けるのを感じる。
きっと、今抱いている感情を半分持ってくれたのだ。俺は握られた手を握り返し、大きく頷いて見せる。
「――――では、お呼びしますね。 ……もういいですよ」
きっと近くの、隣の部屋にでも居たのだろう。
遥母のその声が響くと襖の向こうから歩いてくる音が近づいてくる。俺は、再び彼と相対することを優佳の手をギュッと握って待ち続けた。




