074.二人乗りスライダー
「んぁ…………?」
何やら近くで聞こえる話し声が耳に届き、閉じていた目を開ける。
身体全体にはジャグジーからの水流がとめどなく噴出され続けており、横になっている内に寝てしまったようだ。
隣に目を向ければいつの間にか優佳の姿が見えず、俺が寝ているうちにどこか行ってしまったのだと理解させられる。
「ぁっ! レミミンどうしよ~!マスター起きちゃったよ~!」
「何慌ててるんですか。別に変なことをしていたわけでも無いですし、堂々としてればいいんですよ」
寝ぼけ頭に目をこすっていると、ふとそんな声が聞こえてきて横を向いていた視線を頭上に向ける。
そこには俺の頭のそばでしゃがんで慌てている遥と、その後ろで中腰になっている伶実ちゃんの姿があった。
「2人ともどうしたの? みんなは……?」
「えっと……アハハ……みんな疲れて休んでてさ……。それで……その……」
遥は何か言いたげだが肝心のところがわからない。
そんな彼女に代わってか、スッと隣に伶実ちゃんもしゃがんで身体を起こした俺と視線を合わせる。
「マスター、私たちと一緒に滑り台にいきませんか?」
「滑り台……?」
「はい。 あそこのウォータースライダーです」
そう言って彼女が示した先は、このプール目玉でもあるスライダー。
小さめの施設でありながらもしっかりと作られたそれは、滑るのを目当てにお客さんがやってくるほどのもの。
なんと言っても目玉は専用の浮き輪さえあれば2人でも滑れるところだ。昨今危険性やら何やらで徐々にそのようなスライダーが消えていく中、ここは小さいが故に最後まで息をしている貴重なスライダー。
よくよく見れば彼女らの後ろには大きめの、2人が座れる浮き輪が置かれてある。きっと借りてきたのだろう。
更によく辺りを見渡せば、休んでいる奈々未ちゃんや灯の足元にも同様の浮き輪が。
そして、2人の隣で談笑しているのは優佳。どうも俺の知らないうちに仲良くなったらしい。
「そうだね……少しは俺も身体動かさないと」
よっこいしょっと……。
そんな声が出るような動作で立ち上がった俺は、もはや優佳に言われたとおり、おじいさんなのかもしれない。
けれどそんなことは絶対に認められないと1人脳内で悲しい自問自答を繰り返しながら立ち上がると、2人がぴったり横についてくる。
「あの……2人とも、歩きにくいんだけど……」
「いつものことじゃないですか。ほら、一緒に行きましょ?」
「ぁ……。ご、ごめんマスター!すぐ離れるね……!!」
…………?
なんだろう、遥の様子がいつもと違う気がする。
普段ならそんな事知るかと言うようにもっとグイグイ来るはずなんだけど……。
「マスター、ずっとゆっくりしてましたけど、リラックスできましたか?」
「うん。気持ちよすぎて思わず寝ちゃってたよ。 知らないうちに俺の身体も疲れてたんだなぁって」
ホント、いつもダラダラ過ごしてるハズなのにアレほどジャグジーが効く身体になっていたとは。
どこかで知らない疲れでも溜まっていたのだろう。今度整体でも行ってしっかりほぐしてもらうかなぁ。
「遥はどうだ?ジャグジー。 かなり気持ちいいぞ」
「…………」
「……遥?」
「……えっ!? あ、うん!そうだねっ!アタシも後で行こうかなぁ……」
やっぱりおかしい。どこか上の空だ。
俺、変なことしちゃったかな?それとも寝ちゃってたのがまずかった?
「――――さてっ! マスター!私はここまでです!」
「へ?」
スライダーにつながる階段を登る直前、ふとそんな声で振り返れば俺たちの数歩後ろに立つ伶実ちゃんが笑顔で見送りの形を取っていた。
あれ?さっき一緒にって言ってなかった?
「マスター、スライダーは2人までです。なので最初は遥さんにお譲りしようと思いまして」
あぁ、たしかにこの浮き輪も2人用だ。てっきり3人いっぺんに滑るかと思ったけど危険すぎるよね。
……俺もこの両手に花の状況に慣れてきちゃったのかなぁ……。
「なので、遥さん、先に楽しんで来てください」
「ぇ……でもレミミン……アタシ――――」
「遥さんのそれは余計な心配ですからっ! マスター、よろしくおねがいしますね?」
「う、うん……」
あれよこれよと彼女に背中を押され、俺達は2人で階段を登っていく。
俺が先導し、彼女が数段下を歩く。少し様子を伺うためにチラリと下を見ると、毎回目が合ってしまうが必ず逸らされてしまう。
「…………ついたか」
そんな状況が続き、しまいには何も起こらず天辺までたどり着いてしまった。
下から見上げるよりも高く感じるスライダーの入り口。その先はトンネルでよく見えないが、いつでも準備ができてるというように絶えず水流が流れていた。
「遥、いいか?」
「え……? でもアタシ……その……」
「?」
「~~! やっぱりムリ!レミミン!アタシムリだよぉ~!」
「遥!?」
彼女は逃げ出すようにスライダーから背を向けて階段を駆け下りようとする。
しかしそれは叶わなかった。彼女は一歩降りようと足を伸ばすもののそれが動くことはなく、最終的には階段から後退りするように後退し、俺とぶつかってしまった。
「どうした……?今日はおかしいぞ……?」
「その……これは…………。アタシ……。高いところ……ムリなの……」
あぁ……。
だから様子がおかしかったのか。手元で受け止めた彼女の肩は震え、その視線は下の光景と足元を行ったり来たりしている。
上がる時俺の顔を見ていたのも納得だ。下を見れば怖くなるというのも彼女は理解していたのだろう。
となればもう階段で降りるのは難しい。なら次の案としては…………。
「じゃあ、滑るか?幸いにもトンネルだし下は見えなさそうだ」
「それもダメなの!」
視界が封じられるスライダーなら問題ない。そう提起したものの、強い口調で断られた。
手は震え、視線は俺の目を見つめているが不安がいっぱいに広がっている。それはもはや高所恐怖症でもない、また別の……?
「アタシね……さっき優佳さんと話したの……」
「……遥は今日初めて会うんだったな」
「うん……。 それで、すっごくいい人で、美人で、元気な人で……。アタシなんかじゃ絶対に敵わない人だなって……」
それは、彼女が今日抱えていた物を吐き出すかのようだった。
俺の両肩を掴み、全ての感情を吐露した彼女は、瞳から一筋の涙が落ちる。
「だから……ね……? アタシがマスターの事を好きだって言っても……迷惑かなって……グスッ……」
「遥…………」
それが……。それが彼女が今日様子のおかしかった一番の原因か。
迷惑…………。そんなの考えたことも無かった。
テストの点数が危ないということで伶実ちゃんが店につれてきて、それ以降テスト勉強と理由を付けて店に通った彼女。
けど、今はどうだ。毎日の勉強も身につき、宿題だって終わった。だから、自らの来る理由というのも考えたのかもしれない。
「アタシは1人じゃ何にもできないし……大事なことは全部レミミンに任せっきりで――――」
「――――なぁ、遥。 1ついいか?」
彼女の言葉を遮るように俺は問いかける。
見上げた彼女の顔は不安。俺は小さなその両肩を掴み、彼女に合わせるようにして中腰になる。
「……俺はさ、成り行きだったかもしれないけど遥に好きって言ってもらえてすごく嬉しかったよ」
「ほぇ……?」
「だって優佳よりも可愛くて、優佳よりも純粋で、優佳よりも元気で俺を引っ張っていってくれる子に言ってもらえたんだ。嬉しくないわけがないよ」
「でも……アタシは全然優佳さんより――――」
それ以上マイナスな事を言う前に、俺は頭の上に手を置いて言葉を止める。
そっと、優しく。ガラス細工を触れるように優しくその小さな頭を撫でると、彼女の頬に赤みが戻ってくる。
「遥は、すごく魅力的な女の子だよ」
「――――!!」
心からの本心。その言葉に彼女は驚いたように目を見開く。
「だからさ、今日はいっぱい遊ぼう? 遥が元気じゃないと俺も寂しいからさ」
「…………ホント? ホントにマスターも寂しい?」
「うん。ホントホント。すっごく寂しかった」
彼女の様子のおかしさに、戸惑いもしたが寂しくも感じた。やっぱり彼女には元気でいてもらわないと。
「そっか……えへへ……。 じゃあさ、一緒に滑っても、いい?」
「もちろん」
「ありがと……」
乗った浮き輪は彼女が前で俺が後ろ。しかしその手はしっかりと俺の手を握られていた。
流れに乗った浮き輪は、思った以上にスピードが出た。
右へ、左へ。どんどん揺れていき俺の身体はそれに振られて浮き輪から飛び出しそうになってしまう。
しかし遥は楽しそうだ。楽しげな笑い声がトンネルを反響し、心から楽しんでいるのだと実感させる。
そして滑り続けた俺達に見えるのは光。スライダーのゴールだ。
バシャアッ!と大きな音を立てながら水へと突っ込んで俺はその身全体でブレーキをかける。
水辺と言っても浅瀬。すぐに静止して尻もちをついた俺は、前方に居た遥の姿が無くなっていることに気づく。
「あれ……遥は…………?」
「ふふっ……えいっ!」
「へ……? ――――!」
どこにいるのかと呆気にとられたその一瞬のこと。
彼女は俺のすぐ隣に居たようで、それを認識した頃には頬に柔らかな感触が伝わっていた。
彼女からは二度目の、頬へのキス。しかし今度は確実な、恋愛感情からによるもの………。
「はる……か……?」
「えへへぇ……マスター!だぁいすき!!」
俺に抱きつきながら発する大きな声はプール中に響くもの。
彼女は水着姿を忘れているのか、伶実ちゃんが止めにくるまでずっと俺の胸元に頬ずりするのであった。




