080.ギクシャクと
「はい、あ~ん!」
「あ~ん…………」
パクリと。
目の前に差し出された物を口を開けて中に入れる。
途端に広がるは暖かくて柔らかな食感と、ほのかに感じる塩味。
おそらくご飯の他に塩や卵を入れてくれたのだろう。目の前の器には白と黄色で彩られ、その塩気が食欲を促進させる。
「ん。美味しい」
「そう。よかったわ」
ゴクンと喉越しの良いお粥を飲み込んで感想を口にすると、ホッとしたかのようににこやかになってくれる、目の前の姉。
そして彼女はもう一度お粥を一口分すくってフー、フー、と食べやすいよう冷ましてくれる。
「次よ。 あ~ん」
「…………あ~」
もう一度。
パクリと口にするたびに暖かく美味しいお粥が口いっぱいに広がるが、それと同時に冷たい何かが身体に刺さる感覚を、ずっと覚えていた。
「む~……」
器を片手ににこやかにお粥をすくう優佳がいる傍ら、もう1人の少女が小さく音を発しながら俺たちを見ていた。
何故そうなっているのか察しがつくものの、『順番』ということでどうしようも無い俺は、極力そちらに視線を向けないようにしてもう何度か優佳の差し出す手に応える。
「ふふっ。 美味しい?まだ食べられそう?」
「お、おう……」
「そうっ。よかったわ。 いっぱい作ってあるから沢山食べてね」
いかにもな上機嫌で彼女は俺を満足させようと、何度も口の中に運んでいく優佳。
しかし一方で突き刺さる視線もどんどん、どんどん…………。
そして器の中にあるお粥がもう半分を切るというところで、彼女が動き出した。
「足りないからおかわりもあるからね。それじゃあ次――――」
「むぅ~! 優佳さん~!」
「……あら、どうしたの?伶実ちゃん」
きっともう我慢できなくなったのだろう。
彼女の言葉を遮るように重ねた伶実ちゃんに、優佳はその手を止めて視線を動かす。
「どうじゃないですよぉ! 10口交代って言ったじゃないですか!」
「あら、もう? 総の食べてる姿が可愛くってついつい数え忘れてたわ」
そう言って素直に手にしていた器を伶実ちゃんに渡していく。
あれから。
無事調理が終わった2人は、その手に熱々のお粥を持ってやってきた。
お礼を言い、その器を受け取ろうとするも一向に手渡してくれない女子2人。
何事かと問いかけると、まさかの『あ~ん』の提案。
しかし俺は、その言動に全く驚きもしなかった。
いつも風邪を引く度、優佳はお粥を作ってくれてそうしてくるから。
以前……といっても中学の頃本気で断ったら大泣きされてしまい、これに関しては断ることができない。
と、言うことで彼女らが戻ってきて早々、俺は病人らしく彼女らの甲斐甲斐しい看病を受けていた。
交代であ~んをするとは聞いていたが……10口交代だったのか。もう倍は超えていた気もする。
そんな事を考えていると可愛らしく怒りながら目の前の椅子へ座る伶実ちゃん。
きっとそれが自身にとっての一口なのだろう。彼女はたどたどしい手つきながら、普段の俺より……さっきの一口よりはるかに小さな一口分をすくって俺の前に差し出す。
「えっと……その…………あ~ん…………ですっ!」
俺の前に差し出されたスプーンは、揺れていた。
顔は真っ赤に染まり、肩をも持ち上げた上に目を瞑っているものだから当然か。
明らかに緊張している。俺はあまり長引かせてはいけないと思いつつその湯気が昇っているお粥へと思い切り口を開く。
「アムッ……!」
「ど……どうですか…………?」
「う、うん。 すっごく美味しいよ」
「そ、そうですか……。よかったぁ……!」
その答えに、さっきまで緊張していた表情が一変。まさに砕けたような笑顔になった。
クリっとした大きな目が細まって下がり、口角も上がってくしゃりと破顔させ喜びをいっぱいに広げる。
これ、伶実ちゃんが頑張って作ってくれたんだもんな。美味しくないわけがない。
それに可愛い女の子の、めいっぱいの笑顔。それだけで俺の心もホッコリと温かいものが広がっていく。
もうギュッとして持ち帰りたいけど我慢。風邪を移すし、そもそも事案待ったなしだ。
でも、すくってくれたのが少量でホント助かった。口の中のヤケドも軽症ですんでいる。
「そ……それじゃあ!次行きますねっ!」
「あ、その伶実ちゃん……スプーン貸してくれるかな……?その、熱がね……」
「おまたせしました! はい、あ~んっ!」
さっきのやり取りで自信が付いたのか、俺の言葉も聞こえていないようで次の一口が目の前に差し出される。
目と鼻の先には湯気がとめどなく昇っている熱々のご飯。これは……もう一度ヤケドの覚悟を決めるしか無いか。
「あ~――――」
「ちょっとまって、伶実ちゃん」
俺が気合を入れてそれを口に入れようとした瞬間、その声によって俺たちの動きは止まる。
何事か二人して目を向ければ、そこには伶実ちゃんの背後で肩に手を添えながら呼び止める優佳の姿が。
彼女は自らの手で、スプーンを手にしている伶実ちゃんの手を包み込んで器に戻していく。
「優佳さん……?」
「伶実ちゃん、あなたはそれでいいかもだけど、総だとこの一口は少なすぎるわ。んと……このくらいがちょうどいいわよ」
シャッシャと慣れた手付きでスプーンに貯めるのは、ちょうど満足いく俺の一口分。
そのまま彼女は俺の手元に持ってくかと思いきや、まるで食べるかのように伶実ちゃんの口元まで持っていく。
「あとこのままだと熱すぎるわ。ほら、こうやってフーフーってしないとヤケドさせちゃうわよ」
「ぁっ…………」
まさしく盲点といったように目を丸くした彼女は、その言葉に従うように小さな口をほんの少しすぼめて微量ながらも風を送っていく。
目をキュッとつむりながら何度も何度も。俺の事を想いながら吹いてくれるそれは、とても可愛らしかった。
恥ずかしそうに顔を赤らめながら吹かれるお粥は段々と湯気も散っていき、丁度いい温度になったことを知らせる。
「そっ……それでは……あ~ん」
「あ~……」
パクリと。
2口目に食べたお粥は量も温度も、俺の求める完璧の水準だった。
そんな様子が顔に出ていたのだろう。俺が食べる姿をジッと見ていた彼女は「よかった」と小さく呟きながら顔を綻ばせる。
「ん、いい感じね。伶実ちゃんもスジがいいわね!」
「はい。ありがとうございます」
ウインクをする優佳に、お礼を言う伶実ちゃん。
学生時代に何度か優佳のお世話を受けたが、『あ~ん』1つにそんな気遣いがあったとは。
まったく気づかなかったが、そういえば一度もヤケドしたことがなかったなと思い当たる。
「マスター、次……いいですか?」
「あ、うん。 お願い……します……」
優佳とはもう慣れてしまったが、伶実ちゃんとはこれが初めてな上、彼女の恥ずかしい気持ちが伝わって来るから俺もギクシャクする。
俺たちは2人、残り半分のお粥がカラになるまで両者とも顔を紅く染めながら、最後まで完食を果たすのであった。




