065.大切な言葉
「マスターさん、なんで大学を辞めてまで喫茶店を開こうと思ったの?」
燦々とした太陽の光が木々によって遮られ、少し暗い位置にある小高い山のとある場所。
山に沿うようにして並べられた数々のお墓。その最上段にある墓の1つが父と母の眠る場所だ。
シンプルなタイプのお墓は普段誰かが来ていたのか、そこそこ小綺麗になっていて、持ってきた道具を駆使しながら隅から隅まで綺麗に掃除していると、そんな声が聞こえてくる。
奈々未ちゃんだ。昔の名字が掘られたその溝を丁寧に磨いていると、彼女が隣に座り込んできた。
彼女には大学中退って伝えた覚えはないが……まぁ伶実ちゃんが知ってるんだし、連絡くらい取っているか。
「……大学を辞めたのは、今の親にもう自分は1人で生きていけるって示したかったからかな。」
「1人で…………?」
「うん。家から出て仕事もして。もうあの頃の自分じゃないって示したかったんだ。 優佳や……父さんと母さんに助けられて今ここにいるけど、もう助けられる自分じゃないって」
実際2人に大学を辞めることを口にした時、『本当の子供のように思ってるのだから、優佳みたいにもっと甘えてもいい』とか言われたりもしたが、俺はそうもいかなかった。
もちろん、父さんも母さんも本当の親だとすら思っている。しかしそれでも、一刻も早く巣立つ姿を見せたかったのだ。
「あと中退っていうタイミングになったのは…………俺の心が耐えられなくなったからかな?」
「心が?」
「いやまぁ……うん……気にしないで…………」
これは本当にしょうもない話だが、優佳から逃げた側面もある。
元々友達同士だった俺たち。高校卒業まではその延長線上という気分で、彼女も俺と顔を合わせる時は家の中でもちゃんとした格好をしていた。しかし大学になると心境の変化があったのか、彼女は俺に遠慮しなくなった。
家……特にお風呂上がりなんかはかなり際どい格好で毎日のように俺の部屋まで突撃してくるし、そうでなくともリビングでゆっくりしていると後ろから抱きつかれることもしばしばあった。
俺も年頃の男の子。
さすがに義理とはいえ姉弟で間違いがあったらマズイだろうということで、心を開いてくれたのは嬉しいが、早々に大学を辞めて店を開く計画を前倒しにしたのだ。
大学通いながら俺だけ家を出ることも可能だったんだけどね……そうしたら大学で詰め寄られる上、家に居着かれる。
「そうなんだ……。私と似てるんだね…………」
「まぁ……そうかもな……」
彼女と俺は相似点がいくつかある。
1つは小さい頃に親をなくしたのと、もう1つは今の親に迷惑を掛けたくない、一人で生きるという思いを持っていること。
だから俺も、その事を聞いて共感したのかもしれない。それに彼女を守りたいとも…………。
「喫茶店を選んだのは……コーヒーが好きだから?」
「そうだね。 人が少ないところに作ったのは、働く必要がない部分もあったからかな」
「? 必要がない?」
「まぁ…………お金とかそういう面倒なお話」
自立するにあたって喫茶店を選んだのは、たしかにコーヒーが好きだからだ。
本当の父親と母親が大好きだったコーヒー。それは小学生ながら俺にも受け継がれ、今の子になった時から働く場所はそこだと決めていた。
そしてお金の話。
これは事故当時、多額のお金が俺のもとに舞い込んできたのだ。
まず線をはみ出してきた相手方の車の過失、そしてレンタカーでの整備不良もあったらしいこと、最後に父と母が俺に相当の額を残しておいてくれたらしい。
おまけに俺自身が高校の頃から運用していたことも相まって、今は働かなくても一生どころか何生も生きていけるくらいはある。
だからあの喫茶店でもバイトを雇うという判断ができるというわけだ。
しかし働かない選択肢はない。父さんと母さんに歪でも自立してる姿を見せたいから。
「ふぅん…………残念」
「残念? どうして?」
「だってお金に困ってるなら私が養ってあげたのに……お金も精神も、全部私に甘えてよかったのに……」
「いや、それはちょっと…………」
彼女がどれくらいあるかは知らないが、さすがに6つも下の中学生に養ってもらうのは俺が嫌だ。
俺の小さなプライドでやんわりと否定すると、掃除していた手が真っ白な手に重ねられる。
「奈々未ちゃん……?
「ね、マスター。 私、あなたのことが好きなの」
「!? お、おぉ…………」
「好きな気持ちに時間なんて関係ない、純粋な気持ち。 ね、私と付き合っちゃわない……?」
夏なのにヒンヤリと感じる冷たい手。
ふと向けられた視線に俺も目を向けると、帽子の隙間から奈々未ちゃんがこちらをジッと見ていることに気がついた。
蒼い、綺麗な瞳。アルビノ特有の綺麗な瞳が、まっすぐ俺の顔を見つめている。
「だから、ね? ずっと一緒に――――」
「奈々未さん?」
「っ!!」
ビクン!と、突然降り掛かってきた声に奈々未ちゃんの言葉が途切れ身体を大きく震わせる。
何事かと声のした方向……真上に顔を上げると、伶実ちゃんが腰に手を当て俺たちを見下ろしていた。
それは笑顔……だが何か怖い。それは奈々未ちゃんも感じたようで、その瞳の奥に恐怖の色が見え隠れしている。
「奈々未さん、話すかわりに今日はそういうのはナシって言ったじゃないですか。マスターだって疲れてるんですから」
「えっ…………えと…………ごめんね?」
恐る恐るといったようにナナミちゃんは振り返って伶実ちゃんへ謝ると、「全くもう……」と呟きながら俺の隣に座り込むと、話題を切り替えるようにして口を開く。
「マスター、お掃除全部終わりました。そろそろ手を合わせませんか?」
「…………そうだね。 あんまりここにたむろし続けても迷惑だし」
さっきのは伶実ちゃんからのアシストとも取れるだろう。
きっと俺は問われても返事ができなかった。だからこそ、言葉を遮ってくれて本当にたすかった。
それに掃除も、ある程度は元々こまめにやっていたし、人も多かったから思ったより早く済んだ。
しかしそこまで広い区画ではないから5人だと少し手狭だ。他に人が来たら迷惑にもなりかねない。
「じゃあさっさと手を合わせて店でも開けよっか」
「はい。 ……あ、マスター。お店に帰る前にこれを……後でやりませんか?」
手にしていた掃除道具を片付けようと立ち上がろうとしたその時、彼女がそう言って取り出したのは何か四角くて大きな物。
それは、スーパーなどでよく見るファミリータイプの花火セットであった。
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「わ~! 見てみてあかにゃ~ん! すっごく綺麗だよ~!」
「遥先輩っ!4つ持ちは危ないですって!!」
そこは広い広い公園の小さな小さな片隅。
俺たちはお墓に手を合わせた後、公園へと足を運び伶実ちゃんが持ってきたものを楽しんでいた。
「ナミルンもやりなよ~! 4つ持ち、綺麗だよ~!」
「私は……1つで……十分だから……!」
彼女が持ってきたもの……それはいくつもの手持ち花火だった。
スーパーなどで売っている線香花火や手筒、スパークなど様々なものが入った手持ち専用パック。
花火の魔力に誘われるように、俺たちは何故か昼間から公園の片隅で花火をして楽しんでいた。
一応俺の手にも一本のすすき花火が。
綺麗だけど……なんというか、昼だから見にくい。
「マスター、どうですか?」
「すごくきれいだけど……なんでこの時間から?」
光に目を向けていると隣に腰を下ろしてくるのは今日の発案者、伶実ちゃん。
彼女は手に線香花火を持っていて、手早く点火してその輝く火花を眺めだす。
「本当は夜がよかったんですが、やれる時間も門限で限られてきますので。 なにより今日じゃないと意味がありませんから」
「今日?」
「…………お盆には、死者への供養という意味があるようです」
「あぁ……」
それは俺も聞いたことがある。
慰霊や疫病のためという説があると。
「俺の両親の為に……考えてくれたんだね」
「はい……。確かにご両親の為ですが、供養の為に持ってきたつもりじゃ無いんです」
「……?」
供養でなければ他になんの意図があるのだろう。
その意味以外で花火をする理由は思いつかない。
「お盆の花火は道標として……今こんなに楽しんでるという事を示すものだと思っております。 亡くなった方に、『心配いらないよ』って……」
「道標…………」
「私には大切な人を亡くした経験はありません。ですが、過ぎ去った過去と割り切るのではなく、その時の感情も大切にしてこそだと思うのです」
「…………そうだね」
『死者は忘れ去られた時が第二の死である』
そんな言葉を、昔よく聞いた。
だから平気な顔で話せるようになった今だからこそ、元の感情を思い出すことも大切だろう。その者の、愛おしさすら忘れてしまわないように。
「わ~! なにこれ~! やりすぎちゃった~!!」
「わっ!遥先輩……!どこ……ですか!?」
「けふっ! すっごく……けむたい……!」
彼女の言葉を受け止めながら手元で光る火花に思いを馳せていると、ふとそんな声がして思わず顔を上げた。
すると目の前の光景は真っ白。遥も、灯も、奈々未ちゃんすら見えなくなってしまっていた。
「みっ……皆さん!大丈夫ですか!?」
伶実ちゃんもその事態に気づいたようで慌てたような声を上げる
しかし煙はどんどんこちらにまで迫ってきて、ついに俺たち2人をも巻き込んでしまった。
同時に隣から、伶実ちゃんの案じるような声が響いてくる。
すると少し離れた向こう側から、三者の問題ないと告げる声が聞こえてきた。
よくよく目を凝らすと薄っすらと見える人影らしきもの。なんら害はない。
無風かつ大量に花火を点火したせいで少し煙が滞留しただけだろう。
これならちょっとだけ待ってれば次第に晴れてくれるはず。
――――そんな事を考えていると、ふと正面にハッキリとした人影が現れた。
すぐ目の前に立つ、2つの人影。それは何も声を発することなく、ただ前に立ち続ける。
「…………?」
待てどもその人物は動くことはなく、声を発することもない。
背丈的に、俺と同じくらいの人物と灯くらいだろう。
その人影はただ見ているだけのようで、そんな感覚が……視線がヒシヒシと俺へと突き刺さるのを感じる。
「えっと……?」
小さく声を発してみても相手からの反応は一切ない。
俺は妙だと思ってついに2人に話しかけようとしたその時、ビュウッ!と一陣の風が突然吹きつけて辺りの煙を消し去っていった。
「……ふぅ、びっくりしたぁ! ごめんねみんなぁ!」
「けふっ。 なんともなくて……よかった」
――――そんな声とともに晴れた景色は、見えなくなる前と同じ状況だった。
隣には伶実ちゃんが座って、少し離れた位置に3人が花火を持っている。
誰も彼も、あの影のように目の前に立っているということは一切なかった。充満していた煙が晴れるまで5秒とない。
その間に今の状態に戻るのは不可能でもある。
となれば、あの2つの人影は――――
「マスター? どうしました?」
「ん? なにが?」
「いえ、なにか笑ってるようでしたが…………」
俺は自らの顔に手を当て、表情を確かめる。
笑っていたのだろうか……。それならばきっと、そうなのだろう。
「いや、気のせいじゃない?」
「そうでしょうか…………?」
疑問符を浮かべる伶実ちゃんから視線を外し、俺は空高くを見上げる。
真っ青で、雲ひとつない綺麗な青空。
――――元気でいてくれて、ありがとう。
空を見上げながら、1つの言葉を思い出す。
それは一陣の風が吹いた瞬間、風に乗って俺の耳に届いた大切な言葉。
俺はそんな2人に返事をするように、一際大きい花火を手に取るのであった――――。




