069.孫を頼む
いつもと変わらぬ日常。
それは俺にとって、何よりも大切なものだ。
一緒の時間を楽しめる人が隣に居て、笑いあい、そして心穏やかにいられることがそれにあたる。
小学生の頃はそんなこと思いもせず、刺激的な毎日を何よりも好んでいたが、あの事件をきっかけにすっかり価値観が変わってしまった。
今となっては家族とともに時間を過ごし、そして他愛のない会話をすることが何よりも楽しいものだと感じている。
最近は親元を離れて店を切り盛りしているものだから、ともに過ごす人はいなくなると思っていた。
しかし神様のイタズラか俺に1人の時間を作ることは許されないようで、間髪入れずに伶実ちゃんが、そして遥に灯、最後に奈々未ちゃんが俺の周りに集まってくれるようになった。
もちろん、嫌なわけがない。むしろ嬉しい。
結局俺は寂しがりやなのだ。店を開く準備をしていた時も寂しくないといえば嘘になる。
だから、正直なところ今思えば彼女たちが来てくれて本当によかったと思っている。
彼女たちが来るからこそこの店は華やかになり、そして俺も毎日が楽しいと感じていた。
それでも数日前彼女たちがカミングアウトした、俺への恋心…………
彼女たちそれぞれの口から出た、たった二文字だけの言葉は、俺を眠らせぬ役割として十二分だった。
言われてから数日経つのに未だに答えの出ないこの優柔不断さには嫌になるが、とりあえず今は棚に上げる。
だって彼女たち4人とも魅力的なのだ。俺が釣り合ってないのは言うまでもないが、そう簡単に絞り込めるわけも無いだろう。
すこし脱線してしまったが、俺は今の日常に大変満足している。
俺を慕ってくれる子たちが居て、毎日彼女たちが笑顔で俺の提供したものを口にし、そしてその笑顔のまま帰ってくれる。
これが幸せでないなら何を幸せというだろうか。
そして、俺と同じくそんな他愛のない日常で、少女の笑顔を見るのが何よりの幸せだという人が、もうひとり――――
「――――マスターさんも、そう思わないかい?」
「いやぁ…………ははは…………」
俺は穏やかながらも前のめりに問いかけてくる彼に、苦笑いを作りながら何とも言えない返事を返す。
しかし彼はそれでも満足いかないようで……。
「たしかにねぇ、儚げだったあの子の笑顔が増えたし、声色も明るくなったのは良いことだよ…………。でもね、私達だけになるとマスターさんの話題ばかりになってしまって、少しばかり寂しい気持ちになるのもわかってほしいものなんだよ…………」
そう言って一抹の寂しさを拭いきれないままアイスコーヒーをグッと傾ける彼は、”ナナ”こと奈々未ちゃんの所属事務所社長かつ、祖父兼保護者の、おじいさんだった。
今日、俺は彼女たちに提案されたプールを明日に控え、いつものように1人で客の来ない喫茶店業務に勤しんでいた。
普段は来てくれる伶実ちゃんが不在の理由は、俺の水着は大学時代の物を使うからいいにしても、女の子組はそうとはいかなかったようだ。
本日女の子4人は男子禁制のもと、街のショッピングモールでお買い物だ。
……正確には奈々未ちゃんからぜひ来てほしいと散々言われたりもしたが、一部恥ずかしいからという者が居たため俺から辞退。
そうしていつものように店を開いていると、偶然にも奈々未ちゃんのおじいさんとおばあさんがまた店に来てくれたというわけだ。
どうも『またここの味が食べたくなった』とのこと。そう言ってくれると飲食業を営む身として冥利に尽きる。
しかし、蓋を開けてみると彼は俺に近況について話したかったらしい。
どうも最近奈々未ちゃんはアイドル業に一層力を入れるようになったものの、会話の内容が俺関連ばかりで寂しさを覚えているらしい。
…………なんでそれを本人に?
「ごめんなさいねウチの人が。 なんでも奈々未と同じく、マスターさんのことを気に入っちゃって」
「そう言ってくれるのはありがたいですが……」
隣に座るおばあさんがにこやかに話しかけてくるものの、俺としては複雑な心情だ。
奈々未ちゃんは俺に好きだと言ってくれた。ならば男親として、良い感情を持たれないと思っていたからだ。
もしかして、その事を知らないとか?
しかしおばあさんは、そんな俺の疑問に答えるかのように話を続けていく。
「初めて奈々未が好きになった男の人ですもの。 この人、あなたに気に入られないとあの子が反抗期になって嫌われるかもって必死なんですよ」
「これっ!そういうことをおおっぴらに言うんじゃない!」
「ふふっ、すみませんねぇ」
おじいさんに窘められてもおばあさんはなんのその。どこ吹く風でケーキを口にする。
やっぱり告白の件は知ってたのね……。てか、あんなに心配してくれてる奈々未ちゃんが嫌うってないでしょうに。
「まぁ、老い先短い爺の戯言だと思って聞いておくれ。 それであの子がアイドルを始めた頃は――――」
「はい…………」
やばい、話がループし始めてる。
さっきも1回話がループして、これで3周目だ。
アイドル始めたばかりの苦労話から始まって今の業界の不平不満。そして最近の奈々未ちゃんについて。
もう話す話題も覚えてしまっている。そろそろ落ち着いてくれるといいのだが……
「たっだま~! マスター!お留守番させちゃってごめんね~!」
「マスター、ただいま戻りました」
遥!伶実ちゃん!!
3回目の話になって切り抜ける方法も見つからず難儀していると、突如扉が開いて現れるのはいつもの女の子たち。
今日は全員キチンと揃っていて、全員の手には袋がぶら下がっている。水着、ちゃんと買ってきたんだな。
「おぉ!奈々未や! 来たのかい!」
「おじいちゃん!? なんでここに!?」
きっと、おじいさんとおばあさんの動向を知らなかったのだろう。
一番最後に入ってきた奈々未ちゃんは、その呼びかけにこちらを見ると、驚いた様子で歩いてくる。
「それはもちろん、美味しい彼の料理を食べに……ね」
「そうだったんだ……。でも、なんでマスターさんまでこの席に?おじいちゃんが出口塞いでるし……」
「あー……それはね…………」
ふとした疑問が彼にとっては思いもよらぬ反撃に映っただろう。
思いもよらぬ言葉で言葉に詰まるおじいさん。でもほんの少し頭を巡らせると、何かを思いついたように居ずまいを正す。
「そう、それはもちろんあの入院した日のお礼をだね――――」
「おじいさんったら、最近奈々未がマスターさんの話題ばかり出して寂しいってウザ絡みしてたんですよ」
「…………これ、素直なのはいいことだが、あんまり言うのはどうかと思うぞ?」
きっと、彼ら家族の中で最も力の強いのはおばあさんだろう。
やはりおじいさんが抗議をするも気にしていない。むしろその言葉を耳にした奈々未ちゃんはほんの少し目を細めておじいさんに視線を送るとほんの少し体を揺らす。
「おじいちゃん……そんなこと言ってたの……?」
「し、しっかりお礼も言ったぞ! そのついでになんというか、少しだけ世間話というかだな……」
「おじいちゃん、あんまりマスターさんを困らせないでよね。じゃないと……私、マスターさんの家に転がりこむからっ!」
「!?」
まって!?それは色々とマズイ!!
何がとは具体的に言えないけど、色々とマズイ!!
しかし俺以上におじいさんはダメージを負ったようで、その言葉を受けてフラフラと体を揺らしながら最終的に机に倒れ込んでしまう。
「おじいさん!?」
「マスターさんや……奈々未を……孫を……頼んだ……ぞ……」
「えぇ!?」
バタン!
というように身体の力を抜いて目を閉じてしまうおじいさん。
そこまでクリティカルヒットするの!?あと前とおじいさんキャラ違くない!?
そんな彼のノリの良さに戸惑っていると、ふとおばあさんが宥めるように俺の手にそっと触れてくる。
「気になさらないでください。あの人は外では厳格ですが、家ではいつもあんな調子ですので」
そう穏やかな笑みで誘導される視線の先には、奈々未ちゃんが笑っていた。よく見ればおじいさんだって。
あぁ、これが家族の団らんなんだなと、そして俺さえも加えてくれようとしていると。俺は彼らの笑顔を見て嬉しく思うのだった。




