072.回答の点数
「おぉ……すごい……」
更衣室に遥がやってきて、脱兎の如く逃げ出してからほんの少し後のこと。
俺は当初の予定通り更衣室からシャワールームで汗を流し、本命であるプールにたどり着いたところで小さく声を漏らす。
確かにそこは、昨夜ネットで調べたとおりの施設だった。
プールにスライダー、そしてジャグジーとバライティに富んだ場所。ジャグジーからは湯気が漂っていることから水温が他より高いのだと予想させられる。
まさに遊戯施設であると同時にリラクゼーション施設。しかし俺が声を上げたのは、そこに人がいないことだからだった。
前もって貸切状態とは理解していたものの、こうして実際に目にし、空気を肌で感じると人が居なさすぎて逆に圧巻だ。
当然監視員などもいないし、もはや飛び込みやダッシュなど何をしても怒られないんじゃないかという気さえ思えてくる。
軽く見渡したところ、まだみんなは来ていないようだ。
じゃあ、待ちも兼ねてすぐ近くのジャグジーでも…………
「マスター、もう来てたんですね」
「ん…………? あぁ、灯か」
早速ジャグジーに足を動かそうとした瞬間、近くのトイレから姿を表したのは黒髪の小さな女の子だった。
髪を下ろし、水の滴る中片目でチラリとこちらを見る少女。
一瞬誰だかわからなかったが、声的に灯だ。いつもポニーテールだから印象がだいぶ違うな。
「他のみんなは?」
「まだ着替えてますよ。 それより遥先輩見てません? 着替えてからお母さんを探しに行って戻らなくなったんですが」
「遥は…………」
……どうしよう。
正直に伝えてもいいのだが、いかんせん会った場所が悪すぎる。男子更衣室で会ったなんて言ったら罵声の嵐になることは間違いない。
となると、俺が選択すべき答えは……。
「そ、それより水着。 それが買ったやつか?似合ってるじゃないか」
選択した答え。それは全力で話を逸らすことだった。
彼女が着てきたそれは、陸上のセパレートのように上下2つに分かれた胸元を覆い隠すシンプルなタイプのものだった。
その物怖じしない性格とオレンジ色の明るい水着がよく似合う。麦わら帽子でもかぶって外に出たらモデルのように映えただろう。
本心からの言葉のつもりだが、頭のいい彼女のことだ。
すぐに俺がごまかす目的だと理解して話の軌道修正を図ってくるだろう。
ほとんどダメ元で水着を褒めたが、彼女の行動は俺の予想のそれとは違っていて――――
「なっ……! なんでそんないきなりっ……! 口説くつもりなら口説くって最初に言ってくださいよ……」
…………あれ?
なんだか思っていた反応と違っていた。
俺の予想では適当に流すと思っていたのに。
その言葉を受けた彼女はしおらしい様子で半歩俺から距離を取り、手で自らの胸元を隠しながら身体を捻って紅潮した顔を見せてくる。
「えっと……灯…………?」
「マスター……私の水着が気に入ったのなら、もっと近くで見てみます……?」
「ちょ……ちょっと!?」
灯はチラチラと様子を伺うように俺の顔と手元を行ったり来たりしていると、ふと思い切ったようにその細い手が伸びてきて俺の手を取る。
さっきまで半歩下がっていた彼女は、大きく一歩を踏み出して俺と肌が触れるくらいに。
取った手は指同士を絡ませ合って少し潤んだ瞳が見上げてくる。
比較的スレンダーな彼女でも、それでも女の子。真上から見た彼女は潤んだ顔と上から見えるその谷間が嫌でも目に入ってしまい、思わず息を呑む。
「なんでしたら、まだ伶実先輩たちも来ませんし、一緒に2人きりで遊ぶのも――――」
「――――マスターさん。 おまたせ」
何かが引き金になってスイッチが入ったのだろう。
突然色っぽい眼差しを持つようになった彼女は、俺を引っ張るように当初行こうとしたジャグジーへ。
しかし、入る寸前でもう1人何者かの声がかかってきた。
フラットで、しかし透き通るような綺麗な聞くだけで心を落ち着かせるような声。
俺たちが顔を向けた先には、足の先から頭の天辺、その髪の毛さえも真っ白な女の子、奈々未ちゃんが立っていた。
「な……奈々未ちゃん……これは…………」
声と同様にフラットな表情で見つめるのは、俺と灯の両方。
彼女も、俺に好きだと言ってくれたんだ…………。あの日のことを思い出しながらなんとか今の状況を説明しようとする俺の姿はまるで浮気のバレた彼氏のよう。
いや、誰とも付き合ってないんだけどね。
「灯、その様子だと水着……褒めてもらえたん……だね」
「…………うん」
奈々未ちゃんはその光景すらも予想していたようだった。
優しげに問いかけられた灯は、小さく音を発して俺とつないでいた手をギュッと強く握る。
え、奈々未ちゃんはこの変わりよう、なにか知ってるの?
そう思っていたのも束の間。彼女は俺が問うよりも早く口を開いてくれる。
「マスターさん。灯は水着買いに行ってたときね、遥達が楽しく選んでる中1人でずっと悩んでたの。どれがマスターの好みなんだろうって」
「そうなのか?灯」
「…………」
その問いに、灯はプイッと顔を逸らされるが、その行動が答えを表していた。
どうも俺は知らず内に120点の回答を出してしまったらしい。
そうか……飄々とした様子で伝えられたけど、灯も俺のことを……。
「だから一番に見てもらいたいって一番に飛び出して待ってたの。 マスターの、浮気者」
グッ…………!
灯のその心遣いに嬉しく思うものの、浮気者という言葉にはぐさっときた。
その言葉に少しダメージを負ってしまうも、奈々未ちゃんはそれを癒やすように灯とは反対側の手を握ってくる。
「マスターさん、灯は褒めてもらったみたいだけど、私のは聞いてないよ? どう?かわいい?」
「それは――――」
奈々未ちゃんの水着はビスチェタイプの水着だった。
胸下のあたりがヒラヒラで彩られた、真っ白の水着。
まさしく全てにおいて白かった。しかし日本人離れした容姿や髪色から見事なまでにマッチしている。
彼女は灯同様上目遣いになりながら俺の答えを待っている。
「髪の色と同じで、凄いかわいいよ。 さすがはアイドルだね」
「うん……ありがと」
月並みな言葉だったが、間違っていなかったようだ。その繋いでいる手に力が入ったかと思うと、満足そうな顔で視線を下げる。
「今日はマスターさんだけのアイドルだから……一緒に楽しもうね?」
「おっ…………おぉ…………」
俺だけのアイドル――――。
それはえも言えぬ満ち足りた気持ちに襲われた。
突然の言葉に戸惑っていると、彼女も灯同様俺との距離を詰めてくる。
まさに両手に花。そして水着の女の子。
普段の状況とは違い、服という身を守るものを極限までなくした今の状況は、女の子特有の柔らかいものこそ触れないものの彼女らの肌がダイレクトに俺の肌と伝わってきて自らの心拍が高鳴るのを感じる。
「さ、マスターさん。 伶実は遥を探してるみたいだし、今は3人であそぼ?」
「え? あっ、うん……。 灯もそれでいいか?」
「はい……。それがいい……です」
いつもと違いしおらしい灯にいつも以上に積極的な奈々未ちゃん。
俺はそんな羨ましい状況にいることを自覚しつつも、決して彼女たちの信頼を裏切ってはいけないと念頭に置きながら、奈々未ちゃんが引っ張る先のプールへと足を動かしていった。




