062.救いの家族
――――無機質な音が浮上してくる意識を最初に迎えてくれる。
ピッ……ピッ……ピッ……と、規則正しく感情も何も籠もらない、一つの機械から発せられる音。
音がだんだんと鮮明に、大きく聞こえて来るようになってきて自らの瞳に力を入れて開いていく。すると自分の部屋ではない、どこかの天井が目に入った。
柔ら……かくはないがベッドに寝かされている。更に目の端に見えるカーテンや、音につられて向いた先に見える機械で、自らが病院にいることが理解できた。
「なん……で…………?」
「ぁ…………。 起きた……?起きたの!?」
小さく息を呑む音の後、驚くような声が聞こえて首を反対側に向けると、パイプ椅子が倒れると同時に立ち上がるボクと同じ年くらいの女の子――――優佳ちゃんが立ち上がっていた。
彼女はその場に立ち尽くしたまま大きな瞳を揺らした後、段々と溜まっていく涙が決壊するとボクのもとへと抱きついてくる。
「優佳……ちゃん……?」
「ばかぁ……! 心配したんだから……!総くんが……総くんがいないとあたし…………!!」
ギュウと力いっぱい抱きしめる彼女がボクの背中にボロボロと涙を落としながらその背中を叩いていると、ふと目の端にもうひとり誰かが入ってくるのが見て取れた。優佳ちゃんのママだ。
「総君…………!起きたのね!」
「優佳ママ……ボク…………」
「いいのよ、休んでて。 今お医者様を呼んでくるから。ほら優佳、降りなさい。総君も困るでしょう」
その呼びかけに未だに泣き続けている彼女がその顔を隠すこと無くボクから離れていくと、2人手をつないで病室を出ようとする。
ボクはそんな後ろ姿を見て、ふと声をかけた。
「ねぇ、優佳ママ」
「…………どうしたの?」
優佳ママはボクに笑いかけながら振り返ってみせる。
しかし、よくよく見るとその目元はほんのり赤くなっているような気がした。
「ねぇ…………ボクの……パパとママはどうしちゃったの?」
「っ――――!!」
その言葉に突然変わりゆく驚愕の表情。
目を見開き、口に手を当てほんの少し後ずさりをするも、優佳ちゃんは何もわからないようで、彼女に引っ張られるような形で優佳ママは病室へと踏みとどまった。
「そのっ……お父さんとお母さんはね…………その…………」
「ねぇ、優佳ママ。 教えて……」
「総君のお父さんとお母さんはね……もう……会えないのよ…………」
「…………そっか」
その言葉に驚きはなかった。
感じるのは『やっぱり』という感情だけ。
それはまるで小3には簡単すぎる一桁足し算の小テストを解いて花丸をもらうかのような、そんな無機質な感覚だった。
「ごめんね……総君……ごめんね…………」
「ママ?」
突然膝から崩れ落ち、涙を流す優佳ママにそれを心配する優佳ちゃん。
2人はその場でどうすることもできずに、様子を見に来た看護師さんに介抱されるのであった。
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それからのボクは、一時施設へと預けられることとなった。
幸い施設と小学校の位置は近く転校するということは無かったが、ボクと、その周りではある変化が訪れた。
まずボクは、あの日を境に何も感じなくなってしまった。
怒られても、遊んでも、テストで100点を取っても0点を取っても。
悲しさも苦しみも楽しさも嬉しさも、なにも感じることができなかった。
それは心にポッカリと虚空の穴が空いてしまったかのよう。
そんなボクを気味悪がってか、前はたくさんいた友達もほとんどいなくなってしまった。
いつもペアを組んでいたあの子も、一緒に給食を食べていたあの子も、誰も彼も。
けれど、それでも優佳ちゃんだけはずっとそばにいてくれた。彼女はどんな時でも隣にいて、ボクを守ってくれた。
そんなとある日、ボクは彼女に公園へと連れて行かれる。
ここはお出かけの前日、ボクと彼女が一緒に遊んだ場所。そういえばなにか忘れてることがあるような気がするけど……なんだっけ。
「ねぇ……どぉ?今のお家は? …………楽しい?」
「…………普通かな」
施設の先生も、他のみんなも、みんな優しい。
でも楽しいかどうかと聞かれると……そうでもない。何も感じない。何も思わない。
「そっか…………あたしね、学校の勉強の他に色々と勉強してきたんだ」
「そうなんだ」
「すっごく難しいんだけどね、わかるように頑張って、ママにも聞いて……頑張ってるんだよ?」
「うん」
僕たちもそろそろ中学への道を考える時。
優佳ちゃんはもしかしたら受験して行く学校にするのかな?
「それでね、ようやく見つけたんだ。 ――――総くんがもっと楽しくなれる方法を」
「ボクの?」
ボクが?楽しく?
今も不幸とは思ってないんだけどな。でもなんで優佳ちゃんがボクの為に勉強してくれるんだろう。
「その前に聞きたいんだけど…………総くんってあたしのこと、好き?」
「…………好き?」
「うん。アタシは総くんのことが好き。 …………総くんは?」
「ボクは…………」
――――どうだろう。
ボクは今の感情より手前。過去の事を思い出す。
以前ここで遊んだ日。去年お泊り会した日。学校で遊んだ日。それぞれの事を思い出す。
「たぶん、好き……なんじゃないかな?」
「そっか……」
彼女はスッと顔を伏せてズボンにやった手をギュッと握りしめる。
そこにシワがついても気にしないように。しかしなにかを決意したのか更に強く手を握りしめボクの瞳をまっすぐ見つめた。
「だっ……だったらっ! あたしと……家族にならない!?」
「……家族?」
家族って、どういうことだろう。
僕たちは友達同士だ。それが家族になるというのなら――――
「結婚ってこと?」
「いっ!いやっ!!それはそうじゃなくってぇ……まだ早いというか…………」
一気に白い顔が真っ赤に早変わりし、まっすぐ捉えていた目が逸らされる。
結婚じゃなかったか……。別に、ボクにとってはそれもどうでもいい。
でも、予想が外れたのは奇妙だ。他に何も家族になる方法なんてないと思うのに。
まだ小学生。世の中の仕組みに明るくないボクにとって、先程の問いかけに対する答えは、それ以外の選択肢なんて持ち合わせていなかった。
そんなボクの固定概念をぶち壊すように。再度彼女は深呼吸して、ボクに手を差し伸べながらやさしく告げる。
「そうじゃなくって……。 総くんもあたしのママの子供に…………養子にならない!?」
その言葉は、まさしくボクに差し伸べられた幸せにつながる最初の言葉。
ボクはその手を取り、大牧家の仲間入りをするのであった――――。




