091.行ってほしくない
「……着いたわね」
そんな声が、助手席に乗った優佳から聞こえてくる。
窓の外に目を向ければ、これまで何回も見てきた見慣れた光景……俺の家の前だった。
優佳と運転手さんのやり取りを眺めながら俺はこれまでの事を思い出す。
あれから…………遥の父親に衝撃の事実を伝えられていくらかの時間が過ぎた。
日の光はまだこの街を照らしているが、もう1時間もしない内に山の向こうへ消えてしまうほど。
あの後優佳に手を引かれてたどり着いたのは、門の前。そこには来た時から待機していたのか、タクシーが俺たちを待ち構えていた。
車内に押し込められた俺は遥と一緒に出発を待つ。優佳が戻ってくるまで10分ほど待たされたが、追いついた彼女と遥母とともに、4人でタクシーに揺られていた。
揺られながらボーッと外の景色を眺めていたが段々と見覚えがある景色が目に入る。そうしているといつの間にか店の前にたどり着いていた。
こんな状態でも、帰巣本能というものはあるみたいだ。心の隅でほんのり安心感を感じながら車を降りようとしたものの、両脇に遥と遥母が座っていて身動きが取れない。
抗議する気すら起きない俺は早々に諦めて優佳が動くのを待つ。
「え、お金払わなくていいの?」
「はい。永本様から事前に話が通っておりますので」
「そっか。ありがと。……じゃあ遥ちゃん、出てくれる?総が出られないわ」
「あ、うん」
優佳の指示によって車外に出た遥に続き、俺も出る。
出た途端直射日光が俺たちに降り注ぎ、その熱気さえも襲ってくるも、普段と違って特段気にならない。
正確には気にする余裕が無いのだろう。俺はフラフラと扉まで近づいて鍵を開けていく。
「えっ!?あれ!? ちょっとまって優佳さんっ!ママ!アタシは!?」
「…………?」
背後からそんな声が聞こえて、不思議に思った俺は振り返る。
そこには遥を車外に出したまま扉を閉め、そのまま出発しようとしているようだった。
遥の驚きの声に応じるよう、窓が開いて顔を出す遥母。
それは明らかに、ミスとか忘れていたということではないと表していた。当然のような表情をして遥を見やる。
「遥。今日一日帰ってこないこと」
「え!?なんで!? 明日学校なのに!?」
「あぁ、忘れてました。 運転手さん、後ろをお願いします」
彼女の指示によってガコンという音とともに閉められたトランクの口が開く。
何事かと遥が駆け寄って中身を取り出すと、トランクから取り出したのは大きめのバッグが2つ。遥の手に収められている。
「学校の物は全部纏めておきました。授業を終えたら帰ってくること」
「学校終わったらって……私どこで寝るの!?」
「大牧さんの家に泊めて貰いなさい」
「えぇ!?」
驚きの表情とともに振り返って俺と目が合うと、視線を逸らされて軽く目を伏せられる。
恥ずかしさとかそういうのではない。どちらかと言うと、申し訳無さ……だろうか。
それだけを言い残して閉じる窓と、入れ替わるように開くのは助手席側の窓。そこから顔を出すのは当然優佳だった。
「総」
「ん」
「今日一日遥ちゃんを泊めてあげなさい。いいわね?」
「……ん」
これまでのようにリアクションをとる気になれない。
昨日も奈々未ちゃんを泊めたし、同じように泊め、学校に行ってもらうだけだ。何も問題はない。
「大牧さん」
「……はい」
気づけば再び遥母が顔を出していた。彼女は遥同様、申し訳無さそうな表情を浮かべながらほんの少し笑顔を見せる。
「また改めて、お伺いします。 そして今日のところは娘をお願いします。煮るなり焼くなり嫁入りなり、好きにしてください」
「ちょっとママ!?」
驚きの声を上げる遥を見つつ会釈で応えると、今度こそ車はこの場を後にしてしまう。
取り残されたのは当然、俺と遥。彼女は「え~っと……」と口に出しながら視線をバッグと店へ行き来させる。
「……ごめんねマスター。ママが突然変なこと」
「ん……大丈夫」
……遥とこれまで、どんなふうにやり取りしていただろうか。
頭の中がいっぱいいっぱいの中、俺はなんとか返事をする。
「ママも普段はこんなことしないんだけどね……なんだかマスターが絡むといっつもヘンになっちゃうんだ」
「……そうなんだ」
きっと、遥も驚きやこれからのことで頭がいっぱいいっぱいだろう。けれど俺に悟られたくないのかなんでもないように笑顔を見せる。
「だからごめんねっ!驚かせちゃって! 財布はちゃんと持ってるし、夜はどこか適当なホテルとか漫画喫茶で過ごすからさっ!だからマスターは何も気にしなくたって…………マスター?」
その言葉に、気づけば勝手に身体が動いていた。
なんでもないように気丈に振る舞う彼女が2つのバッグを持って店から離れようとしたところ、俺の手は勝手に動いてその腕を掴む。
気づけば驚きと、ほんの少しの喜びの表情を浮かべる彼女が目の前に。
なんで俺は遥を止めた……?
きっかけはわかる。夜をどこかで過ごそうとこの場を去って行きそうだったから。
ならば何故?
俺は必死に考える。けれど今の俺は、脳と身体がリンクしていないようだった。
俺が考えている間にも勝手に口が動いていく。
「………行ってほしく、ない」
「マスター…………」
勝手に出たその言葉は、遥を思い留まらせるには十分だった。
力が抜けたのかバッグを地面に落とした彼女は、慌ててそれを拾い、引き返して店の扉に足を進める。
「マスター! 今日は一日……お世話になりますっ!だから……入ろ?」
「…………ん」
先導する彼女に続いて、俺も店に入っていく。
考えることが一杯の中、二人きりでのお泊り会が始まるのであった――――
◇◇◇◇
「……いいのですか?」
「なにがでしょう?」
私の家へ帰っている道中、ふと遥ちゃんのお母さんが話しかけてくる。
何のことかわかっているのにあえて聞く……。私も性格悪いわね。
「娘のことです。突然言われて大急ぎで荷物を用意しましたが……恋敵の娘が大牧さんに家に泊まるのは、優佳さんにとって面白くないのでは?」
「あぁ、そのこと……」
1人納得しながら窓から外を見る。
店から家までの道中にある街。行き交う人々はみな、楽しそうに笑みを浮かべている。
「私はね、総のことが大好きなんです」
「はい」
「それも世界一。アイツが幸せになれるのなら、喜んで命を差し出します」
「……はい」
尤もな、本心。
事故以前から漠然と思っていて、事故以降はより一層強く誓ったもの。
シャクだし重いと思われたくないから本人には言わないけどね。
「今回アイツのショックはかなりのものだったと思う。あたしが慰めるには相当時間かかるほどの」
「……夫が辛い事を……。すみません」
謝る必要はない。遥ちゃんと関わる以上、いずれ知ることになるでしょうし、遅かれ早かれの問題だ。
「でも、あの子なら……。当人の娘の遥ちゃんなら、きっとすぐ立ち直らせてくれると思うんです。だからあなたも娘の宿泊を許可したのでは?」
「いえ、私は大牧さんなら、今回の件に関わらずあの子を貰っていってほしいと思ってましたので」
「…………。 ふふっ!」
まさかの予想と違った答えに。そのおかしな答えに思わず笑みがこぼれてしまう。
なんだ。この人はただ……総のことを信じてるだけだ。
娘にふさわしいのはアイツだと。アイツなら絶対こんなことでは折れないと。
「……?優佳さん?」
「いえ、ごめんなさい。 でも、だから私は涙を飲んで遥ちゃんに譲ったんです。きっと明日には総も元気になってるでしょうから」
「……それを、私も願ってます」
適材適所。役割分担。
今回は遥ちゃんが一番適任だった。それだけ。
私は明日には戻ってくるであろう愛しの人の笑顔を浮かべ、憂いなく家に帰っていく。
「あ、そうだ。 お母さん、1つ調べてほしいことがあるんですけど」
「……? なんでしょう?」
あたしはふと気になった事を問いかける。
彼の昔の家と現状。そして遥ちゃんの父親。
もしあたしの考えが正しければ、あの父親は…………私はただ1つの調べ物を、遥ちゃんの母親に頼んだ。
 




