087.物に溢れた部屋
快晴。暑い夏の空気。ジメッとした季節特有の湿気。
そのどれともおさらばした、涼しい涼しいエアコンの中。
俺は移り変わる景色を眺め、時が過ぎるのを待っていた。
暑いというのにスーツを着て道を歩くサラリーマンや、これでもかというほどに露出過多となっている女の子。
様々な人が俺の視界を通り過ぎ、ひたすら目的地へと向かっている。
今日。俺は今、突然やってきた遥の母親の要請で彼女が乗ってきたタクシーにお邪魔していた。
なんでも、会ってほしい人がいるから是非来てほしいとのこと。
向かう先は以前俺もお邪魔したことのある、遥の家。
当然呼ばれたからには断る理由もなく、お店は臨時休業だ。
一応、居合わせたからというのもあって優佳にも来てもらっている。そっちは彼女が暇……もとい、俺が心配だから行きたいと言ったのだが。
「ねぇ総、遥ちゃんちってどんな感じなの?」
「まぁ……おっきいお家だよ……」
「そんな事ありません。至って普通の建物ですよ。優佳さん」
俺が答えるのを訂正するように、助手席で付け足す遥母。
アレが普通って……それだと世の中の家が大きくなりすぎる。東京なんてあっという間に家で溢れてしまうだろう。
「でも総……おかしくない? なんかどんどん家が立派になってきてるんだけど……!」
「…………そう、だよね。優佳も同じ感想だよね」
喫茶店近くの街から少し外れて、更に大きい街を通り越して、段々と人気の少なくなっていった住宅街。
その移り変わる景色に優佳も気づいたのだろう。通り過ぎてく家々を見る目が段々と見開いていく。
「総……もしかして、遥ちゃんのご両親って……すごい人?」
「いえ、私達は全然。凄いのはご先祖様です。…………着きましたよ」
前から後ろへ。
どんどんと新しい家が見えるのが一旦止み、同じ景色……同じ塀を沿うように走ってしばらくすると、そんな声とともにブレーキが掛かった。
窓から見える目の前の景色は、長い塀に鎮座するような立派な門。
俺の後ろからその光景を目にした優佳は感嘆の声を上げる。
「はぁ……。凄いわねぇ……ここまで大きな家、初めて見たわ」
「大きいだけで何もいいことはありませんよ。掃除は大変ですし、庭もすぐ汚くなりますし」
どうも俺たちが抱く思いと住んでからの感想は違うらしい。
でもスケールはちがうものの、悩みは案外俺ら寄りだということに少し安堵する。
しかし、こうして立つとあの日のことを思い出す。
遥のテスト点数が悪くって、母親に直談判した日。まだ数ヶ月しか経ってないのにもう年単位の時間が経ったかのような気分だ。
俺も感情のままに動いてたなぁ。殴られてもいい気概だったけど娘思いの母に驚いて、そして帰り際に頬へキスされたっけ。
あの日から色々と周りも、俺も変わった気がする。それほどまでに大きな出来事だった。
「ねぇねぇ、総」
「ん?」
大門を見上げながら感慨深くなっていると、隣の優佳がチョンチョンと肩を突きながら小声で話しかけてくる。
「結局、遥ちゃんのご両親って何してるのよ?ご先祖様が凄いって言ってたけど」
「あぁ、名士だってさ。昔からの名家みたい」
「名士…………現代にも残っていたのね」
ね。俺も最初思った。
たとえあったとしても、俺達みたいな庶民には本来縁のない話だ。
そんなこんなで珍しく優佳の驚く顔を眺めていると、以前の遥と同じく大門の隣にある小さな扉の鍵を開ける。
「そんなところでは暑いでしょう。涼しい場所でお茶を出しますので、お入りなさい」
「あ、はいっ!」
俺たちはその声に向かって慌てて後を追いかける。
その奥に待つ真実なんて知らないまま――――。
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「凄いわねぇ……お庭もビックリだったけど中も昔ながらの和だわぁ。 あ、こんにちわ」
「こんにちは。 奥様も、おかえりなさいませ」
優佳が辺りを見渡しながら目的の部屋へと向かう道中、すれ違いざまに壮年の女性とすれ違って挨拶を交わす。
俺も、2度目だがその気持ちはよく分かる。
通る道はまさしく日本家屋。無駄なものは一切なく、その一つ一つからなる組み合わせが、まさに荘厳な雰囲気を醸し出している。
普通、家ともなればモデルルームなんて幻想。結局利便性を求めて何かしら日常を感じさせるものが出てくるはずだ。
しかしここまで通ってきた中にそういうものなど一切見受けられない。それがまさに非日常感を表していた。
以前はさっきすれ違った女性が先導してくれたが、今は遥の母自ら先導してくれている。
だからこそだろう。外では目立つその和装もここではいかにも自然なように思えて、逆に俺たちが不自然に思えて身も心も引き締まる思いだ。
「…………着きました。ここです」
そんな彼女の後を黙ってついていくと、ふと止められるは襖の前。
あれ、ここは……
「……以前の客間じゃないんですか?」
「あら、よく気付きましたね」
そう。ここは以前彼女と対面した客間ではない。
襖こそ同じだが、ここから見える庭の景色が違う。また別の部屋というわけか。
「まずはここが最初だと思いまして」
「最初ってことは、総と会うのは1人じゃないんですか?」
俺の思いを口にするように、隣の優佳が問いかける。
その問いにゆっくりと頷く遥母。その様子だとまだ行くところはありそうだ。
「えぇ。そちらに関しては追々……。 遥!居ますか!?」
「ふぁ~い。 な~ひ~?」
ゆっくりと俺たちから襖へ向き直った彼女は、その奥に居るであろう人物に呼びかける。
それに応えるように返ってきたのは、俺もよく知る彼女の声だった。
でも、何か不思議な返事だったような……。
「入りますよ!」
「ひ~ひょ~!」
おそらく、『い~よ~!』と答えだのだろう。
あれ?たぶんだけど遥、完全に油断してない?
俺達が居ることを伝えたほうがいいのでは……
「あの、すみません。 俺たちの事――――」
「遥っ!!」
スパァン!!と。
まさしく快音。まさしく理想通りの音。
気持ちいいくらい勢いよく開けた襖が柱と衝突したかと思えば、露わになる遥の自室。
そこは和室ではあるものの、いささか物に溢れていた。
奥に置かれているのは布団では無く不自然なベッド。その上には大きなぬいぐるみが幾つか置かれている。
さらに部屋の隅には学校用だろうか。鞄や体操服入れ、積み重なった教科書などが追いやられていた。
そして極めつけは、彼女自身だろう。
遥は部屋の中央で寝転がるようにこちらに足を向ける形でうつ伏せになっており、その手元には雑誌と、一口饅頭の入ったお皿が置かれてた。
「また床で寝転がって……。明日の準備はできたの?」
「できたよぉ~。ママは心配性だなぁ」
彼女は雑誌を読みながら返事をしているため、明らかにこっちを見ていない。つまり俺達の存在に気づいていないようだ。
一応、来ていることを伝えようと一歩前に踏み出すも、それは優佳から伸びた手によって阻まれてしまい、ジェスチャーで「何も言うな」と念押しされる。
「そう。部屋は片付けないの?」
「これでも片付けたほうだよ~!ほらベッド!お人形さん以外なにもないもんっ!」
普段は何かあるというのか。
俺の心のツッコミは当然届かず、遥母がため息をつく。
「そう……。じゃあ、大牧さんが来るとなってもこんな感じで?」
「それは無いよママ~! だって大好きなマスターだもん。こんな汚い部屋見せちゃったら嫌われ……ちゃ………」
まさしく「何を言っているの」と言いたげの彼女は、笑いながら身体を起こしてこちらに向いたその時だった。
向いた先には母親が。そして更にその奥には、俺達が。
当然、母親を見るにあたって俺達も視界に入る。笑顔で振り返った彼女は、その笑顔のままフリーズし、青。そして赤へと顔の色を変貌させ、次第に大きな瞳に大粒の涙を貯めていく。
「まっ……まっ……まっ……。ますたぁ……いつの間に……?」
「……襖開けたその時から?」
「つまり……最初から…………」
「え~っと……うん」
苦笑いしつつも真実を伝えると、視界の端に映る遥母が動いたのが目に入った。
それは両腕を肩の少し上まで上げ、自らの顔を両脇から挟み込む動作。一体なにを……?
いや、挟んでいるんじゃない。耳を塞いでいるのだ。
同様にその姿を見た優佳はいち早く理解し、同じように行動へ移す。俺がその意味を理解するには一足遅かった。
もう時すでに遅し。目の前の遥ちゃんは、口を大きく開け――――
「ママの……ばかぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
まるで鼓膜が破れるのではないかと思うほどの大声。
それは、家の反対側にたどり着いた女性の耳にも届いたらしいのであった。




