058.店を開いた甲斐
「まぁ~! まぁまぁまぁ…………まぁ~!!」
普段は陽炎が遠くのコンクリートにゆらゆらと漂い、その暑さがとどまることを知らない8月のとある日。
今日は珍しく普段より低い気温に驚きつつも、結局ベースが高いから夏特有のジメジメとした湿気に嫌気がさしつつやってきたとある一軒家の前。
俺はいつもの店から珍しく外出して、電車で数駅行った先にある我が実家へと足を運んでいた。
空はいつものギラギラとした眩しい太陽が完全に隠れてしまった曇りの日。
天気予報だと雨までは行かずとも一日曇りと判断されたその灰色の空は、今の心模様を現しているようだった。
本日。俺は唐突に送られてきたメッセージの指示を遂行するため、伶実ちゃんと遥を連れて母の元を訪ねていた。
正直スルーしたりお盆越えてからでも良かったのだが、2人が翌日でいいと言うものだから急遽決まった実家への帰省。
そうしてたどり着いた家の前でインターホンを鳴らすと、まさに待ちかねていたかのようになると同時に母さんが姿を現した。
そうして1人、目を輝かせながら俺には目もくれず、隣の2人を見ながら近づいてくる母。
同時に2人の女の子は驚いてしまっている。
「この子達がアルバイトの子!? 可愛いとは聞いていたけどここまでだなんて思いもしなかったわぁ!!」
「えっ……えっと……ありがとう……ございます?」
「あのっ……その……マスターのお母様……ですか?」
疑問形でお礼を言う遥に、問いかける伶実ちゃん。
これが俺の心が曇ってしまう理由だ。
良い母親なんだけど……すっごく優しい母親なんだけど……いかんせん好奇心が強いんだよね。根掘り葉掘り聞いてくる感じで……。
この親にしてこの優佳あり的な。さすが親子。
「えぇもっちろんっ!! 今日は来てくれてありがとね~! 総のことだから適当に理由つけて断られるかと思ってたわ~!」
「あっ、その……。深浦 伶実です。 よろしくおねがいします。これお土産です……」
「あらあら! 別に気にしなくていいのに~! 後でお茶入れるから一緒に食べましょ? それで……そっちの子は……」
「は、はいっ! 本永 遥っていいます!!」
母親と対峙した2人は何故かタジタジだ。
そんなに緊張しなくていいのに。たかがバイト先の店主の実家。むしろ来てくれることがありえないと思っていたほどだ。
「こんな可愛い子たちが働いてくれるのなら、お店もきっとお客さんでいっぱいでしょうねぇ~!」
「ぁっ……それは……その――――」
「母さん、あんまり2人を外に放っておくのはアレだと思うよ。 あとバイトしてくれてるのは伶実ちゃんだけで、遥は友達なんだから」
いくら曇りといっても暑いものは暑いし、確か曇りのほうが紫外線強いんだっけ?
何よりあまり立ち話はよろしくないだろう。早いとこ入って涼みたい。
「あっ、ごめんね2人とも。 ささ、入って入って! 2人のために美味しいカステラ買ってきたの。 お土産も一緒に食べましょ?」
「カステラ!!」
その魅惑的な言葉に真っ先に反応するのはいつもの遥。
やはり緊張していてもお菓子の魔力には敵わないようだ。
そうして案内されたのは、玄関からすぐ近くの扉をくぐったリビング。
そこは俺が家を出た時と変わらぬ光景だった。テレビの前のソファ、ペニンシュラ型のキッチンと、直ぐ側の4人がけテーブル。
母さんがテーブルへ好きなように座ってと促すと、揃って向かい合うようにして座ってしまう。
…………あれ、向かい合せ?
俺的には2人が隣り合って、俺と母さんが横に並ぶ形を想定してたんだけどなぁ……。これ、俺はどう座ればいいの?
「……母さん、俺も手伝うよ」
とりあえず、棚上げ。
2人はそのまま談笑し始め、その座り方に問題を感じてはいないようだ。
とりあえず母さんが座るのを待てば自然と俺も場所が決められるだろう。
「カステラも切ってあるし後は並べるだけだから座ってていいわよ。……あ、伶実ちゃんったらラングドシャを選んでくれたのね。一緒に並べちゃいましょ」
俺が手も足も出ず眺めている間にも素早い動作で動いていく母さん。もはや出る隙がない。
「あ、そういえばこの家にコーヒー豆は無いわよ。総以外誰も飲まないんだから」
「…………知ってる」
その言葉を聞き、仕事のないこととのダブルパンチを喰らった俺はトボトボとテーブルに戻っていく。
まぁ、昔からコーヒー飲むのは家族で俺だけだったし、仕方ないね。…………後でコンビニコーヒー飲まなきゃ。
「……2人とも」
「――――あっ!マスター! マスターも座って座って!おしゃべりしよっ!!」
「座れと言ってもなぁ……」
遥の呼び声にテーブルを見渡すも、やはり2人の座る位置は向かい合う形。
なんにも変わっていなかった。どう座れと?
「……どっちに座ったらいいの」
「それはマスターにおまかせします。 ね、遥さん」
「ね~!」
2人して笑い合い、揃ってポンポンと叩く隣の椅子。
そんな両者の顔は笑顔で、俺が来るのを待っている。
2人して待つ少女に、まだお湯を沸かしていて時間の掛かりそうな母さん。
俺は――――――――
「じゃあ、こっちで」
「マスター!」
俺が座ったのは――――伶実ちゃんの隣だった。
別に、これといった理由はない。強いていえばこちらからのがキッチンに近く、何かするのに動きやすいと思っただけだ。
「む~! やっぱりマスターってレミミンに特別甘い~!」
「私はバイトでいつも一緒に居ますから。ね、マスター?」
「お、おう…………?」
思わず疑問形で返してしまったが、その少し勝ち誇りながらも可愛らしく上目使いで同意を求めてくるのは可愛かった。
一方遥は頬を膨らましながら抗議してくるも、すぐに俺たちの後方に気づいてその目を輝かせる。
「はい、カステラとラングドシャと……紅茶を淹れてきたわよ。一緒に食べましょ?」
トレーを手にした母さんが空いた席……遥の隣にやって来ると、慣れたようにお皿やコップをテーブルの上に並べていく。
そして同時に俺たちの鼻孔をほのかな甘い香りがくすぐる。これは…………レモンか?
「シトロンの紅茶よ。ミルクを加えても美味しいわ。 さ、召し上がれ」
「わ~いっ! いっただきま~す!」
まさしく感情が溢れ出るように遥が元気な声いっぱいで目の前のカステラを手に取り、その顔を綻ばせる。
俺たちもそれに続いてそれぞれ手にし、口の中に甘みがいっぱい広がっていった。
「美味しい……!美味しいですお母様!」
俺がラングドシャに舌鼓を打っていると、隣の伶実ちゃんが感動したように母さんへ思いを伝える。
それを聞いた母さんは満足したように優しげな微笑みを彼女に……そして遥へ向ける。
「えぇ、そう言ってくれてよかったわ……。 総、アンタこんな子たちのこんなかわいい表情、毎日見てるの?」
「え? あ、あぁ……」
殆ど毎日……と言っても差し支えないだろう。
夏休みに入ればそれこそ毎日。伶実ちゃんはバイトだが、遥は毎日食べに来るから自然とそうなる。
「それは……良かったわね。 アンタも、店を開いたかいはあったんじゃない?」
「………………」
俺はその問いに、なにも答えない。
ただ小さく微笑んで手元の紅茶を口に入れると、母さんもそれ以上は何も聞かず、俺と同時にカップを傾けるのであった。
もちろんだ。毎日彼女たちの楽しそうな笑みを、美味しそうな顔を見るだけで、それだけで開いてよかったと思っているのだから――――




