063.過ぎ去った過去
「――――とまぁ、これが養子になった経緯かな」
時は戻って現代。
小学生だった『ボク』から今の喫茶店マスターである『俺』こと総は、黙って聞いてくれている2人の少女にこれまでの全てを伝えていた。
おそらく、これで全部だと思う。
あの日俺が涙を流しながら差し出された手を取って今の母さん…………優佳ママに説明と実際の事務処理でちょっとひと悶着あった覚えもあるが、それはまぁ良いだろう。特に大したことでもないし。
でも、ちょっと話しすぎた感もある。
最初の公園のくだりとか今考えたら省略してもよかった。でも話そうと構えた途端、その時の記憶が12年ぶりに蘇ってきたのだから仕方ない。
…………事故のショックからか、あの約束の事を今の今まですっかり忘れていた。あの子は今元気にしているだろうか。
一息ついた俺はチラリと窓から外を見る。
そこはこれまで雨が降っていたことなんて嘘だったかのように、消えかけの太陽が薄暗くこの世を照らしていて、もうじき夜だということを告げていた。
「そういえば今居ない灯たちにも伝えていいよ。隠すようなものでもないし」
別にショッキングなのを危惧していただけで、俺としては昔の過ぎ去ったことだ。
特に隠すことでもない。
けれど一向に帰ってこない返事に少し疑問に思いながら二人の様子を伺うと、俺はその様子に目を丸くする。
「ますたぁ……そんな事…………そんな辛いことあったんだぁ。 ごめんねぇ気づいてあげられなくてぇ」
「俺も言う気が無かったからな。気づくも何も……って!そこまで泣くほどか!?」
「だってぇ…………!」
気づけば今まで黙って聞いていた遥が瞳からボロボロ涙を流して、服の裾で拭っていた。
遥は感受性強いから、ちょっと細かく伝えすぎたかもしれない。でもシャツで涙拭ってると遥の引き締まったお腹がチラチラ見えて気になるから気をつけようね?
「伶実ちゃんも、こんな重い話してごめんね? …………伶実ちゃん?」
ふと何も発しない伶実ちゃんが気になって声をかければ、彼女は床に女の子座りをしたまま顔を伏せていて、こちらからは何を思っているか知ることができなかった。
一瞬寝ているかとも思ったが、おそらく彼女の視線の先にある自らの手は握ったり開いたりを繰り返していて、そうではないと確信させる。
「レミミン…………?」
「すみません……。ちょっと私、お先失礼してもよろしいでしょうか?」
「えっ? あ、あぁ、いいけど……」
遥に問われた彼女はほんの少しだけ視線を動かしてから、俺からはその表情が見えないように座ったまま半回転して扉へと身体を向ける。
そして戸惑いながら応えた俺に再度「すみません」と呟くと扉の方へとゆっくり歩いていく。
「マスター」
「伶実ちゃん……その、ごめんね?辛いこと聞かせて」
「いえっ……その……明後日の日曜日、お時間空いてますか?」
「明後日? まぁ、午後なら開いてるけど」
明後日の日曜日――――お盆だ。
それは例の事故が起こった日。だから午前はどうしても外せない用事があるも、午後は大丈夫。
「……わかりました。今日のところは失礼します」
「レミミンっ!」
遥の呼びかけも虚しく空へと消え去っていき、ついに俺は伶実ちゃんの表情すら見ることができずに帰ってしまった。
怒ってたのかな……悲しいのかな……どちらにせよ、穏やかではない。話したのは失敗だったかもしれない。
「ますたぁ…………」
「遥。悪いけど、伶実ちゃんについてやっててもらえないか?」
「いいけど、マスターはいいの? 話して、辛くない?」
「10年以上も前だ。過ぎ去った話だよ。 だから気にせず、お願い」
「うん…………」
遥も後を追いかけるよう、後ろ髪引かれながらも俺の部屋を後にする。
俺は取り残された部屋で一人、天を仰ぎながら当時都会で飲んだ苦いコーヒーの味を思い出していた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「レミミンっ!まってぇ!!」
太陽も沈んで街頭が辺りを照らす暗い住宅街の片隅で。
とある少女はもうひとりの少女を追いかけていた。
「……遥さん。来られたんですね」
「そりゃあ来るよ! マスターも心配してたよ……大丈夫……?」
一人の少女、遥はその身を案じながら恐る恐る問いかける。
彼女らは互いに、それぞれがマスターに対する気持ちを言葉にせずともわかり合っていた。
しかし、それでも遥に彼女の想いの深さまでは読みきれていない。何か特別な想いがあるのだなくらいの認識だった。
「いえっ……はい。 すみません、ご心配おかけして」
「私のことは全然……。ね、一緒に帰っていい?」
「はい……」
遥はそれ以上何も言わず、もうひとりの少女、伶実の隣に並び立って無言で駅までの道のりを歩んでいく。
伶実を慮って、あえて何も言わない遥の優しさ。伶実はその優しさに触れつつ、心のなかでお礼を言いながら暗い夜の下を進んでいった。
「あの、遥さん」
「どったの?レミミン」
小さく問いかける伶実に、いつもと変わらないような返事をする遥。
伶実にとってそれは話すつもりではなかった。しかしあえて何も聞かない遥の優しさ、ずっと心配そうな顔をしてくれるマスターの顔を思い浮かべて、その口に戸を立てることはできなかった。
「私……おかしいんです。あの話を聞いてから……」
「おかしいの? アタシにはフツーに見えるけど」
明らかにいつもと違う様子を見せたのに、逃げるように家を出たのに普通というのか。と、伶実はそんな彼女に心のなかで苦笑する。
「はい。悲しいお話でした。辛く、そして今のマスターの原点教えてくれる、大事なお話でした」
「……そだね」
「でも、私……嬉しいんです。あの話を聞いて……すっごく嬉しかったんです。だから、笑ってしまう顔を見られたくなくて……」
「それって、マスターが信頼して話してくれたから?」
伶実はその問いかけに首を横に振って回答する。
そうではなかった。いや、たしかにそれも理由の一つではあるのだが、笑ってしまったのはもっと別の理由。
「マスターが最初お話していた……お出かけ前の公園で遊んだ女の子のことを覚えていてくれて……すっごく嬉しかったんです」
「女の子って、公園で遊んでたすっごく小さな女の子っていう…………って、えぇ!?それってもしかして!?」
大きなリアクションで驚いて見せる遥に伶実は首を縦に振る。
そう。あれは伶実だった。彼女が初めてマスターと邂逅した日。そして、期せずして伶実が助けられた日。
「だから……どんな顔をしていいのかわからず逃げ出すようになってしまいました。すみません」
「はえ~……あれレミミンだったんだぁ。 でもでも、普通に言えばいいんじゃない!?」
当たり前のように聞いてくる彼女に、伶実はそうではないと告げる。
そうではなかった。自分が10年以上想い続けていた心を、あの悲しい場で話してはならない。しかし嬉しさの勢いのまま話したい。その相反する心を持ってマスターと相対することができなかったのだ。
だから今は一度戻って仕切り直し。幸いには考えはあると、伶実はピンと背筋を伸ばして遥を見る。
「……だから遥さん、1つお願いがあるのです。 聞いてもらえませんか?」
「お願い?いいよっ! それってマスターに関係することだよね?」
伶実は遥が内容すら聞かずに快諾したことにほんの少し笑みを零す。
これが彼女の魅力なんだと。この信じる心、優しさが人を惹き付けるのだと。
それでも彼女には負けないと今一度吐息を吐いて彼女に口を開く。
「はい。それは――――」
たった今思いついた、それでもきっと彼の為になるであろう計画。それは当然、遥も大きな笑顔で了承するものだった。
決行は明後日の日曜日。2人は互いに大きく頷きあい、駅の構内へと消えていくのであった。




