079.過去の精算
「…………ごめんね」
――――話している間にも料理の工程は進んでいき、後は鍋を見守るだけ。
お皿などの準備も終えたあたしは、ふと思い出したことを、言わなければならないことを無意識的にポツリと口にしていた。
「――――えっ?」
「……? なにか言った?」
「いえ……優佳さん、先程チラッと謝られて……」
えっ……?あ~……。
ふとあの日の事を思い出していたせいで、口に出していたのだろう。
無意識だ。ここで言うはずじゃ無かったのに。
「その……ね。伶実ちゃん」
「はい?」
「ごめんね。……あの日、覚えてるかわからないけど……」
「? 何のことでしょう?」
自分でも抽象的な発言に彼女もピンと来ていない様子。
「あの日……もしかしたら楽しみにしてたかもしれないけど、12年前。アイツと遊ぶ約束を果たせせなくて」
「ぇ…………。な……なんで優佳さんが!?」
覚えていたのね。
てっきり忘れていたかと思っていたけど覚えてるなんて、彼女にとっても随分と大切な思い出だったのかも。
「あたしもあの場に居たからよ。覚えてない?総ともうひとり居た子のこと」
「えっと…………。すみません。覚えていません」
……この子、総のことしか見えてないのね。
まぁいいわ。遊んでる時も居なかったし仕方ないわよね。
「最初と最後しか居なかったしそんなものよ。 でも知ってる?あの時あなたのお母さんを呼んだのはあたしなのよ」
「!?」
私のことを覚えていないということは、きっとそれも知らなかったのだろう。
今日一番の驚きの声を発する彼女にあたしは苦笑する。
「……といっても、大声で呼びかけてたからそっちの方向へ走るだけだったけど。 すっごい心配してたわよ。愛されてるのね」
「そうだったんですね…………ありがとうございます」
本日何度目かのお礼を受け取ったあたしは、あの日のことを思い出す。
あの日、迷子だと判断したあたしは面倒を見るのを総に任せ、1人公園を出て母親を探していた。
ネグレクトの可能性も考えられたがそうではない方に賭けて。あたしは大急ぎで街中を駆け回ったが、最初のうちは見つからなかった。
収穫なしだと。賭けは外れたと意気消沈しながら公園に戻っている道中、大声で何者かの名前を叫ぶ声が耳に入る。
まさかと思ってそちらに駆けていくと案の定。必死の形相で我が子の名を呼ぶ母親と思しき姿が目に入った。
あたしはその人に事情を伝え、通り慣れた道を走って公園に戻ると見事親子の再会。
きっと、アイツもこの子も遊びに夢中で知らなかったのだろう。別にわたしも、感謝されたくてやったわけでもないし。
「ともかく、問題はその後よ。 ……伶実ちゃん、もしかして週明けの月曜日、公園に行った?」
「……! …………はい」
やっぱり。
それは本当に……悪いことをした。
「ごめんね。あの日の約束を破っちゃって。言い訳のしようもないわ」
「いえっ! あの日は仕方ないです! だってマスター……あの日の……お出かけの帰り道にご両親が……」
「聞いてたの!?」
「はい……」
その思わぬ言葉に今度は私が目を丸くする。
そっか……伶実ちゃんは聞いていたのね。あの過去を。
アイツも教えたのなら言ってくれればいいのに。そうでなくとも向こうから連絡くれないんだから。
「まぁ……そういうことよ。日曜の帰りにアイツは事故に遭って入院。月曜からしばらく入院生活だったわ」
「まさかマスターにそんな事があったなんて……」
「アイツはもう気にして無いみたいだけどね。 ともかく、そのショックで多分今も前日に伶実ちゃんと遊んでること忘れてるの。…………ホントはあたしが行ってあげればよかったんだけど、思い出したのが高校の頃だったからね……」
あたしも思い出したのが約束から何年も経ってから。
その時にはもう遅し。約束をずっと大事にして毎日通うとかしてないと会えるはずも無いだろう。
だから、今まで言いそびれていた。もしかしたら一生謝れないと思っていたけど、まさか再び合う日が来ようとは。
コトコトと、無言になった空間に煮立つ音だけが聞こえてくる。
きっと伶実ちゃんにも思うところはあるだろう。本当なら怒りたくもなるところを事故という事情で自ら抑え込んでいるのかもしれない。
そんな不安もあってチラリと彼女を覗き込むと、しばらく考えた素振りをして「あれ?」と声に出した。
「優佳さん」
「なぁに?」
「……私が教えてもらったのはお墓参りの前日だったのですが、その日にはもうマスターは公園で遊んだこと覚えてましたよ」
「へ……?」
なんだって?
アイツがあの日のことを覚えてる?
いつ思い出したの?少なくとも大学入学時にそれとなく聞いても綺麗サッパリ記憶から消えていたのに。
「つ……つまり伶実ちゃんと遊んだ記憶がもう戻ってると……?」
「そうみたいです……。あの子が私だって気づいてないみたいですが……」
「なんでそんな……! 今すぐ教えないと!忘れてるなんて伶実ちゃんが可哀想――――」
「――――待ってくださいっ!!」
私が鍋をほっぽりだして彼のもとへ急ごうとするも、腕が引っ張られてその足が止まる。
見ると伶実ちゃんが私の腕をギュッと握ってその足を止めさせていた。何故と視線で問いかけると縋るような瞳があたしを射抜く。
「待ってください……。 今はまだ……このままで……」
「……いいの?」
「はい……。もし言うのであれば、私の口からきちんとお伝えしますので……」
彼女の必死の表情を見ると、あたしには無理に教えることもできなくなってしまう。
まぁ、本人が言うのであれば、口を出すことなんてできないし……。
「…………わかったわ。 でもこれだけは覚えておいて」
「なんでしょう?」
「アイツ、大が100個付いても足りないくらいの鈍感よ。 なんてったってあたしが好きだって言っても行動に移しても相手にされやしないんだから」
「…………」
私の心からの忠告に彼女はポカンとした表情を浮かべる。
そうよ。常日頃から好きだといい続けて、やっと高校を卒業して結婚できるとアタックし続けたら家を出て喫茶店を開くですって!?そんなの一切聞いてなかったわよ!!
なんだか思い出してるとだんだん腹が立ってきた。
ふと自らの手に力が入っていることに気づくと、目の前の彼女が小さく吹き出して笑うのが目に入る。
「ここ笑うところじゃないわよぉ~」
「す、すみません……。ふふっ……。 でも、私は重々承知してますよ。マスターはすっごい鈍感です」
その口ぶりは、自らも経験したからこそ出る言葉だった。
あぁ、この子もアイツの被害者か。そう考えると少し苦手だった彼女への意識も緩和し、好ましいものへと変わっていく。
「そうだったのね…………。 ねぇ伶実ちゃん、アイツの被害者兼好きになってしまった同士、あたしたちは仲良くできると思うの」
「私も、そう思ってました。 好きな気持ちは、負けませんけどね?」
あら、言うわね。
そんな向かい合うあたしたちの表情は笑顔。
さっきまで感じていたお互いの苦手意識なんてどっか行ってしまった。
「だから、これからよろしくね? 伶実ちゃん」
「はい。 よろしくお願いします。 優佳さん」
あたしたちは互いにライバルとして、そして被害者として握手を交わして、ちょうどタイマーの鳴る鍋へ視線を向ける。
さて、これから2人で作ったお粥をあのタラシ弟にぶつけなきゃ。
お粥ができたあたしたちは総が居るであろう廊下の先へと歩みを進める。
これで美味しくないって言ったら承知しないんだからっ!!




