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008.当日朝


 喫茶店のマスターこと、俺の朝は思ったよりも早い。

 朝起きて朝食、身支度等身の回りのことを済ませてから店のことへと取り掛かる。


 食材のストックや期限管理に金銭管理など、やることは多岐にわたるが、慣れてきた今となっては毎日の日課だ。

 そんなこんなでタブレットをつつきながら今日のことを考える。


 今日は…………彼女らのテストの日だったか。

 確か1日では終わらないんだったか。数日かかるテストは俺も気にかかるが、そのたびにこれまでの彼女らの頑張りを思い出して頭を振り払う。



 ピンポーン――――


 テストのことが気がかりなのか、普段より随分早く起きてしまったが故に二度寝しようか考えていると、ふと部屋に鳴り響くは我が家のインターホン。

 誰だ…………?今日は食材の配達も無いし開店時間にはまだ何時間も余裕がある。

 となると……母さんか?いや、さすがに来るにしても朝早すぎるだろう。


 我が家は2階建ての喫茶店、その2階部分に位置している。

 1階は店として構えて2階は居住スペースという、まさに俺の城だ。

 だからこそこんな朝早くの来客に心当たりなど無い。俺は少しの警戒心を持ちつつモニターのない通話口へと向かっていく。


「…………はい」

「あっ………マスター?」


 しかし、その警戒心も相手の声を聞くことでたちどころに氷解されていった。

 ここ最近散々聞くようになったその声の主のもとへ、俺は着替えることも忘れて階下へと足を急がせた。






「あはは……ごめんね? こんな早くに」

「…………本永さん」


 我が家のインターホンと繋がっているのは店の入口ではなく、反対側の居住スペースにつながる裏口。

 急いで向かって扉を開けると、そこには制服姿でサイドテールを揺らした、いつもの元気っ子が少し弱々しく立っていた。


 学校に行く前に寄った…………そう考えたが現在の時刻は午前6時。学校の始まる時間には早いどころか、普通の生徒ならようやく起きるかどうかという時間帯だ。

 朝早く現れる彼女に驚きを隠せなかったが、とりあえず店に入れるため表に向かうよう促す。



「なんだか居ても立ってもいられなくって……。 時間までここで勉強してい?迷惑はかけないからさ……」

「いいけど…………大丈夫か?」


 店に入っていつもの席へと座った彼女は、持っていたスクールバッグからいくつかの教科書を取り出す。

 普段の明るい口調よりも大人しいのは緊張しているから。そう考えもしたがきっと違うだろう。

 俺は教科書を読み込む彼女を尻目にカウンターに立って手早くコーヒーを作っていく。


「ほら、急造品だがこれでも飲んで目を覚ませ」

「えっ……。 悪いよっ。注文もしてないのに」

「これまで散々奢られといて今更何を。 ――――寝てないんだろ?」

「…………うん」


 そういって小さく頷いた彼女の目元には、しっかりとした隈が出来上がっていた。

 整った顔つきと白い肌には似つかわしくない隈。きっと徹夜でもしたのだろう。



「んく……んく……。 えへへ、やっぱり苦いや」

「砂糖、入れるか?」

「ううん。 今日はこのままがいい。こっちのほうが目覚めそうだし」


 その普段からは想像もできないしおらしさに、思わず別人かとも思ったが、彼女は苦味すらも気にしないように手早くコーヒーを飲み干してまたひたすら教科書を読み込んでいく。


「これまで勉強してきたんだろ? 今くらいは休んでもいいんじゃないか?」

「ううん。 レミミンだって忙しいのにあれだけ熱心に教えてくれたんだもん。 レミミンの為にも、少しでもいい点数を取らなきゃ」

「…………」


 驚いた。

 彼女が勉強するようになったのは退学の危機からのはずだ。

 なのにその言葉は一切退学の言葉を出さず、深浦さんの為だという。


 しかし心意気はいいがその身体には限界もある模様。必死に教科書を読もうとするも、次第に首が落ちていきコックリコックリと上下させてしまう。


「……なぁ」

「………………えっ!? な、なに!?アタシ寝てないよ!全然大丈夫だよ!!」


 呼びかけられたことで目を覚ました彼女は、慌てたように辺りを見渡して笑顔を取り繕う。

 全然大丈夫じゃないな。


「まだ何も言ってないのに。 ほら、そこじゃなくてこっちに移って」

「へっ? うん。わかった……」


 いつもの席から立たせて彼女を座らせたのは、壁の方にあるソファー。

 ここは少し豪勢に高い家具を使った席だ。 ソファーもそこそこ横に長く、頭と足を肘掛けに乗せれば俺でも寝られるほど。


「もしかしていつもの席だと邪魔だった?」

「いや、そうじゃなくって。 構わないからここで少し寝とけ」

「へ? い……いやいやいや!そんなことできないよ! だってもうテストまで時間がないんだし!」


 思わぬ言葉に手にしていた教科書を落としそうになる彼女。

 しかし俺は有無も言わさぬようにその両肩を掴んで横へと倒す。


「ひゃっ!!」

「そんなフラフラになって、テストで寝たら元も子もないだろ。 大丈夫、起こすから」

「でも……さっきコーヒー飲んじゃったし……」

「カフェインってのは飲んで数十分後に効果が出てくるもんだ。 むしろ昼寝するくらいが丁度いいんだよ」


 その手から教科書を奪い取った俺はバッグと一緒にテーブルへと乗せる。

 彼女の身体の小ささなら足を乗せてもソファーにすっぽり収まるだろう。きっと眠れるはずだ。


「そうかな…………。ちゃんと起こしてくれる?」

「あぁ。 30分後でいいか?」

「うん……。 マスターに押し倒されたんじゃ仕方ないかな。マスターの店で、ちょっとだけ寝るね?」

「はいはい。 押し倒した押し倒した」


 言い方。

 口では適当に流しはしたものの、内心すっごくドキッとした。

 ただでさえスタイルよくて可愛いんだからそういうこと言っちゃダメでしょう。


「ん。 ありがと……マスター」


 彼女が横になってしばらくの後に聞こえてくるのは、規則正しい寝息の音。

 寝入るまで数分とかからなかった。きっと相当眠気に抗っていたのだろう。


 彼女の青みがかった長いサイドテールがソファーから滑り落ちる。

 俺はそれを優しくもとに戻し、いつもの一張羅へと着替えるため店の奥へと向かっていった。







「ん~! アタシ、大・復・活!!」


 彼女が眠ってから約30分後。

 立ち上がって手を広げる姿は、今のエネルギーの量を表しているようだった。


 普段より2割増しくらいで張った声にしっかりと2本の足で立つ姿。そして胸を張って強調されるそれは、いつも以上に大きく見えた。


「おはよう。 元気そうだな」

「うんっ! マスターのお陰!これならテストも頑張れそう!!」

「それはよかった」


 まだ完全に隈が消え去ったわけではないが、その元気な姿を見ると安心する。

 カフェイン効果という危惧もあるが、テストは午前中だけらしいし、なんとか持ってくれるだろう。


「ねぇねぇマスター!」

「うん……? うぉっ!」


 俺もカウンターから出て今の時刻を知らせる時計に目を向けていると、ふと俺を呼ぶ明るい声が。

 その声はすぐ真下から聞こえ、そちらを向くとすぐ近くに、まさに触れられる位置で俺を見上げる本永さんの姿があった。


「今日はアリガトね! でも、なんでこんな無茶聞いてくれたの?」

「そ、そりゃあ……常連だから? あれだけ見てりゃ助けたくもなるだろ」


 まさか客を望まなかったおれが常連という言葉を発するとは思わなかったが、こうも毎日勉強する姿を見ていると応援もしたくもなる。


「そっかぁ。 あともう一つ。アタシのことなんて呼んでる?」

「? 本永さん」

「だよねぇ。 これから遥って呼んでいいよっ!」

「…………はっ?」


 すぐ真下から聞こえてくる言葉に、思わず眉をひそめてしまう。

 なんだって?呼び名を変えろってこと?


「ずっと思ってたんだよね。 ここまで見てくれてるのに名字ってなかなか他人ギョーギじゃん!」

「いやまぁ、俺としては何でもいいけど、深浦さんからもそう呼ばれてるだろ?」

「それも今日会ったら言うよっ! アタシだけレミミンって呼んでちょっと寂しいもん!!」


 あぁ、それは分かる気がする。こっちがあだ名呼びなのに向こうからは名字ってえも言えぬ寂しさがある。


「まぁなんでもいいけど……。 今日から頑張れよ、遥」

「うんっ! 応援してて!マスター!」


 そう言って彼女は手早く荷物を纏めて出る支度を始める。

 もうそんな時間か……。あとはベストパフォーマンスを出すだけだ。


「それじゃ、アタシは行くからっ! 結果を楽しみにしてて!」

「おう。 またな」


 そのまま勢いのままに扉を大きく開けて駆け出していく遥。


 …………と、思ったが、その駆ける音が遠ざかっていくのもつかの間、すぐに音が大きくなって戻ってきた彼女が、扉から覗き込むような形で顔を出してきた。


「マスター!」

「なんだ? 忘れ物か?」

「ううん、そうじゃなくって…………」


 急いでいるからかほんのり顔を紅く染め、肩で息をする彼女。

 忘れ物かとも思ったがそれも違うようで、彼女は口元を手で隠しながらニヤリと口を曲げる。


「マスター、アタシはいいけど、あんまり女の子の胸ばっかり見てたら嫌われちゃうよっ!」

「――――っ!! なぁっ――――!!」

「えへへ、それだけ! またね!!」



 まさかバレていたのかと。思わぬことを言う彼女に思わず手にしていたカップを落としかける。

 そんな様子を見て微笑んだ彼女は、輝く笑顔のまま店を後にするのであった――――。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。次回も楽しみに待ってます。
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