084.夢うつつ
トントントンと――――
リズミカルに聞こえる音で目を覚ます。
五感に感じるのは耳障りの良い音と、くすぐられるようないい香り。
漂ってくる香りは……味噌だ。きっと味噌汁を作っているのだろう。
「あら……起こしちゃった?」
リズムに乗るような包丁の音が止んだと思ったら、優しげな声とともに近づいてくる気配がする。
ソファーで横になりながらその気配を感じ取っていると、ふと冷房で冷えた身体を震わせる。
「うぅ…………」
「そこは風が当たるものね。ほら、ちゃんと毛布かぶって」
ふわりと、寒さに震えた身体にかぶせられるのはフワフワとした毛布。
それはきっと、掛けてくれた者が普段使いしているのだろう。暖かさに包まれると同時にいい香りにも包まれて、自然と眉間に寄ったシワが緩んでいく。
「もうちょっとまっててね。すぐ朝ごはんできるから」
パタパタと遠ざかっていく音を聞きながら、再度漂ってくる香りに意識を集中させる。
真っ先に感じ取れるのは味噌。これは味噌汁で間違いない。
そして次は……トマト?もしかしてケチャップ?ウチでケチャップを使うというと、もしかしてオムレツかな?
カチャカチャとお皿同士の当たる音やジュージューと焼ける音を、まるで朝のさえずりのように感じ取っていると、またも近寄ってくる気配。
「ほら、朝ごはんできたわよ。 起きちゃいなさい」
「んんっ…………眠い…………」
「そう言ってソファーで寝ちゃってるじゃない。まったくもう、仕方ないわねぇ」
クスリと。
困ったような声を出しながら小さく微笑む音が聞こえてきた。
そうだった。自分はさっき起きてきたはいいけど、朝ごはんがまだだったからソファーで待ってるうちに寝ちゃったんだった。
「気持ちよさそうな顔しちゃってまぁ……。起こすに起こせないわねぇ」
呼びかけられてるにも関わらず起きない自分を叱るでもなく、優しげな口調のままふわりと頭に何かが触れる感覚。
これは……手だ。手が頭に乗せられて、撫でられてるのだ。
「どうしましょうねぇ……このままだったら朝ごはん冷めちゃうし、せめてお味噌汁だけでも飲ませないと……」
「ぁっ…………」
そんな事を呟きながら乗せられた手を引っ込めて離れようとする声に、ボクは小さく声を上げる。
「どうしたの? ご飯食べる?」
「うん……。でも……もっと……」
「もっと……?」
ボクは目を瞑ったままどこぞともしれぬ声の主の手を探す。
さっきまで撫でられていた優しい感覚、そして多幸感。ボクはまたそれを味わいたいと、もう一度乗せてくれないかとその手を探していた。
「仕方ないわねぇ。 もうちょっと経ったら、そうしたら起きるのよ?」
「うん…………」
優しい微笑みの後に触れられる手の感触に、さっきまで不安げだったボクの表情も段々と柔らかくなっていく。
ボクは、大好きなママの愛情を、その一身に受け止めていた――――
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「んん……ママ……もっと…………」
「えっ――――?」
「んぁ……?」
何やら聞き慣れない声色で、俺は目を覚ました。
寝ぼけ頭で薄っすらと開いた瞼でなんとなく正面を視界に収めると、ピントがまだ合っていないのかボヤケた白い何かが。
「マスターさん、起きた?」
「ん……あれ……? 奈々未ちゃん……?」
時間が経つほどに合っていくピントに現状を理解するのを合わせて進めていくと、目の前に見えたのは真っ白な少女、奈々未ちゃんだった。
彼女は俺の目の前でしゃがみながら手をどこか視界の外に伸ばしている。
「うん、おはよ。 マスターさん」
そう言って優しげな笑みを浮かべた彼女は、伸ばした手を何度か動かす。
感じるのは頭に手の触れる感覚と、ほんのりと感じる胸の暖かさ。
これは……撫でられているのか?
「ぁれ……?なんで俺、撫でられてるの?」
「え? だってマスター、もっとって言ってたし……」
はて、俺はそんな事言ったのだろうか。
えっと、なんだか無意識に口にしていたことがあったような――――
「――――っ!!」
思い返して至るは、口に出したありえない言葉。
まさか……まさか俺、アレを口に出してた……!?
「な、奈々未ちゃん……」
「なぁに?」
「俺……寝ぼけて変なこと口走らなかった……?」
「ううん。そんな事無いよ」
あぁ、よかった。
口に出してたと思ったけど、決してそんなことはなかったか。あービックリした。アレを聞かれちゃ俺、生きていけな――――
「変なことなんて全然。 私のこと『ママ』って呼ばれてびっくりしたけど、嬉しかったよ?」
「ぁ…………。 あぁぁぁぁぁ!やっぱり言ってたぁぁぁぁ!!」
まさかの死刑宣告に、俺はソファーに腰掛けながら頭を抱える。
本当に口に出してた!そしてまさか奈々未ちゃんに聞かれるとは!!
確かに幸せな夢だった!あの事故から一度も見たことのない、母親の夢だったから本当に嬉しかった!!
それでも誰かの前で口走るなんて!しかも何歳も下の中学生にママって!!そんなの生きていけない!!
「大丈夫だよ、マスターさん。 私、誰にも言わないから」
「奈々未ちゃん……」
「……でも、私がママなら、当然パパはマスターさんだよね。 子供の名前は何にする?」
「…………」
もしかしたら思考が一周したのかもしれない。
もはやそのぶっ飛んだ問いかけに、俺のパニックになりかけていた脳内はスンと冷静さを取り戻す。
俺は「総奈?楚々美?……それともいっそ、お義母さんの名前を参考に……」などと呟いている彼女の頭をワシワシと撫でて顔を洗うために立ち上がる。
「マスターさん? ナデナデは?」
「か……顔洗ってくるっ!!」
彼女の思考は色々と飛躍しすぎてるけど、それでもさっき言った名前は無いと思うの。




